第二話 バルコニーの決戦と、王子の「不夜」宣言
王都の城門を、アルベルトの要塞馬車が轟音を立てて突き破った。 本来なら衛兵が制止するところだが、不眠不休の活動で意識が朦朧としている彼らには、黒金の巨躯を揺らして爆走する馬車を止める力など残っていなかった。
「……ひどい有様ね。街全体が、腐った果実みたいな匂いがするわ」
馬車の窓から外を見た紬は、あまりの光景に眉をひそめた。 街中の時計台はすべて針が外され、人々は深夜だというのに、ギラついた目で石畳を走り回っている。広場には巨大な魔導スクリーンが設置され、第一王子エドワードの歪んだ顔が、熱狂を煽るように映し出されていた。かつて前世で、深夜3時のオフィスで「限界を超えた先に本当の自分がいる!」と叫びながら意味不明な企画書を量産していた部長の顔と、エドワードの表情が完全に重なり、紬の血管が音を立てて波打った。
「……聞け、愚かな民よ! 睡眠とは弱者の逃げ道であり、時間の浪費だ! 我が王家が授ける『不夜の恩恵』を受ければ、貴公らは死の瞬間まで輝き続けられる! 眠るな! 働け! それこそが隣国を凌駕し、この国を最強へと導く唯一の道なのだ!」
エドワードの絶叫に、広場を埋め尽くす不眠の民たちが「おおおぉぉ!」と、もはや言葉にならない獣のような咆哮で応える。 その狂乱のど真ん中へ、アルベルトが馬車を横付けし、紬を軽々と抱え上げて屋根の上に立たせた。
「……いい加減に、しなさいよ!!」
紬の、腹の底から響くような「聖女の喝」が広場に炸裂した。 その声には、ゼノスが密かに馬車の屋根に仕込んだ「広域拡声魔導具」による増幅が加わっており、数千人の狂騒を一瞬で黙らせるほどの威力があった。
「な、なんだ!? 誰だ、我が神聖なる演説を邪魔する不届き者は!」
バルコニーから身を乗り出したエドワードが、目を皿のようにして下を見下ろす。 そこには、自分を追放した時よりも格段に美しく、そして格段に恐ろしいオーラを纏った紬が、仁王立ちで自分を指差していた。
「エドワード! あんた、自分の顔を鏡で見たことがあるの? その隈、その肌のくすみ、そしてその支離滅裂な言動! 自分が一番の『重症患者』だってことに、まだ気づかないの!?」
「紬……! 貴様、辺境で野垂れ死んだと思っていたが……。何を馬鹿なことを! 私は今、かつてないほど全能感に満ち溢れている! 睡眠などという無駄を排除した、完璧な統治者なのだ!」
「それが『寝不足によるハイテンション』っていうのよ、このバカ王子!」
紬は、アルベルトの手を借りて馬車の屋根から軽やかに跳躍し(実際にはアルベルトの投擲に近い跳躍だったが)、シリルの魔法による足場を駆け上がり、バルコニーの目と鼻の先まで迫った。
「あんたが鳴らそうとしているその鐘は、国民を守るためのものじゃない。自分の不安を埋めるために、国民の命を薪にして燃やしているだけよ。……セラピストとして、そんな最悪なセルフケア(自傷行為)、見過ごすわけにはいかないわ!」
「黙れ! 衛兵、捕らえろ! この女を再び地下牢へ叩き込め!」
エドワードが狂ったように叫ぶが、その衛兵たちは、すでに背後に現れたカイルによって音もなく無力化されていた。 アルベルトは地上で騎士団の包囲を一喝で散らし、シリルはバルコニーの階下で、集まった貴族たちに「どちらが正気か、その目で確かめるんだね」と冷笑を向けている。
「……最高の『おしおき』を、一括払いで受けてもらうわよ」
紬の手には、ゼノスが「君の魔力を指先に集中させるため」に開発した、特製のアロマ・マッサージ・ニードルが握られていた。
安眠を妨げられた聖女と、眠りを否定する王子の、史上最も「健康的」で「容赦のない」決戦が、今幕を開ける。




