第52話 救出
夜の旧西大通りを、俺とエマは走っていた。
脳内には、アルが示した青い線が浮かんでいる。
旧西大通りを抜けて第一市街の裏路地へ。
そこから第二城壁跡の抜け道を通って、第三新港湾外れの乾物倉庫。
そこに、子供たちがいる。
チャドらしき子供も、そこにいる。
それだけで、足は勝手に前へ出た。
『対象倉庫まで、残り八百六十メートル』
(敵は)
『倉庫外周に見張り二名。内部に三名。地下空間に小型熱源五。地下奥の別室に小型熱源一。成人男性一名が同室内に存在します』
(別室?)
『肯定。小型熱源は推定八歳前後の女児です』
まさか。
考えたくない想像が、頭をよぎった。
子供が五人いる場所から、一人だけ女の子を別室に分けている。
それも、犯罪者の成人男性と一緒に。
最悪の可能性を考えないわけにはいかなかった。
「エマ」
「何?」
「子供が五人いる部屋とは別に、八歳くらいの女の子が一人、男と一緒にいる」
エマの足が、一瞬だけ鈍った。
「それは・・・」
「ああ。何かあってからじゃ遅い。急ぐぞ」
「ええ」
エマの声が、低くなった。
怒りを叫ぶわけじゃない。
だが、その静けさの奥に、はっきりと熱があった。
その時、俺たちの前方に淡い青銀の光が広がった。
夜道の上に、半透明の街の縮図が浮かび上がる。
まるでSF映画のカーナビだ。
「これは・・・地図?」
「ああ。アルが見ている情報を、エマにも見えるようにしている」
「こんなことまでできるのね」
「俺も少し驚いてる」
『追加群到着により、外部投影精度が向上しています』
(便利になりすぎだろ)
『必要機能です』
便利、という言葉で済ませるには、少し規模がおかしい。
だが今は、それでいい。
子供を助けるためなら、使えるものは全部使う。
俺たちは路地を曲がり、人気のない荷車道へ入った。
石畳の隙間に雨水が残っている。
遠くで船の軋む音が聞こえ、夜の港の匂いが少しずつ濃くなっていった。
『前方十二メートル。路地入口に警報用の糸』
(解除)
『完了』
俺は速度を落とさず、そのまま進む。
『左壁面。振動感知用の木札。魔力反応微弱』
(無効化)
『完了』
『足元。踏板式警鐘。踏み抜くと壁裏の鈴が鳴ります』
(踏んでも鳴らないようにしろ)
『完了』
何も起きない。
風が通るだけだ。
俺たちはただ、静かな路地を進んでいるように見える。
エマが、ふと足を緩めた。
「・・・おかしいわ」
「何が?」
「罠の一つすらない? ここまで無警戒だなんて・・・まさか!?」
「ああ。アルが先行してすべて解除している」
「すべて?」
『現時点で検出された罠は、全て無効化済みです』
エマが、光の地図と俺を見比べる。
「それを、罠があるようにすら見せずに?」
「そういうことだ」
「・・・本当に、反則ね」
「そういうなよ」
だが、反則でいい。
子供を攫うような連中相手に、正々堂々など知ったことか。
俺たちはさらに進む。
『倉庫裏口まで、残り百二十メートル。路地裏に鳴子。右側の木箱裏に油壺。転倒時、火種と連動して発火する構造です』
(解除)
『完了』
『倉庫裏口。扉内側に二重警報。鈴付き針金、および扉上部の落下網』
(両方解除)
『完了』
『地下入口に簡易魔力札。接触者の魔力変化を検知し、内部へ警告する仕組みです』
(それも無効化)
『完了』
何もない。
ただ、何もないようにまっすぐ進む。
その異常さに、エマも気づいているのだろう。
彼女はもう何も言わなかった。
だが、杖を握る指には力が入っていた。
倉庫が見えた。
第三新港湾の外れにある、青い屋根の古い乾物倉庫。
表向きは潰れた商会の所有物。
今は誰も使っていないことになっている。
だが、今その中に子供がいる。
『外周見張り二名。右、短剣。左、警笛。警笛所持者を優先制圧推奨』
(了解)
俺は足を止めなかった。
むしろ、少しだけ速度を上げる。
見張りの男がこちらに気づいた。
目を見開き、警笛を口へ運ぼうとする。
遅い。
踏み込んだ。
警笛を持った手首を押さえ、そのまま身体を沈める。
膝を払うと、男の身体が石畳に崩れた。
もう一人が短剣を抜く。
やはり遅い。
柄頭を顎へ叩き込み、意識を刈り取る。
男は声も出せずに倒れた。
(殺すな。証言が要る)
『非致死制圧を維持しています』
よし。
俺は裏口へ回る。
『扉内側の鳴子、無力化済み。落下網、固定済み。油壺、内容物を無害化済み』
(本当に何でもありだな)
『必要処理です』
扉を押し開ける。
古い木の匂いと、干した魚や穀物の匂いが混ざった空気が流れてきた。
乾物袋が積まれ、木箱が並び、棚には荷札の束が吊るされている。
