24.望郷
目が覚めた時は早朝であった。いつかのように、いつものように青白い朝だった。
そして何故か布団の中に、一人の御姫様がいて、すうすうと寝息を立てているのだった。
「―――」
霧夜はそれを覚っただけだったが、少しの間、考えを巡らせていた。
―――悪夢のはずだったのに、それは、寂しく、悲しい夢だった。
夢の中でのことは、良く覚えている―――この夢は本当に昨夜で最期だったのだ。唐突に訪れた最期。あの叔母が、初めて、真意を明らかにしてくれた。
―――俺は、想われていたのだ。
と同時に、記憶にあるはずのその姿が余りにもぼやけてしまっていて、その輪郭すらも捉えるのが難しい。叔母の顔を思い出そうとしても、出来ない。
ただ、それが、俺を想ってのものだったと、それだけはハッキリしていて。
そして、夢の中の妹分に抱きしめられた記憶。そして―――あの忌々しい男を消し飛ばした、雪の姫様が目の前にいる。
―――寂しいお別れだった。
だが、重苦しい朝ではなかった。それは、ハッキリしていた。その朝のためだけに、あの叔母は―――あの男を道連れにして消えた。消えることを、望んだ。
そして、妹分も、このお姫様も、そう願っていた―――。
布団から出た。姫様はそのままにしておく。
浴衣を直して、朝風呂を浴びようと立ち上がろうとしたが、そこで、後ろから抱きすくめられた。
ふわりと、少女の匂いがした。
「霧夜」
「…」
「おぬしが辛い顔をしていた。辛い夢を見ていた。許せ。故に消したぞ。わらわが」
切ない断言。
「おぬしが苦しい顔をするのは、苦しい夢を見るのは、わらわが望まぬ。そして誰もが、きっと望まぬ」
「…」
「柚希を殺すつもりであったのであろう?」
その言葉に、霧夜は後ろから抱かれながら答える。―――今更隠すことは、出来ないだろう。
「ああ」
「…羨ましかったのじゃろう、柚希が」
「妬ましかった。…何故俺があんな目に遭って、柚希がああなのか」
零れ落ちた無念の思い。
「おぬしが辛い目に遭ったのは、良く聞いた。名前まで変えて。良く頑張ったぞ霧夜。わらわが褒めてやろう。―――良くここに来た。歓迎するぞ」
だが、俺の真意を聞いて、そこで、はじめて、この舞雪は、歓迎すると、言葉を紡いだ。
その真意を知って、微笑んでいた。
「柚希と同じものが欲しいのか?」
「…いや…」
「柚希を殺したところで奪えはせぬ。愛も故郷も思い出も日常も、殺して奪えるものではない。欲しいのか霧夜。欲しいのならば、正直に申せ」
その言葉に、霧夜は絶句した。しかし、意志とはかけ離れたところで、唇が動き始める。
「…俺は、欲しい…」
「そうか」
俺を抱きしめる少女が微笑んだのが分かった。耳元で優しい声が囁いた。
「おかえりなさい、霧夜」
ズグン、と心臓に刃を打ち立てられるかのような衝撃があった。神様の微笑みはそのままであった。悪戯っぽい、切ない微笑みだった。
「何を震えておる?ならばわらわが与えてやろう。おぬしが寂しい思いをせぬように。そして笑っていられるように。ここがおぬしの帰る土地になろう。この三郷温泉が。故に、おかえりなさいは、当たり前の言葉じゃ」
舞雪はいつぞやの問いを思い出す。
『俺とゆかりはどこへゆけばいいのか―――』
その霧夜の問いに答えられなかったが、今ははっきりと答えられる。それを自覚する。
「…どうして俺に」
「分からぬか?」
舞雪は微笑んでいた。大人の女性の微笑みだった。
「おぬしがわらわの見込んだ男だからじゃ、―――そう言っておけば良いかの」
「…俺が最後の客だからじゃなくて、か?」
「所詮、要素の一つに過ぎぬ」
舞雪はそう言った。
「最期の客だからといって、誰でも良い訳ではない―――おぬしだからじゃよ。ああ、本当におぬしは正直者じゃなあ。今更何故などと、それこそ何故に聞く?」
切ない言葉は続く。
「小紫の言うた言葉の通りじゃ。そしてお師匠様も咎めた通りじゃ。わらわはおぬしに甘えてばかりじゃ。雪下ろしやら何やら働けばよいだの、絵を描いて欲しいなどとだだをこね、挙句ゆかりのことでは頼りっぱなしで、―――そんな甘えっぱなしのわらわの言葉の多くを、容れてくれた」
抱きしめてくる小さな腕。その力が強くなる。
「それほどまでに尽くしてくれる男に…どうして報いぬことがあろうか?」
愛おしげな微笑みが、後ろにあるのに、良く見えた。
ただ、大きなため息を、一つだけ零して。
音無霧夜は、天井を見上げた。
全てのはじまる、青白い朝だった。




