第四話 安眠聖女、その後の伝説
あの伝説の「全員爆睡結婚式」から数年。 紬の名は、聖女としての輝かしい功績以上に、人類が数千年かけても到達できなかった**「完全なる休息の守護者」**として、大陸全土に轟いていた。
かつての王都ルミナリスは、今や「安眠の都」へとその姿を変えている。 街の広場には、剣を振るう勇者の像ではなく、枕を抱いて穏やかに微笑む紬の銅像が建立された。驚くべきことに、その銅像の周囲には紬が込めた微弱な魔力が残留しており、不眠に悩む者がその像に触れるだけで、数分後にはベンチで幸せな寝息を立て始めるという。前世で、殺伐としたオフィス街にポツンと置かれていた「癒やしの観葉植物」とは比較にならないほどの物理的・精神的救済が、そこにはあった。
「……君’の伝説は、僕の国政よりもずっと効率的に世界を平和にしているよ」
王宮の執務室で、シリル王子は窓の外を見つめながら独りごちた。 彼は今、病床の父に代わり摂政として国を動かしているが、過労で倒れることは一度もない。机の傍らには、紬から毎月届く「北の森の特製安眠アロマ」と、彼女が監修した「自律神経を整える公文書」が置かれているからだ。シリルは時折、北の地を想い、贅沢な「有給休暇」を勝ち取った彼女に、一通の予約希望(ラブレターに近いもの)を書き送るのが日課となっていた。
一方、最果ての修養所に送られた元第一王子、エドワード。 彼は今、意外な姿で人々の前にいた。かつての傲慢さは消え失せ、その目は驚くほど澄んでいる。彼は紬に施された「究極のトリートメント」を経て、自分がどれほど孤独で疲れていたかを理解した。 現在は、自身の経験を活かした**『安眠哲学:なぜ我々は寝るべきなのか』**という分厚い論文を執筆し、かつての自分のように無理を重ねる若者たちに「寝ろ、話はそれからだ」と説いて回る、安眠教の伝道師のようになっていた。
そして、世界で最も平和で静かな場所となったフェルゼン領。 そこには「巡礼者」という名の不眠症患者たちが、世界中から絶え間なく訪れていた。
「……奥様、また予約外の客が門前に。隣国の王族だそうです」
「いいわよ、カイル。外に『安眠の霧』を多めに散布しておいて。とりあえず一晩寝て、頭を冷やしてから話しなさいって伝えて」
そんなやり取りが、北の公爵邸の日常となっていた。 紬の「癒やし」は、もはや個人のトリートメントを超え、国際的な紛争すら「みんな眠いからイライラしてるのよ」という一言で解決してしまう、不可侵の聖域となっていたのだ。軍事的な緊張が走った国境線に、ゼノスが開発した『広域アロマ爆弾』が投下され、両軍が和やかに雑魚寝を始める……という、史上最も平和な終戦が各地で相次いだ。
人々は語り継ぐ。 かつて、無理やり働かされ、有給休暇を奪われた一人の少女が、世界を救うために立ち上がった。 彼女が振るったのは剣ではなく、一枚のシーツと、一滴のアロマオイル。
そして、彼女が最後にもたらした奇跡は、**「全人類が、明日の朝を楽しみにして眠れる夜」**だったのだと。




