881 三十三歳 面倒見が良い事の弊害
ノイアイゼンの問題が一段落したので、アイザックも仕事から離れて穏やかな時間を過ごしていた。
庭に用意された席で、ルーカス達と向かい合って茶を飲んでいた。
「最近はどうだい?」
「相変わらず忙しいですよ。何年も多くの物資を送り出しているのですから。ですが仕事には慣れて落ち着いてきました」
「それは何よりだ」
二人は他愛もない話をしながら、のんびりと時間を過ごしていた。
今日は頑張っているルーカス夫妻を呼び出している。
「私のところにも、ルーカスの噂は届いている。このままなら……、男爵から子爵への陞爵もあり得るだろう」
「叙爵ですか!? そんなまさか……」
「国が大きくなり過ぎたからね。家名を名乗れなくなったほど血縁の遠い貴族の傍系とかも、新たに叙爵して貴族を増やす事になった。陞爵もな。ルーカスは元々ウィンザー公爵家の家令の家系で、セオドア卿にも目をかけてもらっている。だから私の口添えではなく、これまでの頑張りで陞爵の候補者としてリストに挙がるだろう」
「私が、子爵に、ですか……?」
ルーカスは喜びつつも、困惑している。
昔は自分が貴族になれるなど考えもしなかった。
そこから、さらに陞爵して子爵にまでなれるとは考えた事もなかったのだろう。
そのような謙虚な点は、アイザックも評価している。
「パメラの幼馴染だったのだから、それくらい当然だ」と思うような者よりも、立場をわきまえてくれている者のほうがいい。
いずれ調子に乗って政治をかき乱される可能性が低いからだ。
妻のシャロンは、どちらかというと喜びが勝っているようだった。
学生時代はさほど気にならなかったが、成人すると嫌でも身分の違いというものを思い知らされてしまう。
――貴族と平民。
その間にある絶対的な壁を乗り越えられるのだ。
パメラが途方もない高みに昇ってしまったものの、これでまた一つ近付く事ができる。
彼女にとって最高の話だった。
少し離れた場所では、二人の子供達が一緒になって遊んでいる。
「こっちだよ!」
「待って!」
楽しそうな声が庭に響く。
仲良く遊ぶ子供達を見て、アイザックは微笑んだ。
しかし、隣にいるルーカスは違った。
チラチラと何度も子供達を見ている。
「どうしたんだい?」
「いえ……」
ルーカスは少し考え込んでから、口を開いた。
「やはり、少し問題があるような気がしまして」
「問題?」
「幼い頃からのパメラ陛下との付き合いや、学生時代からアイザック陛下と親しくなったとはいえ、私達の子供が皇子殿下や皇女殿下と遊んでいてもいいのかと思いまして……」
アイザックが身分差にうといとはいえ、周囲は違う。
普通はどうしても身分の違いを考えてしまう。
カイやレイモンド、ポールと違って、生粋の貴族ではないルーカスの子供が皇子達と遊ぶのには抵抗があった。
しかし、やはりアイザックは気にしていなかった。
彼は朗らかに笑う。
「それくらい、気にしなくてもいいんじゃないかな。私の子供の頃なんて、大人の商人や貴族と友達になっていたよ」
(それは友達の意味が違う!)
