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第49話 秘密と噂


 翌朝、顔を洗っている最中だった。



『店舗後方廃墟に人影二。監視、または哨戒目的と推定』


「・・・映像をくれ」



 脳内に、アルから送られてくる映像が鮮明に映る。


 店舗の裏手――少し離れた崩れかけの廃墟の陰に、男が二人いる。

 煙草でも吸っているような、気の抜けた立ち方。


 だが位置が妙だった。


 あそこからなら、精霊工房の裏口と搬入口がよく見える。


 しかも、しばらく見ていてもほとんど動かない。



(見張り、だよな)



 昨日の今日でこれか。

 リゼットの顔が脳裏をよぎり、思わず苦笑が漏れた。



「仕事が早いことで・・・」



 階下へ降りると、ちょうどエマが朝食の準備をしていた。



「どうしたの?」


「裏の廃墟に男が二人。たぶん見張りだ」


「え・・・?」



 エマも窓の方を見るが、ここからでは角度が悪い。



「昨日の人?」


「十中八九な」



 まったく、三女のお嬢様がやることじゃない。


 いや、三女だからこそ好きに動けるのか。


 そのあたりは俺には分からなかった。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 開店準備の最中、その話をセレナへ伝える。



「裏の廃墟に朝から二人いる」



 帳簿を整理していたセレナの手が一瞬止まった。



「・・・早いですね」


「やっぱヴァルシュだよな」


「おそらく」



 短い返事。

 だが、その声音にはわずかな警戒が混じっていた。


 そして、その警戒は午前のうちに現実になる。


 店の前の通りを、二人組の男が通り過ぎた。

 一度だけなら気にしない。

 だが、少し時間を置いて同じ二人組。


 さらにまた違う時間。

 いくつかの二人組が定期的に巡回してるようだ。


 全員が、何気ない通行人を装いながら店の周囲を流していく。


 接客の合間、セレナがぼそりと呟いた。



「巡回していますね」


「普段、ほとんど人通りがないからバレバレだっつーの」


「まぁ、警備してくれる分には助かりますが」


「・・・三女じゃなかったのかよ」


「三女でも、自由に動かせる人間を持っているということです」



 思ったよりもずっと、リゼット=ヴァルシュは軽い立場ではないらしい。


 ――私たちはもう動いている、と。


 そう言われている気がした。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 その日の精霊工房は相変わらず忙しかった。


