第二話 香りの新兵器:調合師も驚愕のオリジナル精油
安眠庭園が開墾されてから数週間。紬の徹底した土壌管理と、アルベルトが(無意識に)土に込めた微量な魔力の相乗効果か、ハーブたちは驚異的なスピードで成長を遂げた。
「……よし、収穫。この『朝露を含んだ瞬間』が一番香りが高いのよ」
紬は、朝靄の中で摘み取ったばかりのラベンダーやクラリセージを前に、見たこともない奇妙な装置を組み立てていた。それは、公爵家の御用達職人に特注して作らせた、ガラス製の**「水蒸気蒸留器」**だ。
「紬、それは一体何をしているんだ? 魔導具にしては、魔力の循環が見えないが……」
「公爵様、これは魔力じゃなくて『物理』よ。植物の命そのものを、一滴の雫に濃縮する魔法……みたいなものね」
紬は手際よくハーブを釜に入れ、蒸気を冷やして油分を抽出していく。やがて、サロンの空気は、これまでの「ただの草の匂い」とは一線を画す、脳を直接マッサージされるような濃密で清冽な香りに満たされた。それはかつて王都の聖女が放っていた「光」のような刺激とは真逆の、魂の奥底まで染み渡るような「静寂の雫」であった。
「……っ。なんだ、この香りは。鼻を抜けた瞬間に、背骨の緊張が解けていく……」
アルベルトが驚愕の表情で、ふらりと紬に歩み寄る。 そこへ、隣のヴィラから優雅に現れたシリルも、香りを嗅いだ瞬間に足を止めた。
「……信じられない。王都の最高級調香師たちが一生を懸けて辿り着けないような、混じり気のない『純粋な安らぎ』の匂いだ。ねえ紬、これ一瓶で城が建つよ?」
「売り物じゃないわよ。これは、あんたたちの『理性を溶かす』ための試作品なんだから」
紬は抽出されたばかりの精油を、キャリアオイルで希釈し、まずはアルベルトの腕に一滴垂らした。そして、彼の筋肉の強張りに合わせて、ゆっくりと親指で円を描く。
「……あ。…………あぁ」
公爵ともあろう男が、一瞬で瞳の焦点を失い、紬の手の動きに合わせてもたれかかってくる。
「紬……。頭が、真っ白になる……。君の手と、この香りが……私の魂を、どこか遠い、温かな場所へ連れて行く……」
「アルベルト! 抜け駆けは禁止だよ! 紬、僕にも、僕にもその『新兵器』を使ってよ!」
「はいはい、シリル様も座って。……これは『ベルガモット』を少し足したから、沈んだ気分を上向きにする効果もあるわよ。……エレノアも、あんたはこれ。肌の再生を助ける『フランキンセンス』の配合オイルよ」
「まぁ……! 紬様、この香りに包まれているだけで、わたくし、自分が一輪の気高い花になったような心地ですわ……」
サロン内は、かつてないほどの「多幸感」と「弛緩」に包まれた。 三人がそれぞれの椅子やソファで、よだれを垂らす寸前の、蕩けたような表情で深く、深く沈み込んでいく。
紬は、自分の指先に残る香りを楽しみながら、満足げに頷いた。
「(よし、抽出成功ね。これで夜の小競り合いも、このオイル一発で強制終了できるわ)」
だが、紬は気づいていなかった。 香りで理性を溶かされた結果、彼らの「独占欲」と「紬への依存」が、安眠の閾値を越えて、より熱く、より逃れられない深みへと沈み込んでいっていることに。
「……紬。……ずっと、ここにいてくれ。……この香りも、この指も……誰にも、渡したくないんだ」
寝ぼけたようなアルベルトの低い囁きに、紬は「はいはい、寝言は寝てからね」と事務的に返しながら、わずかに赤くなった自分の頬を、爽やかなペパーミントの風で冷やすのだった。




