第47話 アウレリア
一ヶ月で、精霊工房は目に見えて忙しくなった。
販売員は二人増え、工房にも補助の職人と雑務係が入った。吸水布や便利瓶の単純工程は外へ回し、精霊工房の中では最終調整と検品、それに新商品の開発へ力を注げるようになっている。
マリアベルも、今ではすっかり店頭の中心だ。
「瓶はサイズごとにこちらへ並べてください。あ、瓶の向きも揃えてくださいね。セレナさん、そこすごく見ますから」
「は、はい!」
新しく入った販売員が慌てて小瓶を並べ直す。
店の中を見回すと、人が増えたのがよく分かる。
だが、忙しさが増した最大の理由は、別にある。
「小僧! この緑頭を何とかせい!」
朝から工房の奥で、ドグランの怒鳴り声が響いた。
またか。
俺が覗き込むと、工房の一角が完全に占拠されていた。
小瓶。乾燥させた薬草。細かく砕いた魔物素材。紙束。意味不明なメモ。トレントの樹脂らしき半透明の塊まで転がっている。
その中心で、セージグリーンの髪をぼさぼさにした小人族がこちらを振り向いた。
リファニーだ。
目の下には見事な隈。
作業ローブには薬品染み。
胸元は相変わらず妙に主張が強い。
俺が一瞬そちらに視線をやったところで、エマの視線が刺さる。
「アキラ」
「見てない」
「見たわ」
「見てない」
「見ましたね」
くっ・・・セレナまで乗るな。
「ワシの工房が薬臭くてかなわん!」
ドグランが顔をしかめる。
「研究は場所を取ります」
リファニーは悪びれもせず言った。
「だからといってワシの作業台を占領するな!」
「共有です」
「共有ではない!」
そんな二人の言い合いを完全に無視して、リファニーは木箱をこちらへ差し出した。
「アキラさん。できました」
「何が?」
「全部です」
「全部?」
「洗髪液、髪整え液、肌水、乳液、保湿膏。高級版と通常版の基礎処方です。ぐふふ・・・寝てません」
「寝ろ」
「完成したので、寝てもいいです」
「順番が逆だ」
相変わらず真顔である。
怖い。
「一応確認ですが」
セレナが木箱を覗き込む。
「人体に害はありませんね?」
「その確認を最初にするのが商人として正しいです。少なくとも、従来の香油や肌膏より刺激は少ないです」
「少なくとも、が怖い」
「絶対は研究者の敵です」
「名言っぽく言うな」
リファニーは一本の小瓶を持ち上げた。
半透明で、とろみのある液体。
「今回、一番化けた素材はスライムゼリーです」
「スライムゼリー?」
「はい。本来は保湿性だけ見れば優秀です。水分を抱え込む力が強い。ただ、不安定で、すぐ分離して、とにかく臭い。だから誰も使いません」
「駄目じゃないか」
「普通は駄目です」
リファニーはにやりと笑う。
「ですが、このあいだアキラさんに教えていただいた処理手順を応用して、不純物を飛ばし、安定しやすい状態へ持っていきました。そしたら匂いが消えたんです」
「ああ、あれが使えたのか」
以前、保水素材として使えないかと俺が簡単に試した処理だ。結局その時は別用途で流したが、リファニーはそこから拾ったらしい。
「さらに錬金術で魔力的な癖を整えます。すると、優秀な保湿材に化けました」
「へえ・・・」
「こちらはトレントの樹脂。薄い保護膜を作ります。こちらはフォレストファングの脂を精製した柔軟材。いずれも同様に臭いが気になって使えなかったものです」
「それも同じように?」
「はい。そして、こちらは逆の応用で、花や香草から抽出液を作りました」
次々と並べられる素材に、ドグランまで「ほう」と唸った。
(アル、そんなに違うのか?)
