第82話 精霊の門
精霊工房へ戻る頃には、俺とエマの服には潮の匂いが染みついていた。
西の荒れ地で見た光景が、まだ頭から離れない。
小石で吹き飛ばした岩壁と、赤熱した溶融岩。
一メートルほどとはいえ、ほとんど手間もなく掘られた地面と、その隣に立ち上がった壁。
科学の理解力を魔法に応用した結果だ。
あれは、間違いなく危険な力だった。
だが同時に、領地を立て直すための力にもなる。
そんなことを考えながら工房の事務所に戻ると、セレナは当然のように待っていた。
眼鏡をかけ、帳簿を開き、羽ペンを片手にしている。
うん。逃げ道はない。
「おかえりなさい、アキラさん。結果は?」
「えーと、まず魔法は使えた」
「それは朗報ですね」
「それと、岩壁が吹き飛んだ」
「朗報の後に何を付け足しているんですか」
セレナの羽ペンが止まった。
隣でエマが小さく頷く。
「本当よ。岩壁が吹き飛んで、ドロドロに溶けていたわ」
「エマさんが言うなら、誇張ではないのですね」
「俺の証言は?」
「まぁ・・・危険な方向の信用はあります」
「それは信用なのか?」
「はい」
ひどい。
しかし否定しきれない。
その時、奥の工房からドグランが顔を出した。
「岩壁が吹き飛んだじゃと?」
「そこだけ拾うな」
「そこ以外のどこを拾えと言うんじゃ。溶けたのか? 割れたのか? 貫いたのか?」
「全部かな・・・」
「全部じゃと?」
ドグランの目が、完全に職人のそれになった。
さらに、リファニーまで椅子に乗ったまま顔を出す。
「ぐふふ・・・爆発ですかぁ? 溶融ですかぁ? 反応熱ですかぁ?」
「研究者たちの目が怖い」
「怖くないですよぉ。ちょっと詳しく聞きたいだけですぅ」
「その“ちょっと”が絶対に長いやつだろ」
「ぐふふ・・・」
駄目だ。
今ここで詳細説明に入ったら、ドグランとリファニーに今日一日を持っていかれる。
俺は手を上げて、二人を制した。
「詳しい話は後で精霊に聞いてくれ。今は領地の初動に関係する話だけだ」
「むう」
「残念ですぅ」
ドグランとリファニーは不満そうだったが、セレナの視線を受けて大人しく引っ込んだ。
セレナは改めて俺を見る。
「では、領地に関係する部分をお願いします」
「ああ。小規模だけど、地面を掘って、掘った土を横に移して、固めるところまではできた。全工程をほぼ同時に、だ」
「つまり、土を掘り、運び、固められるのですね。それも、一括で処理する形で」
「そうなる」
「なるほど。道路、水路、仮設住宅、倉庫、外壁補修。初動の選択肢がかなり増えます」
「そこまで一瞬で行くのか」
「当然考えます。実務ですので」
セレナはさらっと言った。
この切り替えの早さは本当に頼もしい。
「本当に、一メートルほどの堀と壁が一瞬でできたわ」
「エマさんがそう言うなら、優先度を上げるべきですね」
「やっぱり俺の証言は?」
「危険な方向の信用はあります」
「さっきも聞いたな、それ」
「大切なことなので」
エマが小さく笑う。
セレナは、すぐに帳簿の余白へ何かを書き込み始めた。
道路、水路、仮設住宅。
そんな文字が並んでいく。
こうして見ると、俺が思いつきでやった実験が、セレナの手で一気に現実の計画へ変換されていくのが分かる。
だが、セレナは羽ペンを止めると、すぐに顔を上げた。
「ただし、まだ問題があります」
「今度は何だ?」
「移動です。アキラさんが領地へ行きっぱなしになるなら、精霊工房の判断が止まります。逆に工房へ戻れば、領地の初動が遅れます」
「ああ。そこは俺も考えてた」
「物資搬入も同じです。馬車で何日もかけて運ぶとなると、初動支援には間に合いません」
「だよな・・・」
それは本当に問題だった。
領地に行けば、工房が止まる。
工房に戻れば、領地が止まる。
しかも、物資はもっと厄介だ。
食料、衣服、薬、毛布、などなど。
どれも必要だが、馬車で運べば時間がかかる。
そして初動支援で一番大事なのは、その時間だ。
俺が腕を組んで考え込もうとした、その時だった。
『解決済みです』
「・・・今、なんて?」
『解決済みです』
「何を?」
『移動問題です』
「アル」
『はい』
「お前、何をした?」
『合理的な解決策を実装しました』
「その言い方、だいたい怖いやつなんだよな」
エマもセレナも、ジトっとした目をしていた。
俺もたぶん同じ顔をしている。
絶対にろくでもないことをやったに違いない。
いや、役に立つ。
役には立つのだ。
