第54話 隷属の首輪
『隷属の首輪関連記録の統合検索、継続中』
机の上の黒い輪は、朝の光を受けても不気味なままだった。
精霊工房の事務所には、押収した書類が山のように積まれている。
そして、箱に収められたままの隷属の首輪。
俺たちは誰も寝ていない。
だが、休もうと言い出す者もいない。
眠気より、腹の底から沸き起こる怒りの方が強かったからだ。
「アル。分かったことを順番に出してくれ」
『了解。分類します。首輪本体、運用記録、偽装書類、搬入経路、関係人物、国外接続』
いつもの声だ。
冷静で、正確で、無駄がない。
けれど今は、その淡々とした声すら、机の上の首輪をより冷たく見せていた。
『この首輪は成人用ではありません。内径調整機構から、小児への使用を想定した規格です』
「子供用、ってことか」
『肯定』
エマの手が、強く、固く握られていた。
爪が食い込むほどに。
『鎮静薬との併用を前提とした運用記録を確認。装着時の抵抗を低減し、恐怖反応による暴発を抑える目的と推定されます』
「暴発って何だ」
『所有者権限による懲罰機能の誤作動です』
「・・・言い方が最ッ悪だな」
『適切な分類です』
分かっている。
アルは悪意で言っているわけじゃない。
・・・が、むしゃくしゃして吐き気がする。
『首輪内周部に複数個体由来の血痕を検出。洗浄薬の残留成分も確認。使用後に清掃し、再利用する運用が行われていた可能性が高いです』
「再利用・・・」
セレナの声が低くなる。
「人間を、道具みたいに・・・」
「道具じゃない。玩具だ」
俺の声は、自分でも驚くほど冷えていた。
道具は、大勢のために作られる。
だがこれは違う。
これは、個人の欲望で人間を玩具にまで落とすためのものだ。
エマが首輪を見たまま、震える声で言う。
「こんな・・・こんなものを、子供に・・・」
続きは言葉にならなかった。
言葉にしなくていい。
全員、同じものを見ている。
同じことを考えている。
俺は積まれた書類に目を向けた。
「セレナ。書類上はどうなってる」
セレナはすでに眼鏡をかけていた。
仕事の顔だ。
怒りを内側に押し込み、紙の上に並んだ文字と数字を睨んでいる。
「書類上は、子供たちは攫われていません」
「攫われてない? どういう意味だ」
「保護されたことになっています。そして、奉公先へ移されたことになっている」
「保護? 保護だと!?」
「ええ。書類の上では一応、合法に見えるように整えられています」
セレナは紙を数枚取り、机の上に並べた。
「まず、失踪した子供を保護児童として記録します。保護者は不明、死亡、または所在確認不能として処理。その後、奉公先決定済みとして承認を通し、港湾搬出番号を付ける。これで、人員移送として記録が残ります」
「表向きは、ちゃんとした手続きに見えるわけか」
「はい。実際には、本人の意思も、保護者の確認もありません。ですが、紙の上では整っている」
セレナの声が、わずかに硬くなる。
「帳簿を嘘で汚す人間は許せません。まして、子供を隠すために使うなら、なおさらです」
その静かな怒りは、エマの怒りとは違う。
エマは、傷つけられた子供に怒っている。
セレナは、子供を消すための仕組みに怒っている。
リゼットが、押収した書類を指で叩いた。
「この流れ、普通の奴隷密売じゃないわね」
「分かるのか?」
「分かるわ。港を使う時の雑さがない。荷役、書類、偽装商会、薬の手配、身請け先の偽装。全部が分業されている」
リゼットの紅い瞳が細くなる。
「一回二回の犯行じゃない。計画性があって、しかも流れが整ってる。これは大きな組織の犯行よ」
「つまり、あの倉庫を潰して終わりじゃない?」
「ええ。倉庫は流れの一部。蛇の尻尾みたいなものね」
蛇の尻尾。
なら、胴体があって頭もある。
どこかに、これを動かしている奴がいる。
「アル。この首輪に関係する人間を洗い出せ」
