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第48話 リゼット=ヴァルシュ


 アウレリアとクレールの発売から、五日。


 精霊工房は、完全に日常を失っていた。



「クレールの乳液、本日分終了しました!」


「ええっ、もう!?」


「申し訳ありません! 明日の朝、再入荷予定です!」



 マリアベルの声が店内に響く。


 新しく入った販売員二人が棚を補充し、試供品を並べ、客の質問に答える。入口では贈答用のアウレリアを求める富裕層の使いが予約帳へ名を書き込み、その横では恋人への贈り物を探しに来た若い男が所在なさげにうろついていた。


 クレールは毎日数量制限でも昼前に主要商品が消える。


 アウレリアは完全予約制。


 精霊工房は今、確実に街の流れを変え始めていた。


 地下ではリファニーが寝不足の目で品質確認を行い、ドグランは瓶の金具と蓋の増産に追われている。



「リファニーさん、寝てください」


「寝たら研究時間が減ります」


「減らしてください」


「理不尽です」


「理不尽でも寝てください」



 セレナの一言に、リファニーがしょんぼり肩を落とす。


 だが三秒後にはまた試験管を振っていた。


 その時だった。


 店の外がざわつく。


 重い車輪が石畳を鳴らし、黒塗りに金の縁飾りを施した高級馬車が店前へ止まった。


 護衛が二人と従者が一人。


 客たちも思わず振り返る。


 

「セ、セレナさん。なんだかすごい方が・・・」



 マリアベルが奥から顔を出す。


 セレナは何気なく外へ目を向け――ほんの一瞬、眉を寄せた。


 馬車の側面に、小さく刻まれた紋章。

 蔦を絡めた盾に、交差する槍と剣。



「・・・ヴァルシュ商会」


「ヴァルシュ?」


「この街の西側、旧市街を中心に勢力を持つ大商会です」



 セレナは短く続ける。



「ヴェルクハーフェンは、もともと西側から発展した街です。その後、北へ広がり、さらにヴェルク川と接続されて東側へ物流の中心が移った。ですが、西が衰えたわけではありません。古い倉庫、古い地主、古い取引先、歓楽街、運送業者・・・街の根っこは今も西にある」


「その西をまとめてるのがヴァルシュ商会か」


「ええ。表通りより、横の流れを押さえる商会です。街の裏表に顔が利く」


「そんなのが何でうちに?」


「評判が届いたからでしょう」



 そう答えたセレナの声は平坦だった。


 しかし・・・



(思ったよりも早い・・・)



 地場商会の探りが入るのは予想していた。

 だが、ヴァルシュがこの速度で来るのは早い。



(我々も、商会の立ち上げを急がなければ)



