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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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21/50

扉の外へ

しばらく不定期更新で進みます。

監視札が外れたのは夜明け直後だった。


シリルが来た。外套の肩にわずかな水気があった。今朝も早くから動いていた証拠だった。


「外します」


手首を差し出した。シリルの指が当たった。低く短い言葉を言った。白い帯がゆっくりと光を失い、するりと落ちた。床の石に音もなく触れた。


手首を裏返して確かめた。薄い白い跡が一周残っていた。


「数日で消えます」


「わかりました」


扉が開いていた。廊下が見えた。石の廊下だった。窓もなく、どこにでもある廊下だった。これまでも見えていた。だが今日は、踏み出せる廊下だった。


一歩出た。廊下の空気が入ってきた。冷えた石の匂いがした。遠くで使用人が話す声があった。屋敷の普通の朝だった。


窓のある廊下に出た。庭の緑が朝の光を受けていた。外の空気が窓の隙間から入ってきた。数日ぶりだった。


肺に入ると、何かが変わった。何かが、少しだけ戻ってきた気がした。



食堂でシリルと向かい合った。


「正式な協力者として局が認定します」とシリルが言った。「条件があります」


「聞きます」


「捜査官の指示に従うこと。証拠の単独持ち出しは禁止。危険な接触は必ず報告すること」


「守ります」


「もう一つ」


少し間があった。


「局の名前を使って独自に動かないこと。あなたが掴んだ何かが、局の調査方向と矛盾する可能性があります。そのとき、先に私に言ってください」


「了解しました」


シリルがカップを持ったまま、少し傾けた。飲まなかった。


「管財人の上にいる者について、今日何がわかっていますか」


「台帳の印章は、現在の王立組織のどの印章とも一致しません」とシリルが言った。「意図的に除外されているか、公式に存在しない組織の印章か。どちらかです」


「印章を特定するには同じ印章を持つ別の文書が必要です。あるいは印章の登録簿。非公式なら登録簿は存在しない」


「その通りです」


「文書なら、場所があります」


シリルが一瞬だけ動きを止めた。


「評議会の非公式書架のことです。十歳のころ、父に連れられて評議会棟に入ったとき——父の友人が話していました。話すつもりではなかったらしく、私に気づいてから口を閉じました。だから覚えています」