『了解。隷属の首輪、搬入記録、金銭授受、偽装契約書、港湾搬出記録、薬物納入記録、身請け予定者名簿を横断照合します』
机の上で、ペンがまた一斉に動き始めた。
紙が広がりインクが走る。
紙の上に、街の裏側が形を持って現れていく。
『関係人物候補、七十三名』
「多いな」
『直接関与、十九名。書類偽装または承認関与、二十六名。資金授受または便宜供与の痕跡、十五名。黙認または巡回空白の形成、十三名』
「役人は?」
『港湾局、商務局、救貧院管理局、奉公契約承認担当、守備隊港湾詰所に該当者あり』
セレナの表情が固まった。
リゼットからも、笑みが消える。
「これは・・・守備隊だけに渡して済む話ではありません」
「どういう意味だ」
「守備隊、港湾局、商務局、救貧院管理、奉公契約の承認役。複数の部署に名前が出ています」
セレナは、アルが書き出した紙を一枚ずつ並べた。
「このうち何人が直接関与で、何人が黙認で、何人が書類を見ずに押印しただけなのかは分ける必要があります。ですが、少なくとも一つ言えることがあります」
「何だ」
「この街の行政は、どこかで汚染されています」
汚染。
その言葉は、今の状況に嫌なほど合っていた。
病気のように広がっている。
紙に、印に、倉庫に、荷札に、巡回路に。
子供を消すための仕組みが、街のあちこちに染み込んでいる。
「この名前・・・」
リゼットの指が、一枚の紙の上で止まった。
「知っているのか」
「ええ。港湾管理局に顔が利く評議員の側近よ。表では慈善事業に熱心な顔をしているわ」
「慈善事業?」
「孤児救済の寄付者名簿にも名前がある」
リゼットの声が、冷たくなった。
「救う顔をして、流す側にいた可能性があるわね」
「最悪だな」
「ええ。最悪よ」
リゼットは短く言った。
飾り気のない、本気の声だった。
『第三新港湾周辺の倉庫使用記録、水運台帳、夜間荷役記録に共通項があります』
「出せ」
『オルベック傘下倉庫会社、三件。水運業者、二件。荷役組合所属者、四名。いずれも本家直轄ではありません』
「オルベック・・・」
リゼットの目が細くなった。
「オルベックも黒か?」
「断定は早いわ」
即座に、リゼットが言った。
「オルベック本家が関わっているとは限らない。あそこは傘下が多いの。倉庫会社、水運業者、荷役組合。末端まで全部が清潔とは言えない」
「つまり、物流網を悪用された可能性もある?」
「ええ。でも、それならなおさら本家に知らせるべきよ。東側の荷を止められるのは、オルベックだけだから」
「信用できるのか」
「信用ではありません。必要性です」
セレナが静かに言った。
なるほど。
信用するかどうかじゃなくて、動かさなければならない相手、ということか。
リゼットは、机の上の首輪を見た。
「これは、もうヴァルシュだけで抱えられる話じゃないわ」
「オルベック・・・」
「ええ。第三新港湾、運河沿い倉庫、水運、荷役所。そこまで使われているなら、東側を外して動く方が不自然よ」
「縄張り争いしてる場合じゃない、か」
「そういうこと。街の東と西で睨み合っている間に、子供を荷物にされたのよ。そんなくだらない意地、今は邪魔でしかないわ」
その言葉に、俺は少しだけリゼットを見る目を変えた。
この女は一見、軽い。
それに、いつの間にか近い距離にいて、心を揺さぶるのが上手い。
だが、大事な所で判断を間違えない。
少なくとも今この瞬間、ヴァルシュの縄張りよりも、街の危機を優先している。
「誰に連絡を取る」
「ミリアナ=オルベック」
「当主じゃないのか」
「当主を動かすには重すぎる。まず現場を動かせる人間が要るわ。第三新港湾を実際に締めているのは、あの女よ」
「あの女、ね」
「ええ。東港の姫。癪だけど、今は一番必要な相手だわ」
東港の姫。
なんだその異名。
オタサーの姫、みたいなもんか?