 店のままでは、もう守れない。

 その危機感を押し殺すように、セレナは店の外を見つめた。



 馬車の扉が開く。


 ラベンダーピンクの髪に、紅い瞳。

 胸元の大きく開いた深紫のドレス。


 見られることに慣れきった女の歩き方だった。


 女は店先を見回し、ゆるく唇を上げる。



「ここが噂の精霊工房?」


「ご予約はありますか?」



 セレナが先に口を開く。



「ないわ。でも、見るだけなら構わないでしょう?」


「見るだけで済む方には見えません」



 紅い瞳が楽しそうに細くなる。



「なるほど。店を回しているのはあなたね」


「観察力がおありで」



 女はくすりと笑い、店内へ足を踏み入れた。



「リゼット=ヴァルシュ。ヴァルシュ商会の三女よ。よろしく」



 三女。

 一般的には重要な立場になることは少ない。


 だが、ただの娘ではない。

 店に入った瞬間から空気を持っていく感じがある。


 リゼットはゆっくり商品棚を見て回る。


 吸水布に便利瓶。

 それらを見ながら客の会話も気にしている。


 試供品の減りを確認すると、予約帳をちらりと見る。


 そしてクレールの試供品棚の前で立ち止まり、肌水と乳液を手の甲へ伸ばした。


 数秒、無言。


 その紅い瞳がすっと細くなる。



「・・・なるほど」



 今度はアウレリアの瓶を光へ透かす。

 内側の彫刻を見つめ、リゼットは小さく息を吐いた。



「生活必需品・・・いいえ、違うわね」



 誰に聞かせるでもなく呟く。



「生活を一変させる道具を与えて、それなしでは戻れなくする。そこへ虚栄心を乗せると、唯一の存在になる」



 唇がゆるく歪む。



「恐ろしい売り方だわ」



 セレナの目がわずかに細くなった。


 リゼットは瓶を置き、ニッコリ笑ってこちらを見た。



「ねぇ、商談をしない?」



 セレナが即座に頷く。



「奥へどうぞ」





 △▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼





 応接室。


 テーブルを挟み、俺、エマ、セレナ。向かいにリゼット。


 護衛と従者は外で待機だ。


 席につくなり、リゼットはまず俺へ白い手を差し出した。



「あなたがアキラ=ジェイ=ラッシュバック?」


「そうだけど」


「はじめまして」



 反射的に握る。

 柔らかい。

 そして離れない。



「へえ・・・思ったより硬い手」


「冒険者をやっている」



 指先が俺の手の甲をわずかになぞる。

 ぞわっとした。



「職人の手でもあり、剣を振る手でもあるのね。いいわ。すごくいい」



 何気なく身じろぎしたリゼットの胸元がふわりと開き、深い谷間が視界へ飛び込む。


 見てしまった。



『心拍上昇を確認』


(うるさい)



