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ホワイトスカイ  作者: 笹霜
望郷編
23/30

23.記憶

「誰かと思えば雪の姫さん」


「―――そうか、おぬしか、おぬしが―――おぬしのせいか」



吹きはらわれた雪の煙。白い袖を翻す雪の姫は、昼とも夜ともつかぬ白い世界の中で、その刺客と向かい合った。


舞雪は白刃『寂静』を握りしめ、ただ凄まじい眼で白神左月を睨んでいた。それは舞雪の知る左月と変わるところはなかった。ぺろりとだんびらの刃を舐める左月の表情は、まさしく酷薄なキラーマシーンのものであって、舞雪の知る左月よりも―――さらに凶相を増したように思えた。


白神左月。


白神荘のかつての主―――白神柚希の、実の父である。


白神荘に入り婿したというのも束の間、舞雪はこの男をひどく憂いていた―――ハナからただの男とは見えなかったが、案の定長続きせず、娘一人だけを置いて出奔して、久しく顔が見えなかった。


異能剣士である。


舞雪の素性も知っているし、挨拶もしているし、何なら数年は関わりがあった男だ。


女将は未だに愛しているらしかったが、舞雪はもう帰らぬであろうと踏んでいた。死んだと風の便りがあったのは一年以上前のことである。殺されたという。舞雪はそれを当然のものとしていた。


記憶をまさぐり、その斬り殺した男の名を、舞雪はやっと、思い出すことが出来た。



―――音無霧夜。



その時は気に留めることもなかった。記憶の奥底に風化し、その名を聞いても思い出せることもなく、ただ久しく放置していた名だった。


だがその名は、姿は、舞雪にとっては、今一番に取り組まねばならぬ男のものであった。



此処は、その男の記憶の中である。夢の中である。舞雪は鋭く刃を構えた。



実在する白神左月は、既に死んでいる―――他ならぬこの少年、桐矢―――霧夜自身が討ち果たしたのだ。名を変えて逃げたのだろうと知れた。珍しいことではない。そして音無の刃は、確かに刺客を捉えて葬ったのだろう。


そしてこの男は、それに飽き足らず、白神荘にやってきた。その理由が、今、舞雪にはやっとわかる。



柚希を殺めようとやってきたのだ。



仇の娘。


舞雪は何度も、霧夜が殺気を立ち登らせているところを見ている。柚希を恨めしげに見ていた視線を知っていた。



―――殺してやる―――



―――それはそうであろう。仇の娘は安穏として此処に暮らして、霧夜にはそれがなかった。学校にもろくに行かなかったとゆかりに漏らした霧夜。仇の娘はすくすくとここで育った。何も知らず。何も苦しまず。


それが、霧夜には許せなかった。



―――ああ、本当に良い男だと舞雪は思う。最初はそのつもりであったが、しかしこの男は、それでも、柚希に最後まで刃を振り抜かず、彼女にそれを告げていないのである。今の今まで。抑止すべくの、自分の存在は無論あった。しかしそれでも、怒鳴りつけたりする機会もあったはずだ。だがそれをこの男はしなかった。


舞雪は霧夜の言葉を思い出した。


あの日、ゆかりに絵を見せた時。この男はこう言った。



『俺は俺の欲しいものをずっと描き続けた。平凡な日常、愛情溢れる風景、困ったら手を差し伸べてくれる善意、笑顔と愛情』



それらが全てある者が、羨ましくて妬ましくて、―――そして許せなかった。だから奪ってやろうと、殺してやろうとやってきたのだ。


だが、いい男だから。本当は、優しい男だから。


自分に抑えられ、ゆかりに微笑まれて、―――我慢しようというのである。舞雪はそう思っていた。だがそれは、余りにも辛過ぎる。


―――では、霧夜のこの思いはどこに行くというのだろう?この辛い思い出を、霧夜は一生、背負わねばいけないのだろうか?