 クレール目当ての女性客。

 アウレリアの予約客。

 そして納品業者に外注の職人。


 次から次へと人や情報が出入りする。


 精霊工房は、いつの間にか物だけではなく、噂まで集まり始めていた。




 昼になり、客足が一度落ち着いたところで俺はドグランを呼んだ。



「ドグラン、昼飯まだだろ」


「まだじゃが?」


「じゃあ一緒に食おうぜ」



 工房脇の簡易食卓で、パンとスープを広げる。


 食べながら、俺は何気なく聞いた。



「工房の方はどうだ?」


「ようやく任せられるようになってきたわい。瓶の金具も蓋の嚙み合わせも、若いのが形を覚えてきおった。ワシがいなくても、ようやく回る」


「そりゃよかった」



 ドグランは一つ頷き、それから少し言いにくそうに顎髭を撫でた。



「でじゃ、ものは相談なんじゃが」



 来たな、と思わず口元が上がる。



「ワシも研究用の工房が欲しいんじゃが、なんとかならんかのう?」


「ふっ、いつかそう言うと思ったぜ」


「何?」


「ドグラン、飯を食ったら行くぞ」



 食事を済ませると、俺たちは立ち上がった。



「どこへ行くんじゃ」


「見せたいもんがある」



 地上工房の奥、資材置き場の横にある地下倉庫への階段を降りる。



「ここは倉庫じゃろ?」


「まあ見てろ」



 地下倉庫は、金属材や木材、瓶、工具の予備で埋まっている。


 さすがはドグランだ。よく整理されている。



 その一番奥まで進み、壁際の金具をひねった。


 ご、と低い音が響く。


 石壁の一部が横へずれ、暗い空間が口を開けた。



「・・・こんな奥があったのか」


「いいから来いよ」



 手招きして中へ入る。


 さらに一回り広い隠し倉庫だった。


 希少金属、試作品、予備資材、特殊瓶、まだ外へ出していない細工品。雑多に見えて、全部必要なものばかりだ。


 ドグランがゆっくり見回す。



「これは・・・またえらい物を溜め込んどるのう」


「だろ?」



 だが俺はそのまま倉庫の奥へ歩く。


 壁一面の資材棚、その一角に鎮座する白いプレートへ手をかざした。


 ぴ、と微かな電子音。


 青白い線が一瞬走る。



「何じゃ今の」


「鍵だ」



 静かな駆動音とともに、棚全体が横へ滑っていく。


 ドグランが目を見開いた。



「・・・待て。まだあるのか?」


「本命はこっちだ」



 棚の奥に広がっていたのは、研究用の工房だった。


 高温炉に厚い鉄板の作業台、大型素材の加工台、精密細工用の机。換気も保管棚も、石張りの壁まで、量産工房とは何もかも違う。

 試作と研究だけのための空間だった。


 ドグランはしばらく何も言わず、炉の前へ歩き、台を撫で、工具を持ち上げ、壁を叩いた。


 それから、ゆっくり俺を見る。



「小僧」


「おう」


「ここに住んでもよいか?」


「研究者ってみんなそれ言うのか?」



 リファニーも同じことを言っていたぞ。


 ドグランが鼻を鳴らす。



「よい。実によい」


「気に入ったか」


「かなりのう」



 その反応に、用意した甲斐があったと少し嬉しくなる。



「それと、紹介しておく」


「何をじゃ?」



 俺の肩の横に、淡い青の光が浮かんだ。



『初めまして、ドグラン』



 ドグランの眉がぴくりと動く。



「・・・しゃべったのう」


「俺についてる精霊だ。アルっていう」



 ドグランはアルをじっと見つめ、それから小さく息を吐いた。



「なるほどな。こやつがおったから、あの妙な加工ができたわけか」


「まあ、かなり助けてもらってる」


「納得はしとらんが、納得することにする」


「どっちだよ」


「職人には、分からんものを分からんまま扱う度胸も必要なんじゃ」



 それもそうかもしれない。


 俺は炉の側面を軽く叩いた。



「・・・それで精霊工房か。もしや、そやつが炉の設計者か?」


「そうだ。そしてここにあるのが、アルが設計したフルスペックの精霊炉だ」


「ふるすぺっく? とはなんじゃ」


「普通の炉みたいに熱するだけじゃない。内部を真空にできるし、逆に圧力をかけることもできる。必要なら高密度の熱線も走らせられるし、理論上は六千度まで上がる。分子構造を確認しながらの部分加熱も瞬間冷却も思いのままだ」



