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第72話 空白の足跡


 また一つ夜が明けた。


 だが、朝になっても屋敷の空気は戻らなかった。


 まぁ、戻るわけがない。


 使用人が一人死に、床には血で「精霊」と書かれていた。

 俺が犯人だと見るには筋が通らない。

 マルスも公爵も、そこは分かっている。


 だが、理屈だけで人は動かない。

 正論だけでは納得しない。

 時に空気って奴は、道理すら捻じ曲げる。


 廊下を歩けば、使用人は目を伏せる。

 警備兵は、礼をしながらも指先に力を入れている。

 俺が何かすれば、いつでも動けるように。


 ただ、その重苦しさをずっと眺めていても、何も解決しない。



(エマは?)


『自室内。睡眠は浅い状態ですが、生命活動に異常はありません』


(会いに行くべき・・・と思うか?)


『判断不能』


(お前が判断不能って言うと、本当に困るな)


『判断材料が不足しています』



 昨日のエマは明らかにおかしかった。

 だが、俺が踏み込めば悪化するかもしれない。


 結局、俺は廊下の奥を一度だけ見てから、公爵の執務室へ向かった。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





「屋敷の中だけを見ていても、答えは出ない」



 マルスはそう言った。


 執務室には、クラウディオ公爵、マルス、リブ、そして俺がいる。


 机の上には、昨日リブが持ち帰った報告が広げられていた。


 オルガン=メルキウス。

 セラフィーヌ=ヴァレ。

 グラシオン=バル=ローデン。


 三人とも、この街に来ていた。


 それだけで充分に異常だ。



「三人を分けて追う」



 マルスは紙に指を置いた。



「オルガンは、僕とアキラで見る。魔道具と結界の痕跡なら、アルの力が必要だ」


「ああ」


「グラシオンは?」


「俺が見る」



 リブが即答した。



「役人、監査、警備配置。そういう臭ぇ紙は嫌いじゃねぇ」


「セラフィーヌは、ヤギに任せる」



 その名前に、俺は顔を上げた。



「王都で会った男か」


「うん。足取りが消えた人間を追うなら、彼が一番いい」



 マルスがそう言うと、扉の外から控えめな声がした。



「殿下。人を呼ぶ時に、もう少し商売人らしい呼び方をしていただけると助かりますな」



 扉が開いた。

 入ってきたのは、王都で一度見た男だった。



「ベリス=ガルガン、ただいま戻りました」



 つかみどころのない気配をまとっている男だった。



「ヤギ」



 リブが口の端を上げる。



「遅ぇぞ」


「蛇に急かされるほど、落ちぶれたつもりはありませんが」


「誰が蛇だ」


「失礼。噛みつく方でしたな」



 リブが舌打ちし、マルスが苦笑する。


 俺は二人を見比べた。



「仲いいな」


「どこがだ」

「心外ですな」



 同時に返ってきた。


 うん。仲いいな。


 ベリスは俺に向き直り、軽く頭を下げた。



「改めまして、精霊使い殿。ベリス=ガルガン。表向きは古物商と金融屋を少々。裏では、人に言えないものを少々」


「それ、自己紹介として大丈夫なのか?」


「大丈夫ではありません。ですので、ここだけの話にしていただけると助かります」



 胡散臭い。


 だが、この男が動くと情報が集まることは、王都で見ている。



「セラフィーヌを任せていいかな」


「一度は撒かれて失態をお見せしましたが、今度こそ調べ尽くしてみせましょう」



 ベリスは細い指で帽子の縁に触れた。


 マルスが頷いた。



「では、動こう」



 公爵が重く息を吐く。



「頼む。屋敷の中はこちらで抑える」


「無理はしないでください」



 マルスの言葉に、公爵は苦笑した。



「この歳で無理を覚えたら、もう手遅れであろうな」



 軽い言い方だった。


 だが、その顔には疲労が深く刻まれていた。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 俺とマルスは、街の宿へ向かった。


 オルガンが使ったとされる宿だ。


 表通りから一本外れた場所にある、中級の旅宿。派手ではないが、金のある商人なら使っても不自然ではない。


 宿の主人は、マルスが名を出す前から顔を強張らせた。



「何日か前、身なりの良い薬売りの客が泊まったな?」



 マルスが公爵家の紋章を見せながら穏やかに聞く。



「・・・はい。五日前でございます」


「その客は、翌朝も薬売りの格好だった?」



 主人は唇を湿らせた。



「いえ。朝には、魔道具職人のような格好で出ていかれました」


「顔は」


「違って見えました。ただ・・・」


「ただ?」


「背丈と歩き方が、同じように見えまして」



 マルスが俺を見る。



(アル)


『宿内残留物の走査を開始。寝具、床、窓枠、机上に複数の微細物質を確認』


(変装の痕跡か?)


