885 三十三歳 ヴィンセントの子供達
フィッシュバーン侯爵の次に、スペンサー男爵が連れてこられた。
入れ替わりに入ってきたため、フィッシュバーン侯爵の様子を見て、彼もうなだれていた。
アイザックの前にひざまずかされても、やはり顔をあげなかった。
「さすがはフィッシュバーン侯の懐刀というべきか。すでにどのような沙汰が降りるのかを察しているようだな。付き合う相手の爵位を気にする者も多い中、男爵でありながら侯爵の信頼を得ていたのだ。よほどの知恵者なのだろうな。男爵が提案した計画は聞いている。アルビオン公、アルフレッド、ブランドンによる天下三分の計。もしあれが実現していたら、我が軍は苦労していただろう。それだけに惜しいな」
アイザックの言葉を聞いて、スペンサー男爵は一縷の望みを持って顔を上げる。
「我が国の外務大臣を任せているカニンガム大臣も、元々は男爵で、ウィルメンテ公の懐刀だった。そういったところは境遇が似ているかもしれない」
ウィルメンテ公爵は「おや、助ける流れかな?」と思――わなかった。
アイザックは落として上げる事もあれば、上げて落とす事もある。
さっきのフィッシュバーン侯爵とは違う接し方とはいえ、簡単に心を許したりはしなかった。
これも慣れである。
だが元アルビオン帝国の貴族は違った。
まだアイザックに慣れていない者達は「軍師ポジだと助かるのか」という感想を持っていた。
「だが両者の間には大きな違いがある」
(ほら、やっぱり)
アイザックの行動を読み切ったウィルメンテ公爵は、どこか自慢しているような表情をしていた。
「貴様には忠も誠意もない。貴様と比べるなど、カニンガム大臣への礼を失する行為だ」
(……比べたのはあなたでは?)
そうは思っても、ウィルメンテ公爵は口を開こうとはしない。
彼は固く口を閉ざしていた。
「陛下、あれは生き残るためにやむなく行った事です」
「そう答えると思っていた。だがアルビオン公を裏切り、ブランドンを裏切り、アルフレッドを裏切った。そのすべてを生き残るためと言い切れるのか? 上手く立ち回って、最も利益を得られるところに着こうとしていただけだろう」
「それは違います!」
「違わない。仮にそうだったとしても、貴様の恥はどこにあった?」
「ですが、フィッシュバーン侯爵軍の動きのおかげで、戦争は早く終わったではありませんか! 機会をくだされば、きっとエンフィールド帝国にも――」
「それがどうした!」
必死に食い下がるスペンサー男爵に、アイザックは怒鳴り返した。
「貴様のような輩に時間を与えるわけがないだろう! 今度はなんだ? アルビオン地方を任せた誰かをそそのかして反旗を翻させるのか? 自分が生き残るために誰かに失態を演じさせ、それをフォローする事で自分の評価を高めるつもりか? 忠義も信義もない策略家気取りを自由にさせれば国が亡ぶ。それほど私は愚かではない!」
ここにモーガンかウィンザー侯爵がいれば、アイザックの言葉に激しく同意していただろう。
アイザックは自分の事を棚に上げて、スペンサー男爵を非難する。
(こいつは韓信をそそのかした蒯通みたいなものだ。劉邦も『王にしてくれ』と要求されていなければ、韓信を警戒して処刑する事もなかっただろう。弱みに付け込むような事をそそのかす奴は容赦なく処しておかないといけない)
「連れていけ。せめて刑が執行されるまで、己が罪を悔い改めるのだな」
「陛下、お待ちを。陛下!!」
スペンサー男爵が連行されていく。
彼に多少の同情をする者もいた。
しかし、以前にオーランド伯爵への対応を見た事のある者は、アイザックが下した決断に理解も示した。
――最後まで戦い抜いたオーランド伯爵には寛大な対応を下して、裏切り続けたフィッシュバーン侯爵やスペンサー男爵には厳しい対応をする。
どちらも一貫している。
わかりやすい対応なだけに不満も少ない。
ただ少しだけ、ヴィンセントを裏切った者達に不安を与えた。
「では次の主役にご登場してもらおうか」
アイザックが合図を出すと、今度はアルフレッド達が連れてこられた。
彼らはアイザックと、臣下側の列に並んで睨んでいるヴィンセントの両者へ視線を行き来させていた。
アルフレッド、ブランドン、クリフォードがひざまずく。
「エメライン嬢についてはひざまずかずともよい」
エメラインに関しては、アイザックが止める。
「エメライン嬢にも来てもらったのは、あなたに罪がないという事をこの場で宣言するためだ。あなたは戦況が小康状態になった時、仲介を行おうと戦場へ出向いたそうだな。その時、アルフレッドが裏切り、やむなく同行せざるを得なくなった。この事は各所から聴取して判明している。そして、私もアルビオン公と話し合った結果、一切の罪を問わない事を決定した」
