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第60話 国境越えの手段



「龍の回廊、か・・・」



 事務所の空気は、少しだけ重かった。


 机の中央では、小さな銀の羽根が淡く光っている。



『龍の回廊についてはどこまで知ってる?』



 マルスの声。


 エマがわずかに目を細めた。



「あの大山脈の地下を通るダンジョン・・・?」


『そう。グランヴェイル大山脈の地下を東西に貫く巨大迷宮だ』



 羽根越しの声は落ち着いている。



『すっかり整備されていて、今は交易路として機能しているんだ。冒険者、運び屋、傭兵、訳ありの行商人。色々な人間が使う』


「つまり、国境の裏道か」


『そこまで秘密ではないよ。両側で検問もしているしね。地下一層は完全に交易路みたいなものさ』



 なるほど。


 隠し通路ではないが、海よりは目立たない、か。



「海路はやっぱり厳しいか」


『本来なら一番堅実なんだけどね』



 マルスの声が少し低くなる。



『でも、今の君には向かない』


「精霊使いのアキラ、か」


『その名が港で拾われれば、向こうも動く』



 セレナが静かに補足する。



「妨害だけでは済まない可能性があります」


「船ごと、か」


「ええ」



 港湾、水運、奴隷商。

 全部が繋がっていた以上、海の上は敵の庭だ。



「しかも、巻き込まれるのは俺たちだけじゃない」



 何も知らない人間まで危険に晒すことになる。

 それは何としても避けたい。



『だから、海は勧めない』



 マルスは短く言った。



「それじゃ。さっき言ってた山越えは?」



 俺が聞くと、少しだけ沈黙が入る。



『あー、入国審査を避けるだけなら、確実だよ』


「入国審査を避けるだけなら、か」


『ただし、生きて越えられるかは別問題だ』



 険しい山道、というだけじゃない。

 アルの情報によると、標高一万メートルを超えている場所が何か所もある。

 気温だけじゃなく、酸素の問題も出てくる。

 それに、魔物もいるだろう。


 それだけでも十分危険そうだ。


 だが、マルスはさらに続けた。



『途中に、ハーピーの集落がある』


「ハーピー?」


『女性の割合が極端に高い希少種族だ。だから男性をとても大事にする』



 嫌な予感がした。



「・・・どういう意味で?」


『たぶん、君が想像した通りの意味で。彼女たちは種を欲している』



 即答だった。


 エマの空気が冷える。そしてなぜか睨まれる。

 俺が何をした。



『逆に、同行する女性は敵と見なされやすい』



 エマが無表情になる。



「つまり、私がいると危険なのね」


『かなり』


「うん。却下だな」



 俺は即答した。


 エマがこちらを見る。



「少しでも興味を持った?」


「持ってない」


「返答が早かったわね」


「命の危険を感じた」



 羽根の向こうで、マルスが少し笑った気配がした。



『だから勧めないよ』


「経験者みたいな言い方だな」


『うん。経験者だから言ってる』



 それ以上は語らない。


 けれど、それだけで十分だった。



「で、残ったのが龍の回廊か」


『そう』



 マルスの声が戻る。



『地下一層は比較的安定してる。というか普通の交易路だね。冒険者だけじゃなくて、一般の商人も利用してるから、君たちが通っても不自然じゃない』


「検問は?」


『普通に通れば簡単な確認くらいはある。もっとも、ラムール側は機能してないけどね』


「意味ないな」


『でも、僕たちが使ってる支道がある』



 少しだけ、声が低くなった。



『地下一層で合流する。そこから先は、普通の冒険者が通る道じゃない』


「普通じゃない道ばっかりだな」


『そうだね』



 マルスが悪びれもなく苦笑する。



『けど、君たちなら何とかなる』


「雑に信頼するな」



 そこで、セレナが口を開いた。



「確認しておきます」



 仕事の顔だった。



「こちらは、押収資料のうち共有可能な範囲を整理します」


「首輪本体は、引き続きこちらで保管を」


『助かる。あれは、できれば君たちの手元に置いてほしい』


「こちらも、まだ調べたいことがあります」


『そっちは任せる』



 まだ信用しきっているわけではない。


 だが、協力は始まっている。



『それと』



 マルスが続ける。



『前にも言ったけど、君たちを仲間として縛るつもりはない』


「縛るって言葉、今は縁起悪いぞ」


『失礼』



 少しだけ笑う気配。



『なら、一時的な協力者だ』


「ああ。そのくらいならいい」


『龍の回廊を通る理由付けは、君たちの方で何とかして欲しい。こちらもそこまでは手が回らなくてね」


「ええ、そこは何とかします」



