第87話 変わりゆく人たち
精霊工房も、この数日で完全に空気が変わっていた。
工房の倉庫には、大量の物資が積み上がっている。
穀物、豆、干し肉、干し魚、などなど。
周辺の町や村から集められた物資が、次々と運び込まれていた。
「エマさん、こちらがラッシュバック伯爵領行きです」
帳簿を片手に、セレナが歩いてくる。
視線は鋭い。
いつもの穏やかな空気もあるが、今は完全に実務側の顔だった。
「保存性優先でまとめています。こちらは炊き出し用、こちらは病人向けです」
「ありがとう、セレナ」
「いえ。今は一つの判断が、そのまま命に繋がりますので」
そう言って、セレナはすぐ別の作業員へ指示を飛ばしていく。
その姿を見ながら、エマは小さく息を吐いた。
精霊工房は、もうただの店ではない。
人が集まり、物が集まり、誰かを助けるために動く場所へ変わり始めていた。
「・・・どうかしら? 一時しのぎにはなりそう?」
背後から声がする。
エマが振り返り――そのまま動きを止めた。
「・・・リゼットさん?」
そこに立っていたのは、間違いなくリゼットだった。
だが、以前とは印象がまるで違う。
長かったラベンダーピンクの髪は肩口まで切り揃えられ、柔らかなショートボブになっている。
服装も以前よりずっと落ち着いていた。
露出は減っているが、それで魅力が減ったわけではない。
むしろ逆だった。
以前のリゼットは、視線を奪うために華やかだった。
今の彼女は違う。
静かなのに、目を引く。
上品で、それでいて妙に色っぽい。
「何よ、その反応」
「髪・・・切ったのね」
「ええ」
リゼットは軽く毛先へ触れた。
「少し、戦い方を変えようと思って」
エマは、思わず見入ってしまう。
女性から見ても分かる。
似合っていた。
「戦い方?」
エマが聞くと、リゼットは少しだけ視線を細めた。
「今までの私は、使えるものを使えばいいと思っていたわ」
「・・・」
「見た目も、女性という性も、商会の名前も、言葉も。全部武器にしてきた」
その言葉に、少しだけ苦味が混じる。
「でも、それだけじゃ届かない場所があるって分かったの」
エマは何も言わない。
だが、誰のことを言っているのかは分かった。
「だから、変えることにしたの。自分を」
セレナが静かに頷く。
「とてもお似合いですよ」
「・・・ありがとう」
リゼットは少し照れくさそうに視線を逸らした。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「物資、かなりの量ね」
「ええ・・・」
倉庫を見渡しながら、エマが小さく息を吐く。
普通に運べば、馬車が何台必要か分からない量だ。
「手伝うわ」
「そうはいっても・・・」
「話だけは聞いているわ。精霊の門、というのを使うのでしょう?」
エマは少し黙った。
だが、もうリゼットは十分すぎるほど深く関わっている。
今さら完全に隠し切れる段階ではない。
「秘密・・・と言っても、あなたには今更ね」
「ええ」
「お願いするわ」
「任せなさい」
リゼットは迷いなく頷いた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
地下には、エマとセレナ、それにリゼットだけがいた。
並べられた木箱を見て、リゼットが眉をひそめる。
「とりあえず運んだけれど・・・なにこれ?」
荷車へ積める程度の大きさしかない。
だが、エマが蓋を開けた瞬間――リゼットの目が見開かれた。
「絶対サイズおかしいわよね?」
中には大量の穀物が詰まっている。
木箱の容積では、到底入り切る量ではない。
「空間拡張コンテナです」
セレナが淡々と答える。
「マジックバッグみたいなものなの?」
「よく分かりません」
セレナは静かに首を振った。
「ただ、分かっているのは、アキラ様の精霊――アル様が作ったものだ、という事だけです」
リゼットはしばらく木箱を見つめ、それから小さく息を吐く。
「・・・もう、なんでもありね」
エマは少し苦笑した。
「私も時々そう思うわ」
コンテナへ詰め込まれた大量の物資。
見た目以上の量が、箱の中へ収められている。
「これ、本当に全部入ってるのよね・・・?」
「ええ。重量もかなり軽減されているみたい」
「ほんと、意味分かんないわ・・・」
リゼットが呆れたように額を押さえる。
だが、その口元は少しだけ笑っていた。
荷車へ積まれたコンテナが、ゆっくりと精霊の門へ向かう。
「こっちはもっと意味が分からないけど・・・」
リゼットが苦笑いで小さく呟く。
エマは門の向こうを見ながら、静かに頷いた。
「ええ。でも今は、この力が必要よ」
巨大な門の奥で、青白い光が揺れている。
空間そのものが歪み、向こう側の空気が薄く混ざっていた。
リゼットは、静かに息を呑む。
「たった一歩で・・・馬車で二週間以上かかる場所に、ねぇ・・・」
その一言だけだった。
この技術の価値くらい、商人である彼女にはすぐ分かる。
物流も、商売も、国家の形すら変わる。
