第五話 再訪のシリル王子と、王都からの「召喚状」
一方、フェルゼン領。 紬のサロンでは、ようやく「指圧の順番待ち」という概念が貴族たちの間に浸透し、奇妙な静寂が保たれていた。 だが、その平穏を壊したのは、またしてもこの男――エドワードの弟であり、隣家にヴィラを建てて居座っている第二王子シリルだった。
「紬! 大変だ、僕の兄上が……あの声がデカいだけの第一王子エドワードが、君に『召喚状』を出したよ!」
シリルが、ヴィラから走り込んできた。その手には、王家の紋章が刻印された仰々しい書簡が握られている。
「……召喚状? 嫌よ、行かないわよ。私、もうあそこの会社(王都)辞めたんだから。退職金も路銀で精算済みよ。有給消化中につき、一切の業務命令は受け付けません。……っていうか、誰よそのエドワードって」
紬はハーブの仕分けを止めず、事務的に即答した。彼女にとって、追放された瞬間に王都の記憶は「過去のデータ」としてゴミ箱済みだった。未読スルーが基本。もはや関わる価値のない、倒産寸前のブラック企業と同じ扱いである。
「ひどいな、君を捨てた張本人だよ! でも、兄上は『応じぬ場合は不敬罪として、そのボロ家を強制撤去する。北の公爵も同罪とみなす』なんて言ってるんだ。……ねえ、紬。いっそ僕と結婚して王都へ乗り込まない? 僕が君の盾になってあげるよ」
「王子の嫁なんて、一番安眠から遠いポジションじゃない。却下。……それより、強制撤去? せっかく防音加工した私の城を? ……公爵も同罪?」
紬の瞳に、不眠症の患者を診る時とは違う、「冷ややかな殺意」に近い光が宿った。自分のプライベート、それも「住環境」という最もコストをかけて守っているリソースを脅かされることは、彼女にとって宣戦布告に等しかった。 そこへ、背後から音もなく現れたアルベルトが、抜剣せんばかりの勢いでシリルの手から書簡を奪い取った。
「……エドワード。あの方は、まだ彼女が自分の所有物だと思っているのか。紬、心配いらない。私が全軍を率いてでも、君の眠りを守る」
「公爵様、戦争はもっとうるさくなるからやめて。自律神経に悪いわ。……分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」
紬は重い腰を上げた。
「ただし、タダでは起きないわよ。……私を『無能』と呼んでゴミ箱に捨てたこと、たっぷり利子をつけて後悔させてあげる。あんなデカい声、二度と出せないようにシャットダウンしてやるわ」
「紬……君、今すごく『悪役聖女』みたいな顔になってるよ?」
シリルの言葉を無視し、紬は愛用のハーブ一式と、特製のアロマオイル(強力な入眠用、かつ、エドワードの肌荒れにトドメを刺す配合)を鞄に詰め込んだ。それは聖女の持ち物というより、確実にターゲットを「仕留める」ための暗殺者の道具箱に近い。
それは、安らぎを求める聖女による、元・職場への「強制定時退社(復讐)」の旅の始まりだった。