『顔料、樹脂、皮膚接着剤に近い成分を検出。加えて、微量の魔力遮断性粉末を確認』


(魔力遮断?)


『魔力反応を薄く見せる目的と推定』



 ただの変装じゃない。


 魔力の気配まで隠している。



「同じ部屋から出た別人」



 俺は小さく呟いた。



「その別人が、公爵家に入っている」



 マルスが続ける。


 宿の主人は、こちらの会話を聞かないふりをしている。

 こういう時の商売人は、実に賢い。


 マルスは主人に礼を言い、外へ出た。



「オルガン本人だと思うか?」


「思うね」



 マルスは即答した。



「王都を出たところから追われて、この街の宿で姿を変えた。変装後の男は、公爵家の通用門から入っている。公爵家側にも、別名義の魔道具職人を通した記録が残っている」


「問題は、何をしたかだな」


「うん」



 俺たちは、公爵家へ戻る前に、通用門近くも見た。


 そこで違和感を感じた。


 アルが拾ったのは、微細な金属粉と、薄い結界反応の残滓。



「これは・・・」


『結界具の調整に使用される触媒の一種と類似』


「屋敷の結界に手を入れた?」


『可能性あり。ただし、目的は不明』



 攻撃ではない。


 むしろ、何かを弱めたように見える。



「穴を開けた、か」



 俺が言うと、マルスは静かに頷いた。



「だね。ただ、これではっきりした。オルガンは関係している。けど、今この屋敷の中で人の感情を撫でている手とは違う」


「同感だ」



 操られている。


 そう見るのが妥当だ。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 夕刻前、俺たちは公爵家に戻った。


 リブは先に戻っていた。椅子に座り、行儀悪く足を組んでいる。


 ベリスは少し遅れて現れた。いつの間に入ったのか、扉を開けた気配すら薄い。



「まず、グラシオンだ」



 リブは机に一枚の書類を置いた。



「監査名目で街に来てる。そこは間違いねぇ。表に出てるのは部下だが、本人も入ってる」


「何を監査していた」



 公爵が問う。



「公爵家じゃねぇ。街の警備、税務、倉庫、街門。あと、湖の船着き場だな」


「公爵家そのものではなく、周囲を押さえている?」



 マルスが言う。



「そう見える。で、これだ」



 リブが別の紙を広げる。



「日付なしの命令書。公爵家に重大な不祥事が発生した場合、王都監査官が一時的に警備指揮権を預かる、って内容だ」



 部屋の空気が重くなった。



「準備が良すぎるな」


「だろ?」



 リブは鼻で笑った。



「グラシオンは、火をつけた男というより、燃えた後の土地を押さえに来た男だ」


「後始末役」


「いや、勝った後に、勝った形を作る男だな」



 嫌な言い方だ。

 だが、しっくり来た。



「首謀者の動きではないね」


「つまり、グラシオンは洗脳され、操られている側か」


「だろうな」



 次に、ベリスが細い紙束を机に置いた。



「セラフィーヌ=ヴァレについては、足跡が綺麗に消されています」


「どこで消えた」



 マルスが聞く。



「この街の手前、二つ目の宿場です。隣領へ向かう馬車には、確かに王妃付き女官長が乗っていました。ですが、そこから先の女官長は、本人ではない可能性が高い」


「替え玉か」


「ええ。声を聞いた者が少ない。顔を見た者も少ない。女官服、身分証、王妃付きの印章。それらが揃っていれば、宿場の者は顔を覗き込みません」



 ベリスはそこで、薄く笑った。



「身分の高い女というのは、顔を隠しても失礼にならない。便利なものです」


「本人はこの街に入ったと思うか」


「可能性は高いでしょうな。ただし、女官長としてではなく、別の誰かとして」


「何をするために」


「人を置くため、でしょう」



 ベリスは指先で紙を叩いた。



「セラフィーヌは、王宮内の女官と使用人の配置を握る女です。誰をどこに置けば、誰が孤立するか。誰と誰がぶつかるか。誰を疲れさせ、誰を不安にさせるか。この盤面で何をどうするべきか。そういうことを知っている」



 その言葉に、ミレイアのことが頭をよぎった。


 王宮から逃げてきた少女。

 誰とも目を合わせず、すぐに謝る少女。

 昨日、俺を励ました黒い瞳。


 もしかしたら、セラフィーヌの息がかかっている?