いや、考えるのはやめておこう。俺はすぐに顔に出るらしい。
『首輪内側の刻印と、押収した暗号帳の記号が一致。搬入経路は西方山道経由。最終記録上の出所は、ラムール方面の商隊名義です』
「ラムール・・・」
エマの声が、低くなった。
「ラムール製か」
『製造地断定には追加情報が必要です。ただし、部品規格、刻印、搬入商隊名義、暗号帳の符丁はラムール方面と一致します』
「十分だ」
「ラムールは、人を人として扱わない国よ」
エマの声は低かった。
「俺の知り合いもラムールから逃げてきたと言っていたな。それに、近づくな、とも・・・」
「全部がそうだとは言わない。でも、奴隷と支配に関しては、オーブリンよりずっと深い闇がある」
エマの言葉は短い。
だが、それで十分だった。
彼女がその国を嫌っていること。
そこに、今回の首輪と繋がる土壌があること。
それだけで、分かる。
「この情報が外へ出れば、動く人間がいるわ」
リゼットが言った。
「誰だ」
「ラムールに家族や仲間を奪われた者。奴隷商を追っている者。表に出られない者たち」
「つまり、向こうにも奴隷商を潰したい連中がいるってことか」
「ええ。表の国や商会とは別にね」
リゼットは、それ以上は言わなかった。
だが、その沈黙だけで、十分に不穏だった。
『押収記録内に、ラムール国内の反体制勢力を示す符丁が一件あります』
「反体制勢力?」
『現地権力に抵抗する非合法または非公然組織の総称です』
「つまり、向こうにもこっちを見ている奴がいるってことか」
『肯定』
ラムール、奴隷商、反体制勢力。
話が、一気に街の外へ広がっていく。
だが、外を見る前にやることがある。
「この街だけ潰しても、首輪の流れは止まらない」
『可能性は高いです』
「だが、この街の協力者を残したまま外へは行けない」
俺は机の上の人物リストを見た。
七十三名。
その全員が悪人とは限らない。
押印しただけの者もいるだろう。
脅された者もいるかもしれない。
何も知らず、ただ書類を通した者もいるかもしれない。
だが、結果として子供は消えた。
首輪は街に入った。
なら、徹底的に調べる。
絶対に逃がさないし、たとえ無自覚でも許さない。
「まず、この街の腐った部分を全部引きずり出す」
「ええ」
エマが頷いた。
「その上で、首輪の先を追う」
セレナが、並べた紙を整理しながら口を開いた。
「このまま守備隊上層だけに渡せば、握り潰される可能性があります」
「だろうな」
「なので、同時に複数へ出します。守備隊、商業ギルド、港湾局の正規監査筋、ヴァルシュ商会、そしてオルベック商会。消せない形にします」
「被害者の名前は?」
「伏せます。子供たちを守る方が先です」
「頼む」
「承知しました」
セレナはすぐに、書類を分類し始める。
その手つきは迷いがなかった。
こういう時、本当に頼りになる。
「ところで、アキラ」
「なんだ?」
リゼットが、ふと思い出したようにこちらを見た。
「私の前で、そのアルとかいう精霊さんと、ずっと普通に話している自覚はあるのかしら?」
「・・・マ?」
俺はそこで、ようやく固まった。
言われてみれば、そうだ。
隷属の首輪を前にして、俺は普通にアルへ話しかけている。
そのままアルも、普通に答えている。
しかも、リゼットの目の前で。
そればかりか、精霊の分体とか言って、通信までさせてしまった。
昨夜だけじゃない。
今も現在進行形で、完全にやっている。
(言い逃れは・・・)
『どうシミュレートしても無理ですね』
(だよなー)
完全にやらかしている。
(・・・しまった)
「ふふ。今、完全にしまった、という顔をしたわ」
「してない」
「していたわ」
「気のせいだ」
「そう。なら、気のせいの精霊さんについて、あとでゆっくり聞かせてもらうわね」
「聞かなくていい」
「聞くわ」
リゼットは楽しそうに笑った。
首輪を前にしていた時の冷たい怒りとは違う。
これは、獲物を見つけた商人の顔だ。