アイザックの言葉を聞いて、彼女はホッとした表情を見せる。
これはアイザックよりも、ヴィンセントが許した事に対する安堵だった。
娘だからこそ父の厳しさをよく知っている。
その父が許したのだから、我が身は安全だと確信したのだ。
「これ以後、彼女を悪し様に言う噂を流す事を固く禁ずる。これは命令である」
アイザックがきっぱりと言い放った。
だが彼が言わずとも「裏切り者」という噂は流れなかったはずだ。
アルフレッド達がヴィンセントを裏切った以上、裏切っていない子供は彼女だけ。
アルビオン公爵家の後継者になる可能性も残っている。
そんな相手に喧嘩を売るほど愚かな真似をする者は、この場に残っていなかった。
「エメライン嬢。皇女ではなくなったが、まだ公女ではある。アルビオン公爵家の者として、周囲の模範となってほしい」
「かしこまりました。陛下とアルビオン公の公明正大な判断に感謝いたします」
彼女はスカートの裾をつまみ、お辞儀をする。
それを見て、アイザックは一度うなずく。
「これからアルフレッド達に沙汰を下す。兄の事なので気にかけているだろう。傍聴する事を許可する。アルビオン公の後に並ぶといい」
「ありがとうございます」
彼女は余計な事を言わなかった。
ボロが出て不興を買うような真似をしたくなかったからだ。
これもヴィンセントのもとで学んだ処世術だろう。
ただ一言感謝を述べ、しずしずとヴィンセントの背後へ移動する。
「さて、諸君。最初に言っておこう。私が同情するに値するのは、兄達の政争に巻き込まれないよう、田舎に隠遁するつもりだったのであろうクリフォードだけだと思っている。しかし、アルビオン公はクリフォードにも不満があるようだ」
(そりゃそうだろうな)
列席している者達は、そう思った。
逆らわなかったと言えば聞こえはいいが、ヴィンセントに味方をしたわけではない。
実質的にヴィンセントを見捨てたようなものだ。
ヴィンセントの立場からすれば、裏切った他の息子達とそう変わらない。
クリフォードも許し難い相手だと思われても仕方がない。
「ただし、私の考えは違う。エンフィールド帝国からすれば、彼らはアルビオン帝国の崩壊を早めてくれた功労者だ」
――国を滅ぼした功労者。
これほど屈辱的な評価があるだろうか。
アルフレッド達は唇を強く噛みしめる。
「それにブランドンの娘ソフィーティアと、我が息子バリーが仲良くなっている。このままだと本格的に婚約をさせてもいいと思う程度には」
ブランドンの目が生気を取り戻す。
(ソフィーティアがアイザックの息子と婚約する!? それならば、まだ生き残れる。いや、それだけではなく、相応の影響力も残せるかもしれないぞ!)
アイザックの息子との婚約は、死地から引き戻されるチャンスである。
アルフレッドはブランドンを横目で睨む。
その目には、少しだけ羨望の色が混じっていた。
「私は功労者には寛大でありたいと思っている。子供の義父になるかもしれない相手だからというわけではないが、諸君にチャンスを与えたいと考えている」
アイザックが優しく笑う。
アルフレッド達はアイザックに、聖人と呼ばれる者の姿を見た。
「そこでアルビオン公に頼み込んで、一年を与える事にした。その間にアルビオン公に許してもらえるよう頑張るといい。生きるも死ぬもアルビオン公の判断次第だ」
一気にアイザックの笑みが邪悪なものにしか見えなくなった。
ヴィンセントが、自分を裏切った息子達を許すはずがない。
拷問され、苦しみぬいたのちに殺される未来が容易に見える。
「アイザック陛下、それは私達に苦しみもがいて死ねとおっしゃっているのと同じだとわかった上でおっしゃっておられるのですか?」
アルフレッドが仏頂面をしながら言い放った。
アイザックは苦笑する。
「もし肉親の情を抱く事ができるのであれば、権限を大幅に削ったとしても許すという道もあるのではないか。そう言って私がアルビオン公を説得したのだ。アルビオン公の機嫌を取り、力を示す。それがお前や子供達の生き残る道だった。その一言で生き残れる確率が下がったな」
「くっ……」
アルフレッドは悔しがった。
ブランドンは「娘の婚約も考えれば、これで俺が二歩はリードしたな」と考えた。
クリフォードは「どうやっても許してくれないだろうな」と達観しながら床を見つめ続ける。
「諸君へどのような罰を下すかはアルビオン公に一任している。これから一年、頑張る事だな」
アイザックの言葉は、アルフレッド達には処刑宣告のようにしか聞こえなかった。
助かるかもしれないという希望を与えているからこそ、その絶望も大きい。
それだけヴィンセントは、肉親だからといって希望を与える存在ではなかったのだ。







