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転移先は密室殺人事件の渦中!? 悪役令嬢に憑依した私が、魔法世界で異能力探偵になります   作者: 堀吉 蔵人


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プロローグ

はじめまして ? またお会いしましたね? 堀吉蔵人と申します。

この作品をお読みいただきありがとうございます !


悪役令嬢 × ミステリー× 密室 です。是非楽しんで読んでいただけると幸いです。

指先に絡みつくぬめりで、レティシアは目を覚ました。


 冷たいのに、粘る。


 呼吸と一緒に鉄の匂いが肺へ落ちてくる。喉の奥がひりつき、胃の底が遅れて縮みあがった。彼女は反射的に身を起こし、自分の両手を見た。白い手袋が、手首の方まで真紅に濡れている。血だった。


 青い絨毯の上に、男が倒れていた。


 濃紺の上着。乱れた金茶の髪。喉はひきつり、目はもう何も映していない。胸には銀の細い刃が深く沈み、柄もとに黒ずんだ血がこびりついていた。部屋は暖炉の火が落ちかけていて薄暗い。それでも、死だけははっきり見えた。


「っ……」


 声がうまく出ない。


 昨夜まで、自分は終電間際の電車にいたはずだった。つり革の揺れ、スマートフォンの青白い光、紙コップの冷めたコーヒー。残業帰りのくたびれた身体ごと、そんな日常の中にいた。なのに、いま腰を締めつけているのは硬いコルセットで、視界の端に揺れるのは絹の袖だ。


 壁一面の鏡に、知らない少女が映っていた。


 蜂蜜色の髪がほどけ、青白い頬に血の飛沫が散っている。磨き抜かれた人形みたいな顔立ち。そのくせ目だけが怯えきっていた。鏡の向こうの娘が自分の動きに合わせて息を呑むのを見て、レティシアはようやく、自分がその顔の内側にいるのだと理解した。


 扉が激しく叩かれた。


「レティシア様! 中で何がありました!」


 その名に、胸の奥が鈍く痛んだ。レティシア。自分ではない誰かの名前。けれどそれは、いまの彼女を指す呼び名でもあるらしい。


 立ち上がろうとして、裾を踏みそうになる。広がるスカートがもつれ、革靴ではなく華奢な踵がふらついた。身体の使い方さえ馴染まない。しかも最悪の場所で目覚めてしまった。


 扉の外で、複数の足音が重なった。


「鍵が開きません!」

「封鎖紋は?」

「維持されています! 窓も塞がったままです!」


 そのやりとりと一緒に、別の声が耳の奥へ滑り込んでくる。


((どうして、よりによってここで))


((本当に刺したのかしら))


((密室だ。言い逃れなんて))


 レティシアははっと顔を上げた。誰も部屋に入っていない。扉の向こうにいる人間の声ではない。短い文が、感情の温度を帯びたまま頭の内側へ落ちてくる。耳で聞くのとも、自分で考えるのとも違う。むき出しの不安や嫌悪だけが、そのまま言葉になっていた。


 窓辺へ駆け寄る。分厚い硝子の向こうは吹雪だった。黒い庭木に雪が横殴りに叩きつけられ、夜の名残のような空が白くけぶっている。窓枠には淡青い紋様が幾何学模様の帯になって走り、触れた指をぴりりと弾いた。


 封鎖魔法。


 知らないはずの言葉が、なぜか喉の裏にあった。窓は塞がれ、扉は施錠され、室内には死体と自分だけ。状況の意味だけは、この世界の常識を知らなくてもわかる。犯人扱いされるには十分すぎた。


 重い衝撃音が響いた。錠前が軋み、二度目で蝶番が悲鳴を上げ、三度目で扉が内側へ跳ねる。


 先頭にいた青年だけが敷居を越えた。


 黒い外套の肩に雪を残し、長靴の先で足場を確かめるように止まる。鋼色の目が一瞬で室内を撫でた。血の付いた彼女の手。倒れた男。窓の封鎖紋。壊れた錠前。眺めたというより、証拠を並べ替えたような視線だった。


「全員、そこから先へ入るな」


 低く短い命令で、後ろの使用人たちが息を呑んで立ち止まる。青年は死体のそばに膝をついた。銀枠の片眼鏡に青い光が灯る。魔道具なのだと直感した瞬間、あれを向けられたくないという生理的な嫌悪が走った。


「王立魔法捜査局、シリル・ハートウェル」


 名乗りながら、彼はまだ彼女を見ない。死体の瞼、胸元の傷、指先の硬直を順番に確かめ、それからやっと鋭い目を上げた。


「説明を、公爵令嬢」


 公爵令嬢。その呼び方に、また頭の奥が痛んだ。薔薇の意匠が入った扇。大広間の冷笑。泣き顔の侍女。誰かを見下ろす自分の白い手。断片ばかりが弾ける。記憶は霧のように薄いのに、ひとつだけ確かなことがあった。