ただし、常識を置き去りにしている場合が多すぎる。
『確認を推奨します』
「どこで?」
『母屋地下です』
「また地下か・・・」
「アキラさん」
「お、俺じゃない」
「まだ何も言っていません」
「目が言ってた」
「言いました」
セレナは淡々と認めた。
俺はため息をつき、エマを見る。
エマも小さく頷いた。
「行きましょう。ここで聞いているより、見た方が早そうだわ」
「だよな・・・」
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
母屋の地下へ降りる。
そこまでは、俺も知っている場所だった。
だが、地下倉庫の奥に、見覚えのない通路ができていた。
壁はきれいに整えられ、床は平らに均されている。
いつの間に。
いや、考えるまでもない。
「アル」
『はい』
「この通路は?」
『新設しました』
「いつ?」
『ラムール滞在中です』
「勝手に家を改造するな」
『地下空間のため、居住面積には影響しません』
「そういう問題じゃない」
セレナが、俺の方を見た。
俺は先に言う。
「俺じゃない」
「はい」
「信じてる顔じゃないな」
「信じています。ですが、責任は来ます」
「来るのか」
「来ます」
「やっぱりか・・・」
通路を進むと、奥に扉があった。
木製でも鉄製でもない。
見た目は石に近いが、石そのものではない。淡い銀色の線が扉の表面を走っていて、近づくとその線がゆっくりと光を帯びた。
・・・これ、絶対に宇宙船のセキュリティゲートだ。
『認証確認。開放します』
扉が音もなく横へ滑る。
その先には、広い空間があった。
石造りに見える壁。
だが、継ぎ目がない。
床には淡い銀色の線が幾何学模様のように走り、中央には輪のような構造物が立っている。
魔法陣にも見える。
機械装置にも見える。
そのどちらでもあり、どちらでもないような、不気味な美しさがあった。
エマが息を呑む。
セレナも、言葉を失った。
俺は中央の輪を見上げた。
直径は、人が余裕を持って通れるくらい。
素材は分からない。
だが、輪の内側には、淡い銀色の光が膜のように揺れている。
「アル」
『はい』
「これは何だ?」
『ゲートです』
「名前で説明した気になるな」
「アキラ」
「俺じゃない」
「分かっているけど、あなたの精霊でしょう?」
「責任の所在が俺に来るの、やっぱり納得いかないんだが」
エマの言い分は分かる。
分かるのだが、俺も本当に知らない。
セレナは少しの間だけ黙っていたが、すぐに仕事の顔へ戻った。
「これは何ですか?」
『いわゆる転移門です。現在、試験的に精霊工房地下施設と、ラムール王都郊外地下施設を接続しています』
「待て」
「待ちなさい」
「待ってください」
三人の声が重なった。
俺は額を押さえる。
「ラムール王都郊外ってなんだ?」
『ラムール王都周辺の人流、巡回経路、地質、地下水脈、魔力反応、既存地下構造を解析し、人が来ない地点を割り出しました』
「うん」
『その地点の地下に、秘匿施設を建造しました。入口も自然地形および廃材によりカモフラージュ済みです』
「いや、そういう問題じゃなくてだな・・・」
「アキラさん」
「だから、俺じゃないって」
「ええ。ですが、責任は来ます」
「どうしてもか」
「来ます」
「今日だけで何回責任が来るんだよ・・・」
俺が頭を抱えていると、エマが輪の内側に揺れる光を見つめた。
「つまり、これはヴェルクハーフェンとラムールを繋ぐ門なのね」
『正確には、現時点ではここ、精霊工房地下施設とラムール王都郊外秘匿施設を繋いでいます』
「現時点では?」
「そこも怖いな」
『現在の接続先は仮設です』
「仮設?」
『はい。本設置は新領都が確定し次第、そちらで行う予定です』
「動かせるんだな?」
『はい。既存ゲート構造は分解、再構築、再接続が可能です』
「ならいい・・・いや、よくはないけど、少しはマシだ」
王都郊外に固定されたら、それはそれで問題が多い。
領地運営のための門なのに、王都近くにしか出られないのでは不便だ。
もちろん、王都との連絡には便利だろう。
だが、新領都がどこになるか決まっていない段階で恒久施設にされては困る。
「つまり、今は王都近くに仮で置いているだけなのね」
『はい。領地開発初期段階における王都連絡用、および緊急時退避用として選定しました』
「合理的ではあるのよね・・・」
「合理的すぎるのが問題なんだよ」
