第三話 共通の敵(?)の不在と、奇妙な団結力
エレノアが「美容の弟子」として毎日サロンに通い詰めるようになって数日。 サロンには、奇妙な「自治ルール」が成立しつつあった。
その日は、紬が市場への買い出しと、騎士団本部への定期往診で一日中不在にする日だった。
「いい? 二人とも。……いえ、エレノア様も入れて三人ね。私がいない間、絶対に喧嘩しないこと。屋敷の備品を壊さないこと。……わかった?」
紬の厳しい「お母さん」のような言い付けに、三人は神妙な顔で頷いた。
だが、紬が馬車で出かけた数分後。 残されたサロンには、かつてないほどの重苦しい沈黙が流れていた。
「……さて。紬がいない以上、私がお前たちと馴れ合う理由はない。私は自室(客間)で政務をこなす」
アルベルトが冷たく言い放ち、席を立とうとしたその時。
「待ちなさいな、公爵。紬様が仰ったことをお忘れ? 『私がいない間、屋敷を清潔に保っておくこと』。……見なさい、あの棚の埃を。紬様が帰宅してくしゃみをなされたらどうするつもりですの!」
エレノアが扇子をバサリと広げ、棚の隅を指差した。
「……っ。それは……一理ある」
「おや、珍しくエレノア嬢と意見が合ったね。僕も、紬が快適に過ごせる環境作りには協力するよ。……ほら、アルベルト。君はその怪力で、あそこの重い家具をどかして。僕が特製のワックスで床を磨き上げるから」
シリルが楽しげに袖をまくり、高級な絹のハンカチ(の山)を取り出した。 普段なら「誰が紬に一番ふさわしいか」で火花を散らす三人だが、紬という共通の主導権が不在になった瞬間、彼らのベクトルは**「いかに紬に喜んでもらうか(点数を稼ぐか)」**という一点に集約された。前世で、気難しいクライアントが不在の間に、なんとか機嫌を取ろうと必死に資料を整える制作チームのような、奇妙な結束力がそこにはあった。
「……ふん。床磨きなら、騎士団の訓練で慣れている」
「わたくしは、紬様のハーブ園の雑草を抜いて差し上げますわ! 美しい肌には、美しい庭が必要ですもの!」
一時間後。 そこには、額に汗して床を磨く第二王子、無言で巨石のような家具を軽々と持ち上げる公爵、そして泥にまみれながら必死に薬草を仕分ける公爵令嬢という、王国の歴史学者が卒倒するような光景が広がっていた。本来ならば国を動かすべき彼らの才知と腕力は、今や「いかに床をピカピカにするか」「いかに雑草を根絶やしにするか」という、紬のQOL向上のためにのみ注ぎ込まれていた。
「……おい、シリル。そこは磨きすぎだ。紬が滑って転んだらどうする」
「おっと、それは盲点だった。ありがとう、アルベルト。君も、その家具を置く位置は5ミリ左だ。紬の動線を邪魔しちゃいけない」
「……あぁ。分かっている」
奇妙な、本当に奇妙な連帯感。 彼らは互いを「恋敵」として憎み合っているはずなのに、紬の「安眠」と「笑顔」を守るという一点においてのみ、大陸最強の特殊部隊のような連携を見せ始めていた。
夕暮れ時。 用事を済ませてヘトヘトになって帰宅した紬が目にしたのは、新築物件のようにピカピカに磨き上げられたリビングと、なぜか誇らしげな顔で(そして全員ボロボロの姿で)並んで座る三人の姿だった。
「……ただいま。……って、何これ。泥棒でも入ったの? なんでみんなそんなに汚れてるのよ」
「紬! お帰り。君のために、屋敷を完璧にデトックスしておいたよ」
「紬……。庭の薬草も、すべて整理が終わった」
「紬様! わたくしの爪が少し割れましたが、後悔はありませんわ!」
期待に満ちた三人の眼差し。 紬は呆れ果てて溜息をついたが、ふと、磨き上げられた床に映る夕日の美しさに足を止めた。
「……ったく。余計な体力使って……。はいはい、お疲れ様。……今日のご褒美は、三人まとめて『足裏マッサージ』ね。血行を良くして、泥のように眠らせてあげるわ」
「「「……っ!!」」」
紬の言葉に、三人の顔が同時にパッと輝いた。 その「妙に息の合った」喜び方に、紬は少しだけ、本当に少しだけ、絆のようなものが芽生え始めているのを感じて、可笑しそうに口元を綻ばせた。




