M三七 魔人、敗走
宿願果たして、勝利を確信していた玄紺おじいさん。
さあ、オマエの罪を数えろ……!
──────────様子がおかしい。
玄紺は、怪訝そうに、眉根を寄せた。
〈妖神〉絶沌が降臨したはずの〈器〉、真理亜の体は、細かく震え続けたままで、動く気配がない。
主である〈神〉、絶沌は、帰還の声を発したあと、
それきり、沈黙したままである。
立ち上がる動きや、続く言葉のひと言もないとは。
なにか手抜かりがあったか、と、玄紺は、停滞した現状の原因を思案しはじめた。
………間違いなく、絶沌様は、復活なされたはず───────。
玄紺が、懸念に近いものを、抱きはじめた時である。
石室を覆い尽くす赤黒い触手群が、一斉に、暴れた動きを見せた。
仮面の男たちの体に巻き付いている触手も同様で、
大きくのたうち回るようにして、荒れ狂いだしている。
その際、男たちは、凄まじい勢いで地面に叩きつけられたり、触手に猛烈な力で
締め付けられるなどして、即死、あるいは瀕死状態になっていた。
なんだっ!? なにが起こっている……!?
千年以上を生き抜いてきた玄紺も、動揺を抑えられない。
〈妖神〉の復活で、触手群が暴走するなど、想定外の事態であった。
自身の肉体を〈屍霊鬼〉化させ、暗黒の魔法を極めた魔人でも、
〈禍威魔〉の〈神〉を御することは、不可能な話である。
対処法を思案することすらできず、暴れる触手群から、身を避け続け、
混沌と化したこの場を、放心気味に見渡すことしかできなかった。
そのうちに、玄紺は、触手群暴走の原因として、ひとつの可能性を思い浮かべる。
まさか!
もしも─────〈器〉となる〈聖女〉の聖性が、
〈妖神〉の邪性を圧倒するほど、はるかに上回っていたとしたら………?
〈妖神〉の魂は、致命傷に近い痛手を負い、悶絶するに違いなかった。
この触手群の動きは、あまりの苦痛に、もがき暴れる姿なのでは────。
……いや、馬鹿な! 童女にそこまでの聖性など、あるわけがない!
玄紺は、おのれの思いついた可能性を、すぐさま否定しようとしたが、
眼前の光景が、逃れようのない現実を、突きつけてくる。
そして、触手群の暴乱が、不意に、ピタリと止まった。
直後、空間が、激震する。
石室から……否、真理亜の体を中心として、無音の大爆震が生じ、その衝撃が、
空間ごと、この巨大洞窟を、震わせたのだった。
その激震から、さらに一拍の間を置いて─────。
真理亜の体を絡め取っている触手が、すべて、爆ぜる。
続けて、石室の中に巣食っていた触手群も、次々と爆ぜていった。
爆散した触手群は、ただの肉塊となって、醜悪に散らばる。
──────それが道理であったが、地面に散り落ちる前に、すべての肉片が、
光の粒子になって、消えていくではないか。
石室からのび出て、仮面の男たちを暴れ襲っていた触手も、同様に、
爆ぜ散ったあと、細かな光の粒となって、消え失せていった。
あたかも、〈聖女〉の聖性の前では、邪悪な存在の痕跡など、
塵ひとつ残すことすら許されぬ、とでも言うかのように。
………………信じられぬ! 絶沌様は、〈禍威魔〉の〈神〉ぞ!?