『領地開発効率を最大化するためには、新領都確定後の再設置が合理的です』
「助かったけど、勝手に作る前に相談してほしかった」
『相談時点では、移動問題が顕在化していませんでした』
「顕在化する前に解決するな」
セレナは片手で眉間を押さえた。
エマも小さく息を吐く。
俺も同じ気分だ。
便利だ。
間違いなく便利だ。
便利すぎて、頭が痛い。
「で、どれくらいで行けるんだ?」
『移動時間は発生しません』
「発生しない?」
『門を通過した時点で、接続先空間へ到達します』
「・・・つまり?」
『一歩です』
「どこでもドアかよ」
「どこでも?」
「いや、こっちの話だ」
『任意地点接続扉、という理解で概ね正確です』
「拾わなくていい」
エマが首を傾げている。
セレナは理解を諦めたような顔をしていた。
俺も半分諦めている。
これはもう、見た方が早い。
だが、その前に一つだけ確認しなければならない。
「ラムールには報告しないと駄目だな」
「ええ。向こう側に施設を作っている以上、黙って使うわけにはいかないわ」
「アキラさん、私も同意です。後から知られる方が問題になります」
「だよな」
俺は銀色の門を見る。
一歩でラムール。
便利すぎる。
そして面倒すぎる。
「じゃあ、行くか」
「今から?」
「後回しにすると、もっと面倒になる気がする」
「それはそうね」
「セレナは?」
「私はここに残ります。門の運用と物資搬入の可能性を確認しておきます。報告は、アキラさんとエマさんで十分でしょう」
「分かった」
「ただし、戻ったら詳細を聞きます」
「やっぱり?」
「当然です」
どこに行っても詰められる。
そんな予感しかしない。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
門をくぐる。
それだけだった。
足を踏み出した瞬間、床の感触が変わる。
潮の匂いが消え、代わりに乾いた土と石の匂いが鼻に触れた。
振り返れば、そこにはさっきまでと同じ銀色の門がある。
その周囲は、こちらも同じように継ぎ目のない壁で囲まれていた。
ただ、空気が違う。
ヴェルクハーフェンの湿った海風ではなく、ラムールの内陸の空気だ。
「・・・本当に一歩で来たな」
『はい』
「転移酔いもないのね」
『空間連結方式のため、身体座標の再構築は行っていません』
「説明されても分からないけれど、安全そうなのは分かったわ」
「俺も半分くらい分からん」
出口へ向かうと、岩壁の一部が静かに開いた。
外へ出ると、そこは王都から少し離れた荒れ地だった。
人の気配はない。
遠くに王都ラムールの城壁が見える。
道からも外れており、古い石材や崩れた岩が不自然ではない程度に転がっている。
なるほど。
入口は本当にカモフラージュされている。
知っていなければ、ただの岩場か古い廃材置き場にしか見えないだろう。
「王都、近いな」
『緊急連絡性を優先しました』
「便利だな」
『はい』
「便利すぎるんだよな」
『はい』
「そこは否定してほしかった」
俺とエマは、王都へ向かって歩き出した。
普通なら、ヴェルクハーフェンからラムール王都へ戻るには時間がかかる。
龍の回廊を通り、街道を進み、いくつもの手続きを経る必要がある。
だが、今は違う。
さっきまで精霊工房の地下にいた。
それが一歩でラムール王都郊外だ。
便利さよりも、先に現実感が追いつかない。
王城の門前に着くと、当然のように兵士が驚いた。
「アキラ=ジェイ=ラッシュバック伯爵だ。エニル陛下、またはマルルークス殿下に取り次ぎを頼みたい」
「は、伯爵閣下? ヴェルクハーフェンへ戻られたのでは?」
「戻った」
「では、なぜこちらに?」
「それを説明しに来た」
「し、至急お取り次ぎします!」
兵士は混乱した顔のまま、慌てて城内へ走っていった。
そりゃそうだ。
俺でも同じ反応をする。
帰ったはずの人間が、あり得ない速さで戻ってきたのだから。
少し待つと、俺たちはかなり急いだ様子で中へ通された。
案内された部屋には、エニルとマルスがいた。
ベリスもいる。
どうやら、緊急事態だと思われたらしい。
まぁ、緊急事態なんだが。
「アキラ殿!」
エニルは、俺を見るなり椅子から立ち上がった。
「まさか、帰路で何か問題が?」
「いや」
「ヴェルクハーフェンへ戻れなかったのですか?」
「戻った」
「戻った?」
「戻って、また来た」
「・・・また来た?」