『肯定。初期想定品質を上回っています。現地素材の特性利用としては優秀です』
(つまり、アルの化学知識とリファニーの錬金術で化けたわけか)
『その認識で概ね正しいです』
「アキラさんの知識は、素材の余計な部分を取り除くのが異様に上手いです」
「異様って言うな」
「異様です。ですが、それだけでは魔力を持った素材は不安定になります。そこを錬金術で整えると、初めて使えるようになる」
セレナが小さく息を吐いた。
「つまり、安い素材が高品質商品に変わる」
「そうです」
「仕入れます」
「決断が早い」
「安いうちに仕入れるのは当然です」
やはりそこか。
「では、試しましょう」
リファニーが手を叩く。
「試して問題なければ、量産工程に入れます」
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最初に試したのはエマだった。
白銀の髪へ、リファニーが新しい整え液を馴染ませる。
洗い流し、乾かし、最後に指を通した瞬間――エマの目が丸くなった。
「セ、セレナさん」
「はい」
「私の髪、ありますよね? 溶けてないですよね?」
「あります。ちゃんとあります」
セレナはエマの髪をそっと持ち上げた。
白銀の糸が、するりと指の間を抜けていく。
「でも・・・さらさらと溶けていくようですね。何の抵抗もありません・・・」
「それに素敵な香り・・・」
『この世界の素材も加えて調香しなおしました』
エマは自分でも何度も髪を触る。
「軽いわ・・・まとまってるのに、軽い・・・」
俺も思わず見入った。
元々綺麗だった髪が、まるで光そのものみたいに流れている。
「キレイだ・・・」
つい呟いてしまう。
顔を真っ赤にしたエマと目が合った。
「もう・・・」
「勝手にお二人の世界に入らないでくださいよぅ」
次はマリアベルだ。
肌水を頬へ、乳液をその上から馴染ませる。
数秒して、恐る恐る自分の頬を触ったマリアベルが固まった。
「・・・すごい。あのっ、私の顔、スライムになってませんよね!?」
「なっていません」
「でも、ありえないくらいプニプニしてるんです!」
横からエマが指でつつく。
「・・・ほんとだ。ぷにっぷに」
「エマさんまで!?」
新しい販売員二人も横で同じように頬を触り、悲鳴とも歓声ともつかない声を上げている。
最後にセレナが保湿クリームを手へ塗り込み、肌水を試した。
しばらく黙る。
手を見て、頬へ触れて、ゆっくり頷く。
「これは・・・」
「どうだ?」
「最高の商売になります」
「感想がそれか」
「感想です。最上級の」
セレナは真顔だった。
「これは売らない理由がありません」
そこで俺は、リファニーが並べた小瓶を見た。
「ただ、名前はどうする? 洗髪液、髪整え液、肌水、乳液、保湿膏だと、少し説明っぽいだろ」
「分かりやすくはあります」
セレナが言う。
「ですが、これから新しい商品群として広げるなら、名前も何か考える必要がありますね」
「俺のいたところだと、洗髪液はシャンプー、髪整え液はリンスって呼んでた」
「シャンプー。リンス」
リファニーが口の中で転がすように繰り返した。
「変わった響きですね」
「肌水はそのままでいいか。乳液も分かりやすい。保湿膏は・・・保湿クリーム、かな」
「クリーム」
セレナが軽く頷く。
「変わった名前ですけど、この商品の強さならそれが定着するでしょう」
「定着するか?」
「させます」
即答だった。
「では商品名は、シャンプー、リンス、肌水、乳液、保湿クリーム。この五種を基本にします」
セレナは帳簿に書き込んだ。
リファニーが満足げに頷く。
「名前が決まると、研究項目も整理しやすいです。ぐふふ・・・」
「その笑い方、商品説明の時はやめてくれ」
「努力します」
「できるとは言わないのか」
「研究者は不確実なことを断言しません」
都合のいい時だけ研究者になるな。
「ただし」
