表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
聖女の力は安眠のために。〜ブラック企業帰りの私は、現代知識で冷徹公爵を寝かしつけます〜  作者: サバ味噌饅頭
第13章:安眠の霧、王都を包む

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

92/102

第六話 北へ向かう馬車: 懐かしの我が家へ

王都の巨大な城門が、遠ざかっていく。 見上げれば、かつて不吉な紫色の光を放っていた空には、今や吸い込まれるような深い藍色が広がり、名もなき星たちが静かに瞬いていた。


あの日、泥にまみれ、絶望の中で逃げ出してきた「要塞馬車」は今、紬にとって世界で最も安全な、そして愛おしい「移動するサロン」へと変わっていた。車内には、厳選されたラベンダーとサンダルウッドのアロマが心地よく漂い、王都の焦燥感を隅々まで洗い流していく。


「……やっと、終わったのね」


紬は、深い、深い吐息と共に、最高級のベルベットが張られたシートに身を沈めた。 張り詰めていた肩の力がようやく抜け、指先の微かな震えが止まる。その瞬間、隣に座っていたアルベルトが、何も言わずに大きな手で彼女の肩を引き寄せた。前世で、最悪なプロジェクトを完遂し、タクシーのシートに体を預けて夜景を眺めた時のあの解放感——。しかし今、隣にいるのは無機質な運転手ではなく、彼女のすべてを肯定し、守り抜こうとする強靭な男だった。


「ああ。すべて終わった。君が、王都を……いや、この国の未来を寝かしつけてくれたおかげだ」


アルベルトの低い声が、心地よい重低音となって紬の背中に響く。彼は公爵としての重い鎧を脱ぎ捨て、柔らかなカシミアのコートを纏っていた。その胸板の厚さと確かな体温が、何よりも「守られている」という安心感を紬に与える。


「君を追放した場所へ、無理に連れ戻したこと、許してほしい。……だが、これで君を脅かす過去はすべて消えた。これからは、私の全領土、全財産、さらにこの剣のすべてを賭けて、君の『有給休暇』を守り抜こう。君の眠りを妨げるものは、神だろうと王だろうと、私がこの手で更地にする」


アルベルトの言葉には、冗談など微塵も含まれていない。その独占欲を孕んだ熱い眼差しが紬を射抜き、彼女の頬を赤く染め上げた。


一方、馬車の向かい側の席では、ゼノスが愛おしそうに新型の魔導具を抱えながら、ガクガクと首を揺らして船を漕いでいた。


「……紬……次は……枕自体が……思考を読み取って……温度を調節する……全自動・快眠ポッドを……ひひっ……」


そんなうわ言を漏らしながら、彼は十数年ぶりの穏やかな寝顔を見せている。 そして馬車の屋根からは、カイルの気配が静かに、しかし確実に伝わってきた。彼は時折、窓の外から音もなく姿を見せ、紬にだけ見えるように小さく頷く。


「(……街道筋に潜んでいた、エドワードの残党はすべて掃除しました。……紬さん、あなたの夢に、一欠片の悪夢も侵入させません。安心してお休みください)」


彼らの言葉は、かつての紬が知っていた「聖女への依存」ではない。一人の女性としての彼女を慈しみ、その平穏を共に分かて合いたいという、真摯な献身だった。 馬車が領地の境界を越え、慣れ親しんだ北の森へと入った時、窓の外には満天の星空が広がっていた。凛とした冷たい空気が、窓の隙間からわずかに流れ込み、アロマの香りを一層際立たせる。


アルベルトが、紬の耳元で囁くように声を落とした。


「北の屋敷に着いたら、まずは邪魔者のいない二人きりの時間を予約したいんだが……。許可してくれるか? 誰にも邪魔されず、朝まで君の香りに包まれていたいんだ」


アルベルトの指先が、紬の顎を優しく上向かせる。 紬は、彼の瞳の中に映る自分の幸せそうな顔を見て、ふっと小さく笑った。


「……予約、承りました。でも、メニューは当日まで秘密よ? ……アルベルト様、あんたも相当疲れてるはずなんだから、まずは私がたっぷり寝かせてあげる。……いいわね?」


「ああ。君に寝かしつけられるなら、本望だ」


二人の距離が、星の光も通さぬほどに近づく。 馬車は、雪を戴く美しい山々を背景に、世界で一番静かな「安眠の聖地」へと滑り込んでいった。


王都で「救世主」と呼ばれた少女は、今、ただの「幸せなセラピスト」に戻り、愛する男の胸の中でゆっくりと、そして深く、心地よい眠りの底へと沈んでいった。


その眠りは、誰にも邪魔されることのない、永遠に続く穏やかな「有給休暇」の始まりだった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