エニルの顔が、完全に理解を拒んでいた。
マルスも眉を寄せる。
「アキラ、何があった?」
「何かあったのは事実だけど、問題が起きたわけじゃない」
「その言い方が一番不安なんだけど」
「ええと、簡単に言うと」
「うん」
「ヴェルクハーフェンとラムール王都郊外が、一歩で行き来できるようになった」
「・・・」
「・・・」
「・・・一歩?」
『転移門の開発に成功、試験的に設置しました』
部屋の空気が止まった。
エニルはゆっくりと椅子へ座り直す。
マルスは額に手を当てた。
ベリスは一度目を閉じる。
全員、反応が違うのに、考えていることはたぶん同じだ。
「アキラ殿」
「はい」
「余は、王になってからまだ日が浅いのです」
「はい」
「なぜ、もう国家機密が増えるのですか?」
「俺もそう思います」
エニルの声は、悲鳴に近かった。
少しだけ申し訳ない。
だが、俺が作ったわけではない。
いや、俺のアルが作ったのだから、俺の責任になるのだろう。
理不尽だ。
でも、たぶんそうなのだ。
「つまり、帰れなくなったんじゃなくて」
「ああ」
「帰って、すぐ来られるようになった」
「そういうことになる」
「便利だね」
「ああ」
「危険だね」
「ああ」
「知る者は絞ろう」
「それで頼む」
マルスの理解が早すぎる。
説明が短くて助かるが、早すぎて少し怖い。
「入口はどこですか」
ベリスが静かに聞いた。
「王都郊外だ。一応、人は全く来ない場所らしい」
「らしい、ですか」
「人流、巡回経路、地質、地下水脈、魔力反応、既存地下構造をアルが解析して選んだらしい」
「・・・なるほど。少なくとも、適当に作ったわけではないのですね」
「適当に作られてたら、俺が一番困る」
『設置は仮です。本設置は新領都が確定し次第、そちらで行う予定です』
「と、まぁ、動かせるらしい」
『はい』
「それなら、王都側の恒久施設にする必要はないわけだね」
マルスがそう言うと、ベリスも小さく頷いた。
「では、当面は仮設秘匿施設として扱いましょう。出入口の偽装、使用記録、緊急封鎖。この三つだけは今決めます」
「助かる」
「それ以上は、今ここで詰めても時間の無駄です」
「本当に助かる」
「ただし、後で詰めますぞ」
「どこに行っても詰められるな、俺」
エマが小さく笑った。
エニルは笑う余裕がなさそうだったが、それでも少しだけ肩の力を抜いたように見えた。
「アキラ殿」
「はい」
「便利なのは分かります」
「はい」
「余も、王国再建に必要なものだとは思います」
「はい」
「ですが、できれば次からは、国家機密を作る前に一度相談してください」
「俺もそうしたいです」
『善処します』
「アル、お前が言うと信用できない」
『実績はあります』
「実績があるから怖いんだよ」
マルスが笑った。
ベリスは笑わなかった。
だが、その顔はもう完全に実務の顔になっている。
ここで長居すると、本当に詰められる。
俺は最低限の確認だけ済ませ、早々に王城を辞することにした。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
精霊工房側へ戻るのも、一歩だった。
門をくぐる。
それだけで空気が変わる。
ラムールの乾いた土と石の匂いが消え、ヴェルクハーフェンの湿った空気が戻ってくる。
便利すぎる。
便利すぎて、感覚がおかしくなる。
セレナは、俺たちが戻るまでの間に、すでに何枚かの紙を広げていた。
早い。
嫌な予感がするくらい早い。
「おかえりなさい。報告は済みましたか」
「ああ。エニルが頭を抱えて、マルスが即理解して、ベリスに後で詰められることになった」
「妥当ですね」
「妥当なのか」
「はい」
セレナはすぐに紙を一枚こちらへ向けた。
「ルザリスへの報告は、いつもの定期報告に機密項目として加えましょう。詳細な原理や接続条件は書かない方が良いです」
「だよな」
「限定的な空間接続手段が成立したこと。現在は精霊工房地下とラムール側秘匿施設に限っていること。王国再建支援と領地運営のため、極秘運用すること。この程度に留めます」
「それだけでも十分爆弾だな」
「はい。十分すぎる爆弾です」
ルークなら、これだけで分かるだろう。
そしてたぶん、面白がる。
いや、半分くらいは頭を抱えるかもしれない。
どちらにせよ、直接会いに行く必要はない。
今は領地の初動が優先だ。
「それで、アキラさん」
「はい」
「その門、荷物は通せますか?」
