第9話:豊穣のリデザインと、歪んだ羨望
秋。村は今、黄金色の海に沈んでいた。
代書屋『クラフト』の窓から見える景色は、一週間前とは劇的に変わっている。村の主力産品である『琥珀米』が、収穫の時期を迎えたのだ。
「……信じられないな。今年の出来は、一体どうなっているんだ」
作業場で羊皮紙を整理していた父・カイルが、窓の外を見やりながら独り言を漏らした。その隣では、兄・ジークが村人から預かった魔導大鋏の術式を研ぎ直していた。
「父さん、これ、ただの豊作じゃないよ。隣の村の奴らが偵察に来るくらいのレベルだ。一粒が親指の爪くらいあって、しかも全部、形が揃ってるんだ。まるで誰かが型に嵌めて育てたみたいにさ」
二人の会話を、カウンターの下で画用紙に向かっていた私は、聞き流すふりをして口元を綻ばせた。画用紙といっても、母・エラが仕事で出た端材を綴じて作ってくれた、私にとっては最高級のキャンバスだ。そこに、この世界の「魔法文字」をあえて無視した、幾何学的なグリッド線を書き込んでいく。
(ふふん、当然よね。この三ヶ月、私がどれだけ村の『インフラ』を整理したと思っているの?)
私の脳内にあるデザイン・ライブラリには、この村の魔力循環図が完璧にレイアウトされている。
もともと、この村の農業用魔導具は最悪だった。水路の魔力を整流する石碑は、フォントサイズがバラバラで読みづらい看板のように、魔力の流れをあちこちで衝突させていたし、貯水池の底に沈んだ導力板は、長年の泥で「カーニング」……つまり文字間隔が埋まり、情報の伝達が支離滅裂になっていたのだ。
(デザインの基本は、整理整頓。私はただ、村中の『視覚的なノイズ』を取り除いただけ。水が本来通りたい道を作り、土が欲しがっている魔力を、黄金比に則った最短ルートで届けてあげた。それだけで、植物は勝手に一番美しい形に育ってくれる。命っていうのは、優れたデザインを愛するようにできているんだから)
私が使ったのは、ポケットに忍ばせた炭の欠片と、エラに作ってもらった特注の銀のペンだけだ。低重心で、手に吸い付くようなあの感触。あのアナログな道具一つで、世界の理のUIを書き換える感覚は、前世でハイエンドなペンタブレットを操っていた時以上の全能感がある。
お散歩のついでに、ほんの一線。誰も気づかないような水路の影や、古びた石柱の裏側に、補助線を一本足す。それだけで、村全体のグリッドが整い、魔力という名の「データ」がスムーズに流れ出したのだ。
「テラ、お待たせ! 練習、行けるよ!」
店に飛び込んできたのは、相変わらず髪を静電気で逆立たせたアルノだった。彼の魔力は、私がコンロの術式をリデザインしてあげてから、以前よりもずっと落ち着いている。
「あ、アルノ。こんにちは」
私は「プロの顔」を瞬時に「3歳の幼児」に切り替えた。銀のペンを素早く隠し、トテトテとアルノのもとへ駆け寄る。
「兄さん、テラ、アルノと練習に行ってくるね」
「おう、あんまり遠くへ行くなよ。ルカの親父さん……村長が広場で演説始めるらしいから、捕まると長いぞ」
ジークは研ぎかけの鋏を置いて、ひらひらと手を振った。その目は相変わらず鋭く、時折、私が触れた後の魔導具をまじまじと見つめていることがある。彼の「直感」は、この村で一番油断ならない。私は心の中で少しだけ肩をすくめ、アルノの手を握って外へ出た。
村の広場は、熱狂に包まれていた。
山積みになった米俵。その前で、豪華な刺繍が入ったローブを纏った村長が、大仰に身振り手振りを交えて演説している。
「これぞ奇跡! わが村の伝統ある農法と、私が公会から譲り受けた由緒正しき魔導守護石の加護が、ついに実を結んだのである!」
村人たちが拍手喝采を送る。その横で、村長の息子であるルカが、不機嫌そうに腕を組んでいた。
ルカは私より少し年上で、この村で唯一、町から取り寄せた「魔導教科書」を持っている、自他共に認める神童だ。
でも、彼の周りに漂う空気は、ひどく濁っている。
彼の持っている教科書を、以前チラリと見たことがあるけれど、あれはデザインの教科書としては三流以下だった。権威を誇示するためだけの無駄な装飾。初心者を惑わせるだけの複雑すぎる術式。あんなものを真面目に信じているなんて、プロからすれば同情を禁じ得ない。文字を「読む」ことに必死で、文字が「何をしているか」を見ていないのだ。
「テラ、見て! ほんとにキラキラしてる!」
アルノがおにぎりを頬張りながら、収穫された琥珀米を指差した。アルノのお母さんが握ってくれた新米のおにぎりは、噛み締めるほどに甘みが広がる。
「うん、きれいだね。おいしそう」
