839 三十二歳 追いかけてくる過去
「あー、やっと終わった」
ヴィンセントやオーランド伯爵との話が終わったので、アイザックは気が抜ける。
子供の婚約に関する話をするのは、それだけ精神を削られるものだった。
「まだ他の子達が残っていますからね」
「わかってるよ……」
解放感に包まれたアイザックに、パメラがちゃんと釘を刺す。
今回でアルバインとバリーの婚約は決まりそうだが、同行した中ではドウェインがまだ決まっていない。
それに今のペースだと、生まれくる子供のペースに追いつかない可能性が高い。
後宮のまとめ役として一言言っておかねばならなかった。
ただ、ザックとエリザベスの二人とも婚約が決まっているので、彼女には切羽詰まった焦燥感はなかった。
「ボクは陛下の事を信じているからね。きっとドウェインの婚約者も見つけてくれるってね」
アマンダは、アイザックを信じると言った。
彼女がそういう性格ではないとわかっているものの、その言葉に対してパメラは「自分だけ良い子ぶって」と反感を抱く。
それはロレッタやジュディスも同じだったが、彼女達は反感を持つよりもまず「先を越された」と焦り始めた。
「あれほど子供を愛されておられる陛下ですもの。子供を悲しませるような事はしないと私も信じております」
「孫に囲まれて幸せに過ごしている未来……。占うまでもない……」
彼女達もアイザックを信じると言い出した。
普段の態度とは正反対だが、今はアイザックのご機嫌を取って婚約を進めるのが吉と見たのだ。
寵愛を争ういつもの競争に過ぎなかった。
――だが、この日は違った。
(孫に囲まれる、か。それも幸せかもしれないな)
ジュディスの一言が、アイザックの琴線に触れる。
孫に囲まれる幸せは、すでにランドルフが証明していた。
――家族に囲まれて暮らしたいと願っていた。
アイザックが次々に孫を作ってくれているので、彼の願いは叶った。
今ではルシアと共に孫に囲まれて暮らしている。
そんな暮らしも自分もできる。
そう思うと、少しだけ悪くないような気がしてくる。
(みんなが子供を二人産めば四十人以上になる。そう考えると……)
アイザックは子供達にそっくりな孫に囲まれる光景を想像する。
(……悪くないな。いや、でもやっぱり一時的にでも遠くに行ってしまうのが寂しいかも)
何気ないジュディスの一言が、アイザックの心を大きく揺さぶる。
未来に思いを馳せる彼の姿を見て、ジュディスは静かにほくそ笑んだ。
「ですけど急いだほうがいいのは確かです。バリーが元皇族、アルバインも元王族と続けて名家との婚約が続いたら、それなりの家格の貴族は婚約を諦めてしまうでしょう。マルスのように気の合う相手との婚約というのが難しくなるかもしれません」
三人とは違い、リサは警鐘を鳴らす。
皇妃となってもなお、男爵令嬢時代の気分が抜けきらない彼女らしい意見だった。
もしアイザックがパメラ達と結婚してからの求婚であれば、彼女は辞退していただろう。
下級貴族が高位貴族の間に割って入るのは心理的抵抗があるというだけではなく、実家が嫌がらせを受ける危険性もあるからだ。
ニコルのように、相手が誰であろうが押しのけるような者は完全にイレギュラーな存在であって、普通は好きな相手でも距離を置く。
アルバインとバリーの婚約によって、仲の良い相手との婚約が成立しなくなるかもしれない。
彼女はその事を心配していた。
「大きくなればなるほど立場の違いというものを実感するようになるだろうし、子供が小さいうちに相手を見つけてあげたほうがいいよ。小さい頃なら『友達の家はお金持ちでいいな』くらいの認識しかないはずだから」
ティファニーも自分が子供時代の事を思い出したのだろう。
爵位という大きな壁を感じる前に相手を見つけてやるべきだと主張する。
これもアイザックが政略結婚ではなく、子供の幸せを考えた相手選びをしているからこそ言える事だった。
もし政略結婚重視であれば、ティファニーは子供の婚約に関して口出しなどできなかったはずだ。
子供第一のアイザック相手だからこそ言える事である。
「人間って面倒ね。どこの村長の子供と結婚させるか程度の事で揉めるなんてさ。そんなの子供同士が仲良くなれて、生活に困らないだけの甲斐性があればいい話じゃない」
ブリジットが呑気な事を言った。
彼女の子供はまだ生まれたばかりなので、この問題がどこにあるのかを理解していなかった。
「ブリジットさん、婚約者候補はいるんです。ただアイザックが子供を手放したくないとわがままを言うから困っているんです」
「んー……。出産は大変だったけど、その分子供が可愛く思えるから手放したくない気持ちはわかるかな」
「そう言っていられるのも今のうちだけで、子供が大きくなったら困る事になりますよ」
「その時はその時に考えれば大丈夫! 今は大陸各地に散ったエルフとも交流を再開しているし、相手くらいすぐ見つかるって」
「そう、その通り! 世の中意外となんとかなるもんだ」
「…………」
ティファニーとブリジットの会話にアイザックが首を突っ込む。
ブリジットの考えは、アイザックと合致するものだったからだ。
しかし、他の妻達から冷たい視線を向けられたので、それ以上首をつっこむような事は言わなかった。
