第88話 領都移転計画
あれから二週間。
旧領都の朝から、怒号が減った。
水場に並ぶ列はまだ長い。
炊き出しの鍋も、十分とは言えない。
それでも、子供が濁った水をすする光景は減った。
泥だらけの男たちは、水路の詰まりを掘り、狩猟班は小さな獲物を持ち帰り、ネネスは鍋の前で声を張っている。
この土地は、ようやく死ぬのをやめた。
だからこそ、俺は決めた。
「この街はもう駄目だ」
俺は旧領都を見下ろしながら言った。
風に、まだ腐った水の臭いが混じっている。
継ぎ足しだらけの建物、行き止まりだらけの路地、汚れた水路、生活排水が流れ込んだ井戸。
応急処置はした。
人が死なないようにはした。
だが、ここを領地の中心にする気にはなれなかった。
「旧領都を・・・捨てるのですか」
セドリックが静かに言う。
「必要最低限は残す。けど、領地の中心にはしない」
「理由は」
「全部だ」
俺は足元の街を見た。
「水路も排水も死んでる。そもそも下水がない。建物配置も悪い。すべてが領主と取り巻きの貴族のためだけに作られた街だ。領民の住環境を良くしたいなら、全部壊して作り直すレベルだ」
「・・・はい」
「それに、地理的条件も悪い。西に寄りすぎている。さらに東に統合された旧子爵領へのアクセスが悪い」
「・・・その通りです」
「直す意味がない」
セドリックは何も言い返さなかった。
言い返せないのだろう。
俺だって、できるなら今ある街を生かしたかった。
でも、手の施しようがないものにしがみつくほど、この領地に余裕はない。
「領地の中心は移す。アル。頼んであった候補地の選定は終わっているか?」
『完了しています。新領都候補地点を表示します』
アルの声と同時に、空中へ立体地図が広がった。
普通の地図ではない。
地面の下まで透けている。
「ここか。ふむ、水源の位置、勾配もちょうどいいな」
『はい。上水と下水の分離も容易です』
「地熱はどうだ?」
『比較的浅い位置で十分な地熱を検出済みです』
「温泉の位置も特定できるか?」
『候補地は五か所あります。うち一か所は自噴泉です』
「完璧だ」
セドリックが完全に黙った。
エマも、少し遠い目をしている。
「・・・何を話しているのか、半分くらいしか分からないわ」
「俺も全部感覚で言ってるわけじゃないぞ?」
『正確には、九割八分は私の解析結果です』
「それを言うな」
『事実です』
「最近、容赦ないな」
アルは無言だった。
たぶん、否定する気がない。
「・・・温泉、とは?」
セドリックが恐る恐る聞いてくる。
「重要だぞ」
「いえ、その・・・地面から出る湯、ですよね?」
「ああ。それを利用して温泉街を作る」
「・・・おんせん、がい?」
完全に意味不明という顔だった。
まあ、この世界で温泉と言われても、せいぜい湧き湯か治療用の熱い水くらいの感覚だろう。
だが、俺にとっては違う。
「保養地、宿、飲食、商業、観光、人の流れ」
「はぁ・・・」
「金持ちは疲れると金を使って休みたがる」
「・・・湯に浸かるために、ですか?」
「湯に浸かり、うまい飯を食い、いい部屋で寝て、珍しいものを買うためにだ」
「・・・」
「この人、本気よ」
エマが小さく笑う。
「めちゃくちゃ本気だ」
セドリックはしばらく黙っていた。
理解しきれてはいない。
だが、俺が本気だということだけは分かったらしい。
「候補地としては、極めて合理的です」
「だろ?」
「ですが、街を新たに作るには、ヒト、モノ、カネ、その全てが圧倒的に不足しています」
普通なら、そこで話は終わる。
街を作るなど、夢物語だ。
けれど、俺の中ではもう別のものが動き始めていた。
地図を見ているだけで、頭の奥が熱くなる。
道を引きたい。
水を通したい。
人が集まる場所を作りたい。
ただ生き延びるための土地ではない。
ここに来たいと思わせる街を作る。
胸の奥が、少しだけ弾んだ。
「まぁ見てろ」
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二日後。
俺たちは新領都予定地へ来ていた。
足元には柔らかい土。
風には湿った森の匂い。
まだ何もない。
森と岩と丘陵だけだ。
だが、悪くない。
いや、かなり良い。
水源が近い。
地形にも余裕がある。
背後に丘陵、前方に開けた土地。
少し手を入れれば、道も通せる。
「・・・ここに、ですか?」
セドリックが周囲を見回す。
その顔には、期待より不安の方が大きい。
無理もない。
彼に見えているのは、ただの森だ。
「ああ」
「思い出すわね」
エマがセドリックを見て、我慢できずに噴き出した。
「何をだ?」
「私たちの家を住めるようにしたときのことよ。きっと私、こんな顔してたのね」
「まあ、そうだな」
俺には違うものが見えている。
道、水路、区画、防壁。
そして温泉街。
まだ存在しない街の輪郭が、頭の中で立ち上がっている。
「まず、街の骨格を作る」
『第一次区画造成を開始します』
次の瞬間。
地面が震えた。
ゴゴゴゴゴ・・・!