「第一声がそれか」
「当然です」
『一定サイズ以下であれば問題ありません。物資の大量輸送には新規開発した専用コンテナを推奨します』
「コンテナ?」
「アル、新規開発って言ったな?」
『はい』
「すでに出来てるのか・・・」
「なら、それも後で見せてください」
セレナは迷わなかった。
すでに頭の中で、門を物流経路として扱っている。
国家機密、空間接続。
そんな単語より先に、荷物が通るかどうか。
実務家として正しいのだろう。
正しいのだが、切り替えが早すぎる。
「まずは食料を中心に、初動支援物資です」
「早いな」
「門があるなら、馬車の日数を考えなくて済みます。優先順位が変わります」
「確かに」
「ただし、運びすぎると現地側の受け入れが詰まります。初回は最低限に絞ります」
「分かった」
「それと、アキラさんが現地で暴走しないよう、エマさん」
「ええ。見ているわ」
「頼みます」
「二人がかりで俺を監視するな」
「必要です」
「必要ね」
「息ぴったりだな、おい」
エマは少しだけ笑った。
だが、その目には真剣さがある。
彼女も分かっている。
この門は便利だ。
だからこそ、使い方を間違えないようにしなければならない。
物資の準備は、想像より早く進んだ。
門があると分かった時点で、セレナは必要なものを絞り込んでいたらしい。
それから、アルが必要だと言い張った用途不明の資材箱がいくつか。
俺は最後の箱を見下ろした。
「これ、何が入ってるんだ?」
『現地で説明します』
「嫌な予感しかしない」
「でも、必要なのでしょう?」
『はい』
「必要な嫌な予感って一番困るんだよな」
エマは小さく笑った。
俺も、少しだけ気が抜ける。
だが、すべてを整えた頃には、もう日が傾きかけていた。
工房の窓から差し込む光が、橙色に変わっている。
気づけば、朝からずっと動きっぱなしだった。
魔法実験。
岩壁を吹き飛ばした弾頭魔法。
土木応用の確認。
ゲートの発覚。
ラムールへの報告。
そして、領地への初動支援物資の準備。
自分では平気なつもりだったが、並べてみると、普通に一日でやる量ではない。
「今日はここまでですね」
セレナが帳簿を閉じた。
「今から行くのは?」
「却下です」
「早いな」
「当然です。初めて入る領地に、夜遅くに向かう理由がありません」
「まあ、それはそうだな」
「アキラさんは、到着した瞬間に何か始めかねません。最低限、朝から動ける状態で行ってください」
「信用されてるんだか、されてないんだか」
「危険な方向の信用はあります」
「またそれか」
「大切なことなので」
セレナはまったく譲らなかった。
俺がエマを見ると、エマも静かに頷く。
「私も、明日の朝がいいと思うわ」
「エマもか」
「ええ。今日はいろいろありすぎたもの。魔法実験も、ゲートも、ラムールへの報告も。アキラ、自分で思っているより疲れているわ」
「・・・そうか?」
「そうよ」
『心拍、魔力消費、神経負荷を総合評価。休息を推奨します』
「アルまで」
『はい』
「味方がいない」
「いるわよ。だから止めているの」
エマはそう言って、俺の手を軽く握った。
その温かさで、ようやく自分の疲れを少し自覚する。
確かに、今日は詰め込みすぎた。
領地に行くのは明日でいい。
いや、明日にするべきだ。
現地に着いた瞬間、俺はきっと何かを始めたくなる。
壊れた道を見れば直したくなる。
崩れた水路を見れば作り直したくなる。
困っている人を見れば、放っておけない。
なら、疲れた状態で行くべきではない。
「分かった。明日の朝にする」
「はい。それが賢明です」
「明日の準備は?」
「最低限は整えました。残りは今夜のうちにこちらで確認しておきます」
「セレナも休めよ」
「必要な確認が終わったら休みます」
「それ、休まないやつじゃないか?」
「休みます」
「目が逃げてるぞ」
「・・・」
「今のは勝ったな」
「アキラさん」
「はい」
「明日の朝、起こしに行きます」
「すみませんでした」
エマが小さく吹き出した。
セレナも、ほんの少しだけ口元を緩める。
張り詰めていた空気が、少しだけ和らいだ。
昨日まで、領地は遠い場所だった。
地図の上でも、予定の上でも、手の届かないところにある問題だった。
だが今は違う。
明日の朝、その一歩を踏み出せばいい。
力は得た。
ゲートもある。
必要な物資も、最低限は揃えた。
なら、次は――実際に見る番だ。




