第89話 最初の入植者
新領都予定地へ、最初の入植者たちが到着したのは、造成開始から三週間後のことだった。
荷車が軋む。
土埃にまみれた30人ほどの男たちが、疲れた顔で坂道を登ってくる。
種族はバラバラ。
背負い袋に毛布、鍋、ボロ布に包んだ家財。
どれも、“ここで生き延びるため”だけの荷物だった。
開拓地。
そう聞いている。
最初は野宿。
水は不足。
食事は乏しい。
魔物も出る。
泥だらけになって土地を耕し、ようやく人が住める場所になる。
それが普通だ。
皆覚悟して来ていた。
だが、あの虐げられた領都ではなく、新しい暮らしを得られるなら。
新しく赴任した貴族らしくない領主様が、身分、種族を問わず、能力に応じて給与を出すと布告した。
本当かどうかはわからないが、今の最低な生活を抜け出せるのなら。
藁にもすがる思いで歩いてきた。
しかし──
「・・・なんだ、あれ」
先頭を歩いていた男が、思わず足を止めた。
森が切れた視線の先。
そこには、壁があった。
木材と石材で組まれた、簡素だがしっかりした第一城壁。
さらに、その向こう。
屋根が見える。
煙も上がっていた。
「開拓地・・・だよな?」
「壁、あるぞ・・・」
ざわり、と空気が揺れる。
誰もが困惑していた。
想像していた景色と違いすぎる。
門前にはセドリックが立っていた。
以前より顔色が良い。
疲れてはいるが、死にそうな顔ではなくなっている。
「ようこそ、新領都予定地へ」
セドリックが静かに言った。
「まず説明します。勝手に動かないでください。水場、炊事場、仮設住宅、湯場の位置を先に覚えてもらいます」
「・・・湯場?」
男たちが顔を見合わせる。
セドリックは軽く息を吐いた。
「言ってもわからないでしょう。見た方が早い」
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門をくぐった瞬間、入植者たちは再び足を止めた。
整地されている。
まだ完全ではない。
だが、道があり、区画があり、仮設住宅が並んでいる。
木材の匂い。
湯気。
遠くでは、誰かが鍋をかき回していた。
「屋根・・・あるぞ」
「寝床、本当にあるのか・・・?」
男の一人が、恐る恐る仮設住宅の扉を開ける。
中には木製の寝台。
簡素な机。
さらに、窓まで付いていた。
「・・・おい」
別の男が、ドアを開ける。
「これ、なんだ?」
恐る恐る扉を開ける。
中を覗き込み――固まった。
「これはトイレです」
「部屋の中にトイレか? 匂いは大丈夫なのか?」
「使ってみてください。驚きますよ」
「わかった」
「終わったらこのボタンを押してください」
「ぼたん・・・? よくわかんねぇが、終わったら押せばいいんだな?」
「そうです」
二分後。
男が勢いよく飛び出してくる。
「臭くねぇ・・・!」
「は?」
「いや、臭くねぇんだよ!」
周囲がざわつく。
男は半ば混乱した顔で続けた。
「しかも、水で流れた・・・!」
「流れた?」
「何言ってんだお前」
「本当だって!!」
半信半疑で別の男も入っていく。
そして、しばらくして無言で戻ってきた。
「・・・流れたな」
「流れたのかよ・・・」
セドリックが額を押さえる。
「だから説明したでしょう・・・」
「いや、説明されても信じられねぇって・・・」
俺は苦笑した。
「下水と浄化槽だ」
「・・・げすい?」
「汚水を綺麗にして外へ流す仕組みだ」
「・・・」
「どうだ、快適だろ?」
男たちは理解不能という顔をしていた。
まあ、そりゃそうか。
この世界、汚物は基本その辺に捨てるからな。
臭いにも病気にも慣れすぎている。
さらに別方向で歓声が上がった。
「お、おい!」
「湯だ!」
「湯が出てるぞ!!」
共同湯場だった。
簡素な木造施設。
地熱を利用した温水が流れている。
「こんなたっぷり湯があるのか」
「これは・・・何をするところだ?」
「身体を洗ったり、湯につかって温まるところだ」
俺は得意満面に言った。
「身体を、洗っていいのか・・・?」
男の一人が、信じられないという顔で湯へ手を入れる。
「あったけぇ・・・」
その声は、少し震えていた。
長旅で、皆汗と泥まみれだった。
身体を洗える。
温かい湯に触れられる。
それだけで、顔が変わる。
「風呂は生活を一段豊かにしてくれる」
「はぁ・・・」
「この人、本当にお湯に関しては本気なのよ」
エマが呆れたように言う。
だが、どこか誇らしげでもあった。
しばらくして。
ようやく男たちの一人が、ぽつりと呟く。
「おい・・・ここ、開拓地のくせに旧領都よりマシじゃねぇか?」