 この身体の持ち主は、ひどく嫌われている。


((また癇癪を起こしたのね))


((夕食の席であれだけ揉めておいて))


((前からルーファス様を目の敵にしていたもの))


 彼女は視線だけで床の男を確かめた。ルーファス。それが被害者の名なのだろう。情報は途切れ途切れなのに、周囲の悪意だけは濁りなく流れ込んでくる。


「私にも、何が起きたのか……」


 言いかけて、喉が詰まった。正直に話したところで信じられるはずがない。昨日まで日本で会社員をしていた人間が、目覚めたら公爵令嬢の身体にいて、密室の死体の隣にいました。そんな告白は、潔白の証明どころか狂人扱いの材料になる。


 シリルは無駄な相槌を打たなかった。片眼鏡の光を壊れた扉へ向け、鍵穴と内側の床を確かめる。


「施錠は内側」


 つづいて窓の紋様を見やる。


「封鎖魔法は維持されたまま」


 彼の声は静かなのに、部屋の温度をさらに下げた。


「ルーファス・グレイはこの部屋で死亡。現場にいたのはあなた一人。現時点で、もっとも疑われる立場にあることは理解しているはずです」


 理解している。嫌になるほど。


 この世界の法律など知らない。それでも、ここが証拠より評判で人を裁く場所だということだけは、周囲からこぼれる声で十分伝わった。悪評を背負った令嬢。密室。血に濡れた手。処罰を決めるには、これで足りてしまう。


 息を整えようとして、ふと視界の端に丸卓が入った。ワイングラスが一脚。縁には飲み跡が残り、底には濁った琥珀色がわずかに揺れている。その脇で燭台の蝋が片側だけ多く垂れ、床に細い赤い糸が落ちていた。絨毯の青にまぎれて目立たないほど細い。


 違和感が、恐怖より先に立った。


 レティシアは死体のそばへ膝をつく。


「動かないでいただきたい」


「見ればわかることがあります」


 声は不思議なくらい震えなかった。膝の裏では脈が暴れているのに、頭の芯だけが急に冷えていく。前の人生で、修羅場の締切前だけ妙に集中できたのと同じ感覚だった。


 ルーファスの顔は蝋細工みたいに白い。唇には青みが差し、爪の際にも暗い色が沈んでいる。胸の傷は深いのに、絨毯へ広がった血は少なすぎた。刃の周りの血も、噴き出したというより貼りついたように見える。


 救命講習の映像が脳裏をかすめる。心臓が動いている身体と、止まった身体。流れ出る血の勢いは同じではない。


「この傷が最初なら、もっと血が出るはずよ」


 シリルの視線がわずかに細くなった。


「続けて」


「唇の色も悪い。刺される前に、別の要因で弱っていたか、死んでいた可能性があるわ」


 後ろで誰かが息を呑んだ。


((毒?))


((そんな……))


((でも、確かに血が))


 シリルは黙ったままルーファスの顎を持ち上げ、首筋へ片眼鏡の光を走らせた。ほんの数秒の沈黙だったのに、部屋じゅうの鼓動が止まったみたいに長く感じる。


「致命傷の断定は保留する」


 たったそれだけで、敷居の外の空気が変わる。彼女を断罪していた視線に、はじめて揺らぎが混じった。


 レティシアはもう一度、扉の方を見る。壊れた錠前の近くにも赤い糸が一本絡み、鍵穴の縁には新しい擦り傷が残っていた。蝋の粒も小さくひとつ落ちている。


 それらが線でつながるまで、一息もいらなかった。


「密室でもないわ」


 数人が同時にざわめく。シリルは制止も否定もせず、ただ彼女を見た。その沈黙は続きを促す沈黙だった。


「鍵を見せて」


 床に落ちた鍵は古い意匠の真鍮製で、頭に細い穴が通っていた。装飾のためか、紐をつけるためかは知らない。ただ、この形なら細糸を通せる。


 レティシアは自分の髪を留めていた細いリボンをほどいた。指先がまだ少し血で滑る。


「たとえば、ここに糸を通す」


 鍵の穴へリボンをくぐらせ、輪を作って見せる。


「外から鍵を回したあと、抜けないよう一時的に固定する。蝋でも樹脂でもいい。最後に強く引けば、固定だけが割れて糸は戻る。鍵は部屋の内側へ落ちる」


 壊れた扉の前まで歩き、鍵穴の縁を爪先で示した。


「急いで引いたなら、こういう擦り傷が残るわ」


 沈黙が、今度ははっきり意味を変えた。先ほどまで彼女を閉じこめていた密室の輪郭が、音もなくひび割れていく。


「即興にしては筋が通っている」


 シリルの声には警戒が残っていたが、断定の色は薄れていた。


「即興よ。ここで犯人にされるのは困るもの」


「困る、で済む立場ではないでしょう」


「だから言っているの。私はこの部屋で目を覚ましただけ。誰かが私を犯人に見せたかったなら、なおさら時間を無駄にできない」


 言葉にした瞬間、その可能性が自分の中でくっきり形を持った。偶然巻き込まれたのではない。血のついた手袋も、最悪の現場で意識を取り戻したことも、誰かの悪意に並べられた配置だ。