ブリジットも他のみんなを敵に回すのはまずいと思ったのか、それ以上子供に関する事は話さなかった。
彼女も後宮で過ごすうちに多少は空気を読めるようになっていた。
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会談の間、子供達は親族に相手をしてもらっていた。
先ほどアイザックが想像したように、ランドルフは孫に囲まれて幸せそうにしている。
彼らだけではなく、ウィンザー公爵家やファーティル公爵家、ランカスター侯爵家なども集まっている。
アイザック達が応接間に到着すると、ザック達は弟や妹だけではなく、親族にもお土産を配っていた。
アイザック達が姿を現すと、クレア達が駆け寄ってくる。
「お父様、私も海に行きたい!」
「私も!」
娘達が抱き着いてきて海へ行きたいとねだってくる。
「いいとも。今は戦争中だからもう少し先になるけど、みんなで海に行こうか」
アイザックは一秒かからず了承した。
どうせ遷都するつもりなのだから問題はない。
問題があるとすれば、可愛い盛りなので変な男が近寄って来ないようにプライベートビーチを広く設定しなければならないくらいだろうか。
「海もいいし山もいい。どこか……、そうだな。みんなでウェルロッドとかに行ってみるのもいいか」
アイザックが留守の間にノイアイゼン⇔ウェルロッド⇔帝都の間を繋ぐ鉄道が完成したらしい。
鉄道を敷設し始めて十年ほど。
この世界における鉄の生産量を考えれば早いほうだろう。
機関車も作られているようなので、馬車とは比べ物にならない速さでウェルロッドまでいけるはずだ。
「暖かくなったら、みんなでお出かけしよう」
「お父様大好き!」
あっさりお願いを聞いてくれたので娘達が喜んでくれた。
このまま世界のすべてを与えてやりたい気持ちになったが、世界は子供達で分けてもらわねばならない。
まだここであげるわけにはいかないと必死に我慢する。
「さて、ザック達からもお土産を貰っただろうが、私もお土産を買ってきたんだ。そうだな、まずはパメラから渡そうか」
アイザックは部屋の片隅に置かれた木箱へ向かう。
そこから両手で持てるサイズの木彫りの像を取り出した。
そう、子供達に渋い顔をされたが、他のお土産だけではなく像も買ってきていたのだ。
今のアイザックはお土産を厳選しなければならない一般人ではない。
なんでも買って帰る事のできる皇帝なのだ。
自分が気に入ったお土産も買って帰るくらいどうって事はない。
ザック達は「あーあ、あれを渡すんだ」と心配そうに見守る。
「像のお土産……、嬉しい!」
アマンダが本気で嬉しそうな声を出した事で、ザック達は「えっ!?」と驚く。
「あの日の事を思い出せますね」
「懐かしい……」
ロレッタやジュディスも喜ぶ。
リサやティファニー、ブリジットも喜ぶ。
造形は悪くない。
むしろ素晴らしいものだが、ザック達が学んだ女性の喜ぶ物とは大きくかけ離れるものだ。
なぜそこまで喜ばれるのかがサッパリわからなかった。
(夫婦の絆とか思い出とか、そういう子供にはわからないものなんだろうか? じゃあ、僕達は余計な口出しをしたって事?)
――両親の絆をよく理解していなかった。
その事を彼らは反省する。
――だが彼らが本当に理解していなかったのは絆ではなかった。
「そういえば私にも竜の鱗で作った彫像をくれると嬉しいな。ノイアイゼンで、みんなのお土産に買ったようなやつね」
「……みんな? ボクだけじゃなくて?」
ブリジットの言葉を全員が聞き逃さなかった。
アマンダが呟きながら首をかしげ、他の妻達を見る。
「私も受け取りました」
「私も……」
「実は私も……」
ロレッタ、ジュディス、ティファニーが次々に反応する。
彼女達は竜のウロコで作った彫像を「実質的な結納品」と思っていた。
しかし、それが幻想だったとブリジットの言葉で気づかされる。
アイザックも何かマズイ状況になったと察した。
「いや、あの像はほら。謝罪の品でもあったから……」
「……そうだったね」
「そうでしたけど……」
――自分だけにくれた特別な品物。
そう思っていた物が他の妻達も受け取っていたのだ。
結納の品として受け取ったわけではないので文句は言えないのだが、それでもモヤモヤとした気分になる。
「あっ、私はアンリの様子を見てくるわね。お土産ありがとう」
雰囲気を感じ取ったブリジットは、お土産を受け取ってそそくさと家族のいる場所へ向かう。
「像のお土産は地方の特産品だから、よくあるものでしょう」
パメラは少しだけアイザックをフォローをするが「自分で撒いた種は自分で刈りなさい」と、それだけで終わった。
「アイザックは昔から木彫りの熊の彫像とかをお土産にくれていたものね。これも大切にするね」
リサもフォローはしてくれるが、この状況は当人同士でしかわからない。
彼女も彫像を受け取って家族のところへ向かった。
(この状況をどうしてくれるんだ、ブリジットォォォ!)
残った妻達と正対し、アイザックは気まずい雰囲気の中で立ちすくむ。
その姿を見た子供達は「やっぱりお土産にふさわしくないものだったのでは?」と自信を取り戻していた。







