891 三十三歳 悲喜こもごも
宮殿で戦勝を祝うパーティーが開かれた。
参加者は、エンフィールド帝国の貴族達だけではない。
元アルビオン帝国の貴族達に加え、マカリスター連合に加盟していた国々の国王まで招かれていた。
かつてならば、同じ場所に集まることさえ考えられなかった者達である。
大陸の覇権を争った二大帝国の貴族。
そして大国に翻弄されつつも、生き残りを図ってきた小国の王達。
彼らは今、同じ宮殿で酒を飲み、料理を口にしていた。
ただし、和気藹々とした雰囲気とは程遠い。
笑顔で言葉を交わしている者達もいれば、周囲を警戒するように目を配っている者達もいる。
誰もが、自分の立場を理解していたからだ。
「まさか、アルビオン帝国の貴族と同じ場で酒を飲む日が来るとはな」
ギリアムが手にしたグラスを傾けながら呟いた。
「しかも、あのヴィンセントが、今ではアイザック陛下のご機嫌取りだ。ずいぶんとおかしな状況になったものだ」
ジョニーが彼の呟きに反応する。
「笑い事ではありませんぞ」
近くにいた貴族が、声を潜めながら割って入る。
「ここにいる方々の多くは、つい先日まで我が国に敵対していたのです。アルビオン帝国の貴族はともかく、マカリスター連合の国王陛下方までおられるとなると、どのように接すればいいものか」
彼はギリアム達の正体に気付いていないらしい。
「……降伏したのだから、気にすることではあるまい」
「亡国の王とはいえ、王は王。格下の貴族になったとしても、やはり気を遣うでしょう。様々な国の貴族が一堂に会しているのですから、あなた方もお気を付けを」
そう言い残して、貴族は去っていった。
二人は視線を交わし、苦笑した。
「これだけ人が多ければ、こういう事も起きるようですな」
「今のは恐らくエンフィールド帝国の貴族だろう。アルビオン帝国の貴族なら、もっと我らを侮った態度を見せたはずだ」
「確かに」
人の態度は、そう簡単には変わらない。
アルビオン帝国貴族ならば、もっと人を見下す態度を見せているはずだ。
あのような態度を取るのは、厳しい規律に従っているエンフィールド帝国貴族くらいだろう。
「戦争が終わったと思えば、新たな領土が増えている。敵国を滅ぼしたと思えば、その貴族を取り立てている。昨日までの敵が、今日には味方として働いていることさえある。エンフィールド帝国の貴族達にとっても、目まぐるしい変化の連続のはずだ。だからこそ、相手がどんな立場の者かわからないから、慎重になっているのかもしれないな」
エンフィールド帝国は勝者であり、彼らは常に勝者の側にいる。
だからこそ、余裕のある態度を取れるのだろう。
少なくとも、今のところは。
「この中でも顔を覚えてもらえている者はいる。今回の戦争で名を挙げた者達だ。そこにはアルビオン帝国の貴族も含まれている。実力のある者にとってはいい時代なのだろうな」
彼らは一歩退いた位置から語る。
だが、少し離れた場所では、まったく違う話が交わされていた。
「……これから、どうなるのだろうな」
アルビオン帝国の貴族が、グラスの中身を見つめながら呟いた。
「どうなるも何も、我々に選択肢などあるまい」
相手の貴族は、疲れ切った顔で肩をすくめた。
「これまで通りのやり方では処罰される。フィッシュバーン侯爵やスペンサー男爵の末路を見れば、嫌でも理解できる」
「わかっている。だからこそ、どう振る舞うべきか悩んでいるのだ」
彼は声を落とした。
「エンフィールド帝国に忠誠を誓うべきなのか。それとも、アルビオン帝国の貴族としての誇りを守るべきなのか」
「両方は無理だろうな」
「……やはり、そう思うか」
「我々は負けたのだ。今まで通りの振る舞いを続けていれば、いずれ居場所どころか、命まで失う。かといって、昨日までの主君を裏切ったように見られれば、今度は同胞から蔑まれる」
負けた者には、負けた者の苦労がある。
新しい飼い主に尻尾を振るにも、時期を見計らわないといけないのだ。
彼らはそれを、同じ悩みを持つ者同士で愚痴り合っていた。
「それでも、家を残さねばならん」
最初の貴族が、苦々しい顔で言った。
「私には妻も子供もいる。先祖から受け継いだ領地もある。自分の誇りを守るために、それらすべてを失うわけにはいかん」
「私も同じだ」
相手の貴族は、グラスを握り締めた。