 俺は、その考えを途中で止めた。


 材料がない。


 そこまで考えて、俺は息を吐いた。


 疑うなら、材料がいる。

 今の俺にあるのは、違和感だけだ。



「だが、セラフィーヌ本人がこの屋敷に入った証拠は?」


「ありません」



 ベリスはあっさり答えた。



「関わってはいるでしょう。ただ、中心にいる匂いではありません」



 マルスは机の上に並んだ紙を見た。



「オルガンは、屋敷の守りに触った可能性がある」



 俺が続ける。



「グラシオンは、事件後に公爵家を封じる準備をしている」



 リブが肩をすくめた。



「セラフィーヌは、人を置いて盤面を作る」



 ベリスが静かに言う。



「三人とも、関係はある」



 マルスは低く言った。



「でも、誰も中心に見えない」


「偽装が上手すぎるのか」



 俺が言うと、リブが言った。



「そもそも、中心にいるのが一人とは限らねぇ」



 ベリスが薄く笑った。



「あるいは、中心にいる者が、最初から容疑者の顔をしていないか、ですな」



 誰も笑わなかった。


 その時だった。


 廊下の向こうが騒がしくなった。


 女の声。

 それも、聞き慣れた声。


 エマだ。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 俺たちは執務室を飛び出し、騒ぎが起きている場所へと向かった。




 騒ぎは、俺の部屋の前で起きていた。


 使用人たちが遠巻きにしている。

 警備兵も数人いるが、誰も割って入れていない。


 廊下の中央に、エマとミレイアが向かい合っていた。


 エマの髪は少し乱れている。

 顔色は悪い。


 ミレイアは胸の前で両手を握り、今にも泣き出しそうな顔をしていた。



「あなたねぇ、いい加減に図々しいのよ!」



 エマの声が廊下に響く。


 らしくない。


 ミレイアはびくりと肩を震わせた。

 だが、引き下がらなかった。



「あ、あなたこそ、アキラさんの何なんですか!?」



 アキラさん。


 その呼び方に、エマの眉が跳ねた。



「パートナーよ!」


「冒険者の、ですよね?」


「それが何!?」


「だったら、甘えるのは違うんじゃないですか!」


「なっ・・・! それじゃあなたは何なのよ!」



 ミレイアの黒い瞳が、涙で揺れた。


 それでも、彼女は言った。



「お慕いしております!」



 廊下にいた使用人たちが息を呑む。


 俺も一瞬、言葉を失った。


 エマの顔が、怒りとも痛みともつかない形に歪む。



「はっ! ちょっと優しくされたからって、図に乗って甘えたこと言ってんじゃないわよ! 私たちは信頼し合っているのよ!」



 そこで、ミレイアが俯いた。

 泣くのかと思った。

 違った。


 彼女の唇が、ほんの少しだけ動いた。



「あーやだやだ。信頼とか言ってる割には、隠してることすら言えないんですよね」



 声は小さかった。

 周囲の使用人には聞こえていない。


 だが、エマの風は拾ったのだろう。


 そして俺も、聴覚補正をかけたままだった。

 だから聞こえた。



「エメリアさん?」



 エマの表情が凍った。

 次の瞬間、空気が変わった。



「エマ!」



 俺が叫ぶより早く、エマの指先に風が集まった。

 術式が立ち上がる。


 だが、エマの顔に浮かんでいたのは、殺意ではなかった。


 恐怖だ。



「違う・・・」



 唇が震える。



「やめて・・・」



 それでも、風は止まらない。


 術式へ魔力が流れ込む。


 細い風の線が、いくつも廊下に浮かび上がった。


 後ろにはミレイアがいる。

 使用人もいる。

 警備兵もいる。


 このまま放てば、誰かが裂かれる。



「何やってるんだ!」



 俺は飛び出した。



『防御展開』


(最大)