この記憶は確かだった。令嬢の身体の中でも、輪郭がはっきりしている記憶があった。これはそのひとつだった。


シリルが指を機の上で組んだ。


「評議会の非公式書架については局も把握しています。ただし内部に何が保管されているかは把握できていない。踏み込むには評議会の承認が必要です」


「私なら入れます。父の議席を使えば」


「父君との関係は」


「よくありません」シリルの顔を見た。「三年以上、この屋敷を訪ねていません。それが答えになると思います」


シリルが少し目を落とした。


「書架への入室には、議席保有者本人の同行か、委任状が必要です」


「父に直接頼みに行きます」


「今日でも」


「今日の午後にでも。問題がありますか」


シリルが少し息を整えた。意外そうではなかった。何かを決めるような間だった。


「移動の手配は私がします。同行します」



午前中、グレゴールを呼んだ。


証言を終えた老執事の背筋は昨日より少し伸びていた。疲れは残っていたが、動ける疲れだった。


「管財人がこの屋敷に来る前の履歴を調べていただけますか。入ってくる前の仕事。人脈。誰が推薦したのかも含めて」


グレゴールが少し考えた。指が前で重なった。


「推薦者については当時の書類があるはずです。ただし書庫の管理が管財人の手に渡ってから、書類の配置が変わっています」


「どこにあるか心当たりは」


「もともとは第二書庫の東棚にありました。今もそこにあるかどうか」


「確認をお願いします。書類が消えていれば、それも教えてください」


グレゴールが頷いた。迷いはなかった。


「もう一つ——管財人が定期的に接触していた外部の人物はいますか」


老執事の目が少し遠くなった。記憶を辿る目だった。


「月に一度、馬車を呼んでいました。南区の方面だと御者が言っていました」


「御者はまだ屋敷に」


「います」


「昼食後に話を聞かせてください」



御者のヴィルが来たのは昼前だった。


四十代の半ば。日焼けして、目の細い男だった。手に皮の跡があった。長く馬を扱ってきた手だった。座ることを遠慮して、立ったまま話した。


「南区の医療街の近くです。書家が多い一帯で、写し屋の並びがある。その中の一軒に、たびたびお届けに」


「何を届けに」


「書類を持って行くことが多かったです。管財人様が自分で持ち込むこともありましたが、急ぎの時は私が預かりました」


「封はしてあったか」


「してありました」


「表書きは」


ヴィルが少し考えた。


「宛名はありませんでした。記号のようなものが一行だけ書かれていました」


「記号」


「横棒と縦棒を組み合わせたようなもので。数字とも文字とも違いました」


「書いてもらえますか」


紙とペンを差し出した。ヴィルが少し迷って、書いた。


横棒と縦棒が斜めに交差する図形だった。角度が急で、交差点から右下に向かって短い横線が添えられていた。算用数字ではなかった。


「これで全部ですか」


「これだけです」


「ありがとうございました」


ヴィルが出て行ってから、紙を手に取った。


台帳の印章と同系統かもしれなかった。わからなかった。だがわからないことは調べられる。


紙を折りたたんで、上着の内側に入れた。



午後、シリルが馬車を用意した。


「父君との会話が終わったら、すぐに知らせてください。委任状だけが目的です」とシリルが言った。


「わかっています」


馬車が動き出した。石畳が揺れを伝えた。街が窓から流れた。


頭の中を整理した。


父は感情より利益で動く。——これは令嬢の記憶から引き出した判断だった。記憶の端に、父の声がいくつか残っていた。感情を表に出さない声だった。怒鳴ることも褒めることも、なかった。要求が届き、承諾か拒否かだけが返ってくる声だった。


台帳に評議会の議員名が含まれているとすれば——父の関係者かもしれない。あるいは父自身が台帳と無関係だという保証もない。どちらでもあり得た。だから測りながら話すしかなかった。


「一つ確認してよいですか」と馬車の揺れの中でシリルが言った。


「何を」


「父君は台帳と無関係だと判断していますか」


窓の外を見た。


「判断していません。会って話す理由の一つはそれです」


シリルが何も言わなかった。



門柱に家紋が彫られていた。


令嬢の身体の中に、この紋章を見た記憶があった。だが記憶の中の紋章と、今目の前にある石の紋章は、違う重さを持っていた。記憶は薄かった。石は今日の光の中にあった。


門番がレティシアの顔を見て、少し止まった。通した。


石畳を踏んだ。シリルが数歩後ろで立ち止まった。


「中で待ちます」


一人で玄関へ向かった。扉が開いた。執事が顔を出した。驚いた顔をして、すぐに顔を整えた。


「お嬢様」


「父はいますか」


「書斎に。ご連絡がなかったので、お待ちではありませんが」


「少しだけ時間をいただきたいと伝えてください」


執事が引っ込んだ。廊下に立ったまま待った。天井が高かった。令嬢の記憶にある廊下と、目の前の廊下が重なった。重なりはしたが、一致しなかった。記憶は断片的だった。自分が今立っている廊下の方が、より鮮明だった。



