880 三十二歳 エルフとドワーフの国
ノイアイゼンに関連するあれこれを担当してきたカニンガム伯爵やクロード達、クーパー侯爵などの要人を呼び出して、アイザックは一つの案を口にした。
「アンリをノイアイゼンの国王にしようと思っています」
「…………」
部屋の中が静まり返った。
誰もがアイザックの言葉の意味を理解するまでに、少し時間がかかった。
「……アンリ殿下を?」
最初に声を出したのはクロードだった。
「その通り」
「それは……。つまり、ノイアイゼンをアンリ殿下の王国として認めるということでしょうか?」
「そういうことです」
クロードは内容を理解するために、アイザックが言った内容と同じものを繰り返す。
アイザックは頷いた。
「ノイアイゼンを帝国に併合する事自体は簡単です。彼らが望んでいますから。ですが、それではドワーフ達の反発が強くなる可能性があります。賛成が過半数を越えたとはいえ、無条件で賛成しているというわけではない者も多いはず。大半のノイアイゼン国民が潜在的な不満を持っていると考えたほうがいいでしょう。その不満を抑える方法が、アンリを王にするというものです」
ノイアイゼンの評議会が解散し、エンフィールド帝国の傘下に入ることになったとしても、住民全員が帝国の支配を歓迎するとは限らない。
特にドワーフ達は、エルフと違って、自分達の手で国を運営してきた。
そこへ帝国から役人を送り込めば「人間に支配されて、昔のようになるのではないか?」と心配する者も出てくるだろう。
もし不満が噴出して、暴動でも起きたら流血沙汰になってしまう。
その時の責任は、評議会ではなくエンフィールド帝国が負う事になる。
だからアイザックは考えた。
・ノイアイゼンの国民が大人しく受け入れられる政治体制。
・人間と異種族の関係が悪化した時、彼らが救いを求めて集まれる場所作り。
・なんとなく我が子に立派な肩書きを用意してやりたい。
これらの理由から、アンリをノイアイゼンの国王にするのが最適だという答えにたどり着いたのだ。
「ノイアイゼンとフランドル侯爵領を、アンリの国とする。これはエルフが行政官になった時に持たれる反感を和らげる効果があるはずです」
「アンリ殿下を国王に……。属国ならエンフィールド帝国の影響下にある。それでも国です。ただエンフィールド帝国に組み込まれるだけよりは心理的な抵抗は少ないかもしれません」
クーパー侯爵は、アイザックの考えに理解を示す。
今後、ノイアイゼンをどう傘下に組み込むかで頭を悩ませていた。
属国という形を取れば、エンフィールド帝国は上納金を納めさせるだけで済む。
統治はエルフやドワーフに丸投げでもいいのだから、エンフィールド帝国の負担も減るだろう。
悪くはない考えだと彼は思った。
アイザックが机の上に置かれた資料を指で叩いた。
「ノイアイゼンには、ノイアイゼンの法律と行政機構を残します。ただ、基本的には帝国の法を適用し、帝国の法では行き届かないところをカバーするためです。帝国がすべてを一から作る必要はありません。既存のものを組み合わせる事で、現実に即したものにしていきましょう」
(なるほど、やはりそうだったか)
クーパー侯爵は自分の憶測が正しかったと思った。
やはりアイザックは、どうすれば楽に統治できるかを中心に考えている。
法を押し付けるだけではなく、必要なところは取り込もうとしていた。
手間暇を惜しむわけではない。
無駄な作業を省略しようと考えているだけだ。
その考えには彼も賛同できる。
「あちらの法律も一部認め、行政も残すのならば反発も少しは和らぐかもしれません」
クロードは考え込む。
今の条件ならば、ノイアイゼンの住民にとっても少しは受け入れやすい。
無条件で帝国に吸収されたわけではない。
ドワーフが中心ではあったが、エルフの住人もいたので両種族の国ではあった。
