第53話 包囲網
子供たちは助けた。
だが、終わりじゃない。
今度は、逃げる奴らを捕まえる番だった。
『逃走経路を表示します』
俺とエマの前に、青銀の立体地図が浮かぶ。
第三新港湾。
別倉庫。
古い宿屋街。
三本の線が、それぞれ違う方向へ伸びていた。
『逃走対象、三系統。第三新港湾方面に二名。別倉庫方面に一名。古い宿屋街方面に一名』
(優先順位は)
『別倉庫方面の対象。証拠隠滅行動を開始しています』
「そいつからだ」
「ええ」
エマは短く頷いた。
地下で見た子供たちの姿が、まだ目に残っている。
壁際に縛られ、声も出せずに震えていた小さな身体。
母親を呼ぶチャドの泣き声。
人質にされていた女の子の、声にならない涙。
あれを見たあとで、逃げる連中を見逃せるわけがなかった。
俺たちは倉庫を出た。
夜の港湾区を、青い線に沿って走る。
『対象、別倉庫に到達。火種を準備。書類束を焼却しようとしています』
(間に合うな)
『肯定』
アルの返答は短い。
次の瞬間、俺の視界に倉庫の簡易構造図が重なった。
入り口。
棚。
隠し箱。
対象の位置。
距離はもう近い。
古びた小倉庫の扉が見えた。
『扉内側に簡易警報。解除済み』
俺はそのまま踏み込んだ。
扉を開けた瞬間、乾いた紙の匂いと、火種の焦げた匂いが鼻を突く。
男が振り返った。
手には書類。
足元には火皿。
今まさに、その紙束を燃やそうとしていた。
「なんでここが分かった!?」
「精霊が見てる」
そう言った瞬間、男の顔から血の気が引いた。
「せ、精霊だと・・・?」
「それを燃やすな」
男が火皿へ書類を落とそうとする。
遅い。
踏み込んで、手首を弾く。
書類束が宙に浮いたところを掴み、火皿を蹴り飛ばす。
火は床に散る前に、不自然なほど小さく潰れた。
『火種、無効化』
俺は男の胸ぐらを掴み、棚に押しつけた。
「これは何の書類だ?」
「し、知らねぇ!」
『虚偽の可能性、九八パーセント』
「知ってるってさ」
「なんで分かるんだよ!」
「だから、精霊が見てる」
男の膝が震えた。
エマが落ちた書類を拾い上げる。
「奉公契約書・・・?」
「偽装だろうな」
『記載内容に不自然な点多数。対象児童の出身地、保護者名、身請け先が重複しています』
胸の奥が冷たくなる。
子供を攫って、奉公に出したことにする。
記録上は、それで人の流れができる。
実態は違う。
そんな紙一枚で、人間を荷物に変える。
「こいつを縛る」
「任せて」
エマが種を投げ、短く詠唱する。
「【バインドソーンズ】」
種が一気に芽吹いて茨となり、縄のように男の腕を絡め取り、棚へ縛りつけた。
男はもがいたが、茨の拘束はびくともしない。
そして、もがけばもがくほど茨の締め付けはキツくなり、トゲが肉を割いていく。
「これで一人確保」
『第三新港湾方面の対象二名、荷車で移動中。速度上昇』
「次だ」
俺たちは書類束を確保し、倉庫を飛び出した。
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第三新港湾へ続く道は、夜でも完全には静かにならない。
遅い時間まで荷を動かす者がいる。
船の出入りに合わせて働く者がいる。
だから、逃げる側にとっては紛れやすい。
だが、今のアルからは逃げられない。
『対象の荷車、前方二百四十メートル。車軸に観測端末付着済み』
(止めろ)
『車軸固定を実行』
前方で、荷車ががくんと傾いた。
「うわっ!?」
「な、なんだ!?」
男二人が慌てて荷車から飛び降りる。
一人は港の方へ。
もう一人は脇道へ逃げようとした。
「エマ、右」
「分かっているわ」
「【エアハンマー】!」
圧縮された空気の塊が、逃げる男の足元に叩きつけられる。