((最初からレティシア様に罪を着せる気だったのか))


((だったら、屋敷の中の人間が))


((余計にまずい))


 彼女の能力は、耳障りなほど鮮明だった。感情が強く動いた瞬間だけ、心の断片が勝手に言葉になるらしい。便利なのか厄介なのか、まだ判断はつかない。ただ、いまは拾えるものを拾うしかない。


 シリルが立ち上がる。


「あなたが真犯人でない可能性は出た。それでも重要参考人である事実は変わりません」


「承知しているわ」


 虚勢だった。承知しているのは、ここで怯えを見せたら終わるということだけだ。


「なら取引をしましょう」


 レティシアは血に濡れた手袋を外し、絨毯の端へ置いた。現れた素手は、驚くほど白く、指先だけが小刻みに震えている。


「私に現場を見せて。監視付きで構わない。逃げられないよう札でも鎖でもつければいい。その代わり、犯人を見つける機会をちょうだい」


 敷居の外で小さく笑う気配がした。


((身の程知らず))


((レティシア様が捜査を?))


((でも……このまま処断して済む話なのか))


 シリルだけは笑わなかった。鋼色の目が、彼女の顔をはじめて真正面から計る。


「日暮れまでです」


「短いわね」


「あなたの立場に、贅沢を言う余裕があると?」


 返す言葉がない。だが、日暮れまででもゼロよりましだった。


 シリルは部下へ二、三の指示を飛ばし、現場保存と検視の準備を命じる。使用人たちが怯えたように道をあけ、担架が運び込まれた。ルーファスの身体が持ち上げられたとき、左袖がわずかに捲れる。


 手首の内側に、黒い印があった。


 煤で描いたみたいな細線が格子を作り、その中央に、潰れた王冠に似た紋が押されている。ただの痣には見えない。見た瞬間、肌の内側が冷えた。


((黒檻の印だ))


((写しは焼いたはずなのに))


((まずい、まだ終わっていない))


 強い動揺が一斉に流れ込み、レティシアは反射的に顔を上げた。敷居の外にいた白手袋の老執事が、蒼白になって死体の手首を見つめている。年老いたのに背筋は折れていない。その男だけが、悲鳴ではなく絶望を呑み込む顔をしていた。


「いま、なんと」


 口が先に動いた。


 老執事ははっとして唇を結ぶ。しかし遅かった。シリルもまた、その印を見た瞬間だけあからさまに顔色を変えていた。


「公爵令嬢」


 低い声に、先ほどまでと違う重みが宿る。


「これは遊戯ではない。黒檻が絡むなら、屋敷の内輪揉めでは済みません」


「もう首まで浸かっているわ」


 自分でも驚くほど即答だった。床の血が靴裏でぬるく滑る。退く場所など、最初からひとつもない。


 シリルは一拍だけ彼女を見つめ、それから部下に顎をしゃくった。若い局員が札のついた銀鎖を持って進み出る。


「監視札です。逃走防止と行動記録を兼ねる」


 冷たい札が手首に触れた途端、針を打ち込まれたような痛みが走った。思わず息を呑む。白い肌の上に淡い光の輪が閉じ、すぐに見えなくなる。だが拘束された感覚だけは残った。


「無断で一定距離を離れれば、痛みが増します」


「親切な説明をどうも」


 強がりの言葉に、局員は眉ひとつ動かさなかった。代わりにシリルが外套の襟を整え、壊れた扉の向こうを見やる。


「西塔の書庫へ向かいます。被害者が昨夜、最後に立ち寄った場所です」


 西塔。


 その響きに、レティシアの記憶の底で何かが軋んだ。石造りの廊下。鍵束の音。燃える紙の匂い。けれど掴む前に霧散する。


 雪混じりの風が廊下から吹き込み、血と蝋の匂いを薄めていく。彼女は部屋を振り返った。青い絨毯、倒れた燭台、丸卓のワイン、割れた密室。その中心に、自分の知らない誰かの悪意がまだくっきり残っている。


 犯人にされる前に、真犯人を見つける。


 それがいまの自分に許された、唯一の生存方法だった。


 手首に残る痛みを握りしめるようにして、レティシアは西塔へ続く廊下へ足を踏み出した。

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