トップが変わるものの、エルフとドワーフが中心となって統治し、人間が支配していない国という形で一応は残る。
そして、その王にはエンフィールド帝国の皇子が就く。
ノイアイゼンを蔑ろにはしないという意思表示にもなるだろう。
何しろ、アイザックの子供への偏愛は知る人には知られている。
息子が肩身の狭い思いをしなくて済むようにしてくれると思うはずだ。
「それならドワーフ達も納得しやすいと思います。ただ押し付けるばかりでは、それが正しいものでも反感を買ってしまうものですから」
フランドル侯爵はうなずく。
彼もいい考えだと思っていた。
「それが狙いです」
アイザックも頷く。
「それに、アンリなら年齢的にも悪くない」
「……殿下はまだ幼いですが?」
「だからこそですよ」
アイザックは笑った。
「最初から国王として何でも決めさせるつもりはない。成人するまで実務は周囲の者に任せればいい。アンリには王としての立場を与え、少しずつ国を知り、政務を知っていってもらうつもりです。そもそも、今すぐ政務ができる年齢ではないですからね」
(王が幼ければ、補佐する者が必要になる。その役割を担う者をエンフィールド帝国から送り込めば、ノイアイゼンの政治にも自然と帝国の意向を反映させられる。実質的にエンフィールド帝国の思い通りにできる、か。我が子ですらカモフラージュに使うおつもりか)
少し、フランドル侯爵の中で不信が芽生える。
しかし、それはすぐに払拭された。
「まずはフランドル侯やモラーヌ子爵といった方々に摂政として采配を振るっていただきます。やがてはオチキス男爵の世代に交代してもらい、やがてはアンリと同世代の者達へと繋いでいただきたい」
――エルフに統治を任せる。
その前提は崩れていなかった。
エンフィールド帝国から人間の大臣を送り込み、好き放題やるわけではないらしい。
その事にフランドル侯爵は安心し、反省した。
「そして、アンリが成長した頃には――」
アイザックは一度言葉を切った。
「ノイアイゼンとエンフィールド帝国は、今よりずっと深い関係になっているでしょう」
「……実に陛下らしいお考えです」
クロードが苦笑する。
「……褒めているんですか?」
「もちろんです」
そう答えながらも、クロードの顔には少し複雑なものがあった。
「人間を父に持つアンリ殿下がノイアイゼンの王になる。それはノイアイゼンにとっても、エンフィールド帝国にとっても、大きな転換点になるでしょう。ただ……」
「ただ?」
「ブリジット殿下は、さぞお喜びになるでしょうね」
「…………」
アイザックの顔が微妙に引きつった。
彼もわかっていた。
わかっていたからこそ、頭を悩ませていた。
「そこが問題なんですよ」
アイザックは深々とため息を吐く。
「アンリを王にすると聞いた瞬間、ブリジットがどうなるか想像できるでしょう?」
「…………」
クロード達は黙り込み、そっと視線を逸らす。
そして――。
「まあ……」
クロードが苦笑した。
「容易に想像できますね。陛下がどうにかしてくださるのでしょう?」
「アンリを王にすると言った以上、どうにかするしかないじゃないですか」
アイザックはうんざりとした顔を見せた。
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「アンリが王様になるの!?」
話を聞いたブリジットの目が輝いた。
「そういう話になっている」
「やった!」
両手を胸の前で組み、ブリジットは嬉しそうに笑う。
「私のアンリが王様になるのよね?」
「ああ」
「本当に?」
「本当だ」
「本当の本当に!」
「本当の本当にだよ!」
「あんたってば、やってくれるじゃない!」
ブリジットは完全に舞い上がって、アイザックに抱き着く。
「王冠はどんなのにする? アンリにはプラチナに大きなエメラルドとかサファイアとかを中央にはめたものが似合うと思うけどどう? それとも宝石を全体的に散りばめたほうが……」