セレナは小瓶を見つめた。
「売るなら、容器も考え直す必要があります」
「ああ。それなんだが、実は前にセレナから話を聞いた時から少し考えてた」
「何をですか?」
「高級品として売るなら、中身だけじゃ駄目だって言ってただろ」
俺は用意しておいた木箱を取り出した。
蓋を開ける。
中に並んでいたのは、大小のクリスタル瓶だった。
透明な内側に厚みのある部分があり、その中に細い光の線が浮かんでいる。花にも、月にも、流れる髪にも見える模様。その中央にブランド名が刻まれていた。
アウレリア。
部屋の空気が止まる。
「素敵・・・」
誰ともなく、声が漏れた。
「・・・これは」
「超高級ライン、アウレリアシリーズ用の瓶だ。シャンプー、リンス、肌水、乳液、保湿クリーム。全部これで出す」
「アウレリア・・・名前も考えていたのですか」
「まあな」
さらにもう一つ箱を開ける。
こちらは少し簡素だが、上品な透明瓶。
「通常ラインはクレールシリーズ」
セレナが静かに二つの瓶を見比べる。
「変わった名前ですけど、これしかない、とも思えてきました」
「そうか?」
「むしろ覚えやすいです。響きに高級感もあります」
そしてアウレリアの瓶を持ち上げ、光へ透かした。
内側の彫刻がふわりと浮く。
「アキラさん。この加工方法は、絶対に外へ出さないでください」
セレナの顔が真剣だ。
「大丈夫。そもそも俺にしかできない」
クリスタルへのレーザー彫刻なんて、この世界の技術水準じゃできるわけがなかった。
「本当ですか?」
「本当だ」
「ワシも色々試したが、さっぱりじゃ」
ドグランが腕を組む。
「彫っとるのに表面には傷がない。内側に模様が浮いとる。やり方すら分からん」
「ドグランさんでも?」
「分からんものは分からん」
セレナは瓶を見つめたまま、はっきり言った。
「世界を取れます」
「また急に大きく出たな」
「大きく出ていません。これは、そういう商品です」
断言だった。
「計画を修正します」
「どう修正するんだ?」
「少量生産では足りません。絶対にすぐ足りなくなります」
「そんなに?」
「そんなにです。近くに製造拠点が必要です」
「ふ・・・製造場所なら、実は用意してある」
「・・・はい?」
「こっちだ」
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地下には、広い作業空間があった。
水場、排水、換気、貯蔵棚、清潔な作業台。さらに奥には容器洗浄区画と完成品保管棚まである。
セレナが一歩入って周囲を見回す。
「広さは十分ですね」
「驚かないのか?」
「驚くのは後にします。今は配置を考えます」
さすがである。
「マリアベルさん、商業ギルドへ使いを。生産職人、洗浄担当、梱包担当、記録係。急ぎで手配します」
「はい!」
「アキラさん、入れ物はどのくらい用意してありますか?」
「とりあえず足りるくらいは用意したつもりだが」
「信用できません。多分アキラさんの思っているのとは桁が一つ変わります。ドグランさん」
悲しみ。
俺の扱いがどんどん雑になっていく。
「おう」
「外注できる工程の選別を。人手が足りなければ職人を数人増やしても構いません」
「分かった」
「リファニーさん、製造動線を確認して量産できるような体制を」
「ぐふふ・・・了解です」
「そうだ。あと、リファニー用に研究室も作ってある」
「私用?」
奥の扉を開ける。
小人族の身長に合わせた作業台、薬品棚、小型炉、抽出器具、換気設備、鍵付き保管庫、その他もろもろ、アルお手製のよく分からない機材が説明書とともに並んでいる。
リファニーが固まった。
「私専用の研究室・・・」
震える声で呟く。
数秒、部屋を見回し――次の瞬間、くるりとこちらを振り向いた。
「アキラさん」
「何だ?」
「結婚しましょう!」
「「なっ!?」」
俺と同時に、エマが声を上げた。
「は?」