「精霊と会話できる男。精霊に街中の証拠を探させる男。さらに、離れた相手とも精霊越しに話せる男」
「勝手に並べるな」
「あら。全部、私が見た事実よ」
「見なかったことにしろ」
「無理ね。私、面白いものは忘れない主義なの」
「最悪だな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
リゼットは、わざとらしく首を傾げた。
「それに、そんな秘密を見せられたら、もう少し近くで知りたくなるのが商人というものよ」
「近づくな」
「それは無理な相談ね」
駄目だ。
完全に面倒な方向に火がついた。
エマがこちらを見ている。
何か言いたそうだ。
いや、言わなくていい。
多分、俺が悪い。
「そうそう、アキラ」
「なんだ?」
「あの女の前では、アルは隠すことね」
「あの女って、ミリアナか」
「ええ。あれは私より現実的で、私より遠慮がないわ」
「お前がそれを言うのか」
「あら、私は優しい方よ?」
「どこが」
リゼットは楽しそうに笑ったあと、少しだけ真面目な顔になった。
「ミリアナは、価値があると見ればすぐ測る。量れるものは全部量る。荷の数も、人の数も、秘密の価値もね。そして、抑えるために動くわ。そういう女よ」
「肝に銘じておく。アルの方でも気を付けてくれ」
『了解。ミリアナ=オルベック接触時、発話および視覚的投影を制限します』
「頼む」
リゼットは、それを聞いて薄く笑う。
「ほら、そういうところよ」
「何がだ」
「今ので、また情報が増えたわ」
「・・・しまった」
「二回目ね」
くそ。
この女、本当に油断ならない。
「そういえば、子供たちはどう? 全員無事?」
エマは心配そうにしている。
『チャドを含む保護児童六名、守備隊詰所で保護継続中。医師による診察は完了。生命に危険なし』
「状態は?」
『脱水と疲労、軽度薬物反応はありますが、応急処置により安定。現在は深い睡眠状態です』
「眠ってるのか。まぁ、こんな時間だしな。ふあぁぁ・・・」
『肯定。救出後の安全確認により緊張状態が緩和。安心したことで、強い眠気が出たものと推定されます』
それだけで、少し息ができた。
「眠れているなら、よかったわ」
エマが静かに言う。
「ああ。今は、寝かせてやろう」
子供たちは助かった。
少なくとも、今は眠れている。
それだけで、ほんの少しだけ救われた気がした。
セレナが封書の準備を始める。
「オルベックには、傘下企業の名が出ていること。本家黒幕と断定していないこと。物流網を悪用された可能性が高いこと。この三点を明記します」
「角が立たないように?」
「いいえ。逃げ道を残さないように、です」
「怖いな、セレナ」
「必要な処理です」
その言い方、ちょっとアルに似てきてないか。
いや、言わないでおこう。
「リゼット。オルベックへの使いは頼めるか」
「頼めるわ。ただ、普通の使いでは足りないわね」
「どういう意味だ」
「この内容で呼ぶなら、ただの伝言では動かない。証拠の一部と、ヴァルシュの印、それから精霊工房の名前が要る」
「精霊工房の名前もか」
「ええ。昨夜の精霊の噂は、すぐに東にも届くはずよ」
「早すぎるだろ」
「街の噂は、荷より速く流れるものよ」
リゼットは封書に視線を落とした。
「ミリアナなら来るわ」
「断言するんだな」
「ええ。あの女は、自分の港を汚されるのが嫌いなの」
「仲が悪いのか?」
「悪いわよ」
リゼットは、少しだけ笑った。
「だからこそ分かるの。あの女は、こういうものを絶対に許さない」
封書が閉じられ、ヴァルシュの印が押された。
そこに、精霊工房の名も添えられる。
「もう、朝か」
気が付けば、外が白み始めていた。
朝の鐘が鳴り、街が目を覚ます。
銀のクジラと銀の鳥、そして救われた子供たち。
その噂は、もう止まらない。
そして、噂よりも早く、ひとつの封書が東へ走る。
宛先は、オルベック商会。
第三新港湾を握る、東側の巨大商会。
ヴェルクハーフェンの東と西が、同じ敵を見ようとしていた。




