876 三十二歳 アイザックが見せる余裕
カニンガム伯爵達は、これまでに集めた情報を一通り報告し終えた。
ノイアイゼン国内の情勢。
評議会内部の意見対立。
国民の反応。
そして、今後予想される動き。
報告が終わるまで、アイザックは口を挟まなかった。
腕を組み、時折小さく頷きながら、二人の話を黙って聞いている。
やがて最後の報告が終わると、アイザックはしばらく考え込んでから口を開いた。
「国民投票を嫌がっているという事は、そこに付け入る隙がある……か」
アイザックはそう呟くと、組んでいた腕を解いた。
「まずは国民に評議会の信を問うとしましょう」
「それでよろしいのですか?」
「ええ。ただし、これまでノイアイゼンとは友好的な関係を続けてきました。こちらから一方的に追い詰めるような真似は避けたい。まずは国民に判断させましょう」
そこでアイザックは一度言葉を切った。
「特にルドルフ殿はジークハルトの祖父でもあります。いくら彼らの行動に問題があるとはいえ、見殺しにはできません」
「それは……確かに」
「ですから、投票前に各地で飛行機を飛ばして見せるくらいはしてあげてもいいでしょう」
アイザックは何気なく言った。
だが、カニンガム伯爵とクロードは顔を見合わせる。
それがどれほど大きな意味を持つのか、二人とも理解していたからだ。
ノイアイゼンの国民にとって、飛行機はまだまだ未知の存在だ。
空を飛ぶというだけでも驚異的だが、それ以上に重要なのは――それをエンフィールド帝国が当たり前のように運用しているという事実である。
それを見せつける効果は絶大だろう。
「現状のままだと評議員が襲われる危険もありますので、それくらいはやっておいてもいいかもしれません」
クロードが頷いた。
「実際に飛行機を目にすれば、評議会が抱えている問題の大きさを理解する者も増えるでしょう。調整しておきます」
「お願いします」
「……一つ、お聞きしたいのですが」
そこでカニンガム伯爵が口を開いた。
先ほどまでの報告とは違い、どこか慎重な声音だった。
伯爵は一度深く呼吸をする。
「もしや、もう方針を固められているのですか?」
「なぜそう思うのですか?」
「以前はノイアイゼンに頭を悩まされていたというのに、今では助け舟を出そうとされています。何らかの方針が固まったのではないかと思ったのです」
カニンガム伯爵は、アイザックの顔をじっと見る。
アイザックは一瞬だけ目を丸くした。
そして――。
「フフフッ」
小さく笑った。
「方針というほど大げさなものではありません。いくつかある選択肢のすべてに大体の答えを出す事ができただけです。彼らがどう出てこようとも、慌てずに済みそうだから少し余裕が出てきただけですよ」
「ほう!」
カニンガム伯爵の目が輝いた。
「それはどのようなものですか!? 是非お教えください!」
先ほどまで疲れた様子を見せていた彼とは思えない食いつきだった。
どうやら「答えが出た」という言葉がよほど気になったらしい。
だが、アイザックは首を横に振った。
「それはできません。私がこうしようと考えていると教えれば、この状況を乗り切ったのは私の手柄になってしまいますから。この問題を解決するために奔走しているのはカニンガム大臣とオチキス大臣です。まずはお二人が動いてください。どうしてもダメだった時は私が尻拭いをしますから」
「しかし、陛下がすでに答えを出されているのであれば――」
「それでもです」
アイザックは遮るように言った。
「二人が考えて、二人が決断して、二人が実行する。その経験も大切なんですよ」
「…………」
「どうしてもダメだった時は私が尻拭いをしますから」
「なんと……」
「本当に太っ腹な……」
カニンガム伯爵とクロードは感動した。
アイザックは答えを出している。
にもかかわらず、自分から前に出ようとはしない。
自分が出張ってしまえば、二人の手柄を奪ってしまうと考えているからだ。
――手柄は奪わない。
――やれるだけやって、経験を積んでおけ。
なんと大物然とした態度だろうか。
これこそが皇帝として君臨するのにふさわしい姿なのかもしれない。
下の者に仕事を任せ、失敗した時には自分が責任を取る。