「だからこそ、アイザック陛下に忠誠を示すしかないのだろう。たとえ、それが屈辱的なことであってもな」
二人は黙り込んだ。
彼らの目の前には、豪華な料理が並んでいる。
しかし、食欲は湧かなかった。
敗戦によって失ったものは、国だけではない。
自分達が当然のように持っていた地位と誇りもまた、戦争の結果として揺らいでいた。
一方、マカリスター連合に加盟していた残り三国の国王達は、さらに複雑な心境でパーティーに参加していた。
彼らも料理が並べられているテーブルの近くにいた。
「アシュトン陛下。こちらの料理はいかがでしょうか?」
「……うむ、確かに美味いな」
従者に話しかけられた国王は、曖昧に答えた。
味など、ほとんどわからなかった。
彼の視線の先には、談笑するエンフィールド帝国の貴族達がいる。
彼らの表情には余裕があり、これから先の繁栄を疑っていないように見えた。
対して、自分達はどうだろうか。
正式な調印は済ませていないので、今はまだ国王としての地位は残されている。
だが、それだけだ。
これから先は、エンフィールド帝国に国を預けて田舎暮らしになる。
それがどれほど不自由なことなのか、今さら説明するまでもないだろう。
「……アイザック陛下は、これから我々をどうなさるおつもりなのだろうか」
カーティスが、隣にいたクインに話しかけた。
「さあな。子爵としての地位と領地を安堵してくださるという話は聞いているが、それがいつまで続くかはわからん」
「少なくとも、今すぐ命を奪われるわけではない。そう考えてよいのだろうか?」
「そう考えるしかあるまい。約束は守るそうだからな」
カーティスは、ため息をついた。
「だが、田舎暮らしに耐えられるかどうかが心配だ。見渡す限り、麦畑ばかりでは気が滅入りそうだ」
「……命を奪われない代償とはいえ、それだと辛いな」
「これまでアルビオン帝国の侵攻を防ぐ人生だった。一度くらい、王として贅を尽くした宴を開いてみたかったな……」
「それは言わないでくれ。心にくる……」
彼らは黙ってしまう。
国王として、一度は享楽に溺れる人生を過ごしてみたかった。
しかし、軍事費に予算を取られて、そんな無駄金を使う余裕などなかった。
その挙句、エンフィールド帝国に資産を没収されてしまうのだ。
気分が上向く事などない。
家族の生活、王家に仕えてきた臣下達。
彼らの将来のために、国を守るために降伏した。
だが、降伏した結果、自分達は守れそうにないという皮肉な話だった。
「せめて、我々の国を必要としてくださるのならばよいのだが……」
クインが、ぽつりと漏らした。
「エンフィールド帝国の勢い。まるで大陸を統一するほどの勢いだ。アイザック陛下はどこまでお考えなのか」
「それはわからん。しかし、あれほどの軍事力を持ち、次々と国を従えているのだ。少なくとも、我々も安穏としていられる状況ではない」
「また軍備を整えておかねばならないか……」
「戦場で手柄を立てれば復興の芽もあるかな?」
その問いに答えられる者はいなかった。
そんな彼らの姿を、少し離れた場所から見ている者がいた。
ヴィンセントである。
彼はアルビオン帝国の貴族達と挨拶を交わしたあと、エンフィールド帝国の貴族達とも言葉を交わしていた。
かつてはアルビオン帝国の皇帝として、誰よりも高い地位にいた男。
その彼が、今ではアイザックの臣下として、この場に立っている。
だからこそ、同じ新参者に声をかける事にした。
「ずいぶんと複雑な顔をしているようだな」
ヴィンセントは、ワインを口に運びながら声をかけた。
「明るい話題があるのですか?」
「ない」
そう答えながら、彼は薄っすらと笑みを浮かべる。
「程度の違いはあれど、君主の座から転落した者同士仲良くやろうと思っただけだ」
「……本当にそう思われたのですか?」
ヴィンセントの言葉に、誰もが懐疑的だった。
疑われても、彼は余裕のある態度を見せていた。
「当然だろう。アルビオン帝国の侵攻を長年防いでいた好敵手だったのだ。唾棄すべき裏切り者よりも、よほど親近感を覚える相手ではないか。いつかは私が平伏させてやろうと考えていたが、まさかお互いに第三者に膝を屈する事になるとは思いもしなかった」
「それはこちらも同じ事。エンフィールド帝国がすべてを制するなど、誰が想像できたでしょうか」