そう思っても、皇帝相手になかなか正面切ってツッコめない。
軽いボケに対するツッコミ役がいない。
皇帝という立場の悲しみを、ルーカスが今証明していた。
「挙句の果てには、エルフやドワーフとも仲良くなったしね。種族の違いを考えれば、身分差くらいどうって事ないよ。そもそも、元皇帝でもアルビオン公は信用できない。立場より人を見て付き合うべきだと思うね、私は」
「ありがとうございます」
――人を見て付き合うかを選ぶ。
すべてを見抜くアイザックに、人格を評価された事をルーカスは喜ぶ。
これは陞爵されると聞いた時よりも素直な感情だった。
性格を評価されたのなら、尚更はっきりと進言しておかねばならない事がある。
「……実はお伝えしておかねばならない事があります」
「なんだい、急に?」
「実は――」
彼は勇気を出して言葉を絞り出そうとした瞬間だった。
「アイザックおじさん!」
一人の子供が駆け寄ってきた。
その子は、レイモンドの娘であるディアドラだった。
「どうした?」
「ねえ、今日は一緒に遊んでくれる?」
「ああ、いいよ。でも今はお話しているから、もうしばらくみんなと遊んでいてね」
「やった!」
彼女は嬉しそうに笑った。
そして、アイザックの手を握る。
「じゃあ、あとでね!」
「わかった」
レイモンドが戦場にいるため、アイザックは彼に代わって彼女の事を我が子のように可愛がっている。
実は、それがルーカスの心配事だった。
ルーカスの顔が少し引きつる。
「……やはり」
「どうしたんだ?」
「レイモンドが帰ってきたら、まずいことになるかもしれません」
彼の言葉に、今度はアイザックの顔が引きつる番だった。
「なぜだ?」
「父親のレイモンド卿よりも陛下に懐いているように見えます。まぁ、それも仕方ないでしょう。物心ついた頃には戦場へ出ていて親の顔など滅多に見られなかったんですから」
「それは仕方ないじゃないか。好きで戦争をしているわけじゃないんだから……」
実際は私利私欲で戦争を吹っ掛けているのだが、それを言うわけにはいかないのでアイザックも歯切れが悪い。
「考えすぎじゃないか? ちゃんとレイモンドが帰ってくれば、お父さんとして懐くよ」
「そうでしょうか?」
ルーカスは真剣だった。
「父親が長期間出征している間に、陛下とこうして親しく過ごしているわけですから」
「だからといって、俺が父親の代わりになるわけではないだろう」
「もちろんです」
ルーカスは頷く。
「ですが、子供は理屈で考えませんからね。大人の理屈がどこまで通じるか」
「…………」
その言葉に、アイザックも少しだけ不安になった。
そして、嫌な想像をしてしまう。
戦場から帰還したレイモンド。
彼は久しぶりに我が子と再会する。
抱き上げようと手を伸ばしたところで――。
『アイザックおじさんのほうがいい!』
――ショックのあまり、レイモンドが崩れ落ちる。
戦場から帰ってきた者にとって、これは残酷な反応だ。
アイザックとしても、そんな思いはさせたくない。
「…………」
アイザックの顔が引きつった。
「そうなったら……、かなり気の毒だな」
「でしょう?」
「だが、私のせいじゃないぞ。親が出征中で寂しいだろうからと、友人一家を招いていただけだ。子供を奪おうとか考えていたわけじゃない」
「それはわかっています」
ルーカスは少し考えてから付け加えた。
「……ただ、レイモンドが陛下を見る目が変わる可能性はあります」
「私は何も悪いことをしていないのに?」
「父親というものは、そういうものですよ」
「怖いなー」
他人事のように話すアイザック。
そんな彼をパメラが冷ややかな目で見ていた。
「子供を奪われたら誰よりも文句を言いそうな人が何を言ってるんですか。子供一人の婚約者を決めるだけでも、あれだけ渋っていたのに」
「うっ……」
これまで静かだった彼女の厳しい言葉が、アイザックの心に刺さる。
アイザックも理解できる事だけに、レイモンドやポールらに同情する。
「でも今更突き放すような事はできないし……。あっ、そもそもあいつらは休暇で戻ってきた時があるじゃないか。きっと大丈夫だよ」
彼らは交代で休暇を取って帰国している。
子供に顔を忘れられているという事はないはずだ。
少しだけアイザックの心が楽になった。
ルーカスは小さく息を吐いた。
(……レイモンド達が帰ってきたとき、どう説明すればいいのだろう)
戦場で命を懸けて戦っている父親達。
彼らの代わりに、子供達が寂しくないように仲良くしていたアイザック。
どちらが悪いわけでもない。
だからこそ、難しい。
(でも、マルス皇子とディアドラは婚約したらしいし、万が一アイザック陛下の事をレイモンドの前で『パパ』って呼んだとしても、間違いではないから許される……のかな? まぁ、きっとなんとかなるだろう)
後方支援とはいえ、ルーカスも戦争に関わっている。
それに比べれば、子供達がアイザックに懐いているくらいは些事である。
もっとも、レイモンド達にとっては戦争よりも大事かもしれない。
些細だが大きな問題に気付いてしまったルーカスは、友人達の帰国が待ち遠しくも、できることなら、もう少し先のことであってほしいと願ってしまった。







