第六話 王都からの「悪夢」の便り: 正式な親書
翌朝、北の地の清冽な静寂を切り裂いたのは、複数の軍馬が激しく石畳を叩く、不吉な蹄の音だった。 サロンの前に現れたのは、王都直轄・第一騎士団の紋章を胸に刻んだ伝令兵たち。彼らは土足で踏み込むような無礼な勢いで下馬すると、一通の重厚な書状を差し出した。
そこには、病床にあるはずの国王の印章と、エドワード王子の息がかかった騎士団総長の連名による、あまりにも威圧的な「聖女召喚命令」が記されていた。
「……『辺境伯アルベルト・フェルゼン。王国の危機に際し、速やかに聖女・紬を王都へ送還せよ。これは国王の至命である。……猶予は三日。これに背く、あるいは彼女を隠匿する場合、辺境伯領のすべての自治特権を剥奪し、王国軍による強制執行――即ち、武力による接収を行う』……だと?」
アルベルトが読み上げる声は、奥歯を噛み締める怒りで低く、獣の唸りのように響いた。 書状の紙は、彼の指先から放たれる凄まじい闘気によって、ミシミシと音を立てて凍りついていく。それはもはや公文書の体裁を借りた、むき出しの脅迫状だった。前世で、退職届を受理せず「代わりの人間を連れてくるまで辞めさせない、さもなくば損害賠償だ」と喚き散らした悪徳社長の顔が紬の脳裏をよぎり、不快な寒気が走った。
「……シリル。これはエドワード殿下の独断か? あの男は、ついに父上の権威まで私物化し始めたのか」
アルベルトの問いに、傍らで書状を覗き込んでいたシリルが、いつもの軽薄な仮面を完全に脱ぎ捨てて答えた。
「……十中八九、そうだね。父上は今、兄上が『不眠政策』でもたらした目先の富と軍事力の増大に、判断を狂わされている。あるいは、兄上の放つ魔導の毒――『不夜の鐘』の余波に、意識を当てられているのかもしれない。……アルベルト、これはもう、ただの『人事の呼び戻し』じゃない。君の領地に対する、事実上の宣戦布告だよ」
シリルの氷細工のような美しい顔から一切の笑みが消え、王族としての冷徹な怒りがサロンの温度を急降下させる。
紬は、テーブルに置かれたその冷たく、無機質な親書をじっと見つめていた。 自分がようやく見つけた穏やかな生活。自分が救ったはずの領民たちの安らぎ。それらすべてが、自分の存在という一点を理由に、強欲な権力者の手によって踏みにじられようとしている。そして、自分を救ってくれたアルベルトやシリル、カイルまでもが、泥沼の戦火に引きずり込まれようとしている。
「(……私一人を連れ戻すために、この人たちの未来を壊させるわけにはいかない)」
紬の中で、静かに、けれど熱い「何か」が爆発した。
「……アルベルト様、シリル様。……私、王都に行くわ」
紬は顔を上げ、静かに、しかし鋼のような決然とした声で告げた。
「ええ。でもね、あいつらの言いなりになって、ボロ雑巾のように働かされるために行くわけじゃない。……自分の国を巨大な不眠症にして、国民の命を前借りして喜んでいる……そんなバカな王子に、最高の『おしおきトリートメント』を食らわせてやるためよ」
紬の背後に、目には見えないが、凄まじい「聖女のオーラ(怒り)」が立ち昇る。それは慈愛の光などではなく、安眠を妨害された者が放つ、絶対的な拒絶の波動だった。
「強制的に永眠……じゃなかった、爆睡させて、その歪んだ野望ごと夢の中に沈めてやるわ。安眠を妨げられた女がどれほど恐ろしいか、あの不健康王子に骨の髄まで分からせてあげる」
聖女の瞳に宿ったのは、かつての自己犠牲的な慈愛ではない。 大切な居場所と「質の良い眠り」を奪おうとする者に対する、プロフェッショナルとしての、そして一人の女性としての「最強の逆襲」の火だった。




