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第86話 動き出す人々


 あれから三日が経った。


 水問題は、まだ完全には解決していない。


 だが、少なくとも「濁った水を飲むしかない」という場所は、かなり減った。


 北側導水路の応急復旧に汚染井戸の封鎖。

 仮設濾過槽と貯水槽の設置。

 水路に溜まった泥の除去。


 今日も現場対応だ。

 俺とアルが構造を解析し、メギたち実働部隊が作業する。

 その繰り返しである。



『高優先調査地点、二十七』


(むぅ・・・増えたな・・・)


『架空補修費、未登録魔石反応、地下空洞、帳簿不一致を複数確認』


(好き放題やってるな)



 アルの調査は止まらない。

 不正に隠された金が、領地のあちこちから次々と出てくる。


 しかも、これでもまだ一部だ。

 正直、気分のいい話ではない。

 これだけの物資がありながら、水も食料も足りなかったのだから。



「閣下!」



 泥だらけの男が駆け寄ってきた。

 メギだ。



「南側水路、流れ始めました! まだ細いですが、昨日よりは通ってます!」


「詰まりは?」


「半分くらい抜けました! あと二日くらいで、荷車一台分は取れます!」


「よし。無理はするな」


「はい!」



 メギはそのまま、水路班の方へ駆け戻っていく。

 最初は怯え切っていた男だった。

 今では完全に現場責任者だ。



「メギさん! 次どこ掘ればいいです!?」


「そこだ! 石を割るな、水路を傷める!」



 若い作業員たちが、一斉に動く。

 その様子を見ながら、俺は少し笑った。



(これが奴隷だったって? 埋もれてたのは、金だけじゃないな)