表向きは、ただの倉庫だった。
だが、俺たちの前に投影された青銀の立体地図には、別のものが映っている。
床下の空洞。
偽装された地下入口。
内部にいる成人男性三名。
そして、地下に並ぶ小さな光点五つ。
子供だ。
『左奥の男、書類を焼却しようとしています』
(最優先)
俺は床を蹴った。
男が火種を紙束に近づける。
その前に、俺の手が男の手首を弾いた。
「なっ・・・!?」
落ちた火種を踏み消し、書類の束を掴む。
「証拠を消させるかよ」
「て、てめぇ!」
男が腰の短剣へ手を伸ばす。
その肘を打ち、腹へ膝を入れる。
息が抜けたところで、首筋へ軽く打撃。
男はそのまま崩れた。
右側から別の男が飛び出す。
『右側、棍棒』
(見えてる)
振り下ろされる棍棒の軌道が、青い線で見える。
半歩ずらす。
空を切った棍棒の柄を掴み、男の腕ごと捻る。
関節が嫌な音を立て、そのまま足を払った。
最後の一人は地下入口へ走った。
『地下入口前、踏板警鐘。すでに無効化済み』
男が踏板を踏むが、何も起こらない。
「な、なんで鳴らねぇ!?」
「無駄だ。アルが止めた」
「は?」
意味が分からない、という顔をした男の顎を打ち抜いた。
その身体が後ろの木箱へ倒れ込み、乾物袋が崩れる。
鈍い音が、倉庫の床を通して地下へ響いた。
『地下奥の成人男性が反応。移動開始』
(気づかれたか)
『肯定。別室から小型熱源を連れ出しています』
「まずい」
俺は偽装板へ向かった。
『地下入口を表示します』
視界の端で、壁の一部が青く縁取られる。
乾物棚。
偽装だ。
棚を動かすと、地下へ続く階段が現れた。
湿った空気が上がってくる。
それに混じって、かすかな息遣いが聞こえた。
泣き声ではない。
泣く力も残っていないような、細く浅い呼吸だった。
頭の奥が、すっと冷えた。
怒りは、熱くなるものだと思っていた。
だが、本当に腹が立つと、逆に冷たくなるらしい。
『地下入口、罠四』
(全部無効化)
『完了』
早い。
あまりにも早い。
俺たちは、何もない階段を下りるように進んだ。
地下室には子供たちがいた。
五人。
手足を縛られ、口を布で塞がれ、壁際に固められている。
小さな身体は震えていて、何人かは意識がはっきりしていない。
(もう一人は)
『奥の別室から移動中。成人男性が小型熱源を拘束しています』
「来るぞ」
奥の扉が、乱暴に開いた。
「なんだぁ? たった二人かよ。ったく、この程度の奴らにやられやがって。情けねぇ」
出てきたのは、他の連中より一回り体格のいい男だった。
腕の中には、小さな女の子。
八歳くらいだろうか。
乱れた髪の隙間から、怯え切った目が見える。
男は、その首筋に短剣を押し当てていた。
「武器を置け。少しでも動いたら、このガキを殺す」
エマが息を呑む。
男の目は血走っていた。
追い詰められている。
こういう相手が一番危ない。
「・・・分かった」
「アキラ」
「大丈夫だ。ゆっくり置け」
俺は腰の剣を抜き、床に置いた。
エマも、杖をゆっくりと下ろす。
「蹴ってこっちへ寄越せ!」
「分かった」
俺は床の剣を軽く蹴った。
男の視線は、床に剣を置いた俺から外れない。
当然だ。
そこにいる俺は、ちゃんと息をして、ちゃんと動いて、ちゃんと降参しているように見える。
けれど。
それは、俺ではない。
男の背後に、もう一人の俺が現れた。
青白い残光が、闇の中に揺れる。
次の瞬間、男の短剣を持つ手首が宙を舞った。
「ぎゃああああああッ!?」
女の子の身体が崩れる。
その前に、俺は小さな身体を抱き寄せた。
(止血)
『ナノマシン止血、実行』
切り落とされた手首の断面を、淡い銀の光が覆う。
死なせるつもりはない。
聞くことがある。
だが、痛みで暴れられても困る。
「エマ!」
「・・・【エアハンマー】!」
圧縮された空気の塊が、男の腹に叩き込まれた。
男は悲鳴すら上げられず、壁に叩きつけられる。
そのまま床に崩れ、動かなくなった。
『生体反応あり。意識喪失』
(十分だ)
俺は抱えていた女の子を、ゆっくりと床に下ろした。
「大丈夫だ。もう大丈夫だ」
女の子は、声も出せずに震えている。
エマがすぐに駆け寄り、その前に膝をついた。
「もう大丈夫よ。怖かったわね」
その声は、いつもよりずっと柔らかかった。
女の子の目から、ようやく涙がこぼれる。
俺は息を吐く。
終わった。
いや、まだ終わっていない。
けれど、少なくともこの子は助けた。
(アル、この子は)
『確認します』
一瞬が、やけに長く感じた。
