862 三十二歳 妻達との営み
「あー、やっとゆっくりできるな」
オーランド伯爵やドワーフ達はまだ残っているものの、油断ならないヴィンセントが帰ってくれた。
それが何より嬉しかった。
彼に協力するような勢力がいないとはいえ、存在するだけで何をしでかすかわからない。
劇毒をいつまでも手元に置いておきたくなかったからだ。
「お疲れ様、そんなに面倒な人だったの?」
ベッドに寝転がりながら、パメラが尋ねてくる。
「面倒ってもんじゃないよ。元皇帝だから貴族になったとはいえ気を遣うし、失敗した家臣を次々に処刑する残虐な人間だ。しかも裏でこそこそ動くのも厭わない謀略家でもあるようだから一緒にいて疲れるんだ」
「へー、そうなんだ。でも私はアイザックと一緒にいても疲れないわよ」
「それは――どういう意味だ?」
「どういう意味かしらね」
からかい半分ではあるが、パメラは暗にアイザックとヴィンセントが似た者同士だと言っていた。
それにアイザックは抗議の視線を返す。
「少なくとも残虐ではないぞ」
裏でこそこそ動いていた点は否定できないので、もう一つの欠点を否定する。
「なかなかのものだと思うけどね。ニコルにも悪いところがあったとはいえ、とことん利用してから使い捨てたし。ファラガット共和国とかアーク王国の王侯貴族の扱いは……、まぁなんとなく理解できるけど」
パメラも各国の国民や奴隷の扱いには思うところがあったようだ。
だから厳しい扱いをした事には理解を示すが、それでも言外に「それでも容赦なく、よくやれたよね」という意味を含ませていた。
「それが人の上に立つ者の役目だよ。悪党をのさばらせておいては国が乱れる。国が乱れれば僕達も危険になる。ファラガット共和国のおかげでしばらくは民主化運動なんて起きないだろうけど、時代が進むといつかは起きるだろう。その時、立憲君主制になってくれればいいんだけど、もしブルボン家やロマノフ家のような事になったら大変だ。子孫のためにも、エンフィールド家は正義だという考えを国民に浸透させておかないといけないんだ」
パメラは「なんで政治にお菓子メーカーが関係あるんだろう?」と思ったが、深く考えなかった。
彼女には彼女なりにもっと考えてほしい問題があったからである。
「なるほど、色々考えているんだ。じゃあ家の安定は大事ってわかってるよね?」
「ああ、もちろんだ」
そう答えたアイザックだったが、すぐにそれは間違いだったと気づく。
「でもザックがいるし――」
「はいダメー」
――パメラは子供の数が最も少ない二人。
最後に結婚したブリジットにも抜かされそうな始末である。
家の安定のためには、パメラがナンバーワンでなければならない。
そう信じている彼女は、序列を安定させるための行動をアイザックに求めた。
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「ハァハァ」
アイザックの激しい呼吸音が響く。
「もうダメだ」
「そんな事言わないで、もうちょっと頑張って」
アマンダがアイザックを励ます。
その光景を子供達が眺めていた。
「もうダメだ」
しかし、アイザックは限界だった。
彼は力尽きて床に膝をつく。
「まだ頑張れる! さぁ、立って!」
「いや、もう無理だよ。交代させてくれ」
「もう、仕方ないなぁ」
アマンダは剣を置いて、アイザックに肩を貸す。
「じゃあ、次はザックいってみよう!」
「はい!」
ザックが剣を持って立ち上がる。
そう、これは剣術の訓練だった。
アマンダはエンフィールド帝国の女性ではナンバーワンの実力者。
男女混合でも上位に入る実力を持っていた。
そんな彼女は、時々指導役を買って出る事があった。
今日がその日である。
「いい、みんな。皇族だからって剣術をおろそかにしていいわけじゃないんだからね。もちろん、みんなは騎士が守ってくれる。でも時には間に合わない状況があるかもしれない。そんな時は助けが到着するまで自分の力で戦わないといけないんだよ。敵を倒せなくてもいい。自分の身を守れる最低限の実力は身につけておこうね」
「はい!」
アマンダの言っている事は間違っていない。
皇族は誰かが守ってくれる。
だが近くにいなくて間に合わない場合もある。
だから助けが到着するまでの時間を稼ぐ実力を身につけておく必要がある。
その力を身に着けるための訓練は、アイザックも例外ではなかった。
忙しい中、彼もアマンダの指導を受けるようにしていた。
(最近は少しイチャつく時間は減ったけど、その分が訓練時間になると休めないのは一緒なんだよな……)
幸い、アマンダは体育会系のノリではあるが理不尽ではない。
なんとかついていける程度の厳しさなので、辛くとも逃げ出すようなものではなかった。
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「陛下、また歌を聞かせてください」