「これも私がアーク王国を引き込んだせいだ。まさかアーチボルドの馬鹿が、ここまで足を引っ張るとは」
「それを言うなら……。アルビオン帝国がエンフィールド帝国と戦争したせいで、マカリスター連合まで滅びる事になったので、我らもアルビオン公に文句を言ってもよろしいのですか?」
「言ってくれるではないか」
今度はヴィンセントが苦笑を浮かべる番である。
「いつまでも嘆いているだけでは何も変わらん。勝者は勝者なりに、敗者は敗者なりに、これからのことを考えねばならん。特に敗者はな。過去にしがみついていれば、残す事ができたものまで失うことになる」
「その通りです」
クイン達がうなずく。
「では一つご教示願いたい。どうやってアイザック陛下の子供と婚約を結んだのです?」
アシュトンの質問に、ヴィンセントは深刻な顔を見せた。
「それはアイザック陛下が決める事だ。自分から積極的に働きかければ、皇后や皇妃の恨みを買う事になる」
彼の言葉に、三人は首をかしげた。
「アイザック陛下ではなく?」
「そうだ。以前にもアイザック陛下は息子達を連れてきた事がある。その時に婚約者のいない年頃の娘を集めて、側室として送り込もうと考えたのだが、皇后陛下らの反感を買うだけだった。意外な事に、奥向きの事は妻達が実権を握っているらしい。女房衆の反感を買わない方法を取らねば、縁談など夢のまた夢だぞ。これは冗談ではない。本気の忠告だ」
真剣に語るヴィンセントの様子から、どうやら演技ではなさそうだった。
「では、皇子達に孫娘や親族の娘を紹介するなと?」
「せっかく出向いているのだからチャンスだと思うだろう? それは罠だ。さり気なく尋ねるくらいはいいが、積極的に根回しはしないほうがいい」
「あれだけ子供がいるというのに?」
「そうだ。これは嘘ではない。かつての好敵手に対するせめてもの手向けだ。あとで聞いておけばよかったと後悔せぬようにな。よからぬ事を考えず、アイザック陛下のお役に立てる事だけを考える。それがエンフィールド帝国で生き抜く秘訣だ」
かつては偉大なる皇帝だった男が、何のためらいもなくそう答えた。
その言葉は、周囲にいた者達の耳にも届いていた。
近くにいたアルビオン帝国の貴族は、複雑な表情を浮かべた。
彼らにとって、ヴィンセントはかつての皇帝である。
その彼が、エンフィールド帝国への忠誠を口にしている。
屈辱的だと思う者もいれば、現実を受け入れるべきだと考える者もいた。
だが、誰も彼を責めることはできなかった。
彼らも同じく、忠誠を誓うという選択を迫られているのだから。
やがて、パーティー会場の中央に人だかりができた。
アイザックが姿を現したのである。
誰もが、姿を現したアイザックの最初の言葉に耳を傾けていた。
最初の一言で、アイザックのひととなりがよくわかるからだ。
アイザックは、集まった者達を見渡した。
勝利を喜ぶ者。
敗北を嘆く者。
立場を失うことを恐れる者。
そして、今の立場をどう利用するか考えている者。
それぞれの思惑が入り乱れていた。
「皆が楽しんでくれていれば何よりだ」
アイザックは満足そうに頷いた。
そして、軽い調子で続ける。
「せっかく大陸中から、様々な立場の者が集ったのだ。普段は話す機会のない者同士、親交を深めてくれ。これからは、同じ大陸に生きる者として接していくことになるのだからな」
その言葉に、会場の空気がわずかに変わった。
――同じ大陸に生きる者。
国や種族という壁を取り払った言葉である。
それは聞いていた者達に深く考えさせる言葉でもあった。
アイザックは侍従からワイングラスを受け取る。
(乾杯の音頭って難しいんだよなぁ……。何を言おうか。……よし、今の状況ならこれでいけるはずだ!)
「滅びゆく者のために」
グラスが掲げられる。
アイザックの言葉は、勝者が敗者を嘲笑するための言葉だったのかもしれない。
あるいは、かつて栄華を誇った者達への、せめてもの手向けだったのかもしれない。
だが、どちらにせよ、乾杯の音頭を取った者が彼らの復権を望んでいないことだけは明らかだった。
笑顔を浮かべる者もいれば、複雑な表情を見せる者や敗者を憐れむ者もいた。
――せめて今宵だけは敗者に酒を捧げよう。
そんな残酷な優しさまで感じさせる、聞いた者の立場によって受け取り方が変わる乾杯だった。
明日は泊りがけの用事があるので、今日投稿です。