玄紺は、絶沌の肉体の一部であるはずの触手群が、ことごとく消え失せていく
現実を受け入れられず、恐慌状態を引き起こしかける。
そんな玄紺の目の前に………石室から、現れ出る者があった。
真理亜である。
暗い石室から、黄金の霊光をまとって現れたその体は、直立状態で宙に浮き、
紅玉石色の長い髪は、風もないのに、美しくはためいていた。
玄紺は、その姿にたじろぎ、思わず、わずかに後ずさりしてしまう。
真理亜から発せられる魔力が、〈聖〉属性のものであることを感じ取ったことも
あるが────なにより、その桁外れな魔力量の存在感に、
気圧されてしまったからだ。
黄金の霊光が発せられているのは、真理亜の〈聖〉属性魔力が、開放寸前の
今でさえ、あまりの高出力ゆえに、外界へもれ出てしまっているからである。
さらに、もれ出た魔力は、そのゆらめきだけでも、周囲の空間が歪んで
見えるほど、強烈なものであった。
──────美しい………。
玄紺は、真理亜の存在を畏怖しながらも、その姿に、見惚れてしまいそうになる。
真渡園の屋敷で、初めて目にした時よりも、幼子の美貌は、神々しく、
輝いて見えた。
「…………絶沌様は、逝ってしまわれましたわ─────」
真理亜の口から、ほう、と、吐息がもれる。
「わたくしを、あんなに悦ばせてくれたのは、絶沌様が、
初めてでしたのに………」
心底残念そうに、そんな言葉をもらす真理亜。
玄紺は、その真理亜の表情に、戦慄するしかなかった。
まるで、せっかく手に入れた玩具を、自分の無茶な行為で壊してしまった、
自責と後悔の念に苛まれている子供にしか、見えなかったからである。
やはり、〈聖女〉の聖性が、絶沌様の魂を滅ぼしたのか……!
『自分を喜ばせてくれたのは絶沌様が、初めて』だと───!?
自分との戦闘で、戦いらしい戦いを成しえたのは、〈妖神〉が初めて、
とでも言いたいのか……!?
魂同士の戦いで、〈神〉を下して、そのような児戯のごとき感想を吐けるとは!?
真理亜の残念そうな言いように、玄紺は、いよいよ恐怖を覚えた。
真渡園邸にて、真理亜が初級魔法だけを使い、自分を追い詰めてきた記憶も
相まって、真理亜の〈力〉の底知れなさに、今さら身震いしてしまう。
─────〈聖女〉の〈力〉を見誤っていた。
まさか、〈妖神〉を、戯れ気分で、滅ぼしうるなどとは……!
久しく抱いたことのなかった感情───恐怖に慄く玄紺。
そんな玄紺に、真理亜は、無邪気な微笑みを向けてきた。
「────お爺様は、ずっと、わたくしを悦ばせてくれるのでしょう……?」
おお、その微笑みよ。
その清らかな声よ。
それらは、無邪気にして、妖しい美しさを滲ませている。
〈聖女〉ならぬ、〈魔女〉めいた、妖艶な美しさであった。
「─────────────────────────────!?!?!?」
魔性の微笑と共に送られた言葉を耳にするや、玄紺は、声に成らぬ叫びを上げる。
冗談ではない!!!
この童女は、自分《玄紺》が〈屍霊鬼〉の不死性を持つと知って、
嬲り殺しにするつもりだ────!!!
逃げなければ!!!
必死の思いになった玄紺は、地面に倒れた〈那由他の蛇〉信徒たちの屍、
あるいは瀕死状態の体を、真理亜への目眩ましとして、〈念動〉の魔法を使い、
一斉に投げつけた。
真理亜がそれを捌く隙に、玄紺は、自身の肉体を〈禍威魔〉の霧へと転化させ、
全力で逃げ出す。
千年以上の永き時を生きる魔人としての自負も、〈那由他の蛇〉首領としての
面子も、恥も外聞もない。
あれと真っ向から戦えば、今度こそ、確実に滅ぼされてしまう。
玄紺は、直感と、絶沌が消滅させられたという事実から、そう判断していた。
〈聖女〉である真理亜と、正面切って戦うという選択肢は、
今後もありえないだろう。
あの初級魔法の威力、あの〈聖〉属性の魔力量。
〈聖女〉と戦って下すには、絡め手しかあるまい。
真理亜の、幼い心を責めるのだ。
────美摩とその娘が、真理亜の心に付け入る人質として、有効だろう。
こんなことになるならば、美摩を人質として、一緒に拉致しておくべきだった。
玄紺は、必死に逃げつつ思案を巡らせ、今さらながらに、そう歯噛みする。
………地の利はこちらにある。
真理亜に追いつかれることはない。
これからでも、真渡園邸に戻り、美摩を手の内に収めておくか────────。
玄紺が、頭の中でこれからの策を練り始めた時、洞窟の出口近くにたどり着いた。
そこで、玄紺は、驚愕する。
銀色の霊的武装をまとった美摩が、布に覆われた杖を向けて、
待ち構えていたのだ……!
美摩姐さんのターン!
玄紺、報いを受ける時がキタ!(・∀・)