「ああ、いいよ」
ロレッタは、アイザックの歌がお気に入りだった。
――政治で忙しいはずなのに、まるで湧き水のように次々と新しい曲を生み出してくるからだ。
中でも彼女が気に入っているのは、バラード調のラブソングである。
吟遊詩人が歌う曲とは違って、アイザックの歌は内容が伝わりやすい。
しかも一人で作ったとは思えないほど多種多様なバリエーションがあるのだ。
(芸術面でもこんなに才能を持っているなんて。本当に素晴らしい人。私だけのものにできないのが残念だけど、これだけの人が私を選んでくれた事に満足しないといけないわね)
アイザックの歌を聴きながら、彼女はうっとりする。
彼が素晴らしい歌を披露すれば披露するほど、彼女の中の独占欲が沸き上がる。
しかし、それは許されない事だと自重する。
下手に感情を出せば、またパメラが叩き潰そうとしてくるだろう。
子供達のためにも火種を残せない。
彼女も年を取って、元王女という意識が薄れたおかげで少しは大人しくなっていた。
だが寵愛を得る事は別問題である。
隣に座っているアイザックにもたれかかり、自然な形で体の熱を伝える。
少しアイザックの歌声がぶれた。
ロレッタを意識している証拠だ。
その事に満足しながら、彼女はしばらくアイザックの歌声を堪能していた。
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「この子の名前……どうする?」
大きくなったお腹をさすりながらジュディスが尋ねる。
「名前は考えているよ。あとは男の子と女の子、どっちが生まれるかだね」
「そう、よかった……」
ジュディスが微笑む。
そして小さく笑った。
「あと三人……」
その言葉に、アイザックは冷や汗を流す。
――ジュディスとの間に最低十人の子供が生まれる。
当然、子供が生まれるという事は夫婦で頑張らないといけないという事だ。
最近は少し休めるようになってきたというのに、まだまだ頑張らないといけない。
アイザックも嫌ではない。
それだけ愛されているという事自体は幸せな事だからだ。
疲れるけれども、それだけだ。
アイザックが頑張ればいいだけの話である。
「年を取ると出産の危険もあるみたいだし、無理はしなくていいよ」
「ううん……、私が産みたい……、から」
「そうか、無理はしないようにね。君自身も大切なんだという事を忘れないで」
アイザックは彼女を気遣う。
それは本心である。
出産時に出血するというのはよく聞く話だ。
エルフがいるとはいえ、出産は危険である事に変わりはない。
かつて下剋上という危険極まりない行動を取っていたアイザックであるが、今では取らないでいい危険を避けるようになっていた。
これも立場の違いによるものだった。
「大丈夫……、無理はしない……」
ジュディスはそっとアイザックの腕に手を回す。
そうする事で、彼が彼女の事を強く意識してくれるという事をよくわかっていたからだ。
それが彼女なりの誘いであった。
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「ねぇ、そろそろ回数を減らさない?」
リサはみんなよりも五歳年上という事もあって落ち着こうとしていた。
彼女も三十七歳。
アイザックが毎回求めてくるので相手をしていただけで、この世界ではあまり女として活動する年齢ではなかったからだ。
「うーん、本当にそれでいいの? リサも妻だ。みんなと差をつけたくない」
(やった! これで休みができる!)
言葉とは裏腹に、アイザックは内心喜んでいた。
四人目のレベッカが生まれて以来、リサが夜の生活に積極的ではなくなってきているとはアイザックもわかっていた。
だから、いつかはこの日がやってくるだろうと思っていた。
しかし、待ち望んだこの日がやってきたとはいえ、表立って喜ぶ事はできない。
そんな事をすれば、リサとの関係が嫌だったと思わせてしまうかもしれないからだ。
そのため、アイザックは渋る姿を見せる。
「だって、私の友達にこの年になってから子供を産んでいる人はいないし……」
「他人は他人じゃないのか?」
アイザックは前世で四十前後で出産している女性もいたという事を知っている。
それを考えれば、リサはまだ子作りを諦める年齢ではない。
だから自然と彼女の言葉を否定してしまう。
「そうかな。でも私も年を取って綺麗じゃなくなってきているし……」
「リサは綺麗なままだよ。それに関しては僕の言葉を信じてくれていいよ」
「う、うん」
リサが照れた表情を見せる。
そして彼女は照れてアイザックから視線を外したまま、言葉を続ける。
「じゃあ、もう少しなら……。いいよ」
「う、うん……」
今度はアイザックが言葉に詰まる番である。
(しまったー! フォローしすぎたか! でもここで「そうだね」とか言ったら絶対一生恨まれる! お袋がそうだったからな!)
