874 三十二歳 大きな一歩
「まさか、そんな事になっているとは……」
ドワーフの所業を聞き、アロイスなど村長クラスの者達の顔が青ざめる。
さすがに彼らも信じられない行動だと思ったようだ。
まともな者ほど強い衝撃を受けている。
「だからアイザック陛下が、我々にノイアイゼンの統治ができるかと聞かれています。こんな真似をするドワーフに政治を任せられない。だけどこんな形で傘下に加えるのは政治的に悪影響を残しかねないのでお断りしたい。だから、我々が統治するという形で種族間戦争前の時代を思い起こすような事にならないようにしたい。そのための協力をしてほしいとの事でした」
「うーむ……、簡単に答えられる問題ではないぞ」
「協力はしたいが、かなりデリケートな問題だからな」
協力の意思はある。
だが即答はできない。
エルフがドワーフを支配するとなると、それはそれで新たな問題が生まれるからだ。
「我々が領主になれば『人間と一緒になってドワーフを虐げた』と言い出しかねない。そうなると、次の種族間戦争が起きた時に協力し合えなくなるぞ」
「もしやそれが狙いか?」
少し会議の雲行きが怪しくなってくる。
アイザックが優れた人物であればあるほど、必ず裏があると思われてしまう。
こんな厄介な問題を押し付けてきたせいで、エルフに少し疑念を持たれてしまった。
「落ち着いてくれ。こんな状況になって動揺する気持ちはよくわかる。だが、それはアイザック陛下も同じだ。ドワーフ達が、なぜあのような決断をしたのか。理由を聞いても理解できないんだから」
「どうせ酒でも飲んどったのだろう」
マチアスが茶々を入れるが、彼を責める言葉は出てこなかった。
誰もが「そうかもしれないな」と思うほど酷い状況だったからだ。
「酒に限らず酔う事はある。長年の間続いた交流の断絶が終わったと思ったら、アイザック陛下のような逸材と出会ったのだ。新技術の刺激があまりにも強すぎて泥酔したかのようになってしまったのかもしれない」
エドモンドが力なく呟く。
「技術に酔ったというわけか」
「別に上手い事、言ってないぞ」
「上手い事を言おうとしているわけではないからな」
「そう強がるな」
「なんでこんなつまらない事で突っかかってくるんだっ!」
そして、長老衆のつまらない言い争いを見て「この人らよりはドワーフのほうがマシかもしれない」と思い始める。
「まだ何も決まっていないものの、万が一の時を考えて私達も備えないといけません。もしもノイアイゼン各地に領主を派遣する必要が生まれたらどうするか? 補佐する人員も必要なので候補を考えておく必要があります」
長老衆の事を諦めているクロードは「誰だよ、呼んだのは」と思いつつ、彼らを無視して話を進める。
彼の言った事は重要な事だった。
まともな者達は頭を抱える。
「村長までならできても、領主としての資質がある者は少ない。経理などの事務作業も難しいし、補佐できる者もだ。政治に携われるものは数えられるほど少ない。人材を育てるのには時間がかかる。ノイアイゼン全体となると厳しいのではないか?」
「村長が貴族扱いになるという事で、若い衆を育ててはいるがまだまだだ。人手が足りないのに外に出すのは難しいぞ」
人材が足りないという慎重論を唱える者も当然出てくる。
適当に統治して「エルフではダメだ」となっては本末転倒である。
誰もが「アイザックが難しい問題を投げてきた」と深刻に受け止めていた。
「難しく考えすぎた。この問題は簡単に解決する」
長老の一人が口を開いた。
「フランドル地方は身内での統治なんだから、多少の失敗は補い合いながら対処できる。だが、ノイアイゼンは失敗は許されないのだろう? こっちは若者に任せて、経験豊富な村長が行けばいいではないか」
「おお、それはいいな」
「経験豊富な大人が対応するべきだな」
長老衆は口々に名案だと賛成の意を示す。
「このジジイども、なにを勝手に……」
「自分達はなにもしてこなかったくせに」
さすがに責任を押し付けられた村長達が不満をあらわにする。
ノイアイゼンの前に、フランドル地方で最年長者と年長者の間で亀裂が生まれつつあった。
----------
ノイアイゼンはというと、こちらも一波乱置きそうな雰囲気だった。
「国民、投票……?」