 エマがぼそりと呟く。



「・・・わざとらしい」



 聞こえているはずなのに、リゼットは平然と手を離した。



「普通の商人には見えないわね」


「そりゃ、商人じゃないし」


「そうだったわね」



 リゼットは小さく笑い、俺を上から下までゆっくり見た。



「でも、店の核はあなた」


「核?」


「商品を生み出しているのはあなた。技術の中心もあなた。だから、商人ではなくても、この店の価値はあなたを避けて通れない」



 言い方が鋭い。


 こちらが自覚しているより、ずっと冷静に見られている気がした。



「核かどうかはともかく、商品開発の中心ではあります」



 セレナが静かに口を挟んだ。


 リゼットの紅い瞳が、すっとセレナへ移る。



「なるほど。で、店を回しているのはあなた」


「どうでしょう」


「好きよ。そういう誤魔化し方」



 リゼットは楽しそうに笑った。



「でも、商品を見た限り、思っていた以上だったわ。正直、最初は流行り物の店かと思っていた」


「今は違うと?」


「ええ」



 リゼットの指先が、テーブルの上で軽く揺れる。



「流行で終わらせるには、惜しすぎる」



 そこで初めて、彼女の声から遊びが少し消えた。



「だから、聞きたいことがあるの」



 紅い瞳が、俺とセレナを順に見た。



「あなたたち、この店をどこまで大きくするつもり?」



 俺はすぐには答えられなかった。


 店を大きくして商品を増やす。

 それに呼応して人を増やす。


 それくらいは考えていた。


 けれど、どこまで、と聞かれると明確な答えはない。


 代わりに、セレナが答えた。



「少なくとも、現在の需要に対応できる程度には」


「控えめね」


「過大な約束は信用を損ねます」


「そう。なら、現実的な話をしましょう」



 リゼットは背もたれに身を預け、ようやく商談の本題へ入った。



「西側に倉庫があるわ。温度管理しやすい石造りよ。人も出せる。信頼できる下請けも紹介できる。運送も回せる」


「ずいぶん親切ですね」



 セレナが淡々と返す。



「利益にならない親切を、大商会がわざわざ?」


「ええ。もちろん利益は貰うわ。そのための交渉ですもの」



 リゼットは微笑んだ。



「でも、本当に気になったのはそこじゃない」


「発売五日で私がここにいる。そのくらい情報が広がっているの、想定内なのかしら?」



 ぞくりとした。


 笑ってるのに、妙に寒い。


 セレナは表情を崩さない。



「商売ですから、評判が広がるのは歓迎すべきことかと」


「ええ。評判は歓迎すべきものよ」



 リゼットは指先でテーブルを軽く叩く。

 そして不自然なまでの笑みを浮かべた。



「《《評判》》だけならね」



 空気が、一段沈んだ。



「売れる商品に、異様な品質。若い研究者に腕のいい鍛冶師、急増する従業員、増え始めた外注」



 一本ずつ指を折る。



「狙う側から見れば、実においしそう」


「狙う側の発想ですね」



 セレナが即座に返す。



「ええ。だから分かるの」



 リゼットは笑顔のまま言った。


 何だこの会話。


 笑ってるのに、全然笑えない。



「そこまで危険を並べて不安を煽る。ずいぶん丁寧な営業ですね」


「営業ではないわ。忠告」


「ヴァルシュ商会が善意で忠告を?」


「善意だけで馬車は動かないもの」



 さらりと言い切る。


 隠す気がないのか、隠し方がうまいのか分からない。



「十年前、新しい練り香を出した香料商があったわ。三ヶ月で職人を引き抜かれて、半年で安い偽物が出回って、本家は潰れた」



 リゼットの声は穏やかだ。


 だが内容が穏やかじゃない。



「七年前には薬師の傷薬。処方を流したのは下働き。弟の借金を握られていた」



 紅い瞳が、俺を見る。



「売れるものには、必ず手が伸びる」



 ごくりと喉が鳴った。



「それで? あなたたちは守れるの?」



 商品を、技術を、そして人を。


 言葉には出さないのに、全部含まれていた。


 返事が詰まる。


 作れば売れる。

 売れれば広がる。


 そこまでは考えていた。


 だが――守る?




 セレナがテーブルの端を指先で一度叩いた。


 小さな音。


 でも、その一打に内心の計算が聞こえた気がした。



「そこまでおっしゃるなら」



 セレナが静かに口を開く。



「ヴァルシュ商会は何をお求めで?」


「話が早いわ」


「遠回しは時間の無駄です」



 リゼットが満足げに笑う。



「ヴァルシュ商会は守れる」



 一拍置いて、紅い瞳が妖しく細まる。



「そっちの方が得意だし」



 何か怖いこと言ったぞ今。



「それに、さっきも言った倉庫ね」


「その対価が?」


「西側の高級宿、歓楽街、古い商家。そこへ流す上客窓口は私を通して」


「窓口、ですか」



 セレナがわずかに首を傾げる。



「聞こえはいいですが、実質は西側販路の主導権ですね」


「言い方はお任せするわ」


「随分と大きく取りますね」


「守る対価としては安いものよ」



 ぴたりと返ってくる。


 隙がない。



「ちなみに」



 セレナが淡々と続ける。



「こちらが断れば?」


「別に構わないわ」



 リゼットは肩をすくめた。


 一拍。



「少しもったいないと思うだけ。あなたたちが誰かに食われるの」



 背筋が冷えた。


 この人、笑顔でずっと脅してる。



「即答はできません」


「でしょうね」


「販売数、顧客管理、紹介手数料、警備費用、情報の扱い。全て書面で詰めます」


「まあ! 好きよ、そういうところ」


「光栄です」



 にこやかだ。


 にこやかなんだが、二人の間だけ気温が低い。


 俺、ここで何か喋っていいのか?


 いや無理だ。

 怖い。


 しかし何かの漫画で見たことがあるぞ。

 ニッコリ笑ってドンと構えておけばいいのだ、と。


 それならできてる。

 うん、できてる。


 ・・・できてるはずだ。



「今日はここまでにしておくわ」



 リゼットが立ち上がる。


 商談は保留。


 だが、精霊工房の未熟さだけはこれでもかと見せつけられた。


 出口へ向かうリゼットが、俺の横を通る瞬間だけ足を止める。



「アキラ」


「え?」



 耳元に、甘い香り。


 吐息が触れるほど近い。



「次は、あなた自身の話も聞かせて」



 囁きだけ残し、すっと離れる。


 何だこの女。


 リゼットはそのままヴァルシュ商会の紋章入りの馬車へ乗り込み、去っていった。


 しばらく見送ってから、俺はぽつりと漏らす。



「・・・嵐みたいな人だったな」


「嵐ではありません」



 セレナが即答する。



「あれは、嵐を呼ぶ側の人間です」



 妙に納得してしまった。


 横で、エマがじとっとした目を向けてくる。



「・・・嫌な女」


「俺に言うな」


「見てた」


「見てない」


「二回見てた」



 数えられていた。




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