「なっ・・・!?」
セドリックが声を上げる。
森が揺れた。
木々が、一本、また一本と傾いていく。
だが、ただ倒れるだけではない。
倒れた木は宙で枝を落とされ、幹を切り揃えられ、板材と梁材へ変わっていく。
白い蒸気が上がり、余分な水分が抜けていく。
生木だったものが、次々と使える木材へ変わっていった。
「な、何を・・・?」
「木材化」
「・・・はい?」
「倒しただけじゃ邪魔だからな。使える形まで持っていく。効率は大事だ」
「いや、そういうことではなくてですね」
『最大効率で実行中』
「あなた達は本当にぶれないわね」
規格ごとに積み上がっていく木材を見る。
まず柱。
次に梁。
板材。
外壁用。
仮設用。
見ているだけで、少し楽しくなってくる。
「何か、昔やってたクラフトゲー思い出すな・・・」
「くらふとげー?」
エマが首を傾げた。
「木を切ったり、それを使って家を建てたり、街を作ったりする遊びだ」
「・・・遊び?」
エマが周囲を見る。
森が消え、木材が積み上がり、地面が均されていく。
それから、半眼でこちらを見た。
「その遊び、被害規模が大きすぎないかしら」
「否定はしない」
その間にも造成は止まらない。
巨岩が砕ける。
山肌が削られる。
低い場所が埋められ、高すぎる場所が均されていく。
道路予定線が地面に刻まれた。
一本。
また一本。
ただの土の上に、街の線が走り始める。
俺は思わず息を吐いた。
これだ。
これが見たかった。
何もない場所に、形が生まれていく。
無秩序だった土地に、意味が与えられていく。
「こ、これは魔法・・・ですか?」
セドリックが呆然と呟いた。
「ああ。多分俺にしか使えない精霊魔法だ」
土地がものすごい勢いで造成されていく。
「・・・ただ、精霊魔法っていうより完全に土木魔法だな」
「今さらでしょう?」
エマが呆れたように言った。
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「よし、まず上下水道の計画だ」
地面へ新しい線が刻まれていく。
さっきまで森だった場所に、深い溝が走った。
上水、下水、排水。
ラインが別々に分かれていく。
「・・・上下水道?」
セドリックが眉をひそめる。
「各家庭に飲み水を引き込む。それと同時に汚水を分けて排出する」
「汚水を・・・?」
「もちろん、浄化してから排出する」
「各家庭で浄化・・・?」
「旧領都が死んでた理由の一つだ。病気を減らすなら最優先」
セドリックが黙った。
旧領都で見た井戸の濁り。
腹を壊した子供。
汚水の臭い。
それらが頭に浮かんだのだろう。
「温泉と地熱も引く」
「湯を街へ流すのですか?」
「ああ。浴場、暖房、温室、調理補助。色々使える」
「湯を・・・暖房に・・・?」
「冬に寒くない街は強いぞ」
「・・・」
「ついでに空気も流す」
「・・・空気を?」
「冷風と温風だ。夏涼しく、冬暖かい街を目指す」
セドリックが完全に処理落ちした。
口を開きかけて、閉じる。
また開きかけて、やめる。
エマが苦笑した。
「たぶん、今は全部理解しなくていいと思うわ」
「・・・はい」
セドリックが、珍しく素直に頷いた。
俺は積み上がった木材を見る。
「閣下が家をお建てになるのですか?」
「いや。全部俺が家を建てるわけじゃない」
「そうなのですか?」
「主要部分は作る。領民が移住する最低限は保証しないとな。後は規格だけ作る。配管位置と接続規格は統一する。建材はパーツ化する。組み合わせれば家になる」
「住民に作らせるのですか?」
「仕事になるだろ」
俺は笑う。
「全部与えるだけじゃ街にならない。自分で建てて、自分で店を出して、自分で稼いでもらう」
「・・・なるほど」
「俺は骨格を作る。街にするのは、住む人間だ」
その時、アルのホログラムに三重の線が浮かび上がった。
「これは・・・城壁ですか?」
「第一次、第二次、第三次」
