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ホワイトスカイ  作者: 笹霜
望郷編
28/30

28.白い空

舞雪は、菊水のあしらわれた白大島紬に空色の帯、碧の瞳も何ら変わるところはなかったが、その身体にくまなく霊気の風を纏わせて、寂しげにも見える微笑みであった。


「御苦労であったの、真冬に緋那、霧夜に柚希」


「―――雪御前様の、―――お告げですから」


息を詰めたような真冬の言葉だった。「えっ」と呟く柚希に、舞雪は苦笑を向けた。


「すまなんだの、柚希。霧夜と緋那はともかく、真冬にも最後まで隠しておくつもりであったが―――まさか最後まで、柚希だけが知らなんだとは」


「…隠す…って、何を…」


絶句しつつも、袖で口を覆い―――だが、じわじわとそれは実感を持って浮かび上がってきたらしい。その瞳が涙を浮かべ始める。


「…えっ、舞雪ちゃん、」


「他三人を恨むでないぞ。柚希には出来れば、最後まで告げぬ方が良いのではないかと、わらわも悩んだのじゃよ。しかし、柚希は除け者には出来ぬでな」


「…まさか」


「ここの神、雪御前とは、まさしくわらわのことじゃ」


そう言って、舞雪は微笑んだ。


「気づかなんだか?最近真冬のわらわに対する態度がやたらよそよそしくなったではないか。それに柚希も―――薄々とは気づいておったのではないかや?」


「…でも、そんな、まさか、だって、」


「楽しかったぞ、おぬしらと色々遊んだのは」


舞雪は微笑んでいた。


「最後の最後に、おぬしらには笑っていて貰いたかった―――そのために全力を尽くしたつもりじゃが、何やかやで甘えたり迷惑をかけたりもしたの」


「除雪もしなかったしね」


「自分の社の除雪を自分でやる神がどこにおる。それは一貫しておるわ、緋那」


最後の茶々入れ。口を尖らせる舞雪。柚希の感情が爆発する。


「いつから気づいてたのみんな!?酷い!!私だって!!!」


「俺は最初からだ」


「私も最初からよ。悪いわね柚希ちゃん、そういうの気づけちゃう人間って居るんだわ」


緋那の大人な言葉だった。


「―――でも覚えておきなさい。舞雪がね、今回ね、名乗ったのはね、大サービスなの。考えて御覧なさいよ。神様がね、神様だって名乗ってくれて、一緒に遊んでくれたのよ。霊感も何もない、ただの子にね」


「霊感も何も―――?」


「俺や朱鞠内にはそういう気質がある。真冬には無かったが、―――気づいてしまったな」


霧夜の黒い眼。真冬は悲痛な表情で頭を下げた。


「―――本当は、気づいてはいけなかったのだと思います。ごめんなさい、雪御前様」


「構わぬ。巫女たるおぬしが気づくのは時間の問題じゃったし、何より柚希、おぬしも気づいておったろう」


「―――」


涙を流しながら、柚希は舞雪を睨んでいた。が、その表情もすぐに崩れる。


「何で!?何で!?何で教えてくれなかったの舞雪ちゃん!?!!?確かにちょっと考えた!!もしかしたら、最後に、ここの神様が遣わしてくれたお友達なのかも知れないって!!!でもまさか本当にそんな…!!」


「…その涙が一番の宝物じゃよ、柚希」


舞雪の瞳にも涙があるのを認めて、柚希の喉が止まる。舞雪は微笑んだ。その白すぎる白い腕で、その泣き濡れた顎に手を添える。


「わらわのことを思うが故にそこまで怒るのじゃろう―――?除け者にされたようなことが、寂しかったのじゃろう―――?わらわと友になりたかったからこそそう涙を流すのじゃろう―――?それこそわらわにとっては代えがたい報酬じゃよ」


「…舞雪ちゃん、まさか」


「うむ、察しが良いの、柚希」


舞雪も最早泣いていた。泣きながら、無理やり得意げな顔を作ろうとして、それが出来ていなかった。


「もう、これで御別れなのじゃよ。だから、最後に、こうやって」


「嫌だそんなの!!!!!!」


柚希の叫び声だった。立ち上がり、舞雪を真正面から睨みつけて抱きしめた。


「絶対行かせない!!!ゆかりも行っちゃったのに!!!舞雪ちゃんまで行っちゃうなんて絶対嫌だ!!!絶対友達でいるんだから!!!」


「―――わらわはずっと友じゃよ、柚希」


「嫌だ!!!このままでいる!!!」


「…柚希さん…」


真冬が手を伸ばしかけるが、その手を下ろす。号泣だった。真冬の瞳にも涙がある。柚希を止められるだなんて思っていないのだろう。嵐のようなあふれ出る感情。緋那と霧夜はただ黙っている。


