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ホワイトスカイ  作者: 笹霜
望郷編
22/30

22.過去

何故こうなってしまったのだろう。


恋しい妹がいなくなり―――仇は未だ笑顔で笑っている。


それは、そうなのだ。そういうものなのだ。どうしてと問うても、詮はない。神や仏が願いを叶えぬのなら、願いを叶えるのは己の手であろう。―――俺の薄暗い願いを。



彼女を、斬り殺すという願いを。



霧夜はただずっと、白神荘で、働く柚希の姿を見ていた。永遠子様は既にチェックアウトしたという―――舞雪と俺だけが残っている白神荘。


最後の時は近い。



『――――おにいちゃんに、出来るのかな?』


『捨て鉢になっちゃ、駄目だよ?』


『―――あの子に目をかけてやって頂戴』



それらは、直接、止める言葉ではなかったけれど、俺の中で、十分な抑止力として働いている。俺の願いを知った上でかけられた優しい言葉達。


白神柚希の願い―――ここで、誰もが笑顔になって欲しいという願い。出来るならば、奇跡が起きて、ここが存続しますようにという願い。


それらを知って尚、霧夜は、柚希が、羨ましかった―――ゆかりの死を何も背負わず、そして父の罪をも知らぬ、何をも知らずに、



幸せな、彼女が、ただ妬ましかった。ただ、殺したかった。



何も知らずに過ごしているのは、幸福なのだろうと思う。―――その幸福を叩き壊してやりたかった。俺の場と同じ場所に引きずり込んでやりたかった。


真冬からも、舞雪からも、あんな風に気遣われて。ゆかりがどうなったかも知らない―――何も知らずに、この場限りの幸福を享受している彼女が、妬ましかった。


だがどうしたらいいのだろうと自らに問いかけながら、霧夜は今日も一日を終える。


白神荘の、部屋。強烈な乾いた暖気に満ちた、どこか空々しい部屋だった。


窓の外には降り続ける雪。明日は雪かきが必須だろうと思う。神社に行かねばならないだろう。


部屋をノックする音。霧夜は答えなかった。答える気分になれなかった。ノックは止む。気配も消えた。

それで良かった。霧夜は布団の中に入る。冥い部屋の中でただ考えを巡らせている。


ただ黒い炎に身を焦がすように、瞳を閉じて眠りに落ちた。



安楽な眠りでないことは、己自身が良く理解していた。








畳敷きの部屋だった。古い日本家屋だった。冬だった。


少年は一人、スケッチブックを広げていた。ちゃぶ台の上で広げて、鉛筆をなぞらせる。その手つきは幼いが、確実にものを捉えていた。少年の瞳の向く先には、招き猫が一つあって、それを少年は無心に描いているのである。


味噌汁の匂いがした。


声。


桐矢(とうや)、ご飯だぞ」


「…運ぶよ、姉ちゃん」


「お前も絵が好きだな」


台所に駆け込む少年がお膳を持ってやってくる。その後に続くようにして、苦笑交じりの女性。白い作務衣をふわりと着た、ポニーテールの妙齢の女性であった。


「そんな風だと、さぞ兄さんのところでは、叱られたろう」


「でも僕、そんなに剣、好きじゃないし」


「少なからず修めておかなければ、この世界だと生きていけないから、兄さんも気を遣っているんだろうが…まあ、やり方だな」


お膳を並べながら、少年はポニーテールの叔母を見ていた。


「姉ちゃんはあんまり叱らないよね」


「叱って欲しいのか」


「ううん」


「お前は十分にやっているさ。十分にやっているのにその頑張りを認められないのは、あの兄の悪いところだ」


ポニーテールの少女は、ふっと微笑んだ。どこか男勝りにも見える笑みだった。少年はスケッチブックを畳の上に置きながら、不安そうな表情だった。


「剣をきちんとやれば、姉ちゃん、また絵を教えてくれる?」


―――私は、この子への、画の手ほどきを一度も拒否したことなどないのに、この少年はそう聞いてくる。


「勿論だ。画だけという訳にはいかないが…私も出来ればそうしたいくらいなのにな」


「それは、お父さんとの約束だから?」


「それもあるが―――」


女性、中静玻璃(なかしずはり)は、ただ思う。彼の行先―――。


中静の家は、裏世界の異能剣を代々伝える家だ。妖刀『音無』と、それに纏わる一つの流派を修める家。そしてこの子は、その後継者。


それを強いるつもりは玻璃にはない。


しかし、そういう家柄である以上、血の匂いや、斬った張ったという、残酷な世界とは無縁ではいられない。妖物ならずや、人間を斬ることもある。表世界は平穏になっても、裏の世界はそういうものがある。異能者や妖怪の跋扈する世界では、法律は通用しない。