俺は一番内側の線を指した。
「最初は最低限囲う。水と食料と人を守るための壁だ」
次に、二本目。
「街が育ったら、商業区と温泉区を広げる」
最後に、三本目。
「最終的には、工房区と外部居住区まで囲う」
「最初から拡張前提・・・」
セドリックが小さく息を呑んだ。
その目が、先ほどとは少し変わっていた。
理解できないものを見る目ではない。
理解しきれないほど大きなものを、必死に追おうとしている目だった。
「あー、山の方のリゾート区画も作らないとな」
「りぞー・・・と?」
だが、セドリックは限界だった。
「閣下。できれば私にもわかる言葉でお願いいたしたく・・・」
「説明? うーん、見てからのお楽しみってことで!」
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気づけば、日が傾いていた。
西日が、均された大地を赤く染めている。
朝には森だった場所に、今は道路の線があり、区画があり、上下水道の基礎があり、第一城壁のラインがある。
領主館予定地には、すでに土台の輪郭が刻まれていた。
完成にはほど遠い。
だが、もう何もない場所ではない。
「そろそろ野営の準備をしましょう」
エマが空を見上げながら言う。
夕暮れの風が、少し冷たくなっていた。
「いや、野宿はしない」
「え、さすがに近くの宿場町でも戻るのは無理よ?」
「大丈夫だ。まかせろ」
エマがじっと俺を見る。
「その台詞、もはや嫌な予感しかしないのだけど」
「ひどいな」
『過去統計から見ても妥当な反応です』
「お前はどっちの味方なんだ」
『事実の味方です』
「一番厄介なやつだな」
俺は積み上がった木材を見る。
「まぁ見てろって」
「だから嫌なのよ、その台詞・・・」
エマが小さくため息をつく。
俺は軽く笑った。
「アル、細部設計は任せた。後で崩す前提でいい」
『了解』
次の瞬間。
ゴゴゴゴゴ・・・!
積み上がっていた石材や土、木材が、まるで自分の行き先を知っているかのように動き出した。
基礎が組まれ、柱が立つ。
壁がはまる。
そして屋根が乗る。
木と石と土が噛み合い、仮設とは思えないほどしっかりした建物が、見る間に形になる。
さらに、簡易水回り。
排水。
寝台。
照明。
最後に窓枠がはまり、扉が閉じた。
「エ、エマ様はいつもこのような・・・?」
セドリックが遠い目をしていた。
「いえ。今日は特におかしなものを見せつけられているわ」
「二人ともひどいな」
「今のを見て、普通だと言える人はいないと思うわ」
「・・・まあ、それはそうか」
さすがに自覚はある。
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夜。
仮設住宅の窓を開けると、冷えた空気が頬を撫でた。
遠くでフクロウのような鳥が鳴いている。
昼間まで森だった場所に、今は街の輪郭がある。
まだ家もない。
人も住んでいない。
だが、確かに始まっていた。
アルのホログラムが、夜の中に淡く浮かぶ。
領主区、商業区、温泉区、居住区、工房区。
上水に下水。
地熱。
それを活かした空調。
そして、三段階の城壁拡張計画。
「このペースなら、三か月かからずに街全体の基礎はできるな」
「・・・全体の、基礎」
セドリックが呆然と呟く。
もう、今日何度目か分からない顔だ。
「全部作るわけじゃない。俺は骨格を作る」
俺はホログラムの街を見る。
「後は人が住んで、店を出して、街にする」
「それでも十分おかしいわ」
「まあな」
エマの呆れ声に、俺は笑った。
壊れた街を直すのではない。
新しい街を作る。
水が流れ、湯が流れ、空気が巡り、人が集まる街。
温泉に浸かり、飯を食い、働き、商売をし、また明日もここで生きたいと思える場所。
俺は、まだ何も建っていない夜の土地を見た。
胸の奥が、少しだけ熱くなる。
ラッシュバック伯爵領は、ここから本当の意味で動き始める。




