873 三十二歳 ちょっとしたひらめき
「クーパー侯、ノイアイゼンを併合した場合の影響を算出しておいてください。経済だけではなく、法律などすり合わせが必要なものもリストアップしておいてください」
「かしこまりました」
難しい問題だが、こうした問題に対処するのが宰相の役目である。
部下を集めて議論するため、一礼して退出する。
(ふー、これこれ。これをやりたいから偉くなったんだ。人任せにできないお偉いさんとか、なんのために偉くなったのかわからないからな)
――部下に仕事をぶん投げて悠々自適に暮らす。
これこそアイザックが夢見た国王ライフである。
彼には、すべて自分でやらないと気が済まないワンマン社長の気持ちはわからない。
人に任せられる仕事は任せたほうがずっといいという考えを持っているからだ。
(俺はエリアスみたいに虚栄心を満たしたいとは思わない。だから他人の分まで功績を求める気持ちもない。やりたい奴にやらせて褒美を与えておけばいいさ)
アイザックとエリアスの違い。
それは求めるものの違いだった。
アイザックはパメラを求め、エリアスは名誉を求めた。
だからアイザックは「俺が凄いと思わせたい」などと思わなかった。
そうした名誉は、すべてパメラを手に入れるための踏み台に過ぎない。
彼女を手に入れた今となっては、むしろ足かせにすぎなかった。
もしエリアスがこれを聞けば怒り狂うだろう。
だが本気でそう思っているのだから仕方がない。
アイザックが最も重きを置くのは、家族と過ごす時間なのだから。
(戦争も順調に進んでいるし、どこかで不作があったという報告もないから食糧も問題なし。問題があるのはドワーフに関するものだけ。……いや、他にもあったな)
アイザックは立ち上がり、執務机から離れる。
「今日の仕事は終わりだな。急ぎの仕事があれば教えてくれ」
「かしこまりました」
そう秘書官へ告げると、アイザックは成さねばならぬ事を成すために目的地へと向かう。
――そこはジュディスの部屋だった。
「決めた、この子の名前はゴードンだ!」
――ジュディスの第八子の名前決め。
それが今のアイザックにとって最も重要な事案だった。
「今回は……、時間がかかったね……」
「そりゃあ八人目になるとどうしようか迷うよ」
他にも候補はあったが、無難な名前にした。
きっと他の兄弟達と共にマルスを支えてくれるだろう。
もちろん、本人にも幸せになってもらいたいと願っている。
「あと二人……、頑張って……」
子供を抱きながら優しく微笑むジュディスに「OK」と二つ返事で答えそうになるが、アイザックはグッと我慢する。
「頑張るのは君のほうだ。でも私は頑張ってほしくない」
「……なぜ?」
「出産は体に負担がかかる。君にはまだまだ元気でいてほしい。お願いだから無理はしないでほしいんだ」
ジュディスを心配する気持ちは本物だった。
しかし、これは彼女だけを心配しての言葉ではない。
自分の身も案じての言葉でもあった。
以前にも似たような事を言っていたが、今回の出産で考え直してほしいと願ってのお願いである。
「それは嫌……。もっと子供がいたほうが……、幸せだから……」
やはり彼女は十人以上の子供に囲まれるという占いの結果に執着しているようだ。
「私は今でも幸せだ。君は幸せじゃないのかい?」
「……幸せだと思う」
「じゃあ無理はしないでいいじゃないか。占いなんてなくても君は魅力的なんだから占いにこだわる必要はない。私が結婚したのはジュディスという一人の女性であって、占いの能力じゃないんだよ。占いにこだわらないでいいって君もわかってくれていたんじゃないのか?」
「そう……、ね……」
アイザックの真摯な思いは、ジュディスにも伝わったようだ。
彼女は頬を染めてうつむく。
本当は彼女もわかっていた。
だが、あれほど嫌っていた占いの能力を捨てる事もできず、占いの結果にこだわってしまっていた。
もちろん、それが幸せそうな未来を映し出していたから無視できなかったのだ。
改めてアイザックに言われて、ようやく彼女も過ちに気付いた。
「いつもあなたは……、私の目を覚ましてくれる……」
「お互いに足りないところを補い合う。それが夫婦だろ。気にしないでいいよ」
アイザックはジュディスの手を取って握りしめ、二人は微笑み合う。
(これでちょっとでも回数が減ったら助かるな)
アイザックの言葉に偽りはなかった。
しかし、偽りがないからといって、すべてが真実であるわけではない。
彼はジュディスの体を心配しているだけではなく、自分の体も心配していた。
かなり乗り気だった彼女も、ようやくアイザックの意見を受け入れてくれた。
その事にアイザックは一歩進んだ気分になっていた。
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(話し合えば分かり合える。きっとドワーフ達もわかってくれる。言葉の通じる人間同士、話し合えばわかり合えないなんて事はない!)
