884 三十三歳 フィッシュバーン侯爵の最期
マカリスター連合の各国は、メルブリーク王国の陥落と共に降伏交渉を始めた。
これ以上、歯向かっても無駄だと察したからだ。
周辺国は対アルビオン帝国の防壁として支援はしてくれていたが、エンフィールド帝国相手では及び腰になり、支援をしてくれなかった。
エンフィールド帝国は、アルビオン帝国を瞬く間に占領した国である。
そんな国の不興を買うような真似はしたくないと、どこもマカリスター連合と距離を取った。
その行動がマカリスター連合の決断を促したのだ。
マカリスター連合との戦争が終結してから、しばらく経った。
アイザックがアルビオン地方に足を運ぶと聞いて、誰もが彼の到着を待っていた。
だがその間にも、エンフィールド帝国軍は各地の制圧と戦後処理を進めていた。
その中でも、アルビオン地方は特に慎重な対応が求められていた。
かつてアルビオン帝国の中枢を担っていた者達が、今もこの地に残っているからである。
そして、その中にはフィッシュバーン侯爵もいた。
「フィッシュバーン侯、戦勝おめでとうございます!」
「なに、少し時勢を読んだだけだ」
フィッシュバーン侯爵は、ウォリック公爵でも簡単には口出しできない相手になっていた。
何しろ、彼の裏切りによって内戦の天秤が大きく傾いた。
その功績は無視できるものではない。
だから彼のおこぼれにあずかろうと、元アルビオン帝国の貴族は擦り寄っていた。
その数は、ヴィンセントよりも多かった。
「アルビオン公は子孫が反逆者。彼がいる間はともかく、先は長くありません。もし子供達の助命を求めるのなら、相応の代償を支払わねばならないでしょう」
「そもそも元皇帝など目障りでしかありません。冷遇は確実でしょう」
「そう言うな。かつては主君と仰いだ方なのだからな」
そう言うなと言うものの、フィッシュバーン侯爵自体がそうは思っていなかった。
彼自身、もうヴィンセントは過去の遺物だと考えている。
だから敬っているのも口先だけだ。
(フィッシュバーン侯爵領は大きな港を保有している。ファラガット地方との連絡にも必要だ。アルビオン地方において、フィッシュバーン侯爵家が存在感を増していく事になるだろう。いくらアイザックといえども、私を無下にはできないはずだ。加増も十分に考えられる。さて、どこを用意してくれるのかな)
すでに彼は圧倒的勝者の余裕を見せていた。
その余裕は、アイザックの対応を見定めるという態度にも表れていた。
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アイザック一行には、クリスも追加されていた。
その理由は「ザックとレオン、アンリは皇帝と王になる。だがお前はウェルロッド公爵家の跡継ぎだ。三人を支えられるように、私のやり方をよく見ておけ」というものだった。
アイザック自身、自分が王者としてふさわしい道を歩んでいないという認識はある。
王者の道を歩む三人のために、クリスは汚れ仕事にも手を染めないといけない。
だからこそ実地で学ばせる機会を作ったのだ。
広間に集められた者達は、皆一様に緊張した面持ちでアイザックを見つめている。
アイザックの左右には、ウォリック公爵やウィルメンテ公爵が控えている。
そして、広間には多くの騎士達が揃っていた。
ここに逃げ道はない。
だが、フィッシュバーン侯爵は、それを理解していなかった。
「久しぶりですね、フィッシュバーン侯爵」
「アイザック陛下も、お元気そうで何よりです」
侯爵は心からの笑みを浮かべた。
最初に声をかけてくれたという事は、この場にいる誰よりも序列が高いという証明だったからだ。
彼に近い貴族も嬉しそうに笑顔を見せていた。
しかし、アイザックはその笑顔を見ても何も感じなかった。
彼に怒りはない。
ましてや憎しみもない。
ただ、食肉処理場に送られる家畜を見る目で見ているだけだった。
「実は、私が今回アルビオン地方に足を運んだのは、あなたに大事な事を伝えるために来たのですよ」
「何をでしょうか」
フィッシュバーン侯爵は平静を装うが、喜色満面の笑みは隠せなかった。
アイザックは手元の書類を一枚見せる。
「あなた方の処刑が決まりました」
その書類は、死刑執行書だった。
すでにアイザックのサインは済んでいる。
「…………」
沈黙。
