番外編 安眠聖女の「モーニングルーティン」:公爵邸の静かなる攻防
北の地のサロンに帰還してから、数日が経った。
朝の10時。一般的な貴族ならとっくに朝食を終え、執務に励んでいる時間だが、公爵邸の最上階にある「聖女の寝室」は、依然として深い静寂と、遮光カーテンによる完璧な闇に包まれていた。
「……ふわぁ……。あ、お昼かな……?」
紬が、雲のような羽毛布団の中からモゾモゾと這い出してくる。
前世では、この時間に起きることさえ「罪悪感」という名のバグに脳を侵食されていた。だが今は違う。隣で、彼女を抱き枕にするようにして眠っている巨大な熱源――アルベルトの穏やかな寝息が、これが「正解」なのだと教えてくれる。
「(……幸せすぎて、自律神経がとろけそう……)」
紬が伸びをしようとした時、寝室の扉が、音もなく数ミリだけ開いた。
「……紬さん。温度、湿度、ともに最適に保たれています。……朝食のハーブティーの準備、できていますよ」
影の中からカイルが、囁くような声で報告を入れる。彼はもはや隠密の技術を「紬を1分1秒でも長く、快適に寝かせること」に全振りしていた。
「カイル、声が大きいよ。紬の睡眠サイクルを乱す気かい?」
いつの間にかシリルまで、王都からの「出張(という名の現実逃避)」で廊下に立っていた。彼は王族の特権を乱用し、王都で最も高名なパティシエを拉致……もとい、高額で雇い入れ、紬のためだけの「低糖質・高タンパクな寝起きスイーツ」を運ばせていた。
「……紬、起きたのかい? 見てくれ、君の脳波に合わせて枕の硬さをリアルタイムで変える『魔導流体枕・試作三号』が完成したんだ! さあ、これを試して僕にデータを……!」
さらに、寝不足で目を血走らせたゼノスが、ガシャガシャと怪しげな機械を抱えて突撃しようとするが、それを寝起きのアルベルトが片手で(目を閉じたまま)制止する。
「……静かにしろ。紬は今、二度寝のフェーズに入るところだ。……邪魔をするなら、まとめて更地にするぞ」
アルベルトの低い地鳴りのような声に、天才魔導師も王子も隠密も、一瞬で直立不動になった。
紬は、自分を取り囲む「過保護すぎる最強の男たち」を眺め、ふふっと小さく笑った。
かつては孤独に、ただ生き残るために働いていた。でも今は、自分の「眠り」をこれほどまでに愛し、守ろうとしてくれる仲間(猛獣)たちがいる。
「……みんな、おはよう。……あのね、今日の予定なんだけど」
全員が、聖女の次なる「神託」を待つように耳を澄ます。
「……午後から、みんなで『お昼寝大会』をしましょう。私が最高のアロマを焚いて、全員、強制的に夢の国へ招待してあげるわ。……いい?」
「「「はいっ!!」」」
王宮を救った英雄たちの、あまりにも健康的で、あまりにも平和な休日。
北の空に舞う雪は、今日も紬のサロンを優しく包み込み、世界で一番贅沢な「二度寝」の時間を祝福していた。