「その通りです。不正があってはいけないので、人間とエルフが投票管理委員会として投票所で監視します」
「なぜ不正があると決めつける!」
「国民の意思を聞いていれば、我々の耳にもその動きが入っていたはずです。しかしながら、そのような噂は入ってきませんでした。一部の富裕層が新技術に魅せられて暴走した結果だとすれば大問題です。国民の意思を問わねばなりません。当然、権力者の圧力がかからない形で」
カニンガム伯爵も引いてはいられない。
ここで一歩退けば、ただの一歩では終わらない。
退けば、そのままズルズルと彼らが望むゴールへと押し出されるだけだ。
それに、もし彼らがエンフィールド帝国の傘下に加わったとしても、アイザックの様子からおそらくカニンガム伯爵よりも格下になるだろう。
今は目上であっても、そう遠くないうちに格下になるであろう者達にビビる事はない。
もちろん、交渉が上手くいけばそれはそれでよし。
だから今の彼は「難しい問題を任された」と頭を抱える事はあっても、怯える事なく交渉に当たれるようになっていた。
「投票自体はかまわない。だが監視など必要はない」
「そうだ! 我らを信用できないのか!」
「できません。なにしろ自分達の開発欲のために国を捨てようという方々ですので信用は地に落ちています。ご自身の振る舞いを見直されるべきでは?」
むしろ、カニンガム伯爵は強気になっていた。
彼には、もうドワーフの心中が透けて見えていたからである。
(これだけ投票を嫌がるという事は、自分達に大義がなく、国民に問うまでもなく不利な立場だとわかっているからだろう。投票を軸に話を動かせばどうにかなるはずだ)
いくらドワーフの思考回路が人間とは別物とはいえ、何を嫌がるかで弱点を見抜く事はできる。
カニンガム伯爵は、相手の弱点をひたすら強気で突き続ける事にした。
「アイザック陛下はノイアイゼンの国民感情を心配しておられます。評議会が勝手に傘下に降ると決めたせいで、自分達の国を失った彼らの心中はいかがなものでしょうか? このような問題は、この国全体で決めるべきです。王政ではなく、共和制なのだから当然ですよね?」
「それはそうかもしれんが、なぜそこまで……。我が国が降っても、そちらに損はないはずだ」
「アイザック陛下がお望みですので」
カニンガム伯爵は、ひたすらアイザックを口実に押す。
彼らにとって重要なのはエンフィールド帝国ではない。
ただアイザック一人なのだ。
アイザックに嫌われて「じゃあ、何も教えない」と言われる事は、何よりも恐いはずである。
――アイザック押し。
聞く人によっては誤解を招く表現だが、カニンガム伯爵はこれこそ最大の切り札だという事を理解して活用していた。
「もし国民に勘違いされて暴動でも起きたらどうする? 大問題になるぞ」
「そのための投票管理委員会です。国民の意思を、ちゃんとアイザック陛下に届ける。黙殺はしないという保証を与える事で落ち着かせる事ができるでしょう。もちろん、投票結果によっては皆さんに不利な状況になるかもしれませんが、国民の意思を尊重するのが共和制です。その結果は受け入れるべきです」
カニンガム伯爵は突き放した。
今度はノイアイゼン首脳部が頭を抱える番である。
エンフィールド帝国にとっていい条件だから、多少は悩む事があっても受け入れてくれると思っていた。
それが国民投票にまで持ち込まれる事態になってしまった。
今から投票工作するにも難しいかもしれない。
「他の方法は?」
「国民投票を行う。それが最低条件です。できないのならばアイザック陛下は絶対に受け入れません」
「むぅ……、仕方ないのか」
――以前とは違って、今回は立場が逆転した。
カニンガム伯爵は表情を崩さずに喜ぶ。
(まさか国民投票の一言でここまで弱気になるとは。さすがは陛下だ。相手の弱点を的確に見抜いておられる。……あとは彼らが国民に縛り首にされないよう気を付けて進めていかねばな)
まずは投票管理委員会とかいうものを組織せねばならない。
よくわからないが、アイザックならどうにかするのだろう。
小さいながら大きな一歩を確実に踏み出せたのだ。
先行きの見えなかったノイアイゼンの問題に光明が見えた事で、カニンガム伯爵は少し安心する事ができた。







