第二話 不健康な天才、ゼノスの来訪
カイルの粘着質な「影の告白」によって、結局またしても睡眠時間を削られた翌朝。 紬は真っ赤な目で、サロンの前に横付けされた、ガラクタの山のような奇妙な馬車を眺めていた。
馬車の扉がギギィと不気味な音を立てて開くと、中から現れたのは、仕立てのいい白衣の袖をまくり、顔の半分を占めるような巨大な眼鏡をかけた男だった。 その眼鏡の奥の瞳は、これまでに見たどの患者よりも深刻な睡眠不足で血走り、凄まじい「紫色に変色した隈」が、彼の顔を縁取っている。前世で、納品一週間前にバグが発覚し、サーバールームに三日間立てこもった末に生還したチーフエンジニアの如き凄絶なオーラを放っており、紬は反射的に吐き気がした。
「……見つけた。……ついに、見つけたぞ。生きた『安眠の理論』……聖女、紬……」
男はフラフラと地面に降り立つなり、手に持った奇妙な魔導計測器を紬に向けた。カチカチと狂ったように針が振れる。
「誰……? あんた、死相が出てるわよ。一歩歩くごとに寿命が漏れてるわ」
紬が思わず一歩引くほどの不健康オーラ。だが、男――ゼノスは、彼女の言葉など聞こえていないかのように、眼鏡をクイと押し上げ、恍惚とした表情で呟いた。
「素晴らしい……。君から放出される安眠波動は、王都の偽聖女たちの数千倍だ。……初めまして、紬。僕はゼノス。王宮の魔導具開発局で、君がかつて王都に残した『安眠のヒント』を元に、魔導具を設計していた者だ。……君がいなくなってから、僕の設計図は完成を失った。更に本当は人を眠らせる研究がしたいのに、エドワード殿下の命令で『不夜の鐘』の調整を無理やりやらされていたんだ……」
「……私のヒント? 私、そんなの残した記憶ないけど……」
「君が無意識に捨てたハーブの調合メモ、寝具の硬さについての走り書き……。僕にとっては、それこそが真理の欠片だった。……だが、実物(君)に会わないと、この『究極の自動安眠導入器』の魔力回路が繋がらないんだ。……さあ、紬。僕の研究を完成させるために、一秒でも早く僕のビジネスパートナーになりたまえ。君の知識と僕の技術があれば、世界から『眠り』という概念を合理化できる」
ゼノスの瞳には、恋愛感情とはまた違う、研究者特有の狂気的な執着が宿っていた。それは、紬の肉体や愛を求めているのではなく、彼女の持つ「叡智」を解剖し、システム化したいという、技術屋としての純粋で残酷な渇望だった。
「ビジネスパートナー? 断るわよ。あんたみたいな不健康な人と組んだら、こっちの自律神経まで狂いそうだわ」
紬が冷たく突き放すと、ゼノスは絶望したように崩れ落ちた。
「……そんな。君に拒絶されたら、僕はもう、いつ眠ればいいのか分からない……。エドワード殿下からは『彼女を連れてこなければ予算を削る』と言われているし、僕の脳はもう三日間、強制覚醒魔法で焼き切れる寸前なんだ……。紬、頼む。……僕を寝かせてくれ。……いや、君を解析させてくれ」
ゼノスが這いずるように紬に近づこうとした、その時。 テラスから飛んできたアルベルトが、ゼノスの白衣の襟首をひょいと持ち上げた。
「……何だ、この死体のような男は。紬にこれ以上付きまとうなら、その眼鏡ごと粉砕するぞ」
「……公爵、様? ……データ通りの暴力性だ。……非合理的だね。……でも、……その殺気さえ……、今の僕には……最高の……子守唄……に……」
ゼノスはそのまま、アルベルトに吊るされた状態で白目を剥いて意識を失った。
紬は、自分の前に現れた「史上最高に手のかかる患者」を見下ろし、深く溜息をついた。 王都の不穏な影と共にやってきたのは、紬の知識を「魔導具」という形にするために命を削る、迷惑な天才魔導具師だった。