『了解』



 風が鳴った。

 白い線が視界を裂く。


 俺は両腕を広げ、防御場を前面に展開した。


 衝撃。


 全身が後ろへ押される。

 床石に靴底が擦れ、肩の布が裂けた。頬に熱が走り、血が一筋だけ流れる。

 だが、抜かせない。



「ぐっ・・・!」



 防御場が軋む。


 風刃が弾け、廊下の壁に細い傷を刻んだ。


 ミレイアが「ひぃッ」っと背後で小さく悲鳴を上げる。


 使用人たちがへたり込む。


 数秒。


 いや、実際には一秒もなかったのかもしれない。


 風が消えた。


 エマは、自分の両手を見ていた。



「ち、ちが・・・」



 声がかすれている。



「違うの・・・私、そんな・・・」



 リブが横から飛び込んだ。


 マルスも同時に動く。


 二人がかりで、エマの腕を押さえる。



「離して!」


「悪いな、お嬢ちゃん。さすがに今のは看過できねぇ」


「違う! 私は、こんなこと・・・私は悪く――」



 そこで、エマの声が詰まった。


 涙が、ぼろりと落ちる。


 マルスが苦しそうに顔を伏せた。



「エマさん。責めるためじゃない。これ以上、君を傷つけないためだ」


「私は・・・」



 エマは俺を見た。


 泣いていた。

 怒っているのに、泣いていた。

 謝りたいのか、責めたいのか、自分でも分からないような顔だった。



「アキラ、血が」



 マルスが言う。



「平気だ」



 頬の傷を指で拭う。


 血はついている。


 だが、痛みはもう薄い。



『損傷軽微。皮膚修復を開始』


(後でな)


『既に開始しています』


(早いな)



 リブが俺の顔を見て、呆れたように言った。



「あれを食らって、ほぼ無傷かよ」


「無傷ではないよ。ほら、頬のところに傷がある」



 マルスが指摘する。



「それも消えたぞ」


「はは。どうなってるんだろうね」


「見なかったことにしてくれ」


「それは無理だよ」


「だよな」



 思わずそう返すと、近くの警備兵が呆然と呟いた。



「精霊ってのは・・・すげぇんだな・・・」



 今は、それで済ませておいてくれ。


 リブはエマを押さえたまま、マルスを見た。



「でだ。お嬢ちゃんの方は、さすがにこのままにはできねぇな」


「そうだね。一時的にでも、魔法が封印される部屋に入ってもらうしかない」



 マルスはエマに向き直った。



「ごめんね」



 エマは答えなかった。


 ただ、ミレイアを睨んでいた。


 ミレイアは泣きそうな顔で、俺の後ろにいる。

 

 ほんの一瞬、表情が変わった。


 エマの肩から、力が抜けた。


 涙だけが、頬を伝った。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 エマは、魔法封印の施された独房へ移された。


 独房と言うには公爵家らしく整っているが、石造りの壁と鉄の扉がある時点で、慰めにはならない。


 リブとマルスが連れていった。


 エマは最後まで、何も言わなかった。




 俺は廊下に残り、ミレイアを見た。


 ミレイアは肩を震わせていた。



「アキラ様・・・私・・・」


「ミレイア」



 俺は言葉を遮った。


 強く言いすぎないように、だが曖昧にもならないように。



「今のは、言いすぎだ」


「でも、私は・・・」


「言いすぎだ」



 ミレイアは唇を噛んだ。


 黒い瞳に、また涙が浮かぶ。



「・・・ごめんなさい」


「謝る相手は俺じゃない」


「はい・・・」



 小さな返事だった。


 さっきまでエマに言い返していた少女と、今の彼女が同じ人間に見えない。


 だが、感情的になれば、人は変わる。


 俺だってそうだ。


 それに、あの場で呼ばれた名前は一体・・・

 言われたエマの反応は普通ではなかった。


 分からないことが多すぎる。


 多すぎるまま、時間だけが進んでいく。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 夕方、ベリスが公爵邸を離れることになった。



「三人を、もう一度洗います」



 ベリスは帽子を取って、軽く頭を下げた。



「オルガン、セラフィーヌ、グラシオン。どれも臭い。ですが、臭すぎる。こういう時は、臭いの元を間違えていることが多い。この三人から臭いの元が辿れないかやってみます」


