26 シェラルージェの危機
「では、今日はこの辺で終いにしようか」
ユリウス兄様の言葉に、かなり時間が経っていたことに気がついた。
思ったよりも話が弾んでしまい、いつもよりユリウス兄様とカミル兄様は長居してしまったようだ。
「そうですね。これ以上ユリウス様やカミル兄様のお時間を頂くわけには参りませんから」
セリーナも同意すると、この後も仕事があるユリウス兄様とカミル兄様が先に部屋から出て行った。
シェラルージェも帰り支度をしていると、セリーナが心配そうに話しかけてくる。
「シェラも気を付けるのよ?」
セリーナが何を心配しているのかすぐに分かった。
「セリーナも気をつけてね」
どの様な理由で令嬢が襲われているのか解らなかったけれど、だからこそ誰にでも起こりうることでもある。
それが解っているからこそセリーナも心配して声をかけてきたのであるし、シェラルージェもセリーナを心配してしまう。
お互いに気を付けるように頷き合うと、シェラルージェは先に部屋を出ることにした。
「それではマリー、セリーナ、お先に失礼します」
「シェラ、またねぇ」
「ええ、またね、マリー」
最後にマリーに挨拶して部屋を出る。
部屋を出ると、扉の前で待っていたハリー様と瞳が合った。
「お帰りですか?」
「はい。おまたせいたしました」
「いいえ、仕事ですからお気になさらないで下さい。それよりも王女殿下とアリセリーナ嬢とは楽しい時間を過ごせましたか?」
「え? …はい。勉強の後、ユリウス様とカミル様もいらっしゃったのでお茶を頂きながらお話をさせていただきました」
「……そう、ですか。王太子殿下とカミル殿と楽しく……それは宜しかったですね」
「はい」
始めは笑顔だったハリー様は途中で表情を暗くさせたかと思ったら、すぐにまた笑顔になりシェラルージェに笑いかける。
そんなハリー様の様子に疑問を感じながらも、シェラルージェは笑って頷くしかなかった。
「それでは子爵邸までお送りいたします」
「宜しくお願いします」
ハリー様の先導で子爵家の馬車に向かう。
馬車に乗り込み家に向かう間、シェラルージェは令嬢達の共通点がないか考えていた。
しかし、アルム兄様が取り出していた資料には特別家柄や令嬢の容姿等に共通点はなかったように思う。
考えて込んでいると、馬の嘶きがした。
その瞬間、御者の叫び声と馬の荒れ狂った嘶きが響き、乗っていた馬車に何かがぶつかって破裂する音がしたときには馬車が激しく揺れながら走っていた。
「きゃあっ」
シェラルージェは揺れる馬車に身体が振り回され、壁に激しくぶつかる。
強かに打ち付けた肩が痛みを訴えていた。
でも、そんなことを気にしている余裕もないくらい馬車は揺れ動き、シェラルージェは必死に掴まれそうな物を手探りで掴み、振り回される身体を何とか固定する。
馬車の外で何が起こっているのか全然分からなかったけれど、馬の荒れ狂った嘶きが聞こえ続けているのでまだ馬車が止まることはなさそうだった。
御者の声が聞こえないことから、気絶をしているのか、それとも振り落とされてしまったのかは中から確認する術がない。だから、馬車が止まらない可能性もあるということが考えられる。
このままで行くとどこかにぶつかって止まるか、馬車が横転して止まるかのどちらかしかないように思える。
意外と冷静に考えられる自分に驚きながらも、現状、何も出来ないことに歯がみする。
思い切って馬車から飛び降りる?
でもそれだと運良く私が助かっても、暴走した馬車が誰かを巻き込むかもしれない。…このままでも誰かを巻き込むかもしれないけれど。
それは、とても良くない結末である。
一番は誰かが御者台に乗って馬を落ち着かせてくれる事なのだけれど、誰かいるかしら。
そんなことを考えていた時、外からハリー様の叫ぶ声が聞こえた。
「今、馬を落ち着かせます。シェーラ嬢は何かに掴まっていて下さい」
「分かりました」
ハリー様に聞こえていないとは思ったけれど、大きな声で返事をしてシェラルージェはしっかりと掴まった。
すぐに誰かが飛び移ってきた音が聞こえたあと、「どうどう」というかけ声が聞こえてきた。
そして、荒れ狂った馬の嘶きが聞こえなくなり、馬車もゆっくりと停止した。
止まった馬車の中でシェラルージェは大きく息を吐いた。
すると、心臓が激しく脈を打っていることに気がつく。そしてカーテンを握り締めていた手を離そうとしても固まったように動かせなかった。
どうやら恐怖で身体は強張っていたらしい。
動けずに座り込んだままでいたシェラルージェは外から扉が開いたのに、視線を向ける。
見るとハリー様が強張った顔で馬車の中に入ってきた。
「シェーラ嬢、ご無事ですか?」
「はい、大丈夫です」
ハリー様の顔を見て、シェラルージェはやっと自分が助かったのだと実感できた。
シェラルージェが言葉を発したことに安堵の表情を浮かべ、カーテンを掴んだままのシェラルージェを見てハリー様は心配そうな顔になる。
「まだ身体の力がうまく入らなくて、手が動かせないのです」
情けない状態を知られたくはなかったのだけれど、まだ自分では動かせそうになかったのでハリー様にお願いすることにした。
「失礼します」
シェラルージェに断りを入れて、ハリー様はそっとシェラルージェの手に触れる。
シェラルージェの手を包み込むようにして、ゆっくりと一本ずつ指を広げていった。
シェラルージェの指が傷つかないようにそっと触れるハリー様の手の温かさに、シェラルージェは強張っていた身体から力が抜けていくのが分かった。
シェラルージェの両手をカーテンから外したハリー様はシェラルージェを見つめるとそっと抱きしめた。
「ハリー様?!」
「……本当に無事でよかった…」
突然抱きしめられたことに驚いたシェラルージェは、耳元で響いたハリー様の深い安堵の声に押し返そうとしていた手を戻しそのまま身を任せた。
ハリー様にここまで心配をしてもらえたことが嬉しくて、そう思ってしまった自分が情けなくて申し訳なく思った。
「助けてくださりありがとうございました」
シェラルージェがお礼を告げると、ハリー様がびくりと身体を震わせシェラルージェから身体を離した。
そして、信じられないものでも見たように瞳を見開き、口を片手で覆うと徐々に顔を赤らめていった。
「あ…、も、申し訳ありません」
「いいえ、ご心配いただきありがとうございます」
シェラルージェの言葉に、ハリー様はただ首を振り続けるだけで、いつものハリー様に戻るまでに少しだけ時間がかかった。