とても相手の言い分を聞こうとはせず一方的な侵略戦争を行っている張本人が言う事ではないが、難関だったジュディスを説得できた事で、アイザックの気分は良かった。
彼はこのままノイアイゼンの問題はすぐに解決できるだろうと思い始める。
今にもスキップしそうなほど気が楽になったアイザックは、その足でブリジットのもとへと向かう。
彼女はまだ妊娠中である。
出かけたりはせず、部屋で休んでいた。
「ブリジット、調子はどうだい」
「いいわけないでしょ。体は重いし、お腹の中で子供が動くしで寝不足になってるのよ。早く出産して楽になりたいわ」
ブリジットは少しイラ立っていた。
妊娠中は万全の体調というわけにはいかないので、調子がいいはずがない。
だからアイザックへの当たりが強くなっていた。
だが彼女も本気ではない。
ちょっと素直に答えられない気分だっただけだ。
アイザックもブリジットの態度に目くじらを立てたりしなかった。
彼女の性格はよく知っているし、妊娠中の妻が不機嫌になるのは嫌というほど経験しているのでわかっている。
こういう反応には慣れているので、アイザックは気にせず彼女のお腹を優しく撫でる。
「本当に早く会いたいよね」
「何人も子供がいるのに、まだ子供が欲しいなんてどうかしてるんじゃない」
そうは言うものの、ブリジットも自分の子を求められて悪い気はしない。
彼女はお腹を撫でるアイザックの手を眺める。
「ただ、いざ親になってみるとアンリたちが心配だ。他の兄弟と成長する速度が違う。弟妹のほうが先に大人になっていくのを寂しく思う時がくるだろう。ブリジットが産んだ兄弟が頼りになるはずだ。何人でも欲しいさ」
エルフの子供は五歳くらいまでは人間と変わらない成長速度だが、そこからは急激に遅くなる。
赤ちゃんのまま十年、二十年と過ごさないといけないよりマシだが、それはそれで悩みもある。
アンリ達が一緒に過ごす兄弟は、みんな人間だ。
アンリの感覚だとあっという間に老衰して死んでいくだろう。
同じ時間を過ごす兄弟の存在は、アンリにとってかけがえのない存在となる。
だからアイザックは、ブリジットが産む子を他の子以上に大事に思っていた。
「何人でもって……、どこまで考えているのよ。エッチ」
しかし、ブリジット本人はそこまで深刻に考えていなかった。
彼女は何人でも子供が欲しいというところだけを切り取って、アイザックが何を考えているのかを想像した。
「もう、そういうのじゃなくて、真面目な話だっていうのに。子供の将来の事を考えているんだよ。……子供の将来か」
アイザックは自分の言葉を反芻する。
(アンリ達はエルフだ。大人になる頃には、ザック達の孫や曾孫世代になるだろう。その時、本当に身内として扱ってくれるだろうか……)
この世界では、だいたい親族扱いするのは三代程度まで。
ザックの曾孫の代になれば、アンリ達は親族扱いから外れる距離感となる。
我が子が親族扱いされず、寂しい思いをするのはアイザックには耐えられなかった。
(そうなると、親族扱いをしないといけない程度の影響力を持たせないといけないな。赤の他人だと無視できないくらいの力を)
田舎の領主程度では影響力が弱い。
親戚付き合いをしてくれなくなるかもしれない。
そうなると、もう少し大きな領主にしてやるべきだろう。
その時、アイザックに電流が走る。
(ちょうどあるな! 大陸全土を支配している皇帝でも無視できない程度の力を持つ領主になれる場所が。問題は安定して統治できるかだけど……。それは誰かに任せればいい。トップがエルフ。それも帝室出身者というのは、統治者としての肩書きは強い。あいつらにも軽んじられていると思われる事もないだろう。案外悪くはないかもしれないな。王国扱いでもいいかも?)
もし遠い未来でエンフィールド帝国が悪の道に走っても、エルフやドワーフを率いて抵抗できる国が存在するのはありがたい。
自浄作用が発揮されないほうが国としては致命的だ。
アンリの国が存在するだけで抑止力として効果を発揮してくれるだろう。
どうしても自浄できず、国が崩壊するような事になって、アンリや彼の子孫がエンフィールド帝国を倒す事になったとしても、結局アイザックの血は残る。
自分の血筋が全滅するという最悪の事態は避けられるだろう。
(この案は検討の余地があるな)
――ノイアイゼンの問題を利用できるかもしれない。
妻と過ごす時間で、アイザックは打開策になりそうな案を思い付いた。
どんな事でも、ひらめくきっかけになるのだ。
アイザックはブリジットの「ちょっと気持ち悪いけど、まぁ許してあげるわ」という視線を受けながら、彼女のお腹に感謝の頬ずりをしていた。