「母が、研究者に理解がある相手は逃すなと言っていました!」
「そ、そういう問題か!?」
「大問題です! 専用研究室完備、素材提供あり、研究内容への口出し最小、しかも新知識を持っている! こんな好条件、錬金術師人生で二度とありません!」
「条件が完全に研究者目線だな!?」
「リ、リファニーさん!? そんなことで結婚相手を決めるなんて!」
エマが珍しく声を荒げる。
「そんなこと、ではありません!」
リファニーは真顔だった。
「研究者にとって環境は命です!」
「力説するな!」
「なおさら駄目です!」
エマが一歩前へ出る。
「いつも見ている胸も好きに触っていいです!」
「触るか!」
エマが俺を睨む。
・・・解せぬ。俺は何も悪くないはずだ。
「アキラさん、返事は!」
「しない!」
「・・・わかりました」
意外にも、リファニーはあっさり引き下がった。
「結婚はあきらめます」
「諦めるのも早いな」
「なので、とりあえずここに住んでもいいですか?」
「なので、とは?」
「結婚が無理なら、住み込み研究員という形で」
「形を変えただけで目的が同じだろ!」
セレナが額を押さえた。
「研究成果は歓迎しますが、労務管理上、研究室への住み込みは許可しません」
「労務管理・・・」
「寝てください」
「研究者に対して最も厳しい命令です」
リファニーは本気で落ち込んだ顔をした。
だが、その目は研究室の棚に向いている。
たぶん、諦めていない。
俺はそう思った。
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そこから数日は怒涛だった。
セレナが人を手配し、ドグランが外注できる工程を分け、リファニーが品質基準を決める。
俺は容器の特殊加工と、最終確認に追われた。
アウレリアシリーズは完全予約制。
クレールシリーズは数量限定。
肌に使うものだから、販売員には使用方法と注意点を徹底して覚えてもらった。
そして精霊工房の棚に、二つの名が並ぶ。
事前準備も怠らなかった。
サンプルの配布をしっかりと行い、商品のおまけや、街での配布も行った。
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そうして迎えた発売初日――
精霊工房の前に、初めて行列ができた。
「クレールの肌水、まだありますか!?」
「本日分は終了しました!」
「うそッ!? 明日は!?」
「明日も数量限定です!」
「予約はできますか!?」
「クレールは一部予約可能です! アウレリアは完全予約制となります!」
マリアベルの声が店内に響く。
新しく入った販売員二人も、小瓶を並べ、試用品を配り、使い方を説明するので精一杯だ。
「すごい、手が・・・手がすべすべ・・・」
「試供品で頂いた洗髪液はどこ!?」
「これ、本当にクレールでこの質なの?」
女性客の熱気は、吸水布や便利瓶の時とは比べものにならなかった。
さらに奥では、富裕商人の使いらしき女性が、アウレリアの瓶を見て息を呑んでいた。
「この瓶だけでも、買う価値がありますね。一度奥様に見ていただかねば」
「奥様もいいですが、旦那様に良い贈り物がある、と教えてあげる方がいいかもしれませんよ。それも、早ければ早いほどよろしいかと」
「ああ、それは素晴らしい! 帰ったらさっそく報告します!」
セレナは静かに答える。
肌に使うものだからこそ、焦って売らない。
その徹底ぶりが、逆に客の信用を呼んでいた。
どこにも売ってないものがある店。
便利な道具がある店。
そう呼ばれていた精霊工房に、その日から新しい二つ名が加わった。
綺麗になれる店。
女性たちの間で、そう呼ばれ始めた。
その噂が街の中心で広がる一方で、旧西区のさらに奥、石畳もまともに残っていない貧民街では、別の噂が小さく囁かれていた。
また一人、子供が帰ってこない。
そんな、聞き慣れたくない話だった。