男は前のめりに転がり、そのまま石畳へ顔から落ちた。
俺はもう一人へ踏み込む。
男は短剣を抜いた。
だが、こちらに向ける前に、その手首を押さえる。
「遅い」
腹へ膝。
首筋へ打撃。
男は膝から崩れ落ちた。
『荷車内、偽装積荷を確認。空木箱、荷札、積荷目録。記録上は乾物。実際には人員輸送用の空間あり』
「人間を箱に入れて運ぶ気だったのか」
『肯定の可能性が高いです』
「・・・そうか」
自分の声が低くなったのが分かった。
エマも何も言わない。
ただ、荷車の中を見て、静かに目を細めていた。
荷台の底には、二重の空間があった。
子供なら、入る。
入れられてしまう。
「証拠は押さえた。次は」
『古い宿屋街方面の対象、連絡役と接触』
(会話は)
『記録中。内容、倉庫襲撃、子供奪還、証拠移動の指示』
「行くぞ」
俺たちは三本目の線へ向かった。
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古い宿屋街は、港湾労働者や行商人が安く泊まる一角だ。
夜更けでも、酒臭い声が漏れている。
だが、目当ての宿は通りの奥にあった。
『対象、二階奥の部屋。連絡役一名と接触中』
(接近できるか?)
『裏階段から接近可能。扉の内側に椅子を噛ませています。解除します』
裏階段を上がる。
古い木材が軋むはずの階段は、不思議なほど音を立てなかった。
アルが足場の軋みまで先に抑えている。
扉の前で足を止める。
中から声が聞こえた。
「早く逃げねぇと! そんな紙っ切れは置いてズラかろうぜ」
「馬鹿が。証拠を置いていけるか!」
「他のはどうするんだ? 南の倉庫七番と、港湾荷役所の台帳なんかも・・・」
そこまで聞いて、俺は扉を開けた。
二人の男が同時にこちらを見る。
「その証拠、どこへ移すつもりだった?」
「な、なんで・・・」
「ま、答えなくていい。もう分かってる」
一人が窓へ走る。
俺が踏み込むより早く、エマが魔法を放つ。
「【パラライズスパーク】」
電撃を浴びた男が床へ転がる。
もう一人は震える手で短剣を抜こうとしたが、その手を止めるほどの気力も湧かなかった。
俺は男の前に立つ。
「お前たちが誰に報告しようとしていたのか。どこへ証拠を移そうとしていたのか。誰が金を受け取っていたのか」
男の顔が引きつる。
「全部、これから押さえる」
「ば、馬鹿な・・・そんなの・・・」
「無理じゃない」
俺は静かに言った。
「精霊が見てるんだよ」
その言葉で、男はようやく理解したようだった。
何かに追われているのではない。
もう、見られている。
逃げる場所がない。
男たちを拘束し、押収できるものを確保する。
偽名で書かれた宿帳。
暗号めいた走り書き。
港湾荷役所の名が入った控え。
そして、南倉庫七番という単語。
線は、まだ伸びている。
「これは、一つの倉庫だけの話じゃない」
「ええ」
エマは短く答えた。
「全部押さえるぞ」
俺が言うと、エマは何も言わずに頷いた。
関わった奴らも。
証拠も。
逃げ道も。
全部だ。
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俺たちは一度、精霊工房へ戻った。
夜は深い。
だが、事務所にはまだ灯りが残っていた。
セレナは、こちらを見るなり立ち上がった。
「子供たちは」
「全員助けた。守備隊に託してある」
セレナの肩から、少しだけ力が抜けた。
「・・・よかった」
「ああ。でも終わりじゃない」
「でしょうね」
彼女の表情は、すぐに仕事のものへ戻る。
こういう切り替えの速さが、今は本当にありがたい。