舞雪はその柚希の背中に手を回した。回想するかのような言葉。


「昔から、おぬしはあの旅館の女将になりたいと、そう願っておったの。口では東京へ行くのが本望だと強がっておったが。わらわは知っておるぞ。おぬしの願い、全て聞いておる。おぬしが、どんなものが好きで、どんなものが嫌いか。得意なもの、苦手なもの、全て知っておる。真冬もそうじゃ。真冬のことも、柚希のことも、わらわは昔からずっと知っておる。ゆかりには行かれてしもうたが、ゆかりのことまで、含めて、おぬしら三人のことは良く知っておる」


脱力するように、柚希がその場にへたり込む。涙を流す彼女を脇に、舞雪は草履を突っかけて外に出た。


霧夜も、緋那も、真冬も―――最後に柚希も慌てたように駆けだした。



粉雪の舞う境内の中で。



土地神様は鳥居と、その向こうの白い山脈を背景にして笑う。



「二人とも、良く、最後までこの郷を愛してくれた。わらわを信じてくれた。特に柚希。おぬしは願っておったの。この郷が、それでも続きますように―――奇跡が起きますように。そう願っておったなあ。そうでないなら、せめて、最後の誰もが笑えるようにと、わらわと同じことさえも願い続けた―――」


その言葉に、柚希の表情がひび割れる。


舞雪は滔滔と続けた。


「しかし、すまぬのう。神様でも、叶えられない、逆らえないコトはあるのじゃ。この郷が、自ら沈むことを決めたのならば、わらわはそれに逆らえぬ。それが郷の総意ならば、わらわはそれに逆らえぬ。それに―――この郷一つで、下流の民が救われるのならば、それはそれで、浮かぶ瀬もあるのじゃろう。神を拝んでも、水は時には溢れる。時として干からびることもあろう。神を拝んでも水が溢れるのなら、自ら水を司ろうと試みるのは道理よな。そうやって、人々は暮らしてきた」


舞雪はしかし、悲痛な顔を最早隠さない。


「しかし―――すまぬのう。故に、神様であるのに、わらわは真冬や柚希の願いを叶えられぬ。柚希の願いも、真冬の願いも、この郷あってのものじゃった。しかしそれも既に叶わぬ。しかし、叶わぬなら叶わぬで、わらわも何かしたかったのじゃ―――」


「―――」


「特に柚希は、余りにも痛々しかったのでな。あれほど長年、この神社に詣でてくれて、これほどまでにこの郷を愛してくれたのに、何も出来ぬ、やらぬでは面目も立たぬ。故に、宿を取ったのじゃよ―――」


