第五話 聖女の危機?安眠聖女、風邪を引く
先日のピクニックで、湖畔の冷えた土の上でうたた寝をしたのがいけなかったのか。 翌朝、紬が目を覚ますと、視界がぐにゃりと歪んでいた。喉は焼け付くように熱く、体は鉛のように重い。
「……あ、これ、完全にやったわね。……アドレナリンが切れた瞬間にくる、典型的な『大型連休明けの体調不良』だわ……」
紬は這いずるようにして、リビングに待機していた三人の前に姿を現した。
「……悪いけど、今日、お休み。……あとは、勝手に、寝てて……」
それだけ言って、紬は力なくその場に膝をついた。 その瞬間、サロンには、王都の崩壊よりも凄まじい衝撃とパニックが走った。
「紬!? 顔が赤いぞ! 紬、しっかりしろ!」
アルベルトが、戦場で敵将を討ち取った時よりも悲痛な叫びを上げて彼女を抱きとめた。
「大変だ! 紬が、僕たちの聖女が枯れてしまう! 今すぐ王都から最高位の宮廷医師を呼べ! いや、僕が伝説の聖杯の水を汲みに行ってくる!」
シリルが血相を変えてヴィラへ飛び出そうとし、椅子をなぎ倒す。
「紬様ぁ! 死なないでくださいまし! わたくし、まだ白湯の真髄を教わっておりませんのよ! あぁ、神様、どうか紬様の代わりにわたくしの縦ロールを一本差し上げますから……っ!」
エレノアは絶望のあまり、その場で天を仰いで泣き崩れた。
「……うる、さい……。寝かせて、静かに……」
紬の蚊の鳴くような訴えは、パニック状態の三人の耳には届かない。
アルベルトは
「騎士団全員を招集しろ! 領内の薬師を一人残らずここに連れてこい!」
と窓の外に向かって怒鳴り散らし、シリルは
「解熱の効果があるというドラゴンの鱗を競り落としてくる!」
と非現実的な解決策を叫んでいる。
そんな中、カイルが天井から音もなく降り立ち、パニックを加速させている主君たちの後頭部を冷めた目で見つめた。
「……閣下、王子、エレノア様。今の紬様に必要なのは、伝説の薬でも軍隊の招集でもなく、**『静寂』**です。……これ以上騒ぐなら、私があなた方を気絶させて外へ放り出しますよ」
「「「…………っ!」」」
カイルの一喝で、ようやく三人は口を噤んだ。
紬はアルベルトの腕の中で、ようやく訪れた静寂に安堵しながら、薄れゆく意識の中で思った。
(……普段あんなに頼りになるのに、私が寝込むと、全員揃って世界一使えないポンコツになるのね……)
その後、三人は「誰が一番静かに看病できるか」という、これまたズレた方向への競い合いを始めた。 アルベルトは寝室のドアの前で、一歩も動かぬ不動の彫像と化して見張りに立ち、シリルは「音がしない魔法の布」を家中にはり巡らせ、エレノアは声を押し殺しながら、ひたすら紬の額のタオルをミリ単位の精度で交換し続けた。
夕暮れ時。 ふっと熱が引き始めた紬が目を開けると、ベッドの脇で、三人が疲れ果てて――しかし、彼女の安眠を邪魔せぬよう、椅子に座ったまま音もなく眠りこけていた。
「(……ったく。看病される側の方が、気を使うじゃない……)」
紬は苦笑しながら、三人の穏やかな(そして少し疲弊した)寝顔を眺めた。 安眠を愛する彼女の周りには、いつの間にか、彼女の健康のためなら世界を敵に回しかねない、不器用で愛すべき「安眠の騎士たち」が揃っていた。
紬はそっと、自分の上に掛けられた、三人の個性が入り混じった(アルベルトの騎士マント、シリルの絹のショール、エレノアの高級毛布)重たい布団を抱きしめ、再び心地よい眠りへと落ちていった。