私は子供らしい感想を口にしたけれど、私の目には、その米から立ち上る魔力のスペクトルが見えていた。完璧に調和した彩度、安定した明度。一ミリの狂いもなく「食欲」を刺激する、極上のパッケージデザインのような美しさ。これが、私の仕事の成果だ。
その時。不意に、私とアルノの間に影が落ちた。
「……おい。お前ら、いい気なもんだな」
冷たい声。見上げると、ルカが私たちを、というより私を、刺すような目で見下ろしていた。
「あ、ルカ。こんにちは。おにぎり食べる?」
アルノが無邪気に差し出すが、ルカはその手を乱暴に振り払った。
「いらない。……テラ、お前、変なことしただろ」
私は首を傾げた。「なあに? お外で遊んでただけだよ」
「嘘だ! 僕はお前が、お昼に水路の石のところで、こそこそ何か描いてるのを見たんだ。それに……アルノの家のコンロ、お前が触ったら火の色が全然違うものになったって、近所の奴らが言ってたぞ。そんなの、僕の教科書には一言も書いてない!」
ルカの声が、次第に大きくなる。広場の喧騒の中でも、その鋭いトーンは周囲の注意を引き始めた。
(……あら。思っていたより、観察眼はあるのね。でも、隠しきれなかった私の詰めが甘かったかしら。デザイナーの仕事は、変えたことに気づかせないこと。私はまだ、この村の『マニュアル』を全面的に書き換える準備はできていないのに)
「ルカ、それ、お掃除だよ。テラ、お外をきれいにするの、好きなの」
「お掃除なわけないだろ! あの線……。大事な教科書に載ってる『正しい文字』に、勝手に線を足すなんてズルだ! 決まりを壊す悪い子だぞ! そんなの、絶対に間違ってるんだ!」
ルカの瞳には、強い嫉妬と、それ以上に深い「恐怖」が宿っていた。
彼は努力の人だ。毎日毎日、公会の古い、読みにくい文字を必死に書き写し、それを暗記することで自分の価値を証明してきた。彼にとって、その「不自由なルール」こそが世界のすべて。
それなのに、3歳の、ろくに文字も読めないはずの代書屋の娘が、石ころ一つ、炭の欠片一つで、自分の努力を嘲笑うような結果を出している。
彼には、私の引いた線が「正解」であることが分かってしまっているのだ。分かっているのに、自分が学んできた「間違い」を捨てられない。その不協和音が、彼の中で嫉妬という名のノイズとなって暴走していた。
「いいか、テラ。そんな嘘、すぐバレるからな。……明日、この村に領主様が来るんだ。公会からも、すごい鑑定士の先生が一緒に来る。お前がめちゃくちゃにした魔導具を見れば、お前が悪いことしたってすぐわかるんだから!」
ルカは吐き捨てるように言うと、広場を去っていった。その拳は固く握りしめられている。
「……テラ、大丈夫? ルカ、最近なんだか怖いんだ。父さんに『もっと勉強しろ』って毎日言われてるみたいで」
アルノが心配そうに私を覗き込む。
「大丈夫だよ、アルノ。おにぎり、もう一個食べよう?」
私は笑って見せた。
けれど――
胸の奥に、小さな違和感が残っていた。
(……鑑定士?)
ただの視察じゃない。公会の人間が来るということは、これはもう「検査」だ。
しかも対象は――
(……村じゃない。私の「仕事」)
その夜。私は机に向かい、銀のペンを握っていた。
もし明日、私の引いた線が「間違い」と判断されたら、この豊作は――全部、「異常」として処理される。
つまり――焼却か、没収か。
この村は消される。
(……なるほど。そう来るのね)
私は小さく息を吐いた。
だったらやることは一つ。「正しい」かどうかじゃない、「否定できない形」にする。
ペンを走らせる。一本。もう一本。
重心を揃え、流れを整え、無駄を削ぎ落とす。
(見せてあげる)
伝統でも、権威でもない、本当に正しい「設計」を。
そして――
ペン先が止まる。
(……あれ?)
自分の設計では起きないはずの誤差。
今まで一度もなかったはずの「狂い」。
その瞬間。ふと、背筋が冷えた。
まるで誰かに「見られている」ような感覚。
反射的に、窓の外へ視線を向ける。
けれど、そこにはただ、夜の闇が広がっているだけだった。
(……気のせい?)
いいえ。違う。この違和感は――「外」じゃない。
(……明日、来る)
それだけは、はっきりと分かる。「鑑定」は、逃げられない。
そして――
(負ける気も、ないけどね)
私は銀のペンを握り直し、静かに息を整えた。
収穫の喜びも束の間、ルカの告発によって不穏な空気が漂い始めました。
次回の第10話では、いよいよ領主と公会の鑑定士が登場します。
3歳の小さなデザイナーは、この窮地をどう「リデザイン」するのか。
どうぞお楽しみに!
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