「逃げた連中は捕まえた。だが、関係者と証拠が多い。早く動かないと消される」
「押さえるべき場所は分かりますか」
「今から出す」
「今から?」
「セレナ。紙を大束で三つ。あと、ペンとインクをできるだけ用意してくれ」
「紙、ですか?」
「ああ。アルに書かせる」
セレナは一瞬だけ目を瞬いたが、余計なことは聞かなかった。
すぐに紙束とペン、インク壺が机の上に並ぶ。
事務所の灯りを少し増やし、空いた机を二つ寄せる。
(アル。始めるぞ)
『了解』
そう言うと、静かに町中に張り巡らされたナノマシンが動き始めた。
『街中の記録媒体のリーディング開始・・・終了。検索可能状態へ移行』
(検索対象は、人員移送、奉公、身請け、保護児童、荷札番号、商会印、鎮静薬、首輪型魔道具、搬出記録、金銭授受)
『了解。関連記録を抽出します』
紙束の前で、何本ものペンがふわりと浮かび上がった。
セレナが息を呑む。
「こ、これは?」
『保全すべき証拠の場所です』
アルの声と同時に、ペンが一斉に走り始める。
紙の上に、文字が増えていく。
一枚ではない。
二枚でもない。
複数の紙に、同時に。
ペンがさらに速く動いた。
文字が、行になり、表になり、地図になっていく。
『第三新港湾南倉庫七番。裏口右手の壁板、下から三枚目。押し込むことで隠し扉が開きます』
『保全対象。右から二番目の棚、上から三段目、左から三番目の書類束。偽装奉公契約書』
『古い宿屋街、銀猫亭二階奥。床板下、右から二枚目。商会印二種、偽造印』
『港湾荷役所控室。記録台帳最終ページ裏。搬出番号が暗号化記載されています』
『第二港湾南詰めの空き事務所。右から二番目の棚、上から三段目、左から三番目の書類束。児童移送費用の分配記録』
『薬種問屋裏倉庫。奥壁薬棚、下段左端。鎮静薬の出荷控え。届け先、乾物倉庫』
『第三新港湾北側小倉庫。中央床下二重構造。首輪型魔道具を保管』
『港湾荷役組合控室。個人箱十二番。二重底。金銭授受メモ』
『南運河沿い空き家。地下保管箱。身請け予定者名簿』
『第二市街南端、古物商裏部屋。箱底に暗号帳。港湾搬出番号との対応表』
セレナは、書かれていく紙を見つめていた。
「棚のどこにあるとか、隠し扉の場所や開け方まで記載されているように見えるのだけれど」
『調査の結果です』
「これは・・・もう調査ではなく、情報による制圧ですね・・・」
「だな」
セレナは小さく息を吐き、すぐに紙を分類し始めた。
「ちょっと多いですね。動かせる守備隊を計算にいれても、港湾側は、こちらだけでは足りません」
「ヴァルシュか」
「はい。リゼットさんなら動くでしょう」
「呼ぼう」
「呼ばない理由がありません」
深夜だ。
普通なら遠慮する時間だ。
だが、相手は子供を攫う連中だ。
遠慮する相手を間違えてはいけない。
「リゼットに、子供が絡む、と伝えてくれ」
「承知しました」
それだけで十分だった。
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リゼットが来たのは、それから思ったより早かった。
ラベンダーピンクの髪を軽くまとめ、夜用の外套を羽織っている。
深夜に呼び出されたとは思えないほど整っていた。
だが、第一声はいつも通りだった。
「夜更けに私を呼ぶなんて、なーんだ、同衾のお誘いかと思ったのに。残念」
「違う」
「即答されると傷つくわね」
「子供を攫った連中の証拠を押さえる。ヴァルシュの協力が欲しい」
リゼットの笑みが、そこで薄くなった。
「・・・そういう話なら、全面協力するわ」
ふっと甘い空気が消え、商会令嬢の顔になる。
「状況は?」
セレナが紙を差し出す。
「救出された子供は六人。逃走者は捕縛済み。ですが、証拠保全が必要な地点が複数あります」