この後どうなるかくらい、舞雪には予見が出来ている。絵の師は殺されてしまったのだろう。目の前で。そしてここから、地獄のような風景が、人生が待っていたのだ。子供なのに追われ続け、学校にも行けないサバイバル―――


裏切られたことも無数にあるとあの男は語った。


それにも関わらず。ゆかりを救った。挙句の果てに、柚希への刃までをも、引っ込めようとしている。



―――そんなのは可哀そうだと舞雪は思う。この男にも衝動があるのだ。怒りがあって、衝動があって、太刀を振るいたいのだ―――



しかし振るったところで、その先にはあるのは再びの地獄でしかない。何も生まず誰かが悲嘆に暮れるだけの未来。


そんなものは無慈悲に過ぎる。


故に舞雪は此処にいる。



「―――死んでもらうぞ、白神左月」


「へ、俺に出来るのかい?雪の姫さん」


「そこの子と、おぬしの娘のために、死ぬがよい」



そう言って、刃を突きつけ―――宣戦布告した。


この男は、殺さねばならない。今この場で、殺す気満々であった。もとから夢の中に居る男である。実在の彼は死んでいる。殺したところで何もない。


此処にいるのは、この少年―――霧夜の思い出としての白神左月である。過去のトラウマ。幻想。記憶としての男にすぎない。


だが、少年の記憶の中で、彼は生き続け、そして彼を未だに苦しめ続け、悪夢に苛み続け、―――それこそが自分の娘をも殺そうとしているのである。


許せるはずがない。許すはずがなかった。死なねばならない。今この場で。この男は、死なねばならなかった。殺さねば退けない、退く気は一切ない。さもなくばこの男がずっと苦しみ続ける。そのような未来は願い下げだった。このいい男が、苦しむ未来は消えねばならない。



―――己のことなど振り捨てれば、このようになるのは当然であった。



この郷のことなぞ最早関係ない。一人の女として、ただこの男を助けたい―――苦しみを救いたいと願うのなら、この男が何故に苦しんでいるのかを探らねばならなかった。ゆかりのことは取返しがつかないけれど、それでもまだこの男が此処にきた原因は残っていた。それを吹き飛ばしてしまえば良い。だから舞雪は―――話を聞こうと思ったが、拒絶された。


しかし、この男が夢で(うな)されていることを知っていた。


そして入ってみればこの有様である。


舞雪は何が起こっていたか悟った。そして全てを理解した。


なればこそやることは一つだった。この男の苦しみを除くことである。そうすれば全てが助かるのである。そのためにはこの男の夢を殺す。悪夢の本体をぶちのめしてやればいい。柚希を殺してもきっとそれは消えないが―――己の力ならば消すことも出来よう。


未だに大いに残る、この神の力であれば。



「来い、左月」


「へっ、雪の姫さん、怖い顔しやがって。でもこの冬桜でお前の力は発揮できまい?」



嘲弄するような声だが舞雪は取り合わなかった。


この男は、夢を見ている男は白神荘にいるのである。―――己の領域に居るのである。ならば干渉もしてくれよう。


舞雪は容赦をするつもりがなかった。


口調は冷徹だった。



「御託は構わぬ。わらわが殺してくれよう」


「だが俺も殺される訳にゃあ、いかねえなあ…おまんまの食い上げなもんでね」


「死ぬがよい」



仕掛けたのは舞雪の方からであった。縮地―――否、それよりも疾い。瞬間移動かと思うような速さで左月との距離を一瞬に詰める。神の力である。それも零落してもいない。未だに最期の信仰の力を宿す土地の力、それらを十全に振るって目の前の男を打ち倒すべく疾走する。


決意の一刀だった。振り抜かれる一撃が左月の防御と激突する。巨大な火花。左月の体幹は流石のものだった。一撃程度では揺らぎもしない。


「へっ、やるねえ姫さん」


黄色い歯を向いて、野獣めいた、嘲弄に似た笑い。だが舞雪は取り合わない。大上段から剣を振り落とす。凄まじい霊力同士の衝突。左月の踵が土手に食い込み、衝撃波が周囲に巻きあがった。


