第六話 秘密の朝食
冬の柔らかな朝日が、厚いカーテンの隙間から公爵邸の寝室に差し込んだ時。最初に目を覚ましたのは、職業柄もっとも眠りに敏感な紬だった。
「……ん、……重いわね……」
体にのしかかる心地よい重量感と、異常なほどの温もり。紬が視線を下げると、そこには昨夜の悪夢から解放され、嘘のように穏やかな顔で自分を抱き枕代わりにしているアルベルトの顔があった。 彼の腕は、紬の腰を「二度と離さない」と言わんばかりの強固な力でホールドしている。
「(……公爵様、朝から心臓に悪いわ……)」
紬がため息をつきながら右側を振り返ると、そこにはさらなる衝撃的な光景が広がっていた。 「国境線」だったはずの抱き枕はどこかへ蹴り飛ばされ、エレノアがシリルの腕の中にすっぽりと収まり、彼の胸元に顔を埋めて熟睡していたのだ。シリルもまた、無意識にエレノアの肩を抱き寄せ、その銀髪に顔を寄せている。前世で、徹夜明けの会議室で雑魚寝した同僚たちの無様な姿とは程遠い、絵画のように美しくも、頭の痛い光景だった。
「……ちょっと、あんたたち!! 起きなさい!!」
紬の鋭い「モーニング・コール」が部屋に響き渡った。
「……紬? ああ、おはよう。……最高の目覚めだ。一生このままがいい」
アルベルトが夢うつつのまま、紬の首筋に顔を埋めて深く息を吸い込む。
「う、うーん……。紬、まだ早いよ……。えっ、……ええええええ!?」
目を覚まし、自分の腕の中にいる「白いパックが剥がれた美少女」に気づいたシリルが、素っ頓狂な声を上げてベッドから転げ落ちた。
「きゃあああ!? な、なな、なんですの、不潔ですわ! シリル様、わたくしに何をなさいましたの!?」
エレノアも飛び起き、顔を真っ赤にしてシリルにクッションを投げつける。
朝の公爵邸は、かつてない喧騒に包まれた。
数十分後。ようやく身なりを整えた四人は、テラスに用意された朝食のテーブルを囲んでいた。 メニューは、紬がリクエストした「地元産の新鮮な野菜のスープ」と、焼きたてのライ麦パン、そしてリラックス効果のあるハーブ入りオムレツ。
「……昨夜は、その……すまなかった。だが、おかげで人生で一番深く眠れた」
アルベルトが、どこか清々しい表情でスープを口にする。
「僕だって、あんなに……。いや、なんでもないよ。エレノア嬢、君、寝癖がひどいよ。……ほら、直してあげるからじっとしてな」
シリルが照れ隠しのようにぶっきらぼうにエレノアの髪を整えると、エレノアは「……っ、自分でもできますわ!」と言いつつも、大人しく彼に身を任せていた。 その光景を、紬はコーヒーを飲みながら眺めていた。
(……有給休暇、ね。全然休めてないけど。……まぁ、こういう賑やかな朝も、悪くないわ)
しかし、その穏やかな時間は、一人の男の登場によって打ち切られる。 天井から音もなく舞い降りたカイルが、手に一通の封書を握り、厳しい表情でアルベルトの前に膝をついた。
「閣下、および殿下。……王都の隠密網から緊急の報告です。……『不健康な天才』と呼ばれる男が、聖女様を探してこちらに向かっているとのこと」
「……ゼノスか」 アルベルトの表情が一瞬で「死神」のそれに、シリルの瞳が「冷徹な王子」のそれに切り替わった。
紬は、自分の「安眠」が、より巨大な王国の陰謀――そして、自分を追放した過去の因縁に飲み込まれようとしていることを悟った。
「(……安眠の終わり、か。……いいわよ。私の眠りを邪魔する奴は、王宮の天才だろうが何だろうが、全員『寝かしつけて』あげるわ)」
新たな波乱の幕開けである。