「多いわね」
「港湾側が含まれています。ヴァルシュ商会の名前が必要です」
「分かったわ。港湾荷役所は私が押さえる。第二港湾南詰めの空き事務所は、うちの者を向かわせるわ。表向きは、荷の確認と契約違反調査にする」
「できるのか」
「ヴァルシュ商会が、どうやって街半分を牛耳ってると思っているの?」
「怖いな」
「褒め言葉として受け取っておくわ」
リゼットは紙へ目を走らせる。
その目が、途中で鋭くなった。
「児童移送費用の分配記録・・・鎮静薬の出荷控え・・・搬出番号・・・」
声が低くなる。
「本当に、うちの街でやってくれたのね」
「関係しているのは一部だろうがな」
「一部でも同じよ。港湾を使っている時点で、私たちの庭を汚したことに変わりはない」
リゼットは紙を置いた。
「許さないわ」
その一言には、甘さがなかった。
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作戦は、夜明け前に行うことになった。
一箇所ずつ押さえれば、残りに隙ができる。
証拠も消される。
だから同時に動く。
俺は、第三新港湾北側小倉庫へ向かう。
そこには、金属製の首輪型魔道具があり、警備の人数も多いとアルが書き出していた。
エマは、薬種問屋裏倉庫へ向かう。
鎮静薬の出荷控えを押さえるためだ。
リゼットは港湾荷役所へ向かい、ヴァルシュ商会の人員は第二港湾南詰めの空き事務所を押さえる。
セレナは精霊工房の事務所で証拠の受け入れと照合を行う。
各地点には、セレナが手配した信頼できる守備隊員と、ヴァルシュの人員を分けて向かわせる。
それぞれの手には、アルが書き出した指示書がある。
どの壁板を押すか。
どの床板を外すか。
右から何番目の棚か。
上から何段目か。
左から何番目の書類束か。
普通なら馬鹿げた指示だ。
だが、今夜はそれが最短の道になる。
「今から連絡用にアルの分身体を皆につける」
『エマ、セレナ、リゼットに支援端末を生成します』
エマの肩の横に、小さな青銀の光が浮かんだ。
「これが、私に?」
「ああ。地図と指示を出せる。あと、俺との連絡も中継できる」
『音声中継、視覚情報投影、簡易索敵が可能です』
「・・・本当に反則ね」
「今は反則でいい」
エマは少しだけ息を吐き、それから頷いた。
『各班に支援端末を配置。音声中継を開始します』
「エマ、聞こえるか」
少し離れた場所にいるエマの声が、小さな精霊を通して返ってくる。
『聞こえるわ。妙な感じね』
「便利だろ」
『便利すぎるわ』
リゼットが肩をすくめる。
「精霊工房って、本当に何でもありね」
「今さらだ」
「ええ。だから気に入っているの」
朝の気配は、まだ遠い。
だが、俺たちはもう動き始めていた。
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第三新港湾北側小倉庫は、外から見ればただの古い保管庫だった。
扉には錆びた錠前。
壁には潮で白く浮いた跡。
近くの運河からは、湿った風が流れてくる。
『内部に成人男性八名。武装あり。床下二重構造。対象物は中央床下』
(八人か)
『配置を表示します』
視界の中に、青い線が走った。
入口左右に二人。
中央の木箱裏に二人。
奥の棚近くに三人。
そして、中央床板の上に一人。
その男だけが、他の連中より落ち着いている。
床下の証拠を処分する役だろう。
(罠は)
『扉内側に針金式警報。床下周辺に毒針付き留め具。奥棚付近に投擲用短剣。解除します』
(やれ)
『完了』
俺は扉を開けた。
中の男たちが、一斉にこちらを向く。
「誰だ!」