 役割があり、必要とされる。

 たったそれだけで、人は変わる。






 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼






 共同配水場だった場所は、今では炊き出しの中心になっていた。


 水が戻り始めたことで、井戸水の配給だけに全員が張り付く必要がなくなったからだ。代わりに必要になったのは、食料だった。



「子供用は薄め! 病人にはこっち!」


「ネネスさん、鍋足りない!」


「次の鍋すぐ火に掛けて! あと塩入れすぎないで!」



 ネネスが大声で指示を出していた。完全に現場を回している。

 以前の怯えた様子は、もうほとんど残っていない。


 配給量を計算しながら、周囲へ指示を飛ばしている。



「ネネスさん、こっち終わったよ!」


「じゃあその桶洗って! 濁ったまま使わない!」



 女性たちが慌ただしく動く。

 以前なら、怒鳴り声と奪い合いになっていただろう。


 だが今は違う。


 列へ割り込もうとした若い男を、周囲の男たちが止める。



「やめとけ」


「・・・っ」


「精霊に見られてる」



 視線の先には銀の鳥。

 男が青ざめ、そのまま列へ戻る。


 水を独占しようとした男が精霊に罰せられた話は、三日で領地中へ広がっていた。



「精霊が見ている」



 その言葉が、少しずつこの領地の空気になり始めている。






 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼






「外部からの食料だけでは足りません」



 セドリックが帳簿を閉じた。



「水は当面しのげます。ですが次は食料です」


「・・・だろうな」


「保存食だけでは持ちません。特に子供と病人が危険です」


「なら現地でも取る」


「閣下。取ると簡単に申されましても装備がありません」


「館の演習場に装備があっただろ? 弓とか剣とか。それを貸し出せばいい」



 俺がそう言うと、近くにいた小役人らしき男が慌てた。



「お待ちください! それは騎士団の装備です!」


「騎士団?」



 俺は周囲を見る。


 痩せた領民、泥だらけの作業員、炊き出しの列。

 見渡す限り、騎士などどこにもいない。



「どこにいる?」


「そ、それは・・・」


「今、人を守ってるのは誰だ?」



 男は口を閉じた。

 俺は倉庫へ視線を向ける。



「使われてないなら使う」


「ですが、管理記録が・・・!」


「セドリック」


「記録は残します」



 即答だった。



「貸与記録、返却記録、武器番号を整理します。問題ありません」


「よし。弓、槍、剣。使える奴に貸せ」


「承知しました」



 演習場の倉庫から、旧領主軍が使っていた装備が運び出される。


 剣、弓矢、短槍、狩猟用ナイフ。


 全部、埃を被っていた。使われないまま眠っていた武器だ。



「弓を使える奴はいるか?」



 俺が聞くと、周囲がざわつく。


 やがて、小柄な男が前へ出た。

 小人族で痩せている。


 だが、目だけは鋭い。



「・・・使えます」


「名前は?」


「エルトマです」


「やれるか?」


「森なら」


「よし、これをやる。やれ」



 弓を渡す。

 エルトマは、一瞬だけ目を見開いた。



「・・・俺に?」


「使えるんだろ?」


「・・・はい」


「じゃあ使え」



 エルトマは黙って弓を握った。


 その手付きで慣れているのが分かる。

 本当に使える者の手つきだ。



「採取が得意な奴は?」


「・・・私」



 今度はワーウルフの女性が出てきた。

 灰色の耳に警戒した目。



「名前は?」


「ナラハ」


「何が分かる?」


「食べられる草、薬草、水場、獣道・・・あと、匂い」


「鼻が利くのか」



 ナラハの表情が少し曇る。

 今まで、その能力を便利屋扱いされてきたのだろう。


 だから俺は、それ以上余計なことを言わない。



「得意なんだろ?」


「・・・え?」


「なら頼らせてもらう。頼めるか?」



 ナラハが少し固まる。

 それから、小さく頷いた。



「・・・任せて」



 最後に、大柄な男が前へ出る。

 ヒューム。

 体格が良く、顔は傷だらけだ。



「俺も使える」


「名前」


「ミルコ」


「武器は?」


「大剣」


「元冒険者か?」


「・・・元Bランクだ」


「なんでこんな所にいる?」



 ミルコは少し黙った。



「有力商人の足を踏んだ」


「・・・まさか、それだけか?」


「それだけだ」



 つまり、嵌められたか。

 珍しくもない。

 この領地なら、なおさらだ。



「やれるか?」


「魔物でも獣でも斬れる」


「じゃあ頼んだ」



 大剣を渡す。

 ミルコは、その重さを確かめるように握った。



「・・・本当に貸すのか?」


「使える奴を遊ばせるほど余裕ないんでな」



 ミルコが、少しだけ笑った。

 その顔は、ようやく人間らしかった。



「狩猟班と採取班を作る」



 俺は全員を見る。



「取ってきた分は買い取る。子供と病人優先で配る。独占は禁止だ」


「・・・はい!」


「行け。食えるものを増やすぞ」



 エルトマたちが動き出す。

 ナラハが森の方角を指差し、メギが「そっちの水路沿いはぬかるむ!」と怒鳴る。

 ミルコは武器を担ぎながら、若い男たちをまとめ始めた。


 少しずつだ。

 だが、領地は動き始めていた。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





「ところで、あの箱は何だったんだ?」



 俺は炊き出し場の横に積まれた資材箱を見る。


 領地へ来る前。

 アルが「必要です」と言い張って持ち込ませた用途不明の箱だ。

 今、中身が次々と使われている。



『簡易インフラ構築用資材です』


(雑だな)


『衛生コーティング材、浄水補助素材、断熱材、簡易炉補助部品、大量調理用固定具、排煙補助板、医療衛生用品などを収納しています』


(最初からこうなると思ってたのか?)


『高確率で発生すると予測していました』


(・・・それもそうか)



 アルは平然としている。

 だが、実際かなり助かっていた。

 特に炊き出し用の簡易炉と固定具は大きい。


 ネネスたちが、慣れない大鍋を扱えているのも、それのおかげだ。



「閣下」



 セドリックが近づいてくる。



「炊き出しは、今日中なら持ちます。ですが、明日以降は外部補給が必要です」


「分かった。精霊工房側へ連絡する」


『事務所のメイン端末に連絡します』


「セレナは出れそうか」


『はい。セレナ以外にはリゼット=ヴァルシュ、ミリアナ=オルベックを確認』


(・・・なんでその二人が一緒にいるんだ?)