だが今は、それより優先すべきものがある。
「でも今は食料が先ね」
エマは小さく笑った。
「ええ」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
一方その頃。
「セドリック。動きにくい」
「我慢してください」
「現場には作業着で出たいんだが」
「今日は領主として出ていただきます」
セドリックがまるで譲らない。
俺はげんなりしていた。
黒を基調にした正装。
派手さは無いが、仕立ては良い。
しかも妙に動きやすい。
「住民は、閣下の中身をまだ知りません」
「・・・」
「なら、まず見た目で安心させる必要があります」
正論だった。
今の領地は、不安だらけだ。
だからこそ、“大丈夫そうに見えること”にも意味がある。
「・・・分かったよ」
『整髪状態、少し整えます』
「お前までそっち側か」
『客観評価です』
「絶対楽しんでるだろ・・・」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
領地側では、急造した倉庫へ運び込まれた物資を、領民たちが協力して炊き出し場へ運びだしていた。
ネネスたちが慌ただしく荷を仕分けていく。
「塩はこっち! 穀物は分けて!」
どこから、どうやって、これだけの物資が集まるのか。
理由は分からない。
だが――。
少なくとも、腹を空かせた子供たちへ飯が届こうとしている。
それだけは分かった。
「鍋、もう少し出せますか!?」
「子供用は別に分けて!」
ネネスが声を張り上げる。
以前よりずっと表情が生きていた。
そして、大袋を開けた瞬間。
ネネスの目が大きく開かれる。
「・・・塩」
小さく呟く。
その声は、少し震えていた。
「塩がこんなに・・・!」
ネネスは思わず箱へ駆け寄った。
「これだけあれば、子供たちにも・・・働く男たちにも、もっと濃いものを出せます・・・!」
ただ腹を満たすだけではない。
味が付く。
塩気がある。
それだけで、人は少し前を向ける。
「今日は少し、まともな飯にしよう」
俺が言うと、周囲の空気が少し明るくなった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
「・・・アキラ?」
エマが足を止める。
リゼットも、言葉を失った。
そこにいたのは、間違いなくアキラだった。
だが、いつもの彼とはまるで違う。
髪は整えられ、正装を纏い、領主として人の前に立っている。
似合っていた。
悔しいくらいに。
ただ着飾っているだけではない。
この数日で、水を戻し、人を動かし、領地を前へ進めている。
だからこそ、その姿が様になってしまう。
リゼットは、胸の奥を掴まれたような気がした。
心臓がドクンと跳ねる。
顔も耳も真っ赤に火照る。
知らない。自分は未だかつてこんな感情を抱いたことは無かった。
こんなの、格好いいに決まっている。
しかも、この男は口だけではない。
大勢の人を救っている。
(まだ、駄目)
今の自分では、まだ隣に立てない。
そう思ってしまう。
その時、アキラがこちらへ気づいた。
「リゼット・・・だよな?」
「そうよ」
「髪、思い切ったな」
「ええ」
「似合ってる」
一瞬。
リゼットの言葉が止まる。
心臓がきゅっと締まる。
「・・・ありがとう」
短い返事だった。
だが、耳が少し赤い。
「アキラ、似合ってるわ」
エマが自然にアキラの隣へ行く。
距離が近い。
肩が触れるくらい。
「そうか?」
「ええ。すごく」
「動きづらいんだぜ、これ」
「でも、見た目は大事よ」
「セドリックにも言われた」
「あ、ここの刺繍、凄いわね」
「だろ。なんかすごいデザイナーの作らしいぜ」
「ほんと素敵よ、アキラ」
アキラが少しだけ視線を逸らした。
その反応に、エマが柔らかく笑う。
以前なら、こんな風にはしなかった。
周囲の視線も気にしていた。
今は違う。
隣に立つことを、もう隠さない。
「・・・エマさん。少し距離が近いんじゃない?」
「そう?」
「そうよ。羨ま・・・じゃなくて、人前なんだから少しは慎みなさい」
「今、羨ましいって言いかけたわよね?」
「言ってないわ」
「絶対言ったわ」
「・・・それにしても、あなたにそれを言われるの、少し複雑ね」
「私はわきまえていたわよ」
「本当に?」
「・・・たぶん」
リゼットが呆れたようにため息を吐く。
だが、その表情はどこか柔らかかった。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
エルトマたち狩猟班も戻ってきていた。
鳥などの小動物と山菜が、かご一杯に入っている。
量は多くない。
だが、採れる物も確実に増えている。
外から届いた食料だけではない。
領民自身も、少しずつ動き始めているのだ。
水が戻った。
飯も届いた。
人も動き始めている。
変わり始めた。
俺たちも。
この領地も。
ラッシュバック伯爵領は、まだ立ち上がったばかりだ。
けれど、確かに前へ進み始めていた。