「バカ。マシなんかじゃねぇ。はるかに快適だ」
今度は、誰も否定しなかった。
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「みんな、集合してくれ!」
仮設領主館前。
俺は集まった入植者たちを見回した。
「建築、土木、採取、狩猟、鍛冶。できることを申告しろ」
「・・・身分は?」
「問わない」
「種族は・・・?」
「問わない」
「奴隷落ちでも?」
「働けるなら問題ない」
ざわり、と空気が揺れる。
驚いている。
まあ当然だ。
今までの貴族なら、そんなこと絶対言わない。
「できる奴に仕事を任せる。働いた分は払う。だから、遠慮なく来い」
最初に前へ出たのは、ミルコだった。
「土木と戦闘ならできる」
「よし」
「岩運びでも壁作りでも何でもやる。ただ・・・俺は奴隷だったんだが」
「関係ない。大事なのは仕事ができるかどうか、だ」
「わかった」
「よし、次」
次にナラハ。
ワーウルフ特有の鼻を少し動かしながら口を開く。
「採取と索敵。あと獣道探し」
「助かる」
最後に、小人族の男。
エルトマ。
「・・・弓と細工」
「細工?」
「高いところも得意だ」
なるほど。
この三人はやはり狩猟と採取班に良さそうだ。
「よし。全員採用」
「即決かよ!?」
思わずエルトマが叫ぶ。
俺は笑った。
「人手不足なんだよ、こっちは」
その後も次から次へと仕事を振り分けていく。
「さぁ、どんどん始めてくれ! 指示が出せる奴は指示を出していってくれ。確認事項は俺やセドリックに聞けばいい」
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夕方。
日が落ち始めても、狩猟班は戻らなかった。
空気が少し張り詰める。
湯場で笑っていた男たちも、いつの間にか森の方を見ていた。
「・・・遅いわね」
エマが小さく呟く。
俺も空を見上げた。
「アル」
『戦闘反応は終了済みです。帰還中』
「そうか」
それでも、不安は消えない。
森は危険だ。
この世界では、帰ってこない奴なんて珍しくない。
その時だった。
森の奥で、木が鳴った。
一度ではない。
何か重いものが、地面を削る音がする。
笑い声。
怒鳴り声。
そして、歓声。
「戻ったぞぉぉぉ!!」
森の奥から歓声が聞こえた。
続いて、木々が大きく揺れる。
「・・・なんだ?」
最初に見えたのは翼だった。
次に爪。
最後に、長い尾が地面を削りながら現れる。
「お、おい・・・」
「あれ、ワイバーンじゃねぇか!?」
一気に歓声が上がった。
先頭を歩くミルコが、大剣を肩へ担ぎながら豪快に笑う。
「大物だぞ!!」
血と泥にまみれている。
だが、全員顔が生き生きしていた。
「怪我は?」
「かすり傷だ!」
ミルコが笑う。
「いやぁ、すげぇ武器だなこれ!」
「武器?」
「こんな切れる剣、初めて使った!」
エルトマも興奮気味だった。
「弓もおかしい! 全くぶれねぇし、矢の貫通力も異常だ! ワイバーンの鱗を抜いたぞ!?」
「・・・アル」
『物理的な基本整備と微調整です』
「物理的な、ねぇ。その基本整備が怖いんだよ」
まあ、知ってた。
「ところでワイバーンっていうのは食えるのか?」
「食ったこたぁねぇが、旨いらしいな・・・」
誰かがワイバーンを見上げながら呟く。
俺は、その言葉で決めた。
「・・・よし」
「何その顔」
エマが嫌そうな顔をする。
俺は笑った。
「今日は焼くぞ。入植記念のバーベキューパーティーだ!」
「また始まったわね」
「肉があるなら焼くしかないだろ」
「さっぱりわからないわ」
「わかるようになるさ」
「はいはい」
解体班がどんどん解体していく。
その横で調理班が肉を一口大に切って串にさしていく。
野菜は貴重なので肉ばかりだ。
広場では炭が起こされパチパチとはじけている。乗せられた鉄の網が準備万端だ。
「よし」
俺は秘蔵のスパイス箱を開けた。
オリジナルブレンドのミックススパイス。
今や大量に用意されている。
複数の香辛料や乾燥ハーブを砕き、ヴェルクハーフェン産の藻塩と合わせ、振りかけられるようにしたものだ。
蓋を開けた瞬間、香りが広がる。
ラムール側で新たに発見したいくつかのハーブやスパイスも加え、奥深さは以前の比ではない。
これを肉に振りかけていく。
そしてよく焼けた鉄網にワイバーンの脂を塗り、肉を乗せていく。
ジュッっという音とともに、肉からにじみ出た脂が炭に落ち、煙が立ち上る。
「な、なんだこの匂い・・・!?」
「腹減ってきた・・・!」
さらに大量の肉串を、炭火の上へ並べていく。
ジュワアアアア・・・!!