おぬしらと色々、楽しみ、そして、良き思い出になれるように―――そう神様は語って。


それから、吸血鬼の方を向いた。


「おぬしにも世話になったの、緋那。三年、四年近くか。色々馳走になった。本当に、楽しかったぞ…?」


「…あーあ、これでお別れか…。ありがとね、舞雪。―――貴女が友達で、本当に良かったわ」


緋那の涙は綺麗だった。真っすぐ見つめて不敵な表情のままだった。その表情のまま、涙だった。


「ずっと、友達でいると思っているわ。今生も、その後も」


「世話になったの。色々と―――おぬしの願いは、神に頼らずとも、きっとおぬし自身が叶えるのじゃろう、緋那。いつかの日に」


「まだ、遠いけれど―――いつか、誰もを治してみせるわ」


「本当に、おぬしは、尊い志じゃなあ―――本当に」


「―――ありがとね。その言葉、胸に仕舞っておくわ」


不敵な微笑。良い友であったのだろうと霧夜は思う。大胆不敵な笑い。最後まで友は友らしく。


そして神様は、―――音無霧夜の方を向いた。



「さて、霧夜。わらわに渡すものがあるのじゃろう?」


「―――気が変わりそうだ」


「嫌じゃ。わらわの為なのじゃろ。寄越すのじゃよ、それを」



泣き笑いだった。霧夜も視界はぼやけそうになっていた。―――この女も行ってしまうのだ。それが、ただ、悔しかった。


俺を想ってくれる(ひと)が、また、消えてしまうのが。―――それが、ただ、無念だった。


だが、その心を、押し付けてもいけない―――それは百も、承知していて、それで、なお、無念は胸の中に渦を巻いている。


油紙に包まれたキャンバス。それを舞雪に渡す。剥がされる油紙。散り散りになった紙の欠片が、雪風に乗って空に舞い上がる。


絵を見た神様は、微笑んだ。


微笑みながら、泣いていた。



「―――これは、おぬしが、描いたのか―――霧夜…」


「ああ」


「…すごいのう、本当にわらわは莫迦じゃった」


ひっく、と神様はしゃくりあげた。涙を流しながら、口をへの字に曲げていた。


「ゆかりが、最初に、惚れたというに―――その良さに気づかなんだ―――」


「今更か」


「今更じゃ―――本当に―――何故に今更惚れてしもうたのか―――余計な未練ばかり作りおって、この大馬鹿者が―――」


ぼたぼたと零れ落ちる涙が、石畳に大粒の滲みを作っていく。


「―――おぬしの絵を、もっと見ていたいのう―――本当に、それなのに、気づくのが、本当に、よりにもよって、最後なのかや―――本当に最後までわらわは莫迦じゃ…」


「せめてそれを、持っていけよ―――」


「貰おうぞ、最後の最後に、わらわを心底惚れさせた大莫迦者め―――」


しゃくりあげる舞雪は、本当に大切そうに、そのキャンバスをかき抱いて。


「―――莫迦者め。―――何故、もっと早く来んかったか…」


「無茶ばかり、言いやがる」


「―――霧夜、わらわは―――」


半分睨むような涙目。鬼気迫るような神様の表情が、涙の中で問いかけてくる。


「この土地は、おぬしの帰る場所に、なれたじゃろうか―――?わらわは何かと不肖じゃった―――ゆかりも然り、本当に大莫迦だと、気づくのは都度に遅すぎる、そんな莫迦なわらわの土地であっても―――」


「―――ああ―――」


それは間違いなかった。万感の思いで頷いた。涙の視界の中で頷いた。走馬灯のように、あらゆる思い出が駆け巡る中で。


舞雪は俯き、慟哭するように言葉を吐き出す。


「霧夜―――お願いじゃ―――どうか―――わらわを、そしてこの場所を―――覚えておいてはくれぬか―――」


「―――忘れる訳が、ないだろうがよ―――」


「―――そうか、頼むぞ、おぬしに忘れられるのが、わらわは、―――もう、一番辛い―――」


希う。ただ、この男の中に住みたいと―――師の言葉を思い出しながら。しかし、よりにもよって、―――本気の本気で気づいたのが、最後なのは、何たる馬鹿かと、舞雪は思いながら―――炎のように息を吐いた。


天を仰いで、荒い息を吐きながら、乙女二人に声をかける。


「おぬしらもじゃ―――。まるで願いが逆じゃが、どうか、わらわの願いを容れてくれぬか、柚希、真冬―――」


「舞雪ちゃん―――」


「頼む、ここを忘れずに―――しかしここに、おぬしらの帰る場所は在ったのじゃ、それを忘れずに居て、そして駆けだして欲しいのじゃ―――」


血反吐吐くような、神様の願い。白い風を背負って涙を流す彼女。


そんな場合じゃないはずなのに、それを、綺麗だと、柚希も、真冬も、想ってしまった。


―――そしてその願いを受け取れないほど、少女二人も幼過ぎはしなかった―――自分が悔しい以上に、悲しい以上に、これで終わってしまう、神様が、きっと、一番辛いのだと、二人もまた、感じ取れないほど、幼くはなかった。


柚希が歯を噛んだ。真冬が涙を零しながら頭を下げた。


「…友達の、お願い、だもんねっ…。聞かなきゃ、駄目、だよね…っ」


「…無理しておるのう、柚希」


「舞雪ちゃん程じゃ、ないもん…」


俯いて、ただ涙を流して告げる柚希。真冬も、泣き笑いだった。


「うふ、雪御前様の、お達し、ですからね…」


「いい子じゃの、真冬…。おぬしは、昔から、手のかからぬ子じゃった…」


振り仰ぐような声。風が境内を駆け巡る。舞雪の背後、鳥居の先から声が聞こえてきた。舞雪の良く知った、声であった。


先日聞いたばかりで―――その前は、数百年前に聞いただけの、従姉妹の声であった。


霧夜も、緋那も、それに気づく。舞雪はゆっくりと、頷いた。ゆっくりとその目を、瞬かせて、鳥居の向こうを見据える。



「呼ぶ声か―――。さて、行かねばならぬようじゃの―――」


「駄目ぇ!!」



駆けだそうとする柚希。遮るように突風が吹く。世界が輝く、否、境内全ての雪が輝き始めていた。誰もが目を瞠る。


「これは…」


「…これで二度目じゃよ。ほんの些細な、置き土産じゃ」


舞雪の微笑み。境内全ての雪が輝き始め、そして蛍の光のようになって、次々に白い空へ舞い上がり始める。それはまさしく奇跡だった。


真冬が絶句する。



「―――逆さ雪―――」



それは、生前、雪御前が亡くなった時に起こした奇跡。


雪下ろしに四苦八苦する里人のために―――自らの荼毘の煙と共に、郷の雪全てを光として天に舞い上げた、そんな奇跡。


白い空と山脈が見える、鳥居の向こう側に、その後ろ姿が霞んでいく。



「―――舞雪ちゃん!!!」


「―――おぬし達の、幸多き未来を。それだけを、わらわは、願っておるぞ―――」



雪が消える―――


消えていく―――


雪は、雪に消えていく―――




目の前には、ただ果てなく広がる白い空。



そう、どこまでも。


キャンバスのように、いくらでも上から色を塗りつぶしていける―――まっさらな未来のような、ホワイトスカイだった。











「またね、舞雪ちゃん。私の可愛い不肖の弟子…。どこかでまた逢いましょう」



はるかな峰の上で、白い空を仰いで、その女性は微笑んでいた。

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