第13話:救援の咆哮と撤退の審判
「いたぞ! あっちだ!」
「テラ! アルノ!」
河原の静寂を切り裂いたのは、私たちが作り出した「警告音」に応答する、父たちの怒号だった。
土煙の向こう側、村の方角から松明の光が波のように押し寄せてくるのが見える。先頭を走っているのは、間違いなく父・カイルだ。
家を出る際、私は「アルノと河原で魔法の練習をしてくる」と告げていた。
夕食の支度が始まる頃には戻るはずの愛娘。その居場所を正確に把握していた父にとって、あの聞いたこともない耳を劈く「異音」が河原から響いた瞬間、それは「娘の危機」を知らせる何よりも確実な合図となったはずだ。
「……間に合った」
隣でアルノが膝から崩れ落ちた。
彼の手元で、最後の一塊となっていた小石が、役目を終えたようにさらさらと砂に還っていく。
限界だったのだ。アルノの魔力も、私がその場で無理やり書き換えた魔法陣の耐久性も。
「……ッ!」
一方、暗殺者ゼノスは、目前まで迫った「目撃者」たちの気配を察し、苦虫を噛み潰したような顔でこちらを睨み据えた。
彼の手には、まだ私たちを仕留めるための石が握られている。今この瞬間に全力で投げれば、カイルたちが到着する前に、私たちの頭を砕くことは可能だろう。
(投げなさいよ。そうすれば、あなたは確実に捕まるわ)
私は逃げなかった。銀のペンを握りしめたまま、真っ向からゼノスを見返した。
ここで背中を見せれば、プロである彼は迷わず引き金を引く。だが、微動だにせず自分を観察し続ける「異常な3歳児」を前に、彼はコンマ数秒の畏怖を抱いた。
その隙が、勝負を決めた。
「そこを離れろッ! この野郎ッ!」
アルノの父・バルトの怒号とともに、一点の火光が宙を舞った。
それは自警団に支給されている『護身用の発火札』。魔法使いでなくとも、衝撃を与えるだけで発動できる使い捨ての魔道具だ。
ドォォォォンッ!
ゼノスの足元で激しい爆炎と黒煙が巻き起こる。
殺傷能力こそ低いが、目眩ましと威嚇には十分すぎる威力だ。巻き上がった火花が、暗殺者の黒い装束を激しく焦がす。
「……ククッ、まさかこれほど『盤面』をかき回されるとはな。末恐ろしい小娘だ」
ゼノスは投げようとしていた石を捨てた。
プロの暗殺者にとって、顔を見られ、包囲されることは「任務失敗」を意味する。ましてや、自警団のバルトやカイル、そして松明を掲げた村の男たちがこれだけの数集まれば、隠密の優位性は完全に失われる。
「……退く。だが、覚えておけ。道理に合わぬ力は、いずれ自らを滅ぼすぞ」
ゼノスは最後に、忌々しげに私を睨みつけた。その瞳には、敗北への屈辱よりも、理解しがたい怪物を目撃したことへの「嫌悪」が混じっていた。
彼は信じられないような跳躍力で崖を駆け上がり、獲物を逃した獣のような速さで夜の闇へと消えていった。
「追うな! 深追いは危険だ、子供たちの安全を確保しろ!」
バルトの鋭い指示が飛ぶ。
次の瞬間、私の視界には、必死な形相で駆け寄ってくるカイルの姿があった。
「テラ! 無事か! 怪我はないか!?」
カイルの大きな手が、折れんばかりの力で私を抱きしめる。
心臓の鼓動が、腕を通じて直接伝わってくる。カイルは、本気で私を失うと震えていたのだ。その背後では、バルトが力なく座り込むアルノを抱きかかえ、安堵と驚愕が混じった声を上げている。
「……お父さん、大丈夫。アルノが、守ってくれたから」
私はあえて、幼い子供としての言葉を選んだ。
カイルの肩越しに、先ほどまで戦っていた場所を見やる。
そこには、私が書き換えた「衝撃を逃がすための魔法陣」の残骸や、大きな音を出すために無理をさせた石の粉が、雪のように白く散らばっていた。
(さて……ここからが本当の『事後処理』ね)
カイルは私を抱きしめたまま、ふと地面に視線を落とした。
職人として、日々「物の形」に向き合っている彼の目は、その場の異常さを敏感に察知していた。
「アルノ……お前、一人でこの大きな岩を弾いたのか? それに、さっきのあの音は……魔法陣から出たのか?」
カイルの問いに、アルノはぼんやりとした表情で私の方を向いた。
彼はまだ、自分が何をしたのか、あるいは何に導かれたのか、正確には理解できていないのだろう。ただ一つ、彼の中には「テラの言う通りにすれば勝てた」という強烈な成功体験だけが刻まれている。
「……テラが、教えてくれたんだ。石の、描き方を」
アルノの正直な言葉に、カイルとバルトの視線が私に集まる。
私はカイルの首に腕を回し、顔を胸に埋めながら、意識して甘えた声を出し、ポケットの中の銀のペンを奥へと押し込んだ。
「アルノの練習、お手伝いしたの。石さんに、いっぱい線をカキカキしたんだよ?」
それが3歳の子供にできることではないと、カイルは知っている。
だが、今この瞬間、無事に娘が腕の中にいるという事実に勝る真実はない。彼はそれ以上の追及を飲み込むように、もう一度強く私を抱きしめた。
「……ああ。あとで、ゆっくり聞かせてくれ。今は、帰ろう。母さんが心配して待っている」
村へと続く帰り道。バルトに背負われたアルノが、暗闇の中でじっと私を見つめていた。
私はカイルの肩越しに、彼に向けて小さく人差し指を唇に当てた。
『内緒ね』
声には出さない。だが、その合図はアルノの心に深く刺さったようだった。
彼は小さく頷き、目を閉じた。
こうして、私の「前世知識」をフル稼働させた最初のデスマーチは、ひとまずの収束を見た。
しかし、現場に残された「常識外れ」な痕跡が、いずれ私をさらなる騒動の中心へと引きずり出すことを、この時の私はまだ予感していなかった。
第13話までお読みいただき、ありがとうございました。
テラとアルノ、無事にカイルたちの元へ帰ることができました。
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