『外傷は軽微。拘束痕、恐怖反応、脱水傾向を確認。性的暴行に該当する痕跡はありません』
身体の奥に入っていた力が、少しだけ抜けた。
(間に合ったか)
『肯定します』
よかった。
本当に、よかった。
声には出さなかった。
けれど、エマも俺の表情を見て察したのだろう。
彼女は女の子の肩にそっと手を添えたまま、静かに目を閉じた。
「ねぇアキラ」
「何だ」
「アキラが二人いるように見えたのだけど?」
「ああ」
来たか。
俺は床に置かれた方の剣を消してみせる。
剣はだんだんと薄くなり、最後には光の尾を残してぽぅっと消えた。
「片方は精霊に作らせたホロ・・・いや、幻影だ」
「幻影?」
「本物の俺は、精霊の力で姿を隠して背後に回っていた」
「・・・それ、かなり反則ではないかしら」
「俺もそう思う」
『補足。微細な質量をもった光学投影、および光学迷彩は、追加群到着により安定運用が可能になりました』
(今それを説明しなくていい)
エマはまだ納得しきれていない顔だったが、今は子供たちが先だと判断したのだろう。
すぐに五人の子供たちの拘束を解き始めた。
俺も手伝う。
縄を切り、口の布を外す。
子供たちは、すぐには反応しなかった。
助かったと分からないのかもしれない。
信じていいのか分からないのかもしれない。
「大丈夫だ。助けに来た」
できるだけ声を柔らかくして言う。
ひとりの子供が、小さく肩を震わせた。
「もう大丈夫よ」
エマが、さらに柔らかい声で言った。
その声を聞いて、子供の一人が小さく泣き出した。
それが合図になったように、別の子も、声を押し殺すように泣き始める。
俺は青銀の光に照らされた子供たちの顔を見た。
(チャドは)
『右奥。薄茶色の髪。年齢推定六歳。右靴紐相当部に布結束。ミラの証言と一致』
いた。
壁際に座り込んでいる、小さな男の子。
顔は汚れ、目は赤く、唇は乾いている。
「チャド、か?」
男の子が、びくりと肩を震わせた。
「母さんが探してたぞ」
その一言で、チャドの目から涙がこぼれた。
「母さん・・・」
「ああ。必死に探してたぞ。ずっと」
声が詰まりそうになる。
だが、今泣くのは俺じゃない。
「すぐ会わせる」
チャドは何度も頷いた。
言葉にならないまま、涙だけが落ちていく。
(全員の状態は)
『重度外傷なし。脱水、栄養不足、軽度薬物反応を確認。応急処置を推奨』
(やれ。見える形でいい)
『了解。精霊偽装を伴う治療補助を実行します』
銀色の小さな光が、子供たちの周囲に舞った。
まるで、小さな精霊たちが降りてきたようだった。
光は子供たちの腕や足、額の近くをゆっくりと回り、呼吸を整え、痛みを和らげ、薬の影響を少しずつ薄めていく。
「精霊・・・?」
誰かが、小さく呟いた。
俺は否定しなかった。
今は、それでいい。
エマがその光を見つめていた。
驚きはある。
けれど、もう戸惑いよりも安心の方が強いようだった。
しばらくそうしているうちに、アルから報告が届く。
『セレナが手配した守備隊員、接近中』
「思ったより早いな」
『裏通り経由。最短です』
「本当に有能だな、セレナ」
「来るの?」
「ああ。子供たちを預けられる」
ほどなくして、地下へ複数の足音が下りてきた。
先頭にいたのは、若い守備隊員だった。
顔には緊張が浮かんでいるが、子供たちを見た瞬間、表情が変わる。
「これは・・・」
「子供たちを頼む。薬を盛られている可能性がある。水を一気に飲ませるな。暖かい布を用意して、治癒師を呼べ。代金は精霊工房に請求していい」
「分かった。あんたは?」
「逃げた連中を追う」
「逃げた連中?」
『逃走中の関係者を複数確認』
アルの声が響く。
俺の視界に、三本の青い線が走った。
第三新港湾、別の倉庫、古い宿屋街。
『対象三経路。いずれも本件関係者である可能性が高いです』
「まだ終わってない」
守備隊員は一瞬だけ息を呑んだが、すぐに頷いた。
「子供たちは任せろ」
「頼む」
エマが子供たちを一度見た。
特に、チャドと、さっき人質にされていた女の子を。
「子供たちは?」
「守備隊に託す。セレナも動いている」
「なら、行きましょう」
「いいのか?」
「ええ。まだ、終わっていないのでしょう?」
その声は静かだった。
だが、もう迷いはなかった。
『逃走経路を表示します』
脳内と、俺たちの前に投影された立体地図に、青い線が三本浮かび上がる。
倉庫から港湾へ。
倉庫から別倉庫へ。
倉庫から古い宿屋街へ。
線は三本。
逃げ道は、もう見えている。
「行くぞ、エマ」
「ええ」
子供たちは助けた。
だが、終わりじゃない。
今度は、逃げた奴らを捕まえる番だった。