左月が反撃に振り抜いた一刀が空を切る。舞雪の姿が幻像となって消えた。一瞬の交錯。流石の左月も予想外の手ごたえに瞳に狼狽が浮かぶ。


既にしかし時は遅い。


「消えよ―――!!!」


背後に回り込んだ舞雪の掌底が、左月の背骨を正確に直撃する。その場に走る白銀の霊力。舞雪の象徴―――氷の霊力がその掌底を介し、左月の身体を瞬時に凍らせた。そんじょそこらの異能者では到底及ばない―――神の力である。



「砕け散れ」



鮮かな音を立てて、氷と化した左月の身体が砕け散った。数秒と経たぬ瞬時の攻防。しかしそれで充分だった。砕け散った氷の欠片がみるみるうちに細かい氷晶となって、白い土手道に転がり、白い光を伴いつつも消えていく。


舞雪はそれを、紅い眼で見ていた。祟り神の目であった。やろうと思えばゆかりにも振るえた力だが―――舞雪は舞雪故にゆかりに振るうことはとても出来なかった。だが、今回、このようであれば、情けも容赦も、一切なかった。


声がかけられた。


「まさか、この夢の中に入って来る方がいらっしゃるとは」


「…おぬし…?」


舞雪は土手道で振り返る。白い長着に紅の袴姿の、中静玻璃が立っていたのだった。雪風にポニーテールを流して、冷涼な視線で神を見ていた。


後ろに一人の少年がくっついているのが見える。


優しい瞳が、誰かに良く似ていた。


「これは失礼。私、中静玻璃と申します」


頭を下げた玻璃。「うむ」と舞雪は答えながら、微かな違和感を覚っていた。


「舞雪という」


「感謝します、舞雪姫様」


「―――わらわのことを?」


「桐矢を…霧夜を救おうとしてくれているのですね」


儚いながら、泣きそうな顔であった。その悲しげな微笑みに、舞雪の違和感は頂点に達する。その唇を開いて、


「…おぬし、夢の中の者か?」


「―――似て非なるものです」


「というと?」


「私は、中静玻璃の無念。未練です。『音無』に宿った、残留思念―――この妖刀を依り代として、この子を護っています」


それだけを、玻璃は言った。本人は斬り殺されて久しい。しかしその無念が刀に宿り、ずっと―――甥を見守ってきていた。


「ですが、音無は静謐を是とする剣。私が励まそうにも、声も出せず、何も出来ることはありません。あの子が辛い思いをしているのを、ずっと傍で見ている他なかった」


「…おぬしは…」


「笑ってください、舞雪姫様。私は、この子に、何も出来なかった…」


玻璃は笑う。儚い、悲しい、雪の溶けるような微笑み。


「私はこの子に愛情をかけたつもりでしたが、この子がそれを信じられる間もなくに、私はこうやって死んでしまった。それがこの子にはトラウマになって、ずっとこの子を苦しめ続けている。何度消えればいいと思ったでしょう。でも―――苦しむこの子を、放っておけずに、ずっとこのまま…」


「…おぬし…」


「お願いです、どうかこの子を助けてあげてください」


玻璃の唇が願いを繋ぐ。


「貴女であれば―――きっと―――」


「―――うむ」


舞雪は頷いた。それは自分の郷がどうかとか、そういう問題は既にない。―――ただ目の前の少年を助ける。それだけに意識の全てを向けている。


その時、再び、気配があって、舞雪はとっさに振り向きざまに一閃を放った。


激突。剣戟。


舞雪はその殺意を弾き返した。


交錯。土手道の空にバク転を描きながら、土煙を上げて着地する姿。ざんばら髪の、猛獣のような、だんびらを構えた大男―――。


舞雪は一喝を放った。



「―――まだ()ぬか、左月!!!!」


「そう簡単に、殺されちゃあ、かなわねえよ、なあ―――!!!」



狂暴な瞳。少年の悲鳴。詰められる間合い。舞雪は既に見切っている。左月が空中に向かって斬撃を放つ。飛ぶ衝撃波、三日月のようなそれが三連発、土手道をえぐりながら迫って来る。


だが舞雪はそれを立て続けに寂静で弾き飛ばしながら、その瞳を怒らせた。


舞雪の背後の空間が、白く輝きながら凝結する。しかもそれこそ土手全体を覆い尽くすように、二階三階まで届きえるような、そんな馬鹿広い空間を一気に掌握して、神はその口に秘蹟を繋いだ。



