第三話 エレノアの「美容革命」と令嬢たちの押し寄せ
アルベルトの「脳内デスマーチ」を、首筋への強力な一突き(物理的シャットダウン)で鎮めた紬だったが、安息の時間は一瞬で崩れ去った。
翌朝、紬が自宅の「安眠の城」で優雅な二度寝を楽しもうとしていると、家の周囲から聞いたこともないような華やかな、しかし切実な「叫び」が聞こえてきた。
「紬先生! 紬先生はいらっしゃいまして!?」
「エレノア様のおっしゃっていた『黄金の指先』を、どうか私たちにも!」
紬が渋々フェルトの隙間から外を覗くと、そこには驚愕の光景が広がっていた。領内外から集まった高級馬車が狭い森の道にひしめき合い、ドレスに身を包んだ貴婦人や令嬢たちが、埃も厭わず行列を作っているのだ。
事の元凶は、その行列の先頭で誇らしげに扇子を振るうエレノアだった。
「見てくださいませ、皆様! わたくしのこの肌! 紬先生の『処方』を受けてからというもの、朝露を弾く真珠のような輝きを取り戻しましたの! もはや厚塗りなど不要、これぞ真の『安眠美肌』ですわ!」
エレノアは、夜会でその美貌を自慢しすぎた結果、不眠と肌荒れに悩む社交界の戦士(令嬢)たちに「秘密を教えないなら絶交ですわよ!」と詰め寄られ、耐えきれずこのボロ家を案内してしまったのだ。
「……ちょっと、エレノア様。あんた、ここをどこのエステサロンだと思ってるのよ。私の有給休暇を勝手に一般開放しないでくれる?」
紬が不機嫌極まりない顔で扉を開けると、令嬢たちは一斉にひれ伏した。
「紬先生! 婚約破棄されそうなほど酷い目の下の隈を、どうか、どうか消してくださいませ!」
「毎日三時間しか眠れず、精神が限界なのです! 閣下を寝かしつけたというあの『神の指』で、私を……私を救ってください!」
令嬢たちの目は、血走っていた。それはかつて、大型キャンペーンの納品前日に「一睡もしてないアピール」をし合いながら、互いの顔色の悪さを競っていた悲しき同僚たちの瞳そのものだった。
紬の社畜精神が、微かに疼く。
(……この人たち、このままだと睡眠不足で結婚式当日に倒れるわね。……でも、私の睡眠リソースが……!)
「いい、あんたたち。私はボランティアじゃないの。……相談料は金貨三枚。それから、一日の受付は三名まで。私の『休憩時間』を邪魔する奴は、問答無用で出入り禁止にするわよ!」
「「「喜んでお支払いいたしますわ!!」」」
その瞬間、紬のボロ家は、北の地で最も予約の取れない「究極の秘境サロン」へと変貌した。しかし、これに最も激怒したのは、他でもないアルベルトだった。
「……紬。なぜ、私の時間を邪魔する『ノイズ』を増やした。……その女たちを、今すぐ森の果てまで排除してこい」
嫉妬と独占欲で再び目を血走らせる公爵を、紬は冷めた目で一瞥した。
「アルベルト様。……あんた、自分の部下(騎士団)のストライキをどうにかするのが先でしょ。全員に同じハーブティー飲ませて、一旦落ち着きなさい」
安眠を求めたはずの紬の「有給」は、今や貴族社会の「健康維持」という、国家規模の重要プロジェクトへと肥大化し始めていた。




