第六話 まどろみの夜の告白と、新たな日常
風邪の嵐が去り、サロンにようやく「いつも通り」の静寂が戻ってきた。 三人の猛獣(+令嬢)たちも、看病疲れという名の「心地よい疲労」から解放され、それぞれの場所で紬の回復を祝うような穏やかな夜を過ごしている。
紬は月明かりが差し込むリビングで、一人ハーブティーを淹れていた。 昼間の喧騒が嘘のような静けさ。だが、その静寂を優しく破るように、まずは一人の男が姿を現した。
「……紬。起きていても大丈夫なのか」
アルベルトだった。彼は鎧を脱ぎ、一人の男としての、どこか頼りなげで、それでいて深い慈しみを湛えた瞳で彼女を見つめた。
「ええ、もう平気よ。公爵様こそ、私のドアの前で一晩中仁王立ちしてたんですって? 安眠の主治医として言わせてもらえば、あれは重罪よ」
「……君が消えてしまいそうで、怖かったのだ」
アルベルトは紬の隣に腰を下ろし、その手を包み込むように握った。かつて「死神」と恐れられたその掌は、驚くほど熱く、微かに震えていた。
「私は君に出会うまで、眠りとは、ただ死を待つための呪いだと思っていた。だが今は違う。……君と同じ夜を過ごし、君と同じ朝を迎えるために、私は明日を望めるようになった。……ありがとう、紬」
それは、かつての「死神」が、生まれて初めて口にした、剥き出しの感謝と執着だった。
アルベルトが去った後、今度はテラスから夜風と共にシリルが滑り込んできた。彼はいつものチャラい笑みを封印し、少しだけ寂しげな微笑を浮かべている。
「紬。……僕のヴィラ、兄上に壊されなくて本当に良かったよ。君の隣に居られるこの場所は、僕にとってどんな王宮よりも輝いて見えるんだ」
彼は紬の指先に、祈るように唇を寄せた。
「僕はね、君をトロトロに溶かしてあげると言ったけど、本当は僕の方が、君の隣で溶けてしまいたいんだ。……いつか、僕をただの『患者』じゃなく、一人の『男』として選んでくれるまで、僕は隣でニキビを作りながら待ち続けるよ」
そして最後。エレノアが、パジャマ姿でこっそりと寝室から顔を出した。
「紬様。……わたくし、決めましたわ。いつかアルベルト様とあなたが結ばれる日が来ても、わたくし、あなたの『一番弟子』として、一生白湯を淹れに参りますから!」
そう言って、彼女は照れ隠しに紬の肩に頭を預け、「……紬様、大好きですわ」と小さく呟いて、そのまま眠りに落ちてしまった。
三人の想いが交差した夜。 紬は、ソファで眠るエレノアに毛布を掛け直し、窓の外に広がる銀色の森を見つめた。
(……安眠したいだけだったのに。どうしてこんなことになっちゃったのかしら)
かつて王都で「無能」と捨てられた時、彼女の手の中には何もなかった。 だが今、彼女の周りには、自分の安眠を命がけで守り、自分の笑顔に救われるという、不器用で愛すべき人々がいる。
「有給休暇にしては、ちょっと仕事量が多すぎるけど。……まぁ、退屈はしないわね」
紬は空になったカップを置き、自分自身の「安眠の城」へと歩を進めた。 明日になれば、またアルベルトとシリルが朝食のメニューで火花を散らし、エレノアが新しいハーブを持って飛び込んでくるだろう。
そんな騒がしくも愛おしい「安眠聖女」の日常は、まだ始まったばかり。 紬は心地よい眠りの淵で、明日という一日が、今日よりも少しだけ長く、穏やかであることを願いながら、深い、深い、至福の闇へと沈んでいった。




