第49話 秘密と噂
翌朝、顔を洗っている最中だった。
『店舗後方廃墟に人影二。監視、または哨戒目的と推定』
「・・・映像をくれ」
脳内に、アルから送られてくる映像が鮮明に映る。
店舗の裏手――少し離れた崩れかけの廃墟の陰に、男が二人いる。
煙草でも吸っているような、気の抜けた立ち方。
だが位置が妙だった。
あそこからなら、精霊工房の裏口と搬入口がよく見える。
しかも、しばらく見ていてもほとんど動かない。
(見張り、だよな)
昨日の今日でこれか。
リゼットの顔が脳裏をよぎり、思わず苦笑が漏れた。
「仕事が早いことで・・・」
階下へ降りると、ちょうどエマが朝食の準備をしていた。
「どうしたの?」
「裏の廃墟に男が二人。たぶん見張りだ」
「え・・・?」
エマも窓の方を見るが、ここからでは角度が悪い。
「昨日の人?」
「十中八九な」
まったく、三女のお嬢様がやることじゃない。
いや、三女だからこそ好きに動けるのか。
そのあたりは俺には分からなかった。
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開店準備の最中、その話をセレナへ伝える。
「裏の廃墟に朝から二人いる」
帳簿を整理していたセレナの手が一瞬止まった。
「・・・早いですね」
「やっぱヴァルシュだよな」
「おそらく」
短い返事。
だが、その声音にはわずかな警戒が混じっていた。
そして、その警戒は午前のうちに現実になる。
店の前の通りを、二人組の男が通り過ぎた。
一度だけなら気にしない。
だが、少し時間を置いて同じ二人組。
さらにまた違う時間。
いくつかの二人組が定期的に巡回してるようだ。
全員が、何気ない通行人を装いながら店の周囲を流していく。
接客の合間、セレナがぼそりと呟いた。
「巡回していますね」
「普段、ほとんど人通りがないからバレバレだっつーの」
「まぁ、警備してくれる分には助かりますが」
「・・・三女じゃなかったのかよ」
「三女でも、自由に動かせる人間を持っているということです」
思ったよりもずっと、リゼット=ヴァルシュは軽い立場ではないらしい。
――私たちはもう動いている、と。
そう言われている気がした。
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その日の精霊工房は相変わらず忙しかった。
クレール目当ての女性客。
アウレリアの予約客。
そして納品業者に外注の職人。
次から次へと人や情報が出入りする。
精霊工房は、いつの間にか物だけではなく、噂まで集まり始めていた。
昼になり、客足が一度落ち着いたところで俺はドグランを呼んだ。
「ドグラン、昼飯まだだろ」
「まだじゃが?」
「じゃあ一緒に食おうぜ」
工房脇の簡易食卓で、パンとスープを広げる。
食べながら、俺は何気なく聞いた。
「工房の方はどうだ?」
「ようやく任せられるようになってきたわい。瓶の金具も蓋の嚙み合わせも、若いのが形を覚えてきおった。ワシがいなくても、ようやく回る」
「そりゃよかった」
ドグランは一つ頷き、それから少し言いにくそうに顎髭を撫でた。
「でじゃ、ものは相談なんじゃが」
来たな、と思わず口元が上がる。
「ワシも研究用の工房が欲しいんじゃが、なんとかならんかのう?」
「ふっ、いつかそう言うと思ったぜ」
「何?」
「ドグラン、飯を食ったら行くぞ」
食事を済ませると、俺たちは立ち上がった。
「どこへ行くんじゃ」
「見せたいもんがある」
地上工房の奥、資材置き場の横にある地下倉庫への階段を降りる。
「ここは倉庫じゃろ?」
「まあ見てろ」
地下倉庫は、金属材や木材、瓶、工具の予備で埋まっている。
さすがはドグランだ。よく整理されている。
その一番奥まで進み、壁際の金具をひねった。
ご、と低い音が響く。
石壁の一部が横へずれ、暗い空間が口を開けた。
「・・・こんな奥があったのか」
「いいから来いよ」
手招きして中へ入る。
さらに一回り広い隠し倉庫だった。
希少金属、試作品、予備資材、特殊瓶、まだ外へ出していない細工品。雑多に見えて、全部必要なものばかりだ。
ドグランがゆっくり見回す。
「これは・・・またえらい物を溜め込んどるのう」
「だろ?」
だが俺はそのまま倉庫の奥へ歩く。
壁一面の資材棚、その一角に鎮座する白いプレートへ手をかざした。
ぴ、と微かな電子音。
青白い線が一瞬走る。
「何じゃ今の」
「鍵だ」
静かな駆動音とともに、棚全体が横へ滑っていく。
ドグランが目を見開いた。
「・・・待て。まだあるのか?」
「本命はこっちだ」
棚の奥に広がっていたのは、研究用の工房だった。
高温炉に厚い鉄板の作業台、大型素材の加工台、精密細工用の机。換気も保管棚も、石張りの壁まで、量産工房とは何もかも違う。
試作と研究だけのための空間だった。
ドグランはしばらく何も言わず、炉の前へ歩き、台を撫で、工具を持ち上げ、壁を叩いた。
それから、ゆっくり俺を見る。
「小僧」
「おう」
「ここに住んでもよいか?」
「研究者ってみんなそれ言うのか?」
リファニーも同じことを言っていたぞ。
ドグランが鼻を鳴らす。
「よい。実によい」
「気に入ったか」
「かなりのう」
その反応に、用意した甲斐があったと少し嬉しくなる。
「それと、紹介しておく」
「何をじゃ?」
俺の肩の横に、淡い青の光が浮かんだ。
『初めまして、ドグラン』