片方が剣を抜き、もう片方が警笛へ手を伸ばす。
中央の男は床板へ膝をついた。
『中央の対象、床板を開こうとしています』
(させるな)
俺は床を蹴った。
最初の男が警笛を吹くより早く、その手首を押さえて顎を打つ。
身体が崩れる。
二人目の剣が横から来る。
遅い。
踏み込みの途中で柄頭を腹へ入れ、首筋を叩く。
意識が抜けた男を、次の男へ投げた。
「なっ!?」
木箱裏から飛び出そうとしていた二人が、一瞬止まる。
その一瞬で十分だった。
『右、短剣。左、棍棒』
(見えてる)
短剣の軌道を半歩外し、手首を打つ。
落ちた短剣を蹴り飛ばし、そのまま膝で腹を潰す。
棍棒は頭上から。
受けない。
懐へ入り、肘を胸へ叩き込む。
息が止まった男の背中を押すと、そいつは短剣の男ごと床へ転がった。
四人。
まだ、五秒も経っていない。
「囲め!」
奥の三人が動いた。
一人は槍。
一人は短剣。
一人は投げナイフ。
『投擲。右肩狙い』
(弾け)
銀色の粒が一瞬だけ視界の端で光った。
飛んできたナイフは、俺に届く前に軌道を逸らされ、倉庫の柱へ突き刺さる。
「な、何だ今の!」
答えるつもりはない。
槍を持った男へ踏み込む。
穂先が突き出される前に柄を踏み、肩口へ打撃。
槍が床へ落ちる。
短剣の男が横から斬り込んでくる。
だが、その腕は途中で止まった。
『肘関節部へ微細拘束。〇・八秒』
(十分)
俺はその〇・八秒で距離を詰め、首筋を打った。
投げナイフの男が後ろへ下がる。
「ば、化け物かよ・・・!」
そいつの足元で、床板が小さく盛り上がった。
アルが固定したのだろう。
男は自分の足に引っかかるように転び、顔から床へ落ちた。
『七名、制圧』
残った一人。
中央床板の上にいた男が、震える手で床下の留め具を外そうとしていた。
「開けるな!」
男は悲鳴じみた声を上げ、隠し床へ手を突っ込む。
『対象、証拠物を破壊しようとしています。右手に小型槌』
(止めろ)
『手首部を固定』
男の右手が、空中で止まった。
「う、動かねぇ・・・!?」
俺は歩いて近づいた。
男は必死に腕を引こうとする。
だが、見えない何かに掴まれたように動かない。
「何を壊そうとした?」
「し、知らねぇ!」
「そうか」
俺は男の手から小型槌を取り上げ、横へ放った。
「じゃあ、あとで知ってる奴に聞く」
柄頭を軽く顎に入れる。
男の目が裏返り、そのまま床へ崩れた。
『八名、制圧完了』
倉庫の中に、静けさが戻る。
倒れた男たちの呻き声だけが、床を這っていた。
「床下は」
『中央床板、右から二枚目。釘は偽装。手前に引き上げてください』
言われた通りに床板を外す。
中に、木箱があった。
重い。
嫌な重さだった。
箱の蓋に指をかける。
「開けるぞ」
蓋を外した瞬間、場の空気が変わった。
黒い金属の首輪が、いくつも並んでいた。
小さな首には、あまりにも不似合いなもの。
「・・・何だよ、これ」
『首輪型魔道具を確認。精神干渉系の可能性があります』
俺は箱を閉じた。
「持ち帰る。アルはこれに関する資料がないか調べてくれ。」
『了解。タスクに追加します』
その時、アルの報告が重なる。
『エマ班、薬種問屋裏倉庫に到達』
『奥壁薬棚、下段左端』
少し遅れて、エマの声が支援端末越しに届いた。
『アキラ? 聞こえる?』
「ああ、聞こえてるぞ」
『あったわ。鎮静薬の出荷控え。届け先は、乾物倉庫』
声が冷たい。
『リゼット班、港湾荷役所控室に到達』
『記録台帳最終ページ裏。搬出番号を確認』
今度はリゼットの声が聞こえた。
『子供を荷物みたいに番号で管理しているわ。最低ね』
『ヴァルシュ別働、第二港湾南詰め空き事務所にて費用分配記録を確保』