「―――飛凍箭陣(ひとうせんじん)!!!」



無数の氷柱が作り出され、嵐のように射出される。その全ての狙いはただ一人。白神左月は数撃は捌き切ったが、そこが限界だった。


無数に浴びせられる氷柱の銃撃。爆音。天にまで届くような巨大な白い煙が上がる。


舞雪は手ごたえがあったのを感じていた。


実際、巨大なクレーターが穿たれた後には、左月の身体は、何一つ残っていなかった。



「やったか!?」


「やってはおらぬ」



歓声を上げかける玻璃、舞雪は冷静にこれを制する。


舞雪はその髪を靡かせながら、後ろに流し目を送った。



「ここは霧夜の精神世界じゃ。一人二人を殺したところで済む世界ではない。精神の中の存在だからこそ、何度殺そうが何度でも復活する。それはおぬしも同じことじゃが、左月もまた同様」


「…」


「繰り返される悪夢の根源じゃ。これを解決するには―――」


「―――解決するには?」


「…情けない真似じゃ、今更迷うておる」



舞雪はそう言った。躊躇われることであった。


策が無い訳ではないが、それは、強硬手段だ。それを取っていいのか―――許される真似なのか。舞雪はそれを考えている。だがそうでもしなければ果ては見えない。十年以上見た悪夢の世界だ。今更一度二度左月を殺したところで変わりはしない。


目の前の空間が歪み、クレーターの穿たれた後に、一人の男が姿を現していた。



「へっ、分かってるようだな雪の姫さんよ、俺は死なねえ。そこの女を殺さん限りはな」



つまり―――オチをつけない限り、蘇るという訳である。現実と同じオチをつけなければ、整合性が取れないとして、どこまでも意識が修正を続ける。その力に従って、この白神左月は復活を続ける。


舞雪は唇を噛む。



「悪霊が…」



それは―――まさしく悪霊の姿だった。


現実で死んだにも関わらず、夢の中で、精神の中でずっと人を苦しめ続ける。生きている人と同じように、死者は人を苦しめ続ける。そうであるならば、それは悪霊に他ならない。この人物は、死んだにも関わらず、生き続けて、生者を苦しめ続けているのだ。


そういう意味で、まさしく死んでも、心の中に生きる人物。


死んでも尚、悪霊のように―――悪霊として生き続ける。人の心の中で。それに対抗するには―――どうしたら良いのだろうと、舞雪がそれを思った刹那。



白神左月の胸から、ぶすり、と。



紫の大きな刃が生えていた。



舞雪ならずや、玻璃も、左月自身も驚愕の瞳だった。



「―――何…ッッッ!!!???」



後ろから貫かれて、左月が血を吹く。今日初めて見た血だった。その背後から左月を刺し貫いた、紫のマフラーの少女は、言葉を繋ぐ。




「おにいちゃんを、苦しめる者は、私が許さない…」




舞雪は絶叫した。それはまさしく、彼女の声だった。


「ゆかり!!!!!!!!!!!」


「貴様ァアア!!!」


「死んで貰いましょう―――」


小紫の声だった。ゆかりは殺意の微笑みだった。紫の流麗な太刀筋が躍る。白神左月の五体が瞬く間にバラバラになる。その五体が河原に散らばって、白い光となって消えていくまでのは、秒の間も置かなかった。