 ドグランが炉を見る目つきが変わる。



「・・・六千?」


「俺も細かい理屈は分からん。とにかく普通じゃできない加工が色々試せるってことだ」



 さらに炉の側面の小さな発声板を示す。



「それと、この炉を通してアルと話せる」


「・・・話せる?」


『接続確認。ドグラン、聞こえていますか』



 ドグランが炉とアルを交互に見る。



「・・・炉から声がしおった」


「相談しながら試せる。俺がいなくても研究が進む」


『温度調整、圧力制御、加工条件の記録補助が可能です』



 数秒の沈黙。


 やがてドグランが、ゆっくり頷いた。



「・・・小僧」


「何だ」


「ワシ、死ぬまでここから出んかもしれん」


「それは困る。たまには地上に出てこい」



 そう言いながらも、俺は笑いを堪えきれなかった。



「で、嬢ちゃんやセレナは知っとるのか?」


「いや・・・」


「いつ言う?」


「・・・当分は秘密だ」


「バレたら怒られるぞ」


「知ってる」



 男二人で笑った。


 こういうのは、妙に楽しい。





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 地上へ戻ると、午後の忙しさがまた始まる。



「アキラさん、この見積もりはどれを優先しますか?」


「アキラ、瓶の在庫が足りないわ」


「小僧、あとでさっきの炉を使うぞ」



 おい。秘密にする気あるのかこの人。


 そんな騒がしさの中、耳に入る噂は途切れない。



「西でまた盗みがあったらしいぞ」


「アオレーブ通りで誘拐未遂だってよ」


「宿屋の娘が買い物帰り、たまたま衛兵が助けたとか」


「衛兵も最近慌ただしいな」


「東の貧民街で、また子供が一人見えなくなったって話だ」



 俺は最初、聞き流した。


 だが少しして、別の客が言う。



「井戸場でもガキが行方不明だってよ」


「親が売ったんじゃねえか」



 また子供の話か。


 さらに納品業者。



「孤児院の子も減ってるって聞いたぞ」



 さすがに眉間にしわが寄る。



「・・・今日、やけに子供の話を聞かないか?」



 思わず漏らすと、商品棚を整えていたマリアベルが顔を上げた。



「やっぱりアキラさんも思います?」


「お前もか」


「ここ数日、接客してると何度も聞くんです。最近見ないとか、帰ってこないとか。でも皆さん、すぐ別の話にしてしまって・・・」


「嫌な噂ね」



 エマも小さく呟く。


 その時、セレナがテーブルの端を指先で一度叩いた。


 こつ。


 小さな音なのに妙に響く。



「・・・この街だけではありません」


「え?」


「この数年、現場を渡り歩いていると、行く先々で似たような話を聞くことがあります」


「どういう意味だ」


「偶然で済ませるには、少し重なりすぎています」



 それ以上は言わなかった。


 だが、空気が少し冷える。


 嫌な沈黙が、店の中に落ちた。





 そのまま閉店準備に入る。

 販売員たちも帰り支度を始めた、その時だった。


 からん、と扉の鈴が鳴る。


 入口に立っていたのは、薄汚れた服の女だった。


 痩せて、目の下には濃い隈、手は荒れ、靴も擦り切れていた。

 どう見ても、この店の客ではない。


 女はおどおどと視線を泳がせ、震える声を絞り出す。



「こ、ここ・・・何でも作れるって・・・聞いて」



 セレナが一歩前へ出る。



「申し訳ありません。ここは注文された品を何でも作る店ではありません」


「で、でも・・・そう聞いたの。ここなら、普通じゃないものでも・・・」


「お気持ちは分かりますが――」



 セレナが断ろうとするのを聞きながら、俺は今日何度も耳にした話を思い出していた。

 今日一日、断片で聞いてきた話が、急に輪郭を持った気がしたんだ。



「セレナ。話だけでも聞こうぜ」



 俺が口を挟む。


 セレナは一度こちらを見て、小さく息を吐いた。



「はぁ・・・五分だけですよ」



 奥の椅子へ座らせる。


 女は落ち着きなく手を握りしめ、何度も口を開きかけては閉じた。


 エマがそっと水を差し出す。


 一口飲んで、ようやく女は言った。



「うちの子が・・・帰ってこないの」



 全員の視線が集まる。



「チャド・・・六つの男の子で・・・四日前、炊き出しの列で、ほんの少し目を離したら・・・」



 声が震える。

 涙が落ちる。



「だから、作ってほしいの」


「何を?」



 女はぐしゃぐしゃの顔のまま、必死に頭を下げた。



「人を探せる道具を・・・お願いです・・・チャドを探せる道具を作ってください・・・」



 噂は、噂のままならまだ遠かった。


 だが今は違う。


 チャド。

 六歳の男の子。



 それは噂が形を持った瞬間だった。



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