第二話 王子の隣家侵入と「添い寝」宣言
「おはよう、紬。今日の朝食は僕が王都から連れてきた専属シェフに作らせたよ。君のために特製ハーブを練り込んだ『安眠エッグベネディクト』だ。さあ、冷めないうちに召し上がれ」
翌朝、紬が欠伸を噛み殺しながらサロンの扉を開けると、そこには優雅にテラス席(昨日まではただの放置された草むらだった場所)で寛ぐシリル王子の姿があった。
なんと彼は、一晩のうちにサロンの隣にあった空き地を王家の権力で買い上げ、庭師と大工を総動員して、豪華な仮設ヴィラを建てさせていたのだ。
「……シリル様。昨日も言いましたけど、ここは私の神聖な隠居先(職場兼自宅)です。一晩で勝手に隣に引っ越してくるとか、前世ならストーカー規制法で一発アウトですよ。営業妨害で訴えますよ?」
「つれないなぁ。僕はただ、君という『安らぎ』のそばにいたいだけさ。それに、隣家なら君が夜中に寂しくて震えていても、すぐに僕が駆けつけて『添い寝』してあげられるだろう?」
シリルは立ち上がり、モデルのような完璧な所作で紬に歩み寄ると、その耳元で低く甘い声を囁かせた。
「ねえ、昨夜はよく眠れた? 僕は君の香りを思い出しながら……一晩中、君と深い眠りに落ちる夢を見ていたよ。……君の指先を、今すぐ僕のものにしたい」
チャラい。あまりにもチャラい。だが、その瞳の奥には、遊び人の仮面では隠しきれない真剣な熱が、ギラリと宿っている。紬は、至近距離まで迫ったその美貌を、検品作業のような無機質な目で見つめ……そして、大きなため息をついた。
「シリル様。……鼻の下にニキビ、予備軍ができてますよ。昨夜一晩中、変な妄想して脳を興奮させてるから、ホルモンバランスが乱れて皮脂が出すぎるんです。甘いソースのかかった卵を食べる前に、まず冷水で顔を洗い直してきなさい。清潔感のない患者は診ません」
「……えっ、ニキビ!? 嘘だろ、僕の完璧なフェイスに……っ! シェフ! 鏡だ! 今すぐ鏡を持ってこい!」
自慢の顔面にケチをつけられ、パニックに陥る王子を放置し、紬が店内の準備を始めようとしたその時。
「――そのチャラついた男の料理など口にするな、紬」
地を這うような低い声と共に、アルベルトが姿を現した。 彼は昨夜、シリルの出現に危機感を覚え、公爵領の一週間分の政務を徹夜で終わらせてきたらしい。そのせいで、せっかく消えかけていた隈がうっすらと復活しているが、その眼光は以前より鋭い。
アルベルトの手には、大事そうに大きな紙袋が握られていた。
「これは……領内でも評判のパン屋の、最高級クロワッサンだ。バターの良質な脂質と香りが、精神を、その……沈静化させ、幸福な眠りへ誘うと聞いた」
「公爵、それは単に君が昔から好きなパンだろう? 紬、僕が用意したこの宝石のようなフルーツサラダの方が、ビタミン豊富で君の美肌を守るはずだ!」
「黙れ、第二王子。彼女に近づくなと言ったはずだ。彼女は……私の主治医だ。主治医の心身の安全を、最優先で確保するのは患者の義務だ」
アルベルトは、シリルと紬の間に割り込むようにして立ち、クロワッサンの袋を盾のように構えた。
(……何その謎理論。義務とか言うなら、二人ともまずその地位に見合った仕事をしなさいよ。特に公爵、無理して徹夜して隈を戻すのは、私の施術に対する『景品表示法違反』に近い屈辱なんだけど)
紬は、豪華なヴィラを背景に朝食バトルを繰り広げる二人の美男子を眺め、今日という一日の労働を予感して遠い目をした。