鮮やかな侵入者。


舞雪は愕然としていた。―――が、納得する。


この小太刀ゆかりは―――そうなのだ。死んで尚、この男の中に生きているのだ。


舞雪はゆかりの宣言を思い出す。



『おにいちゃん、私は、ずっとおにいちゃんの側にいるよ。おにいちゃんの記憶に、ずっと残って、おにいちゃんを、励ますよ』


『大丈夫だよ。おにいちゃんは、一人じゃないよ。私も、小紫様も、ずっといるよ』



その宣言が、形となっている、小太刀ゆかりなのである。その刃は、今、愛しい兄を護るために振るわれる。兄の中に入り込んで、兄の敵を葬るために。


―――そう、死んでもなお、人は生きる。思い出となって、その人の心の中に生き続ける。


このろくでもない男が、死んでなお彼を苦しめ続ける、悪霊ならば―――そのカウンターとなるのは、死んで尚、彼を祝福し続ける善霊であるのみだ。


生きている者、死んでいる者。双方からの祝福と、願いが、古いトラウマの悪霊へのカウンター。


小太刀ゆかりは、死んでなお、心のなかに生きて―――彼を護ろうというのである。


ゆかり本人ではない。向こうへ行ったゆかりである。玻璃とは違う。彼女は霊となって憑依している訳ではない。このゆかりは、霧夜自身の想いが生み出したゆかりなのである。


それほどまでに―――小太刀ゆかりは、兄を想った。


故にその刃は、左月をも葬ることが出来るのである。


ゆかりは微笑む。



「…おにいちゃんは、私が護る」


「いいとこありませんね?舞雪?」


「う…うぐ」



小紫の声に舞雪が言葉に詰まる。小紫は全てを分かっているかのようだった。ゆかりは曇天に似た空を仰ぐ。


「でも、まだいる」


「このまま続けても良いのですが、舞雪」


「うむ?」


小紫の声。舞雪は頷く。刃の形をした小紫は言った。その刃から立ち上がる、紫の煙のような霊力。


「ですが、長い刻がかかります。―――時間はないでしょう。夢の続く時間も、そして貴女の残り時間も」


「…小紫…」


「一気に決めましょう。貴女もこの男に惚れたのなら、そうすべきです」


―――師に発破をかけられた時、ずっと悩み続け、そして―――その結論に辿り着いた。この男を救いたいと願うのならば、自分可愛さの全てをかなぐり捨てなければならないと気がついた。


永遠子の言葉を思い出す。



『そのために私は此処に居る』



永遠子はいつの間にか白神荘から姿を消していた。月白寺も閉まっている。―――最初からゆかりを救う気でいたのだ。そして最後までそれを一貫していた。最初からゆかりのためだけに居た。それが分かって、舞雪は愕然としたのだった。


―――だからゆかりに声が届いた。


そして霧夜である。なれば同じことをしなければならない。最初からこの男のために行動しなければならない。そうでなくば、この男の精神(こころ)に届かない。


だからこうも情けない。ゆかりは届いたのだ。だからこそ此処にいる。それなのに自分ときたら、無理やり夢の扉をこじ開けてきているのだ。


だがそれは変えねばならない。


この男の精神(こころ)の中に、住もうと思ったのなら―――捨て身でいかねばならないと、そう気がついた。


そして、そうすることに、抵抗感がない自分に気が付いた。


それは、どういう感情なのだろうか―――。


舞雪は、強硬手段で行くことに決めた。玻璃も頷いていた。何をするかは、分かったつもりらしい。



「この子の苦しみを、消せるのであれば」


「消せるもんかよ」



アンチを張るかのように嗤う声。白神左月が出現する。しかし最早問答無用だった。ゆかりの一閃が翻る。凄まじい斬撃は足を狙ったものだった。咄嗟の一撃に左月の反応が間に合わない。足首を両方すっぱり斬られ、その身体がぐらりと傾く。そのスキを逃す舞雪ではない。


神速でその喉元を、その掌で包んで握り固定する。その掌が輝き始める。左月が狼狽した声を上げた。



「正気か姫さん!!そんなことをしたらこの男の記憶や人格が…!!」


「それを人質にして良い気になっているのであろ?―――構わぬよ、おぬしを消し飛ばせるのなら」



そう、それは記憶に干渉する行為。上書きとはいかないが―――記憶の一部分を曖昧にする行為。


しかし人は記憶の上に立つ生き物。それによって行動を決める生き物。数多の記憶と思い出の上に立つ生き物。その行動原理の一部、それも大きな一部を書き換えようというのである―――いわば人格改変や洗脳に限りなく近い。