 そうはいったものの、セレナの眉間にしわが寄る。セレナもかなり抱え込んでいるからな。



『日程が決まったらまた連絡を』


「ああ、わかった」


『それじゃ・・・あれ、どうやって終わるんだ・・・?』



 ごにょごにょと何か言っていたが、やがて羽根の光が静かに消えた。



「龍の回廊、か・・・」



 俺が息を吐く。


 海でも山でもない。

 国境の下を通る巨大迷宮。


 どうやら、普通の旅にはならなそうだった。



「問題は、表向きの理由ですね」


「だな」



 セレナがメモを書き始める。



「今のアキラさんが、何の理由もなく龍の回廊へ向かうのは不自然です」


「確かに、目立ちすぎてるものね」


「精霊使い様だからな」


「自分で言うの?」




 その時、突然、勢いよく扉が開いた。




「話は聞かせてもらったわ!」



 リゼットだった。



「・・・・・・」


「・・・・・・」


「・・・・・・」



 皆、唖然としている。



「私にいい案があるの」



 ドヤ顔のリゼット。



「盗み聞きか」

「盗み聞きね」

「盗み聞きですね」


「・・・酷い言い方ね。諜報と言ってほしいわ」


「百歩譲っても盗み聞きだろ」


『証拠映像もあります』



 アルが即答した。


 次の瞬間。

 空中へホログラムが投影される。


 扉の外。

 耳をぴったり押し当てているリゼット。

 しかも真剣。


 

「ちょ、ちょっと!?」


「完全に盗み聞きじゃねぇか」


「精霊にプライバシーって概念はないの!?」


「あるから普段は消してる。ってかお前がプライバシーを語るな」


『現在、盗聴の証拠映像として保存されています』


「け、消しなさい!」



 珍しくリゼットが慌てていた。


 エマが吹きそうになっている。


 リゼットは咳払いを一つ。



「と、とにかく!」



 強引に話を戻した。



「龍の回廊を通るなら、表向きの理由が必要でしょう?」



 それは確かにそうだ。

 今の俺は、もう普通の冒険者ではない。


 セレナも頷く。



「何も持たずに移動するより、依頼を受けている形にした方が自然です」


「偽装依頼か」


「正確には、本物の依頼よ」



 リゼットは一枚の書類を机へ置いた。



「香辛料と乾物を扱う商人への書類配送」


「ラムール寄りの商会ね」



 報酬額を見る。


 安い。

 安すぎる。

 まるで、「お願い、社長~♡安くしてぇ~♡」とおねだりしたかのような金額だ。



「普通の冒険者なら絶対に受けないな」


「でしょうね」



 リゼットが笑う。



「国境越え、龍の回廊、低報酬。誰も好き好んでやらないわ」


「つまり、目立たない」


「そういうこと」



 さらに、リゼットは続けた。



「それに、あなたなら本当に興味があるでしょう?」


「何がだ?」


「ラムールの乾燥香草、山麓産香辛料、薬草、特殊素材・・・」


「ほぅ…?」



 少し反応してしまった。



「香辛料?」



 エマが呆れた顔をする。



「食いついたわね」


「いや、香辛料は大事だろ」


『食品、薬品、美容品、保存処理への応用が期待できます』


「ほら見ろ」


「精霊を味方につけないで」



 セレナが小さくため息を吐く。



「つまり、表向きの理由としても、本音としても成立します」



 確かに。


 精霊工房の商品開発、新素材調査、冒険者依頼に俺の趣味…全てが繋がる。



『龍の回廊は、地下資源やダンジョン固有の薬草も多いと資料にありました』



 アルまで楽しそうだった。



『それに、龍脈とダンジョン形成の関係を観測できる可能性があります』


「お前、ちょっとワクワクしてるだろ」


『観測価値が高い対象です』



 否定しない。


 俺も少しだけ、似た気分だった。


 危険な話だ。

 ラムールは腐っている。

 首輪も、奴隷商も、まだ終わっていない。


 それでも、冒険者として心が動く部分はある。


 エマがじっとこちらを見る。



「少し楽しそうね」


「いや、状況は深刻だぞ」


「顔が少し楽しそうだったわ」


「・・・否定はしない」



 リゼットが笑った。



「それでいいのよ」



 ラムールへ向かう道は、どうやら最初から普通ではないらしい。



「よし。龍の回廊で行く」



 俺がそう言うと、エマは静かに頷いた。


 セレナは、すでに必要物資の一覧を書き始めている。


 リゼットは楽しそうに笑った。



「精霊使い様の初めての大遠征ね」


「その呼び方はやめろ」


『対外認識としては定着しつつあります』


「お前まで言うな」



 明日から、忙しくなる。



 ・・・今でも十分忙しいのだが。


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