第二話 足湯の中の静かなる戦争
紬が用意したのは、ただのお湯ではない。自家農園で収穫したばかりのフレッシュなカモミールと、北の山々で採れた浄化作用の強い岩塩をたっぷり溶かし込んだ、特製の「安眠足湯」だ。
サロンの温かな灯りの中、並んで座り、木桶にお湯を張って足を浸す公爵と王子。本来なら歴史的な講和会議にでもなりそうな顔合わせだが、その光景はあまりにもシュールだった。しかし、二人の間に流れる空気は、真冬の吹雪のように冷たく、鋭い殺気を孕んでいる。
「……アルベルト。君、さっきから桶の中で、僕の足にわざとぶつけて牽制してないかい? 王家に対する不敬だよ」
シリルの眉がピクリと跳ねる。それに対し、アルベルトは視線を正面に向けたまま、鉄仮面のような無表情で応じた。
「気のせいだ。……しかし殿下。失礼ながら、その贅沢三昧で柔化した、鍛えられていない足では、紬の『重厚な施術』には耐えられんのではないか? 彼女の指圧は、真に凝り固まった戦士にこそふさわしい」
「ははっ、面白い冗談だね。僕はこれでも乗馬とダンスでしなやかな筋肉を保っているよ。紬の指が僕の肌を滑る、あの筆舌に尽くしがたい快感を、無骨な君よりも深く、芸術的に理解できる自信があるね」
紬は二人の背後で、黙々と清潔なタオルを準備しながら、天を仰ぎたくなった。かつて前世で、接待ゴルフの最中にお互いのスコアを自慢し合っていた、あの不毛な取引先同士の会話と本質は同じだ。
(……どうしてこの人たちは、リラックスするための場所でいちいち戦闘態勢に入るのかしら。マウントを取るたびに血管が収縮して、せっかくの足湯の効果が半減してるって気づかないのかしらね)
紬はわざと大きく溜息をつき、桶の隣に膝をついた。
「はい、それじゃあ次は温まった『ふくらはぎ』の揉みほぐしをします。末端の血流を心臓に戻す大事な工程よ。……どちらからにしますか?」
「私だ!」
「僕だよ!」
食い気味に即答する二人。紬はもはや驚きもしない。
「じゃあ、もう面倒だから二人同時にやります」
と告げ、左右それぞれの膝下をガシッと掴んだ。
「っ……!!」
右手に触れるのは、戦場を駆けるアルベルトの、鋼のように硬く引き締まった重厚な筋肉。左手に触れるのは、貴族的な優雅さを持ちつつも、芯の通ったシリルのしなやかな筋肉。
紬がプロの指先でぐっと圧をかけ、アキレス腱から膝裏のリンパ節にかけて一気に流し上げると、二人の反応は対照的だった。
アルベルトは、信じられないほど繊細な刺激に襲われたかのように顔を背け、銀髪の隙間から見える耳まで真っ赤に染めている。対するシリルは、蕩けたような笑みを浮かべてうっとりと目を細め、隙あらば紬の手の甲をなぞろうと指を動かした。紬は、シリルの余計な動きを「定規で叩く」ような鋭い手つきで未然に防ぎながら、アルベルトの緊張しきったアキレス腱を無慈悲に指圧した。
「シリル様、動かない。……アルベルト様、そんなに呼吸を止めると血圧が跳ね上がって逆に危険ですよ。深呼吸して」
「紬……君の手は、どうして……。お湯よりも、ずっと……こんなに熱いんだ……」
アルベルトが、喉の奥から絞り出すような低い声で呟く。
「それは、君が彼女を異性として意識しすぎているからだよ、アルベルト。余裕がないね」
シリルが勝ち誇ったように笑い、紬を見上げた。
「……紬、僕のことはもっと情熱的に揉んでくれてもいいんだよ? 痛いくらいの方が、君をより強く感じられるからね」
「……二人とも、不謹慎なこと言うならお湯の中に氷をぶち込みますよ」
紬の冷徹なツッコミが響く中、足湯の湯気と共に、二人の男の独占欲はさらに熱く、ドロドロとサロンの床に溜まっていくのだった。