脂が弾けた。
炎や煙と共に、暴力的な香りが広がる。
働き詰めだった男たちの腹が、一斉に鳴った。
「まだか!?」
「ばか、今乗せたばかりだ!」
「もう食えるだろ!?」
「落ち着け!」
「無理だろこんなん!!」
最初に焼きあがった肉が俺とエマのところにやってきた。
領主特権だ。遠慮なくいかせてもらう。これだけは譲れない。
全員が注目する中、一口。
じゅわっ。
「うおッ!?」
思わず声が出た。
なんだこれは。
とろけるような肉質ではない。
しかし歯の抵抗は極小。
噛んだところからあふれ出る肉汁。
霜降り牛肉ようなしつこさはない。
ヴェルクハーフェンの藻塩のうまみ、ハーブの香り、スパイスの刺激、酸味、わずかな苦み・・・
一体となって暴力的に口腔内を制圧する。
俺は天を仰いだ。
「うっっっんめぇぇぇ!!」
ふと隣を見ると、エマも頬を抑えてものすごい笑顔だ。
「お前らも喰え! うんめぇぞ!!」
「「「うおおおぉぉぉぉ!!!」」」
焼き上がった肉へ、男たちがかぶりつく。
「うっっっま!?」
「なんだこの肉!?」
「柔らかっ・・・!」
「肉のうまみも凄いけど、このスパイス?とやらの香りが最高ね・・・」
ナラハが目を丸くする。
ミルコは笑いながら串を追加で掴んでいた。
「最高だなこれ!!」
周囲に笑い声が広がっていく。
朝まで、不安そうな顔をしていた男たちだ。
それが今は、肉を食い、笑い、未来の話をしている。
俺は串焼きをかじりながら、小さく眉をひそめた。
「しかし・・・何か足りないな」
「これでまだ不満あるの?」
エマが呆れたように言う。
俺は真剣に考える。
最高の肉、最高の調味料、そしてBBQという最高の会場。
導き出される結論は・・・
「酒だ」
「そう来ると思ったわ・・・」
「それもキンキンに冷えたヤツが必要だ」
『麦を利用した酒造は、この領地の主要産業候補になります』
アルの声が響く。
「街が安定したら絶対やる。俺は酒を造る!」
一瞬の静寂。
そして。
「酒!?」
「マジか!!」
「最高じゃねぇか!!」
歓声が夜へ響いた。
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バーベキューはすっかり暗くなるまで続いていた。
さすがに食べる速さは落ち着き、みな思い思い炭火を囲んで、ゆっくりとした空気が流れていた。
「おっかぁも娘のメーアも連れてくりゃ良かったな・・・」
満腹になった腹をなでながら、男がぽつりと呟く。
その声は、少しだけ寂しそうだった。
俺は自然に返した。
「呼びたい奴がいるなら連れてくるぞ」
「・・・本当か!?」
男が勢いよく立ち上がる。
周囲も一気にざわついた。
「セドリック」
「はい」
「呼び寄せたい人間のリスト作ってくれ」
「・・・!」
「住民が増えるぞ」
セドリックが、一瞬だけ目を見開く。
それから、小さく笑った。
「・・・承知しました、閣下」
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夜。
仮設領主館の窓から、わずかに灯った街の灯りが見える。
肉の匂い。
笑い声。
湯場の湯気。
まだ未完成だ。
だが、確かに生きている。
「不思議ね」
エマが小さく呟いた。
「何がだ?」
「朝は、みんな不安そうだったのに」
俺は窓の外を見る。
確かに、そうだ。
「肉と塩とスパイスの力だな」
「それだけじゃないわ」
エマが、そっと肩へ寄りかかってくる。
「ここで生きていけるって、思えたんだと思う」
「・・・」
「あなたが、そういう場所を作ったから」
その言葉に、少しだけ胸が熱くなる。
俺は苦笑した。
「・・・責任重大だな」
「ええ。頑張って」
エマが小さく笑う。
外では、まだ笑い声が続いていた。
彼らにとって、厳しい開拓地になるはずだった。
だが、そこには屋根があり、水があり、湯があり、飯があった。
そして何より、明日を呼び寄せたいと思う人間がいた。
この場所は、もうただの開拓地ではなかった。
人が未来を体感できる、
そんな街の始まりだった。