書斎の扉を開けた。


父が機の前に座っていた。五十代の半ば。白髪が増えていたが、姿勢は変わっていなかった。書類に目を落としていて、入ってきたレティシアをすぐには見なかった。


「座りなさい」


椅子を引いて座った。


父が書類を閉じた。顔を上げた。目が少し動いた。令嬢の記憶の中の目と同じだった。何かを測る目だった。


「久しぶりだ」


「はい」


「昨日まで監視下にあったと聞いた」


「今朝、外れました」


「捜査局がここに来た。君に関する確認があると言って」


「局はどんなことを聞いていきましたか」


父が少し止まった。


「娘が何か問題を起こしたか、という確認だった」


「問題は起こしていません。解いていました」


また間があった。


父の顔を見た。驚きではなかった。反論でもなかった。何かを聞こうとしている顔だった。


「用件を言いなさい」と父が言った。


「評議会の書架への入室許可が必要です。委任状を出していただけますか」


父が少し眉を動かした。


「何のために」


「調査のためです。捜査局が踏み込めない場所に、証拠があるかもしれません」


「私の議席を使って、捜査局の仕事を代わりにする、と」


「そういう形です」


父がしばらく動かなかった。機の上に手が置かれていた。


「書架に何があると思っている」


「非公式な取引の記録です。台帳と同じ印章を持つ文書があれば、組織の正体が見えてきます」


「台帳」


父の声が少し変わった。音程が変わったわけではなかった。早くなったわけでもなかった。ただ空気が変わった。


知っている。台帳のことを、知っている。


「台帳に、お父様の名前は出ていますか」


父が少し止まった。長い間だった。


「出ていない」


「しかし台帳の存在は知っていた」


また間があった。さらに長かった。


「三年前に、誰かから名前が使われる可能性があると聞いた。断った。それだけだ」


「誰から聞きましたか」


父が目を細めた。


「今日ここに来た目的は、委任状だけか」


「委任状と——あなたが知っていることを教えていただくこと、です」


書斎が静かになった。窓の外で風が木を揺らした。揺れが収まった。


父が書類を引き出しに入れた。ゆっくりとした動作だった。考えている動作だった。


「委任状は出す」と父が言った。「条件として、今日ここで私が話すことは、局の正式な書類には残さないこと」


「それは約束できません。捜査に関係する情報は、担当官に報告する義務があります」


「なら、話すことは何もない」


「ただし——」


少し間を置いた。


「今日の話を、私が理解した文脈として解釈し、担当官に渡すことはできます。出所が誰であるかを特定せずに」


父が少し目を細めた。


「それで構わない」


「では聞きます。三年前、誰から台帳の話を聞きましたか」


父が答えた。


答えた名前は、レティシアが今日まで一度も聞いたことのない名前だった。令嬢の記憶にも、なかった。



父の屋敷を出て、馬車に戻った。


シリルが中で待っていた。レティシアが座ると、少し身を前に傾けた。


「委任状は」


「もらえます。明日には届けてもらえると」


「それ以外に何か」


「一つ、名前を聞きました」


シリルが静かに待った。


「その名前をあなたに渡します。ただし出所は言えません」


「わかりました」


紙に名前を書いた。折りたたんでシリルに渡した。


シリルが開いた。名前を見た。


一瞬、目が止まった。一瞬だけ。すぐに表情が戻った。戻り方が、少し速かった。


「知っている名前ですか」とレティシアは聞いた。


「調べます」


「知っている名前です」


シリルが答えなかった。答えないことが答えだった。


馬車が動き出した。窓の外に街が流れた。父の屋敷が遠ざかった。


台帳の印章から、御者の証言、記号、父の過去の接触、そして今シリルが知っている名前。一日で、線が伸びた。


まだ霧の中だった。だがその霧に、今日初めて輪郭が見えた。



夜、自室の機に戻った。


紙を広げた。書いた。


 *台帳の印章=非公式組織の印章(可能性高)*

 *南区の写し屋=定期的な書類の受け渡し先*

 *御者が目にした記号=印章と同系統の可能性*

 *評議会の非公式書架=委任状取得済み・明日以降アクセス可能*

 *新たな名前=シリルが知っている、台帳の中心に繋がる可能性*


五行だった。朝の三行より二行増えていた。


ペンを置いた。


窓の外が暗くなっていた。遠くで風の音がした。


今日一日で、扉が二枚開いた。監視の部屋を出た扉と、父の書斎の扉。どちらも、開く前は閉じていた。開けたのは自分だった。


明日、書架に入る。


線の先が、また少し見えた。

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