前世の母は、父の言った事をよく覚えていた。
二人がギスギスした雰囲気になってくると、チクリと嫌味を言っていたものだ。
だからアイザックは夫婦間での会話に気を付けるようにしていた。
それが原因で、貴重な休日を得るチャンスを先延ばしにしてしまった。
しかし、リサは照れながら喜んでくれている。
その笑顔の代償だと思えば、アイザックもまだ耐える事ができた。
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「ティファニー、いつもお疲れ様。たまには休んでもいいんだよ」
「大丈夫。パメラさんって凄いんだよ。横で見ているだけでも勉強になるし、格好良くて憧れちゃうの。私もあんな風になりたいから、休んでいる暇なんてないよ」
ティファニーは理化学研究所の所長を務めるパメラの補佐を行っている。
彼女は学校では学べなかったものをどんどん吸収していき、今ではパメラの片腕となっていた。
これも彼女の努力の賜物だろう。
しかし、子育てに研究所の勤務とオーバーワークなところがあるのは否めない。
アイザックは彼女を心配するが、本人は疲れを感じていないようだった。
「……今を精一杯生きているんだね。わかった、止めはしない。だけど体を壊さないようにね」
パメラとティファニーは、きっとキャリアウーマンの先駆けになるだろう。
アイザックは、そう感じていた。
ただ、それならそれでワークライフバランスを考えて無理をしないで欲しいとも思っている。
体を壊してしまっては、すべてが台無しである。
「アイザックも体に気を付けてね。仕事以外にも、子供達のために童話とか書いているでしょう? しっかり休まないとダメだよ」
「大丈夫さ。子供達のためにやる事は休息みたいなものだ。趣味で疲れたりはしないよ」
「私も一緒だよ。だから疲れない」
ティファニーはクスクスッと笑う。
彼女もパメラの手伝いを楽しんでやっている。
だから疲れないのは、アイザックと一緒だと言う。
「でも、本当はちょっと疲れるから、お互いに健康には気を付けようね」
「そうだね。楽しい事だから疲れを忘れるけど、気を付けないといけないね」
今度は二人でクスクスと笑う。
かつてパトリックといた時も、楽しくて疲れを忘れて遊んでいた。
そして電池が切れたオモチャのように、パタリと寝てしまう事もあった。
大人になった今だからこそ体調には気を付けないといけない。
アイザックも「もうおじさん、おばさんになったから若い頃のように無茶はできないね」と言わないデリカシーはあった。
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「あー、体が重い」
アマンダほどではないが、比較的小柄なブリジットは大きなお腹が目立つ。
しかし、彼女はへこたれなかった。
「でもクソ重たい塩をノイアイゼンから森の中を運ぶよりはマシ。この快適な暮らしの中だったら、これくらい余裕よね」
もっと辛い時代を知っていたからだ。
つわりをはじめとする妊娠中の体調不良も、十分受け入れられる不調である。
なぜなら妊娠中の体調不良のようなものは必然である。
必然であれば彼女は受け入れられる強さがあった。
無駄に遠方との取引をしないといけないのと比べれば耐えやすいものだった。
「ブリジット、言葉遣いを気を付けてね。本当にお婆様にマナーとか習ったの?」
「たった数年の付け焼き刃でも、習ったから式典とかでしっかりしているでしょ。……もう一回、学び直せとか言わないでよね」
マーガレットの再教育を受けるのは嫌なのだろう。
彼女は露骨に嫌そうな顔を見せる。
「そんなにきつかった? 僕はそこまでではなかったけど」
「だって、あなたと結婚したいのならしっかり学べって言われて、キューソクイクセーコースとかいうのをやられたわ。あれは……、魔法を使わず山登りをするよりきつかったわね」
ブリジットが体を震わせる。
よほど厳しかったらしい。
アイザックはどんなものか気になったが「じゃあ体験してみる?」とか言われても嫌なので深く掘り下げなかった。
「そうした苦労があって今があるんだ。お婆様に感謝しないとね」
「本当にそうね。おかげで忍耐力も身に付いたわ」
アイザックは「嘘だ!」と言いそうになったが、なんとか耐えた。
(そういえば滅茶苦茶厳しいマナー講座を受けて、怒らずに耐えきったんだよな。それってそれだけ俺と結婚したいと思っていてくれたからって事で……いいんだよな?)
ブリジットは感情的になりやすい。
そんな彼女が癇癪を起こさず、頑張ってマーガレットの教育を受けていたのだ。
それがアイザックと結婚するための努力だと思えば、彼女を否定する気にはなれなかった。
代わりにアイザックは、ブリジットの頭を優しく撫でる。
「僕と結婚するためにお婆様に教えを乞うてくれてありがとう」
「ヘヘッ、どういたしまして」
努力を認められてブリジットが嬉しそうに笑う。
彼女の笑顔を見て、アイザックも幸せな気分になれた。