ドグランの眉がぴくりと動く。
「・・・しゃべったのう」
「俺についてる精霊だ。アルっていう」
ドグランはアルをじっと見つめ、それから小さく息を吐いた。
「なるほどな。こやつがおったから、あの妙な加工ができたわけか」
「まあ、かなり助けてもらってる」
「納得はしとらんが、納得することにする」
「どっちだよ」
「職人には、分からんものを分からんまま扱う度胸も必要なんじゃ」
それもそうかもしれない。
俺は炉の側面を軽く叩いた。
「・・・それで精霊工房か。もしや、そやつが炉の設計者か?」
「そうだ。そしてここにあるのが、アルが設計したフルスペックの精霊炉だ」
「ふるすぺっく? とはなんじゃ」
「普通の炉みたいに熱するだけじゃない。内部を真空にできるし、逆に圧力をかけることもできる。必要なら高密度の熱線も走らせられるし、理論上は六千度まで上がる。分子構造を確認しながらの部分加熱も瞬間冷却も思いのままだ」
ドグランが炉を見る目つきが変わる。
「・・・六千?」
「俺も細かい理屈は分からん。とにかく普通じゃできない加工が色々試せるってことだ」
さらに炉の側面の小さな発声板を示す。
「それと、この炉を通してアルと話せる」
「・・・話せる?」
『接続確認。ドグラン、聞こえていますか』
ドグランが炉とアルを交互に見る。
「・・・炉から声がしおった」
「相談しながら試せる。俺がいなくても研究が進む」
『温度調整、圧力制御、加工条件の記録補助が可能です』
数秒の沈黙。
やがてドグランが、ゆっくり頷いた。
「・・・小僧」
「何だ」
「ワシ、死ぬまでここから出んかもしれん」
「それは困る。たまには地上に出てこい」
そう言いながらも、俺は笑いを堪えきれなかった。
「で、嬢ちゃんやセレナは知っとるのか?」
「いや・・・」
「いつ言う?」
「・・・当分は秘密だ」
「バレたら怒られるぞ」
「知ってる」
男二人で笑った。
こういうのは、妙に楽しい。
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地上へ戻ると、午後の忙しさがまた始まる。
「アキラさん、この見積もりはどれを優先しますか?」
「アキラ、瓶の在庫が足りないわ」
「小僧、あとでさっきの炉を使うぞ」
おい。秘密にする気あるのかこの人。
そんな騒がしさの中、耳に入る噂は途切れない。
「西でまた盗みがあったらしいぞ」
「アオレーブ通りで誘拐未遂だってよ」
「宿屋の娘が買い物帰り、たまたま衛兵が助けたとか」
「衛兵も最近慌ただしいな」
「東の貧民街で、また子供が一人見えなくなったって話だ」
俺は最初、聞き流した。
だが少しして、別の客が言う。
「井戸場でもガキが行方不明だってよ」
「親が売ったんじゃねえか」
また子供の話か。
さらに納品業者。
「孤児院の子も減ってるって聞いたぞ」
さすがに眉間にしわが寄る。
「・・・今日、やけに子供の話を聞かないか?」
思わず漏らすと、商品棚を整えていたマリアベルが顔を上げた。
「やっぱりアキラさんも思います?」
「お前もか」
「ここ数日、接客してると何度も聞くんです。最近見ないとか、帰ってこないとか。でも皆さん、すぐ別の話にしてしまって・・・」
「嫌な噂ね」
エマも小さく呟く。
その時、セレナがテーブルの端を指先で一度叩いた。
こつ。
小さな音なのに妙に響く。
「・・・この街だけではありません」
「え?」
「この数年、現場を渡り歩いていると、行く先々で似たような話を聞くことがあります」
「どういう意味だ」
「偶然で済ませるには、少し重なりすぎています」
それ以上は言わなかった。
だが、空気が少し冷える。
嫌な沈黙が、店の中に落ちた。
そのまま閉店準備に入る。
販売員たちも帰り支度を始めた、その時だった。
からん、と扉の鈴が鳴る。
入口に立っていたのは、薄汚れた服の女だった。
痩せて、目の下には濃い隈、手は荒れ、靴も擦り切れていた。
どう見ても、この店の客ではない。
女はおどおどと視線を泳がせ、震える声を絞り出す。
「こ、ここ・・・何でも作れるって・・・聞いて」
セレナが一歩前へ出る。
「申し訳ありません。ここは注文された品を何でも作る店ではありません」
「で、でも・・・そう聞いたの。ここなら、普通じゃないものでも・・・」
「お気持ちは分かりますが――」
セレナが断ろうとするのを聞きながら、俺は今日何度も耳にした話を思い出していた。
今日一日、断片で聞いてきた話が、急に輪郭を持った気がしたんだ。
「セレナ。話だけでも聞こうぜ」
俺が口を挟む。
セレナは一度こちらを見て、小さく息を吐いた。
「はぁ・・・五分だけですよ」
奥の椅子へ座らせる。
女は落ち着きなく手を握りしめ、何度も口を開きかけては閉じた。
エマがそっと水を差し出す。
一口飲んで、ようやく女は言った。
「うちの子が・・・帰ってこないの」
全員の視線が集まる。
「チャド・・・六つの男の子で・・・四日前、炊き出しの列で、ほんの少し目を離したら・・・」
声が震える。
涙が落ちる。
「だから、作ってほしいの」
「何を?」
女はぐしゃぐしゃの顔のまま、必死に頭を下げた。
「人を探せる道具を・・・お願いです・・・チャドを探せる道具を作ってください・・・」
噂は、噂のままならまだ遠かった。
だが今は違う。
チャド。
六歳の男の子。
それは噂が形を持った瞬間だった。




