番外編 安眠要塞改造記(前編)『沈黙の資材と、令嬢の財力』
アルベルトが「強制日食」という天体規模の八つ当たりをやらかし、紬に「ビタミンD不足になるでしょ!」と烈火のごとく怒鳴られた翌朝。
紬が「……あー、日光浴びたら眠くなっちゃったわ。騎士団に行ってくるけど、誰も家に入らないでね。防犯カメラ……はないけど、カイルくん、変な人(公爵様とか)が来たら追い払っておいて」と、大きな欠伸をしながら騎士団本部へ出勤するのを見届けると、森の影から二人の男女が音もなく姿を現した。
一人は、隈の浮いた目で手帳を握りしめる隠密騎士カイル。
もう一人は、縦ロールを完璧に巻いたまま、憤怒の形相で扇子を握りしめる公爵令嬢エレノアである。
「……エレノア様。見ましたか、今の紬様の歩き方を。足取りが0.5センチほど重い。昨夜の閣下の暴走による『光害』と『精神的ストレス』が、紬様の自律神経を確実に削っております。これはもはや、フェルゼン領……いいえ、この国の安眠資源に対する重大な侵害です」
カイルが地を這うような声で告げると、エレノアは持っていた扇子を「パキッ」と小気味よい音を立ててへし折った。
「同感ですわ、カイル! わたくし、昨夜は一瞬たりとも眠れませんでしたのよ! あのような、殿方の幼稚な独占欲のせいで紬様の美肌が損なわれるなど、淑女として……いいえ、一人の『紬教』の信徒として断じて許せませんわ!」
エレノアは、背後に控えていた侍女から巨大な巻物を受け取ると、それを地面に広げた。そこには、隣領のドワーフ石工組合、王都の魔導ガラス工房、そして秘境の魔導繊維ギルドの全リストが記されていた。
「物理ですわ、カイル。物理で黙らせるしかありませんのよ! わたくし、実家のバラ園の所有権を担保に、ドワーフの石工組合の精鋭100人を、向こう三ヶ月分『全買い』いたしましたわ。彼らが持つ伝説の鉱石『無響石』……。本来は王族の地下墓地に使われる、1デシベルの音さえ食い尽くす禁忌の石を、この家の壁裏に隙間なく敷き詰めさせますわ!」
カイルは、その過剰すぎる提案に、一瞬だけプロとしての理性を働かせようとした。
「……エレノア様、無響石を一般家屋に使うなど、予算が国家予算の数%に達しますが」
「あら、紬様の寝顔を守るためですもの。端数のようなものですわ! それとも、カイル、あなたは予算のために紬様が『外がガサガサうるさくて目が覚めたわ』と悲しげに呟くのを指をくわえて見ていろと言うの?」
「……失言でした。予算の調達は任せます。施工は私にお任せを」
カイルは、隠密組織が代々隠し持ってきた「空間干渉の極意」が記された書物を取り出した。
「私は、この家の周囲に、外部の振動、熱量、そして『アルベルト閣下の重すぎる魔力圧』をすべて無力化し、別の次元へ逃がす特級の結界を構築します。ドワーフたちが壁を叩く音も、私が全神経を研ぎ澄ませて『隠密魔法』で包み込みましょう。紬様が帰宅されるその瞬間まで、この森は一匹の虫の羽音さえ聞こえない『絶対沈黙』の聖域となります」
「素晴らしいですわ! ついでに、窓ガラスはわたくしが王都から取り寄せた、防弾・防魔法・防視線の三拍子揃った『偏光魔導クリスタル』に挿げ替えますわ。これでアルベルト様がどんなに空で光のショーを演じようとも、紬様の室内は永久に『二度寝に最適な薄闇』が保たれるのですわ!」
二人の目には、もはや常識や倫理の光は宿っていなかった。
あるのは、自分たちが心酔する「安眠の聖女」のために、大陸最高の技術と財力を惜しみなく注ぎ込み、完璧なシェルターを作り上げるという狂信的な情熱のみ。
「さあ、始めましょう。……紬様が帰還されるまで、残り8時間。……突貫工事ですわよ!」
「総員、展開。……職人たちに告げろ。一音でも立てれば、彼らの安眠を永遠に奪う(※気絶させる)、と」
こうして、本人の知らないところで、一軒の古びたボロ屋を巡る「大陸史上最も贅沢で静かなリフォーム」が、幕を開けたのである。