『不明です』



 通信を繋ぐ。



『やあ、アキラ』


「ミリアナか」


『伯爵閣下、とお呼びするべきかな?』


「いや、アキラでいい」


『わかった。そっちはずいぶん派手にやってるみたいだね』


「そうでもないさ。足りないものだらけだ」


『水は?』


「応急的には何とかした」


「ところで、ミリアナはどうして精霊工房にいるんだ?」


『ああ、呼び出されてね。驚いたよ。西の毒花が頭を下げて協力して欲しい、なんて言うものだからさ』


『ち、ちょっと! それは言わない約束でしょ!?』


 リゼットが慌てると、ミリアナは不敵に笑った。


『約束はしたけど、黙ってるとは言ってない』


「・・・何やってるんだお前ら」



 思わず頭を押さえる。

 だが、そのやり取りのおかげで少し肩の力が抜けた。



『アキラ。近隣の町と村に掛け合って、余剰食料を押さえたわ』


「マジか。早いな。どのくらいだ?」


『穀物、豆、干し肉、干し魚、根菜、塩。十分とは言えないけれど、数日分にはなるはずよ』


『明日までには精霊工房へ集める手はずになってる。特に塩は多めに確保した』


「助かる。本当に助かる。こっちは内陸だからな。塩が全然足りない。それにしても、必要だとよくわかったな」


『当然よ。商売だもの』


『こっちも無茶したからね。高くつくよ?』


「人が飢えるより安い」



 ミリアナが小さく笑った。

 リゼットは、ほんの少しだけ視線を逸らす。



『で、輸送はどうする?』


「それはこっちで何とかする」


『それじゃ、こっちも忙しいんでな。食料集積の細かい確認はリゼットに任せる』


「わかった。リゼット、よろしく頼む」


『そうそう。それより、たぶんリゼットに会ったら二人とも驚くと思うぞ』


「何がだ?」


『見れば分かるさ』


『ちょっと、ミリアナ!?』



 いったい何のことやら。

 エマと顔を見合わせる。


 だが、ミリアナは楽しそうに笑うだけだった。



『・・・まあ、それはそれとして』


「ん?」


『この“精霊通信”? とかいうのについても、後で詳しく聞かせてくれると期待しているよ』


「・・・あ」



 思わず声が漏れた。

 横でエマがこめかみを押さえる。



「アキラ・・・」


『ホント、あなたって頭は回るのに、肝心なところでドジよね』


「いや、これはその・・・」


『安心してくれ。今は食料優先だ。君たちの秘密を暴くのは後回しにしてあげるよ』


「助かる」


『じゃあ明日だ。荷をまとめて待ってるよ』



 通信が切れる。

 少しの沈黙。

 それから、エマが小さくため息をついた。



「あなた、本当に時々抜けてるわよね・・・」


「否定できん」



 エマが苦笑する。

 セドリックは、何とも言えない顔でこちらを見ていた。


 多分、「今のが秘密通信だったのか」と思っている。

 説明は後だ。

 今は、まず領地を立て直す。



「なら、私が行くわ」



 エマが言った。



「いいのか?」


「ええ。あなたはここを離れるべきじゃない」



 エマは周囲を見る。



「水路も調査も、まだ終わってないでしょう?」


「・・・まあな」


「妥当です」



 セドリックも頷いた。



「閣下が今離れれば、現場が混乱します」


「分かった。頼む」


「任せて」



 エマは迷いなく答えた。

 本当に頼もしい。



「しかし、明日にはヴェルクハーフェンへ? どうやって・・・いえ、なんでもありません」



 セドリックはこめかみ辺りを抑えている。






 外へ出ると、すでに夕暮れだった。


 鍋をかき混ぜる音がする。

 水を運ぶ音がする。

 怒鳴り声ではなく、人の声がする。


 まだ足りないものだらけだ。


 腹を空かせた人間もいる。

 眠る場所も足りない。

 病人もいる。


 だが、三日前よりは確実に前へ進んでいる。


 水は戻り始めた。

 人も動き始めた。


 次は食料だ。



『精霊工房側、輸送準備開始を確認』


(頼んだぞ、エマ)



 そして翌日。


 俺たちは、次の問題――食料へ動き始めることになる。


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