「もうそこまで考えるの?」
「当然じゃない!」
ブリジットは即答した。
「王様になるんだよ!」
「いや、まだ幼いから実際に政務をするわけじゃないし、そもそも即位もまだまだ先だから……」
「それでも王様なんだから!」
ブリジットは嬉しそうに笑う。
喜んでくれるのは嬉しいので、アイザックも少し嬉しくなる。
ただ、問題は残っているので笑えはしなかった。
「アンリが王様……。ふふっ」
息子が王様になるのを想像しているだけで楽しいらしい。
彼女らしいと言えばらしいのだが、浮かれてばかりもいられない。
「王冠を被ったアンリが玉座に座って『余はアンリである』とか言うのかな?」
「うーん、アンリはあんまりそういう事を言いそうにないけど?」
アイザックが苦笑すると、ブリジットはさらに嬉しそうな顔をした。
その様子を見て、アイザックは頭を抱える。
「それに、まだ国王になるかもしれないと話しただけだぞ。戴冠後の事まで勝手に話を進められると困る」
「でも、私の息子が王になるんだよ?」
「だから落ち着いて話を聞いてくれよ」
「嬉しい!」
ブリジットは満面の笑みを浮かべた。
「アンリが王様、フフフフフ」
そして、少しだけ誇らしそうに胸を張る。
「きっと立派な王になるよ」
「そうなってくれると願っているよ」
「大丈夫!」
ブリジットは自信満々に言った。
「私の息子だから」
「……それを聞くと、すっごく不安になるんだけど」
「なんでよ!」
「とりあえず落ち着いて。お母さんが落ち着いて話も聞けない人だと思われたらアンリも困るよ」
「むぅー……」
喜びに水を差されてふくれっ面を見せるブリジットだったが、一応彼女は黙ってくれた。
「とりあえず、これはそうしたらどうだろうという案の一つでしかない。エルフが王になる事に対する反発が強ければやめる」
「嫌だって言うなら、力で認めさせるしかないじゃない!」
「うん、まぁ……。そういう方法を取りたくないから、アンリを国王にして、エンフィールド帝国の属国の一部という形にするんだよ。暴力は絶対やめてね」
これではどちらが絶対権力者かわからない。
アイザックは「ブリジットに権力を持たせたら暴君になりそうだな」と恐怖する。
「これまでエルフはドワーフに商品を売ってもらっているという立場だったよね? だからドワーフの中には、自分達のほうがエルフより立場は上だと思っている人もいるかもしれない。『なぜ我々が人間とエルフの子供に頭を下げなければならないのだ?』と不満を持つ人もいるだろう。だから反応を見るのが大事なんだ」
「アンリを馬鹿にする奴なんて、私が全員ぶっ飛ばしてやる!」
「だから、それが一番困るんだって。大勢が認めてくれたら、少数派も渋々従ってくれるだろうし、暴力だけは絶対やめてよね」
ブリジットは、良くも悪くも感情に素直である。
あれだけパメラに喧嘩を売っていた恐れ知らずのロレッタでも、ブリジットには喧嘩を売らないくらいだ。
彼女も本能的に、パメラとは違う意味で喧嘩を売ってはいけない相手だと感じていたのだろう。
膝蹴り騒動の時もそうだが、ブリジットは政治的にどうかを考える前に体が動く。
それがアンリを国王にする際の、最大の障害となっていた。
「すべてはアンリのためだから我慢して。マルセレスや、生まれたばかりのマリウスのためにも悪いようにはしないから」
「……信じていいのね?」
「子供に関する事は嘘は言わないよ」
「じゃあ……、信じる」
渋々ではあったが、ブリジットは反対派を始末しないと約束してくれた。
彼女も約束は破らないだろうし、アイザックも一応は一安心といったところである。
(けど、不穏分子の排除は大切ではあるんだよな。皇子という立場を利用して、反逆の旗印に利用されたりするかもしれないし。)
こうしてアンリの人生は、本人の知らないところで大きく動き始めることになった。