「任せる」



 マルスが言う。



「ええ。夜の街は、私の方が歩きやすい」



 ベリスはそう言って、いつの間にか廊下の暗がりへ消えた。


 続いて、リブも外套を羽織った。



「俺は王都へ戻る」


「王都へ?」


「ああ。もう一度ダリオとガレオンを洗う」



 ダリオ。

 薬と香の線。


 ガレオン。

 神殿筋の線。


 三容疑者を追って、どれも中心に見えないなら、まだ残っている線を追うしかない。



「頼んだ」



 マルスが言うと、リブは肩をすくめた。



「こういうのは、早いほうが良い」



 リブは俺の肩を軽く叩いた。



「死ぬなよ、精霊使い」


「そっちこそ」


「俺はそう簡単に死なねぇよ」



 そう言って、リブも屋敷を出ていった。


 ベリスは街へ。

 リブは王都へ。


 エマは隔離室。

 公爵は警備の立て直し。

 マルスはエマの処置と公爵家側の指揮。


 屋敷の中は、少しだけ静かになった。


 静かになりすぎていた。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 夜。


 俺は自室に戻っていた。


 頬の傷はもうない。

 肩の裂けた服だけが、さっきの出来事を残している。



『身体損傷は軽微。戦闘行動に支障なし』


(軽微で済んだのはいいが、エマの方が問題だ)


『対象エマは隔離室内。魔力制限下にあります』


(精神状態は?)


『観測精度不足。扉および魔法封印の影響により、詳細取得不可』


(そうか)



 俺は息を吐いた。


 エマに会いに行くべきか。


 何度も考えた。


 だが、今の俺が行けば、余計に悪化する気がする。


 それに、ミレイアの言葉も引っかかっていた。


 エメリア。


 あの名前はなんだ?

 ミレイアは何を知っている?


 いや、王宮から逃げてきたなら、エマの素性につながる何かを聞いていてもおかしくないのかもしれない。


 だが、あの言い方。


 エマを刺すために選んだような言葉。


 俺は額を押さえた。



(アル、ミレイアについて何か異常は)


『現時点で特定可能な異常反応は確認できません』


(昨日もそうだったな)


『はい』



 昨日、ミレイアは俺の顔を両手で挟んで、真っ直ぐ目を見た。


 その黒い瞳は、静かだった。


 少なくとも、俺にはそう見えた。


 分からない。

 分からないことばかりだ。


 その時、扉が控えめに叩かれた。



「アキラ様・・・」



 ミレイアの声だった。


 俺は立ち上がる。



「どうした?」



 扉を開けると、ミレイアが廊下に立っていた。


 目元が赤い。

 両手を胸の前で握り、今にも消えてしまいそうな顔をしている。



「エマ様に、謝りたいのです」



 俺は少しだけ息を吐いた。



「今行っても、火に油を注ぐだけだ」


「でも・・・私、ひどいことを言いました」


「そうだな」



 ミレイアの両肩を優しくつかむ。

 それでも、ミレイアの肩はびくりと震えた。



「だからこそ、今じゃない。謝るなら、相手が聞ける状態になってからだ。今のエマに必要なのは、謝罪じゃなくて休息だ」


「・・・はい」


「君もだ。今日は色々ありすぎた」



 俺は、彼女の目を見てゆっくり言った。



「ミレイア。君も今日は休め。明日、改めて・・・」



 そこまで言って。


 俺の体から、力が抜けた。



「あ・・・れ・・・?」



 膝が落ちる。


 壁に手をつこうとした。


 だが、腕に力が入らない。


 視界が揺れる。


 床が近い。


 腰が砕けて、立ち上がることができない。



『警告。運動神経系に異常――』



 アルの声が、遠くなる。



「・・・ふふ」



 小さな笑い声がした。


 俺は顔を上げようとした。


 上がらない。


 ミレイアが、俺を見下ろしていた。


 前髪の奥の黒い瞳が、暗い水面のように揺れている。



「精霊使いと言っても、大したことないじゃないか」



 声が違った。


 震えも、怯えも、消えていた。



「警戒して損したよ」


「お・・・前・・・は・・・・・・」



 舌が回らない。


 喉が動かない。


 ミレイアは膝を折り、俺の顔を覗き込んだ。



「ミレイアだよ?」



 黒い瞳が、愉しそうに細まる。



「魔眼使いのなぁ」



 そこで、意識が落ちた。



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