この家に生まれてしまった以上、それとは無縁ではいられない。それはまた、宿命であった。


この子の背負った、重い未来なのである。


ただ何もないでは殺されるしかない。身を護りぬくための剣技が必要だった。


だが父は厳しすぎるに尽き、母は学業までをも要求し、家庭内で戦争が絶えなかった。この子の両親は、一体この子に何を求めているのだろうか―――玻璃は心底、そう思う。



―――この子はようやく、笑ってくれるようになった。



中静玻璃はそう思う。一年かかった。この甥を引き取って、何故か私の趣味まで最近は真似始めた。そんな真似などしなくても良いのに、この子は絵を描きたがる。


だから、絵を教えてやりたかった。玻璃もまた、絵が好きであった。


だが、せめて、身を護れるようにならねばならない。


「ご飯食べたら一時間走るか、桐矢」


「寒い」


「私も走るから、我慢するんだ。そうしたら、また教えてやるから」


「本当に?」


「約束しよう」


―――その約束が叶わぬことを、玻璃は知っている。数えきれないほどに繰り返した夜は、今宵もまたやってくる―――。


玻璃は刀を取った。平穏な時間は、ここまでだった。



「桐矢、逃げろ」


「えっ」


「いいから逃げるんだ馬鹿!!!!窓から飛び出せ!!!」



怒鳴った。桐矢少年があっけに取られたのも一瞬のこと、玄関が蹴破られる音―――ガラスと板との砕け散る、轟音だった。


桐矢も異変を感じとる。窓から飛び出す少年に続いて、玻璃も格子窓を破って外に転がり出た。同時に霊装を展開、巫女の如き袴姿となって、刀を抜きはらい、やってきた敵と向かい合う。


敵もそれを悟って、のっそりと、玄関から出て来た。桐矢が立ちすくむ。それを護るように、中静玻璃は仁王立ちをした。


長身の男であった。ばさりと広がる長い髪は、落ち武者のようである。中はさながら髑髏が如き様相で、その三白眼だけが炯々とこちらを見据えている。骨ばった顔つきであるそのくせに、タンクトップにジーンズという無造作な肉体は、剽悍な猛獣のようであった―――スマートに鍛え上げられた筋肉と霊力に覆われ包まれているのが、玻璃には良く分かる。


そして手には、巨大なだんびら。妖刀と言って差し支えない巨大な刀を握りしめ、男はへらりと笑った。



「死んでもらうぞ、中静玻璃、そして桐矢」



―――刺客だった。玻璃は躊躇わない。我が中静家、いくらでもスネに傷はある。柳の植わった、冬の土手沿い。その広い道で、刺客と向かい合う。


だが、勝てる気はしないし、何度も何度も何度も殺されて―――また今夜も殺されるだろう。


そしてこの子は逃げ延びるのだ。


それが繰り返されてきたこの夜の宿命。果てしない悪夢の結末。そして現実に起こったことの繰り返し。延々繰り返される過去の風景。


粉雪が降り出す中で、男が突撃してくる。巨大なだんびらを持った男が、一瞬で間合いを詰めてくる。玻璃は避けない、避けたらあの子が死ぬ。だから真っ向勝負で迎え撃つ。


火花が散った。巨大な一閃を辛うじて玻璃は弾き飛ばす。だがその有り余る破壊力に、玻璃の手から刀が離れそうになり、また姿勢が崩れそうになる。それを必死に立て直しながら、



「桐矢、逃げろ―――!!!」



それだけを叫んだ。背後で悲鳴が聞こえる。立て直しきれない姿勢のところに、追い討ちの二閃目が迫って来る。到底力量が違う。こいつは相当の剣客、私よりもはるかに格上の異能者。―――それは玻璃も良く分かっている。


一人なら真っ先に逃げているところ、彼がいるから、ただ護るために立っているのだ。


時間稼ぎで良かった。それだけで良かった。それでこの子が生き延びてくれるなら、捨て石になって構わなかった。それで、良かった。


この子が、生きて、笑ってくれるなら。


首筋を狙う一撃が迫る―――刹那だった。




剣客が刃を引っ込めて、飛びのいた。




「!!!」




玻璃さえも何が起きたか分からなかった。先ほどの一閃があった位置に、巨大な爆発と共に土煙が舞い上がり、視界を一瞬で覆う。爆音と衝撃波に玻璃はたまらず口を覆いながら飛びのこうとして、転んだ。土煙、いや違う。それは雪を巻き上げる、あえていうなら雪煙。


何かが降ってきたのか、それとも―――現れたのか。


煙の中に一対の瞳。碧の瞳が煌めいている。


刀を持った少女だった。


桐矢を護る玻璃をさらに護るように、その刀を持った少女は、―――白い着物を翻した少女は、その神の瞳で、刺客を見据えた。


その瞳が怒りに見開かれ、そして一喝を放った。



「貴様か!!!!!!!!!!白神左月(しらかみさげつ)!!!!!!!!!!!!」



刺客は笑った―――この夜の運命が、転換した瞬間だった。

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