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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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黒檻の番地

しばらく不定期更新で進みます。

受入室の小炉が最後の炭を鳴らした。


 シリルが保存袋の口を細紐で結び終えると、扉のほうを向いた。


「書庫へ戻ります」


 短い言葉だった。説明はない。けれど意味はわかった。焦げた包紙に残った文字――黒檻台帳控、王立預り分。控えが王立管理なら本冊は屋敷の外へ出ていない可能性が高い。そしてまだ降りていない場所が一箇所ある。


「螺旋階段の下端を確認する必要があります」


「塞いでいなかった、ということ」


「ええ」


 それだけだった。若い局員が先行する。受入室の薬草の甘苦さが、廊下の冷気に少しずつ溶けていった。



 東棟へ向かう廊下は、北離れより照明が薄かった。絨毯の毛足も薄くなり、窓の装飾も落ちる。石の継ぎ目に残った埃払いの跡が、昨日より新しい。誰かが最近、この道を念入りに整えている。


 西塔の入口に局員が一人立っていた。こちらへ気づいて前へ出る。


「外の封印は無事です。ですが――」


 視線がシリルへ移る。


「中の棚の位置が、朝の記録と少し違います」


 シリルが封印札を確認した。青い紋は木目に完全に沈んでいる。外から手が加わった跡はない。


 扉を開けた瞬間、空気の密度が変わった。本と乾いた木の匂いは同じだった。けれど底に別のものが混じっている。密閉された書庫ではなく、数時間以内に誰かが呼吸していた部屋の匂いだ。


 奥の一角へ目が向いた。


 黒革の書架が、数寸だけずれていた。


 昨日シリルが滑走紋で動かし戻したときの位置から、ほんのわずか。扉から凝視しなければ気づかないかもしれない。格子扉の錠前には手つかずの埃が残っているのに、扉そのものの立て付けが微妙に狂っている。内側から圧が加わったときの歪み方だ。


「格子の錠は無事です」


 シリルが布越しに確認しながら言う。


「外から入った者はいない」


「裏から来た」


 声が先に出た。


 シリルが滑走紋へ掌をかざす。金属の噛み合う音が一度。書架が横へ動き、開口部が口を開けた。昨夜と同じ湿った石の匂いが吐き出される。


 螺旋階段の上端に、三枚の封印札が重なっている。青い紋は無事だった。上から手を加えた形跡はない。


 ただし一段目の踏み面に、新しい泥の跡があった。


 上へ向かってきた靴型だ。しかも二人分、往復が重なっている。


 若い局員が息を止めた。


「下端は昨日から塞いでいません」


 シリルの声は平坦だった。


「上端だけ封じても、下を知る者には意味がない。上がってきて、書庫を探し、また戻った」


 踏み面に重なった靴型を見つめる。行きと戻りで向きを変えた同じ形。丁寧に来て、丁寧に帰った跡だ。急いで逃げた跡ではない。目当てのものを持ち出して、落ち着いて引き上げた者の足取りだ。


「搬送路と繋がっている可能性があります」


 自分でも驚くほど静かな声が出た。


「北庭裏の偽壁の先と、この下が。まだ確認できていない区間がある」


 シリルは否定しなかった。片眼鏡の青光が石段の縁を一度だけ舐め、消えた。



 書架を戻して棚を改める。


 四段目に隙間があった。一冊分、本が抜けている。両端の本は薄く埃をかぶっているが、隙間の両端だけ払われていた。定期的に抜き差しされた跡だ。保管のためではなく、読む目的で置かれていた一冊の痕だった。


「ここから何かを持ち出した」


「本の厚みと隙間の幅からすると、帳面の類です」


 シリルが布越しに隙間の奥を確認する。壁に本の背が繰り返し当たってできた薄い窪みがある。


 言葉にしなくても、お互いに同じものを思っているのがわかった。


 作業台へ移る。書類の束が崩れ、端が垂れている。紙の向きが乱れているが、束の輪郭は残っていた。誰かが整えようとして途中でやめた形だ。急いで引いたのではなく、余分なことに手をつけかけて時間が足りなかった跡だ。