だからこそ、臣下は安心して仕事に取り組めるのだ。
ただアイザックの態度は「現状維持ができるならよし。ノイアイゼンが傘下に入ってもよし。どっちでもいいし、人任せにできるところは任せたい」と考えているからこその余裕だった。
わざわざ自分が苦労する必要がないのであれば、部下に任せてしまえばいい。
それで上手くいけば万々歳。
失敗したら、その時に答えを出している自分が動けばいい。
それだけの話だった。
「かしこまりました。精一杯やってみます」
カニンガム伯爵は力強く答えた。
「私も国民投票で、評議会の暴走をなんとか抑え込んでみます」
クロードも続く。
「まずは国民投票の準備を進めましょう。飛行機の件も含めて、できるだけノイアイゼン国民に情報を与えてください。評議員への不満が噴出するでしょうが、それも投票に向けて利用できるでしょう」
「かしこまりました」
「そして投票の結果が出たら――」
アイザックは一拍置いてから告げる。
「その結果に従いましょう」
その言葉に、カニンガム伯爵は意外そうな顔をした。
「……本当によろしいのですか?」
「何がです?」
「国民投票の結果がどうなっても、ノイアイゼンが大人しく従わない可能性もあります」
「もちろんありますよ」
アイザックは平然と答える。
「ですが、それならそれで構いません」
「……」
「自分達の意思で選んだのなら、その結果を尊重する。それが一番でしょう」
そう言ってから、アイザックはニヤリと笑った。
「その結果がどのようなものであっても従ってもらいます。それが投票で決める共和制ですから。まぁさすがに新しい評議会が『傘下には入らない。でも技術はよこせ』とか言ってきたら、条約を盾に問答無用で併合しますけども」
「さすがにそれはないでしょう。ハハハ……、ないですよね?」
「今はもう何もわかりません」
「…………」
「何が起きるかわからないので、正直なところ私も恐いです」
「陛下まで!?」
思わずカニンガム伯爵が声を上げる。
冗談なのか、本気なのか。
判断がつかない。
不安になったカニンガム伯爵は、隣にいるクロードを見る。
「オチキス大臣。まさか、本当にそんな事には……」
「……私に聞かれても困ります。ノイアイゼンについては、私ももう何が起きても驚かないようにしています」
「そんな……」
不安になったカニンガム伯爵はクロードに確認するが、聞かれたほうも答えようがない。
より一層、カニンガム伯爵は不安になった。
「もっとも、こちらとしても何もせずに結果を待つつもりはありませんがね」
「やはり、そうなりますか」
カニンガム伯爵の表情が明るくなった。
「当然です。人事を尽くして天命を待つという言葉があるように、待つのは、できる事をやってからですよ」
アイザックは笑う。
「せっかく飛行機を見せるのです。空を飛ぶだけで終わらせるのは、少々もったいないでしょう?」
カニンガム伯爵は、その言葉の意味を考える。
飛行機を飛ばすだけではない。
アイザックは、その先を考えて楽しそうにしている。
まるで何か、とっておきの手を隠しているような――。
そして、すぐに気づいた。
「……飛行機以外にも何か見せるおつもりですか?」
「さて。そこはまだ秘密です」
「陛下……」
カニンガム伯爵は呆れたように息を吐く。
だが、アイザックは楽しそうに笑っている。
それを見たカニンガム伯爵は、ふと思った。
もしかすると、アイザックが余裕を見せている本当の理由は、すでに問題を解決する方法を見つけているからではない。
自分達にはまだ見えていない、もっと別の何かを用意しているからなのではないか。
そう考えると、妙に納得できた。
「……陛下が楽しそうで何よりです」
「そうですか?」
「ええ。ですが、私は少々不安になってきました」
「なぜです?」
「陛下が楽しそうな時は、大抵何かとんでもない事が起きますから」
「失礼ですね」
アイザックは笑いながら否定する。
だが、その笑顔を見て、カニンガム伯爵は確信した。
――やはり、何かある。
そして、それが何なのか。
今はまだ、誰にもわからなかった。
金曜日の投稿は予定があるので予約投稿、もしくは木曜日か土曜日の投稿になるかもしれません。