神でなくば出来ない行為だ。


だからこそ舞雪は迷っていた。しかしそれを是とした。頷く玻璃がいて、ゆかりがいて、小紫がいたから。皆、彼を想っていたから。


彼の苦しみを除くのであれば―――強硬手段をも辞さないと。


その掌が輝きを増す。白い空までが輝き始める。その掌の輝きが左月ならずや舞雪自身をも飲み込むほどに巨大な輝きとなった。



「失せよ左月!!!!!!この男の記憶から!!!!!!!!」


「貴様、姫さん…!!!おのれェエエエエエエエエ!!!!!!」


「消えよ!!!この男と、貴様の娘のために―――!!生きている者のために、死ぬがよい――――!!!!!!」



そのまま地に叩き伏せる。河原全体を穿つほどの巨大なクレーター。祟り神と化した舞雪が力を籠める。光から世界そのものに干渉する。土手が、河原が、この景色自体が崩れて曖昧になっていく。夢から覚めようと思っているのではない。舞雪がこの世界に干渉しているからだった。


―――左月を無限に生み出すこの夢自体を、叩き壊す。


その根本から。


絶叫は未だに響く。



「おのれェエエエエエエエ!!!!」



最早光の中に溶けて、木霊する残響。まさしく怨念に、舞雪は静かな声を向けた。



「消えよ。おぬしのことは、わらわが憶えておいてやろう。女将も柚希もきっと覚えておる。それらの中で生きれば良い。この男の中で生きる必要などない」


「…!!!」


「霧夜のため、柚希のために、消えて死ね。わらわが命じる。この舞雪が」


「…」



怨念は彼方に消え去っていく。それを舞雪はただ見送る。


最早白以外何もなくなった世界であった。風景全ては崩れ消え去り、人の姿だけが残っている。舞雪とゆかりと小紫、そして玻璃と桐矢少年だけが残っていた。


全てが消えた後で、舞雪は微笑む。碧の瞳であった。



「こんなもんじゃろうかの」


「上出来ではないですか、舞雪」



答えたのは小紫だった。刃から人の姿になる。ゆかりは頷いた後、少年に近づいた。するりと猫のように少年に近寄ると、躊躇なくのハグ。「わっ」と驚いた声がして、玻璃は笑っていた。


「もう、心配は要らなさそうだな」


「…姉ちゃん…?」


「…桐矢。お前には、色々と気遣ってくれる人がいる。私がここに留まっていても、お前を多分苦しませてしまうだろう」


玻璃は言った。誇り高く、しかし寂しげで、儚げな表情だった。


「覚えておけよ桐矢。しかし私はお前の味方だ。ここのゆかりさんと同じように。命を落としたことも、後悔はしていないぞ」


「…姉ちゃん、行っちゃうの」


ゆかりに抱かれながら腕を伸ばす少年。玻璃は頷く。


「お前の中の私の記憶は、あの忌々しい男のものと一緒くたになっている。私を思い出すたびに―――辛い思いをしていたお前を、私は知っているぞ?」


「姉ちゃん!!」


「だがこれも覚えておくがいい。お前の筆は、私が教えたのだぞ」


そう言って、玻璃は微笑んだ。今度こそ、得意げな、笑みで。そして、涙を、流しながら。


「私は絵を描くお前の傍にいるぞ。私が恋しくなったらそうすればいい。女泣かせの腕前をしているのだから、自信を持ってゆくがいい」


「姉ちゃん…」


手を伸ばす桐矢。玻璃は未練を断つように舞雪に目を向ける。



「ありがとうございました。舞雪姫様」



―――これで良かったのか。だが、舞雪はもう迷わなかった。それが、この女の望んだ結末なら。それが、人を、想うこと。



「―――今まで霧夜を護ってくれて、礼を言うぞ」


「貴女は、桐矢を護るつもりなのですね?」


「無論じゃ」


「お任せ、致します。それじゃあな、桐矢。また、逢おう―――どこかでな」



―――溶けるような微笑み。その姿が淡く遠くなり始める。少年の悲鳴と慟哭が木霊する。それを優しく少女が抱き続ける。


「…妬けるのう」


「ふ、ならば舞雪も、そうすれば良いのです」


「…もう、割り切ったわ」



顔を赤くしながら、舞雪はそう言った。小紫が微笑んでいた。



白い世界で、慟哭が続く。しかしそれは、未来へ続いていると、誰もが思っていた。

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