誰も息をすることさえ忘れたようだった。
「……処刑?」
「そうです」
あまりにも平坦な声だった。
まるで「明日の天気は雨です」とでも言っているかのように、軽い言葉を口にした。
「お、お待ちください! なぜ処刑されるというのですか! これまで陛下のために身を粉にして働いてきたではありませんか!」
「ええ、それは評価していますよ」
「ならばなぜ、処刑など!?」
「それ以上にマイナス面が大きいからですよ」
アイザックは淡々とした言葉で答える。
「まず、マカリスター連合との戦争が終わったあと。お前はアルビオン地方の内戦を早期に終結させた功績を誇っていたな? ウォリック元帥が、その功績を評価しているのをいい事に、命令に背く事もあったようだな」
「それは我が軍も被害が大きかったので、少し後方で休ませたいと思ったからです」
「そうか。……お前は舐めているのか?」
アイザックは死刑執行書を握り潰す。
「被害が大きく、疲れが溜まっているのは他の部隊も同じだ。それなのにお前は、私が軍の全権を預けたウォリック元帥の命令を拒絶した」
「そのようなつもりではありませんでした。ただ――」
「言い訳は不要だ。どう取り繕おうが、処刑は変わらない」
弁明しようとするフィッシュバーン侯爵の言葉を、アイザックはバッサリと切って捨てた。
「だが抗命罪は、これまでの功績を取り消しただけだ。お前がアルフレッドを裏切った時に、自ら死刑執行書にサインしたのだ」
「陛下! あの時の行動のおかげで、エンフィールド帝国は早期に戦争を終わらせる事ができたではありませんか!」
「それは認めよう。しかし、アルビオン公を裏切り、ブランドンを裏切り、アルフレッドを裏切った。次は誰を裏切るつもりだ?」
「それは……、ただ私は生き残ろうとしただけです! それの何が悪いのですか? 国を乱したアルビオン一族の責任でしょう!」
フィッシュバーン侯爵は開き直った。
ヴィンセント達はムッとする。
「そうだな、それも認めよう。では、次はエンフィールド帝国も裏切りかねないというわけだな。そのような者を残せると思うか?」
アイザックは冷ややかな視線をフィッシュバーン侯爵に向ける。
「アルフレッド、ブランドン、クリフォード。彼らはアルビオン公を裏切ったが、家臣達を裏切りはしなかった。自分に付き従った者達のために、恥を忍んで最後まで戦い続けた。そして、家臣達も彼らのために戦い続けた。彼らに比べてお前はどうだ? ただ楽な道に逃げただけだ。そのような卑怯者など、エンフィールド帝国には必要ない」
「…………」
「お前達が過去に帝国へどれだけ貢献したか。それは記録に残そう」
アイザックは静かに語る。
「だが功績が罪を帳消しにするわけではない。功績を立てれば何度でも人を裏切ってもいい。そんな考えを許容するつもりはない」
そこでアイザックは一拍置いた。
「ましてや、お前達は自分の命惜しさから、何万人もの命を見捨てた。なんとおぞましい行為か」
「そ、それは……」
「違うと言うのか?」
答えは返ってこなかった。
アイザックは静かに視線を巡らせる。
フィッシュバーン侯爵に擦り寄っていた貴族達は、床に視線を落として極力気配を消そうとしていた。
「陛下……、どうか……」
「どうか?」
アイザックは初めて、ほんの少しだけ眉を動かした。
「何をどうしろと?」
「……お慈悲を」
その言葉を聞いて、アイザックはしばらく侯爵を見つめた。
そして――
「与えない」
――即答だった。
「そもそも慈悲を求める相手を、お前は間違えている。それが誰なのかもわかっていないのだろう?」
フィッシュバーン侯爵の顔が歪む。
「誠意もなく、反省もできない。我が軍の将兵を殺した者よりも、貴様のような卑劣漢のほうが許しがたい。連れていけ」
「はっ!」
騎士達が一斉に動き出す。
「ま、待ってください!」
フィッシュバーン侯爵が叫ぶが、彼は両脇を抱えられて連行された。
「陛下! せめて最後に――!」
最後の弁明をしようとするが、アイザックは聞き入れなかった。
返事をせず、ただ静かに見送るだけだった。
彼にとって、フィッシュバーン侯爵との話は終わったのだ。
(エンフィールド帝国に小山田信茂は必要ない)
怒りも、憎しみも、憐れみもない。
ただ一つ。
――フィッシュバーン侯爵を処刑する。
その意思だけが彼に向けられていた。