 束の下に、紙とは違う感触のものが一枚混じっていた。


 薄い板片だった。木材に何かを焼きつけた記録板の一種だ。表面に図形が刻まれている。直線と斜線の組み合わせ、端に短い縦線が二本。


 手が止まった。


 知っている、という感触だった。像ではない。骨の奥から来る馴染みだ。現代の職場で、見慣れた書式の紙を見た瞬間にどこの部署のものかわかる、あの感覚に近い。見たことがある。いつ、どこで、そこだけが来ない。


((どこかで、この形を))


 又切れ端みたいな声が落ちてくる。自分のものではなかった。あるいは自分の中の、まだ輪郭を取り戻していない部分の声だった。


「この記号」


「局の印とも公爵家の印とも一致しません」


 シリルが片眼鏡の光を記録板の溝に走らせた。青い光が図形の縁を丁寧に辿る。


「管轄区分のための印に見えます。ただしどこの」


「知っている気がする。理由はまだ言えない」


「形になったら言ってください」


 それだけで切り上げた。断片を急かさない。その判断の仕方が今のところ一番信用できる理由だった。


 シリルが布越しに記録板を保存袋へ収めた。



 書庫を出ると、グレゴールが廊下の角で待っていた。杖を両手に握り、油灯を足元に寄せている。書庫の調査が終わるまで動かなかった老執事の顔だ。


「記録板が出てきました」


 シリルが保存袋を開き、布越しに見せる。グレゴールの目が板の上を一度だけ辿った。顎の辺りが動く。


「存じません」


 一呼吸の間があった。


「ただ――旦那様が何年か前、帳簿の表紙の裏にこれに似た形を書きこんでいるのを見たことがございます。一度だけ、扉が開いた瞬間に目に入っただけで」


「どの帳簿ですか」


「書斎の、封鎖された書斎でございます。旦那様が亡くなられる前まで手をつけておられた古い帳面が一冊。鍵は最後まで誰にも渡されませんでした」


 シリルの横顔が硬くなった。


 封鎖された書斎。局員が扉の前に立っている部屋だ。搬送路と螺旋階段の下端が繋がっているなら、そちらから書斎へ至る経路があるかもしれない。昨夜の侵入者も同じことを考えた可能性がある。台帳の本冊を持ち出して、次の目的地が書斎だったなら。


「今夜は一度戻ります」


 シリルが短く告げた。


「書斎は明朝、正規の手続きで入ります。記録板の照合先を整えてからでないと、入っても読めない可能性が高い」


「正規で入ったとき、帳簿が残っている保証は」


「ありません」


 断言だった。


「ただ今夜侵入すれば証拠として使えなくなります。昨夜の侵入者が書斎へも手を伸ばしているなら、その痕跡ごと記録する。それが今できる最善です」



 屋敷の中廊下を引き返しながら、頭の中で経路を引き直していた。


 書庫の下、螺旋階段の先。搬送路の未確認区間。北庭裏の偽壁の向こうに残っていた二種類の轍。それぞれの端が、まだ繋がっていない。


 台帳の本冊が持ち出されたとすれば、今夜のうちに屋敷の外へ出た可能性がある。庭裏の轍の先に、今夜も誰かが来ていたとすれば。


「シリル」


 並んで歩く彼を呼ぶ。


「螺旋階段を降りるのはいつになりますか」


「書斎の照合が終わった後。絵図を持ってから降りる」


「後手になる」


「いまの情報量で降りても読める量が少ない。後手でも地図を持った方がいい」


 腹が立つほど合理的だった。けれどその順番の立て方が、今のところ最も信用できる理由でもある。


 廊下の窓から外を見ると、雪はまだ降り続けていた。昼間に刻んだ庭裏の轍の跡は、今頃また白く埋もれかけているだろう。


 消える前に、次の跡を踏む。それだけを考えていれば、今夜は足りる。


 手首の監視札が、窓明かりを受けてかすかに鳴った。枷ではなく、楔だと思う気持ちは、まだ今日から来たばかりだった。

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