『守備隊別働、第三新港湾南倉庫七番にて偽装奉公契約書を確保』
『別働隊、古物商裏部屋にて暗号帳を確保』
次々と報告が入る。
街のあちこちで、逃げ道が潰れていく。
誰かが証拠を消そうとする前に。
誰かが口裏を合わせる前に。
誰かが子供をただの荷物に戻す前に。
全部、押さえていく。
派手な光はない。
銀の鳥も飛ばない。
それでも、確かに精霊たちは街を包んでいた。
△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼
首輪の入った木箱は、精霊工房の事務所へ運び込まれた。
朝の光が差し始めている。
窓の外では、街が少しずつ目を覚まし始めていた。
だが、事務所の中は重かった。
机の上に置かれた黒い金属の輪。
それは、ただの拘束具には見えなかった。
俺。
エマ。
セレナ。
リゼット。
四人が、その箱を囲んでいる。
リゼットの甘い笑みは消えていた。
セレナの表情も硬い。
エマは、首輪から目を離さない。
「で、この首輪はなんだ、アル?」
『サーチした資料、および首輪本体の構造解析結果を統合します』
アルの声が、いつもより硬く聞こえた。
『名称候補。隷属の首輪。契約奴隷用拘束具』
「隷属・・・」
エマの声が震えた。
『基本機能。装着者の意思決定を制限。登録された所有者の命令を優先』
『逃走、抵抗、虚偽申告、命令拒否に対し、苦痛、意識混濁、発声制限を付与』
『発声制限機能により、救助要請、証言、所有者に不利な情報の発話を阻害可能』
エマの手が、机の縁を掴んだ。
それでもアルは続ける。
止めるべきではない。
知らなければならない。
『所有者権限により、任意のタイミングで首輪内周に魔力の刃を生成。装着者の頸部切断が可能』
部屋の空気が、凍った。
『切断後、首輪本体は再利用可能。内周部に複数個体由来の血痕を検知』
誰も、すぐには喋らなかった。
俺は拳を握る。
「子供に、これを付けるつもりだったのか」
『肯定される可能性が高いです』
「・・・そうか」
自分の声が、思ったより静かだった。
静かすぎた。
「こんなものが実在して良いわけないじゃない!」
エマの声が震えていた。
恐怖ではない。
怒りだ。
「子供に・・・あの子たちに、こんなものを・・・!」
セレナが、首輪の横に置かれた書類へ視線を落とす。
「書類上は奉公。実態は隷属。しかも、不要になれば首を落として再利用ですか」
その声は低かった。
「これは商売ではありません。人間をモノとして扱う仕組みです」
リゼットは首輪を見つめていた。
その顔からは、いつもの余裕が消えている。
「ヴァルシュの街で、こんなものを流していたのね」
静かな声だった。
けれど、その静けさが怖かった。
「絶対に潰す。商売の作法も知らない連中に、誰の庭で遊んだのか教えてあげる」
リゼットから、笑顔が完全に消えていた。
「子供を商品にするような商売は、商売じゃないわ。ただの腐敗よ」
セレナが頷く。
「同感です」
エマはまだ首輪を見ていた。
その目は冷えている。
俺も、机の上の黒い輪を見た。
これがあの子たちの首に付けられるところだった。
そう思っただけで、腹の底に黒いものが溜まっていく。
「アル」
『はい』
「この首輪の流れを追えるな」
『可能です。刻印、材料、術式、搬入記録、購入者記録を照合します』
「やれ」
『了解。隷属の首輪関連記録の統合検索を開始します』
リゼットが、ほんの一瞬だけ俺とアルの光を見比べた。
だが、今は何も言わなかった。
机の上の黒い首輪が、青銀の光に照らされた。
子供を助けた。
逃げた連中も捕まえた。
証拠も押さえた。
だが、こんなものがこの街に流れているなら。
まだ終わるわけがない。




